第5話 種の存続について
ミスペンはユウトのところへ行った。
「どうした?」
「えーっと、ですね」
ユウトは、パフィオのことについて話したい気持ちを押さえ、それよりもある意味重要なことについてミスペンに話す。
「ん?」
「昨日の話のこと、ターニャさんにバレました」
「昨日の話?」
「なんか、ターニャさんはレンゼリオっていう国の騎士団の副団長っぽいです」
「何!」
「クイがあの人にバラしちゃって、それでバレました」
ユウトの説明は前後しているうえに抽象的だが、ミスペンは彼の言わんとすることをなんとなく察した。
「騎士団の副団長? ターニャが、それを自分から言ったということか?」
「いや、あの人、すごい怒ってきて。なんで知ってんだって言われて……。副団長っていうのは、クイが言ったみたいなんですけど」
「なら、ターニャは自分が本当に副団長かどうかは言ってないのか」
「はい」
「……なるほど」ミスペンは顔をしかめ、深くうなずいた。
「危なかったです。あの人、普通に襲ってきそうでした」
「レンゼリオというのは?」
「ターニャさんが言ってきました。レンゼリオのこと、知ってるんじゃないかって。でも、俺、知らないんで」
「そうか……すまなかったな。こういうことはやるもんじゃないという教訓だろう」
「っていうのは?」
「術で拘束して、自由を奪ってる人間に余計なことをすると、後々しっぺ返しを食らうという話は術士の間では昔から有名なんだ」
「えっ……」
「ただそう言われてるだけで、本当に呪いか何かがあるわけではないだろうがね。そうでなくとも、人の過去をあれこれ詮索するのは褒められたことじゃなかったな」
「いや、あの人は正体を疑われて当然だと思いますけど……。絶対、向こうの世界で滅茶苦茶悪いことしてましたよ」
「だったら、ここに来たのはあの子にとっていい機会なんだろう。我々の存在はあの子にとって重要なはずだ」
この人はどうしてあんな子をそこまで背負いこむのか? ユウトには疑問でならなかった。代わりに別のことを尋ねる。
「レンゼリオっていう国のことは知らないですか?」
「聞いたこともない。おそらく、私とターニャは別の世界から来たと考えたほうがいいだろう。接点があるとは思えない」
「そうですか……。あの人、やっぱ、ヤバいですよ。いつか誰か殺しますよ」
「少し時間が掛かるだろうが、どうにか私が面倒を見たい。すまんな」
「本当ですか? いつかみんな殺されるんじゃ……」
すると、ミスペンは「お前の言いたいことはわかるが」と前置きしてから、とても真剣な表情になってユウトをまっすぐ見つめ、訊いてくる。
「ユウト。お前、この世界にずっと住み続けた時のことを考えてるか?」
この問いに、ユウトは何の答えも浮かんでこなかった。魔獣と戦い、魔晶を手に入れていれば生きられる。テテは料理と家を作ってくれるし、もし別れて独りになったとしても酒場に行けばいい。こんな風に、正面切って言われないといけないことがあるだろうか? 想像がつかない。
だが、そんなユウトにミスペンは、大人ならではの問題提起をした。
「どうやって子孫を残す? 元の世界に帰れないんだろう? ここに住み続けたら誰と一緒になるか、いずれは考えざるを得ない」
そう言われて、ユウトは『確かに』と納得せざるを得なかった。返す言葉がない。それでもなんとかしてパフィオと一緒になれば――反射的に思考を働かせるユウトだが、まるでそれを読んだかのようにミスペンは続ける。
「パフィオは確かにいい子だ。だが、人間じゃない。子どもを産めるかはわからん」
ユウトはまったく考えていなかった事実に気づかされ、ハッとしてしまう。子どもを産む? ミスペンは結婚後の話をしていたのだ。本当に、考えたこともない。彼女だって人生でただ一度しかできたことがないのだ。しかも、その一度だってうまくいかず、すぐに終わってしまった。
ユウトがミスペンの発言について咀嚼しきる前に、彼は話を進める。
「私が言ってる意味がわかるか? どうして私がターニャを世話してるか。もちろんあの子がここで幸せになれるようにという意味もあるが、人間という種族のことを考えても、あの子の代わりはいない」
それで、ようやくユウトは彼の意図を理解した。
「まさか……ターニャさんと、ってことですか? 俺が?」
「他に選択肢がないだろう」ミスペンの目の輝きが増した。
「いや、向こうが嫌がりますよ?」
「10年も経てば、あの子もわかってくるはずだ」
「10年も一緒にいるんですか!?」
「まあ、お前が子孫を残したくないなら、どうでもいい話にはなる。19ならそういうことを考えなくても責めることはないが、いずれはな……。中年になって後悔するかも知れんぞ。うるさいじゃじゃ馬でも、くっついたほうがマシだったと。その状態になってから、どこに行ったかも分からん女を捜そうと思っても至難の業だ。想像してみろ」
と言われても、そんな先のことなど、ユウトにはまるで予想がつかない。それよりも、パフィオと結婚できたところで子どもができないかも知れないという事実に、少し遅れてショックを感じていた。それなら、本当にターニャしか選択肢がないのか……?
