第8話 宝だけでできた山
ユウトとパフィオの会話を離れて観察していたミスペンは、2人の間に流れる重苦しい空気をなんとなく感じ取っていた。いつかは割って入らなくてはならないだろう。そのタイミングを計っていると、彼の近くでテテが退屈そうに言った。
「ねー、いつ行くの?」
「早く術を試したいです」
ミスペンはユウトの後押しをしたり、術を教えたりしている間に忘れていたが、そういえば大事なことがなおざりになっていることを思い出した。
「そういえば、我々はどこに行くんだ?」
「あっ……」
「考えてなかったねー」
「僕はアキーリの近くしか行ったことがないので、他にどんな場所があるのか知らないんです」
「あたいも……」
「僕もだよ。どうしよう、やっぱりユウトに訊くしかないか」
「ユウト、考えてんのかな」
ちょうどよかった。ミスペンは「ああ。ユウトに訊いてみよう」と答え、重苦しい空気の男女に近づいていく。
「ユウト」
声を掛けると、うつむいていたユウトは顔を上げ、ミスペンの姿を認めるや「あっ――」と呑み込むような声を発した。ユウトの顔つきは驚きと同時に、まるで天からの助けが来たかのような安堵も表していた。一方のパフィオはいつも通りのすまし顔だったが。
「そろそろ出発しないか?」
「そうですね……」
「どこに行くかは考えてるか?」
「えっ、……どこに行くか?」言われてユウトの目が泳いだ。パフィオのことで頭がいっぱいで、目的地などまったく考えていなかった。
「ドーペント達は、この町のことしか知らないらしい。私もそうだ。ユウト、決められるのはお前ぐらいだ」
「ああ……」ユウトは片目をつぶった。「えーっと……。だって俺、旅に出ようと思ってなかったですからね。ドーペントに言われて――」
そこでミスペンは「ちょっと来い!」とユウトの手を引っ張り、少し離れた場所まで行った。
「お前、好きな女の前でそんな態度でいいのか? チャンスは活かせと言ったろう」
「だって、本当に俺、旅に行くと思ってなかったんです。パフィオさんと、まさか2人きりで話すとも思ってなくて……」
「うじうじするな。いいか、これはチャンスなんだ。旅の計画をお前が決めて、うまくいったらあの子が喜ぶ。単純な話だ」
「あっ……はい」ユウトはミスペンがチャンスと言っている理由がわかったようだ。相変わらず自信はなさそうだが。
「どうした? 積極的に行けと言ったろう。難しいか?」
「いや、そうですね……」
ユウトはまた、はっきりしない答えだ。
「行き先を決めるだけでいい。元は他の場所にいたんだろう? この町にはどうやって来たんだ?」
「えっと……適当です」
「適当?」
「はい。何も考えずに適当に歩いたらここに来たっていうか……」
ミスペンは、今更ながら仲間達の適当さに閉口した。
「噂か何かでもいいから、よさそうな場所の情報はないのか?」
「えーっと。魔獣を倒すのは町の近くの森とか洞窟で十分だから、遠くに行く必要がないので……あんまり、ここ以外に何があるかよく知らなくて」
ユウトが場所に興味を示さないのは、異世界に来ても同じということだ。
「つまり、お前も他の奴と一緒か……」
「すいません」
ここでクイが近づいてくる。「どうしたのー? 何話してんの?」と、ごきげんで翼を開きながら。
さらにパフィオも近づいてきた。
「あの、わたし、目的地を知りたいです」
パフィオは『ユウトが目的地を知っている』とミスペンに言われたのに、ユウトに訊いても目的地を全然教えてもらえなかったので、気になるのは自然である。
「目的地? そんなの適当でいいよね」パフィオの横でクイが言った。
「適当ですか?」
「そうだよ。適当に行って、魔獣がいたら倒して、魔晶を稼ぎながら知らない町まで行くんだ」
「ああ……そうなんですか……」パフィオはつらそうな顔になった。
「どうしたの?」
「やっぱり、魔獣さんを倒すんですね」
