第10話 格の違い
ラヴァールは、ユウトが彼をにらみつける前から、ユウトをより強い眼光でにらみつけていたのだ。それにユウトが気づいたのは、まさに彼と目が合った瞬間だった。そのあまりに攻撃的な眼に、まるで目の前がひっくり返るような思いだった。脳裏に一瞬、『もう死ぬんじゃないか』という恐怖が浮かんだほどだ。ユウトがラヴァールをにらむことができたのは、最初の一瞬だけだった。
なぜ? なぜこれだけの人数がいるのに、隅っこにいる俺をにらんでくるんだ? しかもこちらがそうするより先に。まさか、動きを先読みしていたのか? そんな馬鹿な――。まだお互い武器も抜いていないどころか、言葉すら交わしていないにもかかわらず、腰が抜けてしまいそうだった。
しかし折れるわけにいかない。パフィオの心を射止めるため、こうなっては引き下がれない。向こうに敵と認識されているのなら、こちらから攻めるしかない。
ユウトは、ラヴァールの名を大声で呼んだ。
「お前が……ラヴァールか!」
彼の声は緊張で若干上ずっていた。
しかも、ユウトがこの言葉を発した直後、ラヴァールの気迫はさらに強まったのだ。眉間にしわが寄り、目つきが険しくなっている。その気迫は彼が今まで接したことのある、およそ『怖い』という感情を抱いてきた者達――例えば不良だとか、中学時代の体育教師、あるいは親戚のおばさんとか、そういう、怒りっぽくてすぐ暴力に訴えたり、長々と説教したりといった人間達とはまるで違っていた。この目つき、この雰囲気は、なんなのだろう。戦わずして既に敗者であると悟らせてくる、絶対的な強さを脳幹に叩き込んでくるかのような何か。こんなものを漂わせる輩など、それこそ漫画やゲームでしか見たことがない。
ユウトはここまでで既に倒れそうになっていたが、ラヴァールの向かって右に立つナスが追い打ちを掛けてくる。
「ユウト! いい度胸だな、ラヴァールさんにそんな口利くとは――」
「オレの弟子、ダルム。今は出てくる時ではない」ラヴァールは一切動かず、表情も視線も変えずに弟子を制した。
「はい、すいません」ダルムが下がる。
そして、ラヴァールはおもむろに一歩進み出る。彼はいつの間にか、あの強面ではなくなっていた。余裕のある、逆に温かみすら感じさせるほどの目つきになって、ユウトをまっすぐ見て言った。
「ユウト……お前には仲間殺しの容疑が掛かっている。ただ、お前はボノリーに好かれているようだ。オレの弟子がなつくのであれば、お前は悪人ではないのだろう。それでも人殺しの件について完全に無実とわかったわけではない。潔白を証明するため、お前は戦士としての成長を見せなくてはならない」
にらみつけてお前呼ばわりしたユウトに対し、まるで親か師匠のようなことを言うラヴァール。何か、男としての格の違いを見せられた気がして、ユウトは心が小さく縮みすぎて消えてしまいそうだった。それでも、パフィオの前で恥をかくまいというプライドが彼にさらなる勇気を振り絞らせる。この得体の知れない獣に、何か言ってやろう。そう思い、出てきた言葉がこれだ。
「うるせーよ!! ナメんなよ!!」
声量だけはやたら大きいが、恐怖から声の高さが途中で細かく変わり、気持ちの悪い発声になってしまった。発言自体もまったくもって中身がなく、仮にまともに発声できたところで、ただ吠えているだけだ。言った直後、ユウトは寒気がしそうになった。勇気を振り絞ったところで、こんな、やられ役のような台詞しか出せないのかと。
こんなつまらないタンカでも、テテは「そうよ!」と続いてくれた。「あんた達のせいでこの町出てくことになったのに、何よ、上から!」
彼女のほうがよほど発する言葉も立派だった。この頼もしいバッタに後押しされるように、ユウトは続ける。
「俺は……強いからな!」
「そっ、そうだぞ! そうだそうだ、ユウトは強いぞ!」クイがバタバタと羽ばたきながら、アシストしてくれる。
必死に噛みつこうとするユウト達を見て、ラヴァールは一切反応せず、逆に視線を逸らした。彼らなど見えていないとでもいうように。彼の側近である上位の頂点の弟子のイソギンチャクとナスは、あからさまに見下した顔をしてひそひそと話す。
「あら、何かしらね。これは……」
「意外に面白ぇもんが見れたな」
発言権のない下位の頂点の弟子8人は、その2人と似た表情だったり、心配そうだったり、つらそうに目をそむけていたり、眠そうだったりと様々な反応だった。そしてピサンカージは彼らのどれとも違い、何か策でも思いついたようにニンマリ顔をしてから、師に願い出る。言った。
「ラヴァール様、前に立つことをお許しください」
「オレの弟子、ピサンカージ。前に立つことを許そう」ラヴァールはどこを見ているかわからない状態のまま、依然動かずに答える。
アシカのピサンカージは前に進み出て、ユウトのすぐ前まで来た。
「何? 何する気?」
「何をする気なのか教えてほしいのはこちらのほうさ。何しろユウト、僕はすごく気になってるよ。さっきまでの君と別人のようじゃないか」
「君は、僕が先ほどここへ来た時は何も喋らずに、いるのかいないのかもよくわからなかった。なのに、ラヴァール様が来られた途端、小物のように騒ぎ始めたよね。理由はなんだろう? もしかすると、君はラヴァール様に楯突いて存在を認めてもらおうとする愚か者ということかな? でも、無駄だ。むしろ、君が罪を犯したということがはっきりするだけさ。よりにもよってラヴァール様に無礼な態度を取るような者が、悪人でないわけがない」