ユウトは、10年後にターニャと結婚して家庭を築く未来を想像した。そして、そんな想像をすぐに記憶から消したくなった。事あるごとに激怒して大鎌を持ち出す妻なんて、結婚初日で離婚したくなるに決まっている。あの活火山のような少女は、年を重ねて大人になったところで何一つ変わらないのではないだろうか。
「どうだ?」
「やっぱ、無理です」
「そうか。確かにな、お前には好きな女がいる。当然だろう。だから私はこうして連れてきたんだ」
「そう!」ようやく本当に掘り下げたい話題に移れたことで。ユウトのテンションが上がる。「そうです。パフィオさん、どうやって連れてきたんですか?」
「ああ」ミスペンは笑顔に戻る。「大したことはしてないぞ」
「いや、パフィオさんここに連れてくるって……大したことだと思うんですけど」
「さっき言った通りだ。酒場に行ったらちょうどパフィオが出てくるところで、少し話をした。そしたら、流れでね」
「流れ?」
「ああ」
ミスペンは涼しげなもので、詳細を語る必要はないと言わんばかりだ。しかし昨日が初対面の女性を『流れ』で簡単に自宅まで連れてこられるとは、ユウトにしてみれば到底信じられない。彼女がいた頃ですら、家に誘う勇気が出なかったくらいなのだ。
「すごいですね。俺、あの人と話もできないのに。なんか、ミスペンさんだったら簡単にパフィオさんと付き合えそうですけど……」
「おい、ここで弱気になってどうする? せっかくチャンスを作ったんだ、無駄にするのか?」
「俺、大丈夫でしょうか。どうやったら、あの人と話せるか……」
「そんな風に縮こまってもうまくいかないぞ。あの子は優しいから、お前がちゃんと話せば絶対にうまくいく」
「……ありがとうございます」
「積極的になれよ。お前が行くべき時に行かないと、結局何も手に入らないぞ」
ユウトはこの励ましに対してせめて何か意気込みをと思ったが、しかしそわそわと落ち着かなくなる。もしやと思ってミスペンが振り向くと、パフィオが近くまで歩いてきていた。角を含めると190cm以上に達し、角がなくてもその場にいる他全員の身長を上回る彼女の体躯は、近くで見ると木のように大きいが、自信なさげな顔つきはその存在感とは対照的だった。全員を見下ろせる位置なのに、彼女の目つきはなぜか上目遣いのように感じられた。
「ミスペンさん、今日はどこに行くんですか?」パフィオが尋ねた。
「ああ。行き先はユウトが知ってる」
「そうなんですか?」
パフィオはユウトのほうを見た。ユウトは緊張し、「あっ……えっ……」と目を背ける。
「ほら」
ミスペンはユウトの肩を軽く叩き、その場を離れる。ユウトはパフィオと2人きりで残された。行き先を知ってるなんて言った記憶はないが――ミスペンが、さりげなくパフィオと話す機会をつくってくれたのだというのはすぐにわかった。これが『流れ』なのだろうか?
パフィオは何も言わずに、興味ありげな顔でじっとユウトを見つめてくる。どこを見たらいいか、皆目わからない。少しでも彼女に視線を向けようとすれば、大きな膨らみに目がいってしまいそうだ。ピンクのワンピースの下でこんもりと盛り上がった乳房は、ユウトの顔のすぐ前にあったのだ。
「え、そ、の……う……」
それ以上の言葉は出てこない。何か言いたいという感情だけが、ユウトの心の入口で大量の言葉をせき止めてしまっていた。
ミスペンはさりげなくその場を離れ、森に入っていく。すると、待ち構えていたかのようにターニャが仁王立ちしていた。先ほどパフィオを連れてきた時、その場にいなかった彼女に旅に出る件について伝えようと思ったが、それよりも早く彼女はミスペンに迫ってきた。
「ミスペン!」
「訊いたか? これから旅――」
「どうでもいい。あんた、あたしのことそんなに知りたいの? 何が目的?」
「どうした?」
「ユウトと色々話したんでしょ。知らないと思ってるの?」
ミスペンはそれで気づいた。この疑り深い少女にとっては旅やパフィオのことより、自分の正体を探られたことのほうがよほど問題なのだ。
「ああ――君のことについて詮索したのはすまなかった。だが、君がケンカを売るようなことばかりしてるから、皆、君のことを疑ってるんだ」
「あたしはこいつらと仲間ごっこなんかする気ないし、あんたが言うから来てやってるだけ」
「だが、ここを離れてもきっと困るだけだぞ」
「そういう問題じゃない。大きなお世話!」
「兜を作る手伝いもすると言っただろう?」
「なんでそこまで……。あたしの正体知って何するつもり?」
「私は君が隠そうとしてることを、わざわざはっきりさせようとは思わない。だが、君が信用を得なければ、結局独りになって困ることになる。今はそう思わないだろうが」
ターニャはヒートアップし、声も大きくなる。
「何、それ。あたしが悪いって言いたいの? なんで! 昨日のラヴァールもそうだし、なんであたしが悪いことになるの! あたしはなんにも悪いことなんかしてない」
「君がそう思うのは勝手だが、もう少し譲らないと、誰も君の兜を作ってくれないぞ」
ターニャは歯を食いしばって、地面を踏み鳴らしながら森の中に消えていった。その後姿を見ながらミスペンは苦笑いする。結局、旅やパフィオについて話すどころではなかった。