「えっ、魔獣『さん』? パフィオどうしたの? そんな顔しないでよ、大丈夫だよ。みんなでやっつけるから」
「おい、クイ、そういうことじゃない」ミスペンが止める。
「えっ? 何が違うんだろう」
「やっぱり、そうですよね。皆さんは冒険者だから……」パフィオは一層つらそうな顔をした。
「えーっ、どうしたの?」クイも戸惑っている。
憧れの人が今にも泣きそうな顔をしているが、ユウトは彼女を元気づける方法がまったくわからない。あんな不気味で凶暴な魔獣と仲良くするなど嫌に決まっているし、やろうとしても無理だ。その手段が仮にあったところで、魔獣を倒さないことには魔晶を稼ぐ手段がない。ここでなんとかうまいことを言ってパフィオを説得しつつ、励ますこともできたら一気に今までの失敗を挽回できるのだが、そんな器用なことができるなら、とっくにちゃんと話せているのだ。
そこにテテやドーペントが集まってきた。ボノリーは地面を転がりながら、ユウトの近くまで来る。
「なんの話してんの?」
「パフィオさんが悲しそうな顔してますけど……」
「みんなも転がろうよ」
「やだよ。あんたひとりで転がってれば」テテはボノリーに白い目を向けた。
「うびゃーん!」ボノリーは奇声を発して立ち上がろうとしたが、葉っぱのスカートを踏んで転んだ。「あれ~?」ボノリーは背中から地面に落下した。
「何してんの、あんた」
「なんでだろ~」ボノリーは立ち上がらず、地面で揺れている。
このままでは埒が明かないので、ミスペンがパフィオに説明した。
「パフィオ、大丈夫だ。魔獣と戦わなくて済む方法を探そう。今は、とにかくこの町から出ないといけないんだ」
「そうですか……わかりました」
「魔獣と戦わなくて済む方法?」クイが首を傾げる。
「そんなのある~?」ボノリーも地面の上で、同様に首を傾げた。
「僕達は冒険者ですから、魔獣と戦わないと……」ドーペントも困っているようだ。
「えっ……。やっぱり、魔獣さん、倒しちゃうんですか」パフィオはさらに悲しい顔になる。
「魔獣『さん』?」
「パフィオはとても優しい性格だ。魔獣を倒してほしくないらしい」ミスペンが説明する。
「うーん、それは無理だなぁ。だって、冒険者は魔獣と戦うのが仕事だから」
「そうですか……」パフィオは涙目になる。
アリーア達はパフィオの周りに集まり、慰めつつ説得した。
「そんな顔しないでよ、パフィオ」
「魔獣って、話もできないし、僕らのこと見つけたら攻撃してくるんだよ。ウガー! とか言って」
「魔獣にさん付けしなくていいよ」
「そうだよ。魔獣は危ないし、悪い奴らだよ」
彼らはパフィオを励ましているつもりのようだが、彼女は集中的に責められているような気持ちになったのだろうか。とうとう涙をポロポロこぼし、泣き出してしまった。
「あぁ……。パフィオさんが泣いちゃいました」
「なんで?」
「もう、泣かないでよー」
パフィオは手で涙を拭きながら主張を述べる。
「アリーアの皆さんとは、仲良くしたいと思います。でも、魔獣さんとも、仲良くしたくて……。わたし、間違ってるんでしょうか……」
ミスペンがしびれを切らして口を挟む。
「襲ってきた魔獣だけを倒そう。パフィオ、ひとまずそれで納得してほしいんだ」
「……はい。そうですよね。それが冒険者なんですよね……」パフィオは、完全に納得はできないようだが、折れてくれたらしい。
「そうそう。最初から、それでいいよね」
「えーっ、でもそれだけだとあんまり魔晶が集まんないよ」
「あっ……やっぱり……」一度は治まったパフィオの涙が、また流れ始めてしまう。
「あぁ! パフィオさんが!」
「もう! パフィオが泣いちゃうから、この話はやめ!」
「はーい」
「パフィオ、泣かないでよぉ」
「はい……」パフィオはまた、手で涙を拭いている。これで魔獣についての議論は一旦棚上げとなった。
「じゃあ、行こう」
