第2話 ジャハットに会いたくて
ユウト達とは少し距離を置いて、家の近くの林の中の広場でブン、ブンと音を立て、ターニャが大鎌を何度も素振りしていた。縦に横、斜め。方向によって細かく握り方を替えながら、憎い誰かが目の前にいるかのように、怒りを帯びた顔で歯を食いしばって振り続けた。クイは離れたところからそれを見守っている。
そしてターニャは大鎌を地面に下ろし、膝をついた。汗をだらだらと垂らして、息は荒い。
「はぁ……。はぁ……」
クイが歩いてきて話しかける。「ターニャ、どうしたの? なんでそんなにブンブン振ってるの?」
「うるさい……っ!」ターニャはクイをにらむ。
「ずっと思ってたんだけど、その鎧、重いんじゃない? 脱がないの?」
「この鎧は、すごく大事なの。あんたにはわかんないわ」
「副団長だから、偉いから鎧が脱げないってこと?」
そうクイに言われた瞬間、ターニャは動きを止めた。視線は固まり、呼吸すらしなくなる。
「あれ? そうじゃないの? 騎士団の……」
クイの言葉が終わると、ターニャは鎌を両手に持ち、彼に向き直った。異様なほど冷静な目をして、低い声で問う。
「あんた……いつそんな言葉を?」
クイは数歩後ずさった。
「いや、怖いよ。何も知らないよ、僕」
ターニャはクイを追い詰めるように、低い声で問いながら歩いていく。
「誰から聞いたの」
「だって、精神操作っていうので昨日、ターニャ、寝たでしょ。そしたら、ユウトとミスペンが言ってたんだ。こんなすごい鎧着てるから騎士団ってやつの人じゃないかって」
ターニャは悔しさに、拳を握りしめる。
「ミスペンと、ユウト……何よ! 何も知らないくせに。ムカつく……何も知らないくせに! 人を馬鹿にして!」
「ターニャ、落ち着いてよ。さっきから怖いよ」
ユウトの近くで木に登っていたはずのボノリーは、クイの後ろからにゅっと出てくると、彼の翼の下に入り込んで頬ずりした。
「うわぁ! ボノリー!」クイは少し跳びあがった。
「んー、ふさふさするー」ボノリーは気持ちよさそうに目を閉じて言った。クイの羽毛がボノリーの顔にかかっている。
「びっくりしたー」
「クイは木か草かでいったら、木だね」ボノリーは出し抜けに言った。
「そう。僕は木なんだ」
と、クイはボノリーとくっついたまま、ターニャの目をしっかり見つめて誇らしげに言うが、どう返していいかわからない。しかしこの意味不明なやりとりのおかげでいくらか脱力し、ひとまず怒りは爆発を免れた。それで、彼女は林のさらに奥へ入り、素振りを再開した。クイとボノリーは林の入口まで戻って、その様子を遠巻きに見ていた。
ここでユウトが林に入ってくる。まず、クイが足音に気づいて振り返った。
「あ、ユウトだー」クイは挨拶するように翼を広げる。
「眠そうだね」ボノリーが言った。
「眠いよ」
「あれー、意外」
ユウトは答えなかった。眠そうだと言っておきながら、それを肯定した時の反応がなぜ『意外』なのか――なんて突っ込みもこの子には野暮なものだ。
「むぐぅーん!」ゆるい奇声を発して、ボノリーはユウトに軽くぶつかってきた。そして、そのままユウトに抱きついた。
「なんだよ?」ユウトは両手を挙げ、煙たそうな顔をする。
「鎧、硬ーい」ボノリーはユウトの腹に顔を当てたまま言った。
「じゃあ、やめろよ」
「ボノリーは体当たりが趣味なんだ」
「変な趣味だなぁ」
「びゃん!」ボノリーはユウトに接触したまま、少しジャンプした。
ここでユウトは「あのさ、ちょっと聞いてくんない?」と話を切り出す。
「どうしたの」
「俺ら、旅に出ようと思ってて」
「えっ! 旅!?」ボノリーはユウトから離れ、まん丸の目で見上げてくる。
「わぁ! すごーい!」クイも喜んでいる。
「だから、君らとはお別れってことなんだけど」
「えっ? お別れ? なんで?」クイは首を傾げる。
「だから、俺ら、もうこの町出るってこと」
「えーっ! 仲間になったのに!」クイは翼をバタバタ動かす。
「だって、この町嫌いなんだよ。嫌な奴しか居ねぇし、ラヴァールにも目ェつけられてるし」
「もう帰ってこないの?」ボノリーは悲しそうに訊いた。
「多分」
クイとボノリーは互いに見つめ合い、うなる。
「んー……」「う~~ん」