ダルムとヘリトミネも続く。
「ユウト、反省しろよ。そもそもラヴァールさんにその態度取ってる時点で、今すぐ死んだって文句言えねぇからな」
「愚かだわ! せっかくラヴァール様にお言葉を頂いているというのに、その価値も理解できないなんて。それほどの愚か者を見る機会はあんまりなくて、逆に楽しいわね」
ユウトはパフィオの前で格好をつけようなどと思ったことを後悔した。完全に肝を潰されてしまい、もはやなんの言葉も出てこない。
だが、戦えば勝てるはずだ――ユウトは己にいい聞かせ、どうにか自尊心を保った。ラヴァールと1対1なら、負けない。力を見せれば、やかましい頂点の弟子だって黙るだろう。何せ、こちらはエクジースティを倒せるのだから。
彼の横で、シャッ……金属同士がこすれ合う音がする。ターニャは大鎌を鞘から抜いて、また構えようとした。そこで動けなくなる。
「ちょっ……また!? ミスペン!」
「こんな時に面倒を起こすな」ミスペンはいつも通り、ターニャの背中に手のひらを向けていた。
ユウトは少しだけ安堵した。ターニャがこうして馬鹿をやってくれたおかげで、自分の失敗がいくらか霞んでくれる。
「ラヴァール様。どうしますか? ユウトにターニャ、どちらも救いようのない愚かな悪人と思いますが」
ピサンカージへの答えの代わりに、ラヴァールは一歩進み出る。
「オレの弟子、ターニャ。オレの弟子となって早々、お前は野蛮な振る舞いに再び手を染めようとしている。お前の手綱を握るミスペンに深く感謝することだ。今のお前は転がり続ける巨岩だ。いずれ勢いに乗り、誰かを押し潰してしまう。俺はお前を導かなくてはならない。お前が間違いを犯さぬように。それでも俺がお前に再び罰を下す時が来たのなら、その時は、昨日のような甘いものではない」
威勢がよかったターニャは、このラヴァールの発言を聞いた途端に委縮してしまったようだ。それでも人間で、何も答えない。
「ラヴァールさん、今ここで徹底的にやってもいいのでは? まったく反省してませんし、目障りです」ナスのダルムが言う。
「オレの弟子、ダルムよ。今はその時ではない」
「わかりました」
「いつまでもその馬鹿な顔を見られないと思ったら悲しいわ。だってあなた達は、きっといずれラヴァール様に罰を下されるんだもの。自業自得よね、ラヴァール様の強さがわかってて、それでもやめないんだから」
もはや、言葉を返す者はいなかった。彼我の力の差は明らかだ。単純な戦いの能力を比べるまでもなく、『こんな奴らに勝てるわけがない』という雰囲気が、ユウト達の間に漂っていた。
「では、オレ達は失礼させてもらおう。お前達の旅の成功と、戦士としての成長を祈っているぞ」
そしてラヴァールはくるっと振り返る。厳しい視線を残して。それに続いて頂点の弟子も振り返り、歩き始めた。一列になってアキーリの町へと戻っていくラヴァール達。ずかずかと遠慮のない足音を立て、自分達以外の存在を許さないかのように、通行人を威圧感だけで押しのけながら。アキーリの住民はようやくラヴァール達の存在に気づいたらしく、昨日のパレードのように、沿道でラヴァールの名を叫ぶ者や、彼らの後ろに勝手に加わる者もいた。
彼らの後姿を、何も言えずにユウト達は見送った。しかし、ただひとりだけ、黙っていられない者がいた。
「ミスペン、何してんの。あいつら殺して!」固まったまま、ターニャは歯噛みしていた。
「まったく、そんなことをやってる場合か」ミスペンは渋い表情だった。
「今なら殺せるでしょ!」
「背後から襲っても無理だぞ」
「やってみなきゃ、わかんないじゃないの。頂点の弟子のひとりだけでもいい、殺す!」
ラヴァール達が見えなくなってから、ミスペンはターニャに掛けた精神操作を解いてあげる。再び彼女は地面にへたり込み、肩で息をした。
クイはターニャの前まで歩いて来て、なだめるように言った。
「ターニャー、やめようよ。あいつらには勝てっこないよ」
ターニャはクイを見上げた。歯噛みした顔つきのまま、一言「殺す」と返した。
「もう、怖いってー」
「あんた、長生きしないよ」
「あぁ?」
「ラヴァールさん達は、怖かったですけど、でも僕らと戦うつもりはないみたいですね」
「でも殺す」
「ちょっとは落ち着いたら?」
テテの言葉に、ターニャは彼女は拳で地面を殴る。ガスッと気の抜けた音がした。
ユウトはそんなことをしているターニャに対し、背後から苦笑していた。『この子、同じこと何回もやって、馬鹿なんじゃないか』と少し見下していたのだ。どうせ向こうもこちらを下に見ているのだろうが、さすがにこんな反抗期の幼稚な子よりはマシだ。
「とにかく、行くぞ。いや、その前に準備か」
「僕らはすぐ準備終わらせるよ。早くブルリーギに行こうよ」
「あーあ、でもあいつらにバレてんだよね? なんか嫌な感じ」
「でも、この町にはもういたくないよ。行こうよ居場所ないし」
「そうだな」
「あいつらって、俺らの後つけて来たりしないですかね?」
「そうだよね。あいつら、僕らの後をつけてきて、宝を取る気なのかも」
「確かに……どうしたらいいんでしょう」
「だったら、あいつらより前に宝をもらうだけよ。連中がつけてくるなら、待ち伏せしてぶった斬ってやるわ」
ターニャは彼らへの敵意と怒りを静めることなく言った。