ボノリーが言った。するとこれを待っていたかのようにクイは空を飛んで、一番にアキーリの町から離れていく。地面に倒れたままのボノリーは、そのまま起き上がることなく、ゴロゴロと転がって地上を進んだ。
「ちょっと、勝手に行かないでよ! クイ!」
「まだご飯も食べてないんですけど……」
しかし、クイもボノリーも戻ってこなかった。
「ちょっと、もう! あいつらだけで行ってもしょうがないでしょ」
「追いかけますか?」
「もう! 行くよ、みんな! クイに遅れちゃう」
「あれ、ターニャさんはどこですか」
「あんなのどうでもいいでしょ、ってさっきも言ったけど。行くよ!」
クイとボノリーに続いて、慌ただしく町を出ていこうとするテテとドーペントだが、肝心の問題が解決していないことがミスペンには気がかりだった。
「ドーペント」ミスペンは呼び止める。ドーペントが立ち止まって振り返った。
「はい、どうしたんですか? ターニャさんのことですか?」
「それもあるが……本当に、目的地も決めずに行くつもりか?」
ミスペンの問いにドーペントは少し悩んで、言いよどみながら答える。
「えーっ、と……。そうですね、僕、旅したことがないので。おかしいでしょうか」
「実際、風まかせというのも悪くないし、私も何年かやった経験はあるが、予想外の危ない目に遭う可能性は大きく上がる」
「そうなんですか。怖いですね」
テテが戻ってきた。面倒そうな顔をして、「何? 行かないの?」と訊いてくる。
「旅の準備は十分なのか?」
「あ、準備ですか……」
ドーペントは家の前まで行き、置いてある彼の、魔晶がたくさん入ったカバンを背負う。
「うわ、忘れてた! ヤバ……軟膏、町の奴に盗られるとこだった」
テテも壺を背負い直す。
「どれだけの長旅になるかもわからないのに、大荷物すぎるな」
「やっぱりそうですか……」ドーペントはカバンを再び地面に降ろした。
「ミスペンって、もしかして結構旅の経験ある?」テテも同じように、壺を降ろしながら尋ねる。
「チャンピオンになる前は、長く旅をしてきた。経験者の言うことは聞いておいたほうがいいぞ」
「そうなんだ!」
「ミスペンさんが仲間に入ってくれてよかったです。すごく頼りになります」
テテはクイとボノリーが出ていった町の外に向かって呼びかける。
「ちょっとクイー! どこ行ったの? 戻ってきて!」
その声が聞こえていたのだろうか、クイは高速で舞い戻ってきた。その後ろからボノリーも地面を転がり、戻ってくる。
「どうしたの? 早くついてきてよ。何してんの」クイは羽ばたきながら、彼らの近くで滞空している。
「案外すぐ戻ってきたね……」
「だって、誰もついてこないんだからさぁ」
ミスペンはクイに近づいて尋ねる。「クイ、どこに行くんだ?」
「どこって、旅だよ」
「そうじゃなくて、ミスペンがね、目的地を決めたほうがいいんだってさ」
「えー! いいんじゃないの? 適当に行ったら」
「それも冒険者流か?」
「そうそう」
「だが、目的地くらいはな……。あてもなく進んでいい場所に行ければいいが、そうならなかった時が危ない。何かあった時最悪アキーリに戻ってこれるように、方角くらいははっきりさせておいたほうがいいぞ」
「ここに戻ってくるんですか……」ドーペントは珍しく難色を示した。
「死ぬよりはマシだろう?」
「確かに、そうですね」
「すごいねミスペン。色々考えるんだねぇ」テテは腕を組み、うなずいている。
「むしろ、準備が何より大事だぞ」
「ミスペンさんはすごく強いですし、ずっと前から冒険者やってたみたいです」
ここで、いつの間にかミスペンのすぐ前の地面で横になっていたボノリーが尋ねてくる。
「ねー、ほーがくってなに?」
「わあ、ボノリーさんいたんですか」
「……方角を知らないのか?」
アリーア達は、初めて聞く用語に盛り上がる。
「そういう魔獣じゃない?」
「うわあ! 強そう!」
「魔獣をはっきりさせるんだよね? でも、どういう意味なんだろう」