仲良しの2人は、それで感情が通じ合ったのだろうか。突然ボノリーは笑顔になって、「行く!」と言った。それに続いてクイも「そうだね、僕も行くよ」と応じる。
予想しない答えに、ユウトは反応ができなかった。まさか、こんなに簡単に旅についてくるのか。
「あれ? どうしたのユウト」クイは固まったユウトの目の前まで近寄ってくる。
ユウトは頭をかきながら、若干嫌そうに「えっと……なんで?」と訊く。
「ジャハットに会いに行く!」
「そうだね、僕もジャハットに会いたいかも」
「ジャハットって、ラヴァールと一緒じゃなかったっけ?」
と、ユウトがラヴァールの名を出すとボノリーは困って、楕円の身体を左右に振りながら少し悩むが、結局また笑顔に戻って答える。
「ジャハットに会いに行く!」まったく同じ答えだ。
「そうだね!」クイも大して答えは変わらない。「僕もジャハットに会って、えーっとそれから何しようかな。うん、会いに行こう」
深い考えはなく、気まぐれな印象も強いが、とりあえずジャハットに会いたいという目的は一致していた。
「えっ……マジで? お前ら、ここの冒険者なんだよな?」
「一緒に行くよ」クイは答える。「だって、この町、ラヴァール大好きな奴だらけなんだよ? ユウトの家だって滅茶苦茶にされたのに。ひどいことも言ってくるし、もう嫌だよ」
「ねー!!」ボノリーは細くて短い両腕をぐるぐる振りながら言った。
「ユウトもサイハに会いたいよね?」
逆にクイが問う。ユウトが答える前に、知っている名前にボノリーが即座に反応した。
「あ、サイハいいね! サイハは草か木かでいったら、果物なんだよ」
「そうだね、果物だね!」
「いや、果物じゃねぇよ。鳥だよ」ユウトがこらえきれずに、とうとう突っ込んだ。
「うびゃん!」ボノリーの反応はいつも通りで、驚いた顔をして少しジャンプするだけだ。
「あれ? ユウトってサイハと友達じゃなかったっけ?」
「いや、別に全然話してねぇし」
「あれ? 仲良くなったんじゃないの? だって一緒に家まで帰ってきたんだから」
ユウトはクイの問いに対し、視線を逸らして無言でいた。昨日、サイハに自宅まで連れられてくる途中の、サイハとの気まずい時間を思い返し、若干憂鬱になっていた。町から逃げようとした理由を尋ねても、まったくユウトが答えようとしないとわかると、サイハはそれ以上追及しようとせず、ほとんど黙って彼の自宅まで連れて行ったのだ。サイハは見た目は鳥だが、雰囲気的には高校時代の数学の先生のようだとユウトは感じていた。厳しくて冷たく、近寄りがたい。そんな彼に家まで連れられて帰ってくるのは、まるで迷子のような気分だった。
そうした会話の間も、ブン、ブンという大鎌の素振りの音が聞こえていた。ターニャは先ほどよりもさらに怒りを帯びた顔つきで、ミスペンを目標に見立てているのだろうか、ちょうど彼の首と同じくらいの位置をめがけ、左右に振っていた。左に振っては持ち替え、右に振ってはまた持ち替え。
ユウトはそんな状態のターニャに、旅についてくるかどうかの意思確認をすることもできず、メジロとビワのコンビと一緒にそれをボーッと眺めていた。ミスペンに昨日聞いた分析によれば、あの子はどこかの兵士で、戦いが日常だからすぐに怒って武器を抜いたりするのだという。このまま話をせずに済んだら、そんな戦闘狂みたいな危ない子との縁が切れてくれるかも知れない、と現実逃避気味の思いでいた。しかし、ミスペンはどうするのだろう?
横でクイも同じことを考えていたらしい。
「そういえばさぁ、ターニャって旅についてくるのかなぁ」
「えっ? さあ……ついて来ないんじゃない?」ユウトは答えた。
「そしたらターニャ、ずっとブンブン振ってるかな」
「そうだねー! ターニャ、あんなに武器振り回してたら疲れちゃうのにね」
そのクイの言葉に反応し、ターニャは彼のほうを見た。そして、横にいるユウトも視界に収まる。彼女は素振りをやめ、大鎌を手に持ったまま、彼らのほうへ歩いていった。
「えっ、あれ? どうしたんだろう、ターニャ」
クイも不穏さを感じ取っている。明らかに彼女の雰囲気はまともではない。普段から不機嫌だが、それでも、今のターニャは完全に怒りのモードに入っているらしい。ユウトは嫌な予感がした。逃げようにも怖くて一歩も動けなかった。何しろ彼女は、クイやボノリーではなくユウトに視線を集中させていたのだから。