ミスペンは答えに困った。方角が何かをそもそも知らないとなると、難しいことを教えてもほとんど無駄になる可能性がある。こうなったら、彼らに任せて目的地なしで好き勝手に旅に出るのも悪くないか――と思った直後、クイが言った。
「じゃあねー、ひとつ、知ってる場所あるよ」
「えっ、何? そんなとこあったの」
「東にあるブルリーギっていう町なんだ。ちょっと遠いし、グランダ・スカーロ帝国に近いとこにあるんだけど」
「パフィオの故郷に近い場所か」
「そういやパフィオ、家に帰ったりしないの?」
「ユウトさんには言ったんですけど、今は多分難しいんです」今まで黙って話を聞いていたパフィオが答える。
「へえ、そうなんだ」
「でも、大丈夫です。皆さんの行きたいところに行きます」
「パフィオ、ブルリーギってここに来るとき通ったんじゃないの? 聞いたことない?」
「わかりません。途中の町は何があったか、覚えてなくて。すいません」
「そうなんですか」
「パフィオが覚えてたら、楽だったんだけどねぇ」
「なんだか道があると思って、ただ歩いただけなんです。すいません」
「それでここまで来るのって、結構すごいんじゃない? グランダ・スカーロって遠いんでしょ」
「はい。お腹が空いて、倒れそうでした」
パフィオについての
「でも、ブルリーギってどんな場所?」
「ブルリーギにはね、すごーい宝の山があるんだ」
「宝の山!?」
アリーア全員が色めき立つ。
「ブルリーギの近くには魔晶とか、宝石とか武器とか! お宝ばっかりでできた山があるんだって。すごく高くて大きい山なんだ」
「宝でできた山? 宝が埋まってる山じゃなく?」
「そうだよ。全部がお宝なんだ」
「えーっ!!」
「すごいねー、それ!」
「どんな宝?」
「さっき言ったよ。魔晶とか、宝石とか」
「えーっ! 初耳!!」
「あんた、さっき聞いてなかったよね」
「びゃん!」
「宝だけでできた山って、すごいですね」
「すぐ行こうよ! 他の誰かに取られないうちに」
「そうですね。そこに行きましょう」
「楽しみです」
「楽しみー!」
ドーペントとパフィオ、ボノリーはすぐにでも出発したいというくらい乗り気だが、ミスペンとテテはそうではない。
「あれ? テテさん?」ドーペントがそれに気づく。
「……なんか、怪しい気が……」テテは顔をしかめて言った。
「えっ、そうですか?」
「クイ、その町の話は本当か?」
「本当だよ! だって、噂で聞いたから」
「噂じゃない! やっぱり!」
「えーっ! だって本当に噂で聞いたのに」
「ミスペンさん、どうしますか?」
ミスペンはパフィオに近づく。
「パフィオ、そんな山があったかどうかは、やはり覚えてないか?」
「そうですね、わかりません。すいません」
「そうか……」
ターニャはその一連の会話を、いつの間にか少し離れたところで聞いていた。口を真一文字に結んで、腕を組み、攻撃的な視線を放ちながら。
「わぁ! ターニャ、いたの!?」
「いちゃ悪いわけ?」
「いいや、悪くないよ。ターニャ、僕ら旅に出るんだ」
「あっそ」ターニャは至って乾いた反応をした。
「お前はどうする? ここに残るつもりなら止めないが……兜を作ってくれる鍛冶屋はこの町にはいない。よそを探すしかないぞ」
「……わかったわよ」ターニャはすねた感じで答える。「どうせそうなるんでしょ……ついて来いって? はぁ、くだらない。行ってやるわ、もう」
「はぁー……」テテは小さく溜息をついて、頭に手を当てた。
「ターニャさん、ついてきてくれるんですね」ドーペントは嬉しそうだ。
「あんた、なんでそんな感じでいられるわけ?」
「だって、ターニャさんも仲間ですから……」
「そうだねー」
そうして話していると、何かを見つけたらしく、クイが遠くを翼で指しながら、「あれ? あのアシカって?」と言った。
アキーリの町のほうから、灰色のアシカが一匹歩いてくる。短い四肢でひょこひょこと、腹をたぷたぷ波打たせながら、小躍りするように。