第1話 アキーリを去る日
翌朝。ユウトは家の近くを適当に独りで歩きながら、目をしばたかせていた。
昨晩、あまり眠れなかった。
ラヴァールの弟子の鳥、サイハが言った通り、昨日、彼は確かにアキーリから離れようとした。それはなぜなのか、どうして誰にも理由すら言えなかったのか。
思い返せば、酒場の前でミスペンと軽い口論をして別れた後、彼はさらに森で魔獣と戦うことにしたのだ。電影剣など、雷の出る剣技を身に着けるためだ。ミスペンは修行すれば術が使える可能性はあると言ったが、冷静になってみればユウトは魔法など存在しない世界の人間。そんなことはきっと不可能だ。
修行など無駄かも知れない。それでもミスペンと言い合いをした手前、気まずくて家に帰りたくなかった。
もちろん理想の技を使うことはできなかったものの、順調に魔獣との戦いを終え、魔晶珠をさらに増やして町に戻ったユウトは、自宅のそばが騒がしいことに気づく。皆、ラヴァールだラヴァールだと楽しそうに、伝説の冒険者といわれる男の名を叫んでいた。家のそばに集まった大勢の住民は、ユウトが人殺しの罪でラヴァールから罰を下されることになるだろうと、大声ではしゃぎながら話す。ターニャは既に罰を受け、倒された後だという。
そんな状況の中を帰っていく勇気などなかった。むざむざ帰ればどんな目に遭わされるだろう? ここまで濡れ衣を着せられて肩身の狭い思いをしてきたのに、罰まで受けるなどまっぴらだ。
ユウトは家に帰らず、独り森の奥へ逃げていった。どうかこのまま、自分を人殺し扱いしている者達がすべて忘れてくれるようにと祈りながら。しかしそれはかなわなかった。あのオレンジ色の鳥、サイハに発見されたからだ。
剣の柄に手を掛けるユウトに、サイハは「罰を与えるつもりは無い」と言った。そうではなく、ラヴァールの命を受けてユウトを捜しに来たという。なぜか、ラヴァールは彼が町を出ようとしていることを知っていた。そして、なぜか弟子に命じてユウトを家に連れ戻させるという。彼が何を考えているのかわからないままではあるが、観念して家に戻ることにしたユウト。しかし、どうして仲間を見捨てて町を出ようとしたのかは誰にも言いたくなかった。小学生じゃあるまいし、『怖いから』なんて自分でも認めたくない。
逃げる理由は他にもある。ミスペンと出会って暮らしはにぎやかになってきたが、彼はあの性格のキツいターニャを世話しようとしているし、この世界の生き物だって裏切らない保証などない。
とはいえ、帰ってきたユウトに、家で待っていた『仲間』達はつらく当たったりしなかった。こんな人間でも、アキーリでの短い日々ではあるが苦楽を共にしたドーペントとテテは、深く事情を訊きもしないで迎えてくれたし、ミスペンもクイも心配してくれた。
その後、荒らされた家の代わりに新しくテテが建てた家で、クイとボノリー、そしてようやく精神操作を解除されたターニャも交えて夕食をとることになった。血気の強い大鎌の少女をテテは許したわけではないが、お互い腹が満たされたこともあって、それ以上の衝突は起こらなかった。ターニャ以外はユウトを大事な仲間のひとりだと思っていることは明白だった。そんなこんなで楽しい夕食の時間を経て、当然のごとくベッドに入ったわけだが、ユウトの心の中は様々な思いが複雑に交錯し、一夜経た今も整理がつかなかった。
どうせなら時間が戻ればいいのに。そうすれば、こうして逃げたりしないでまっすぐ家に帰ったのだ。いや、その前にターニャを鍛冶屋に行かせなければあんな問題が起きることもなかったのだろうか? そんな現実逃避的なことを考えながら、あくびをする。
「ふぁ……」
ふと、ユウトは気づいた。
――ここはどこだ?
周囲には木々が並ぶばかり。もうすぐ魔獣でも出てきそうな雰囲気だ。いつの間にか家からも、アキーリからもずいぶん離れてしまっている。やはり独りで逃げてしまいたいという思いが、無意識に足をこんなところへ運ばせたのだろうか。あるいは仲間への罪悪感から逃げたいのか? いずれにせよ、彼は揺れていた。
すると、家の方角からひとりの人物が歩いてくる。それに気づいた時、ユウトは生唾を呑んだ。黄色いレインコートを着たカエル、ドーペントだ。
「ユウトさん……」ドーペントはおずおずと、名を呼ぶ。
「ああ」ユウトはどんな顔をしていいかわからなかった。
「こんなとこまで来たんですね」
「うん」
少し、気まずい時間が流れてから、ドーペントが切り出す。
「……ユウトさん」
「ん?」
次のドーペントの言葉は、まったく予想にないものだった。
「この町を出たいですか?」
「えっ?」
ユウトの脳に様々な考えが去来した。どうしたんだ、一体いつこのカエルは俺の心を読んだのかと。あるいは、最初からわかっていたのか。それとも、今度こそ怒られるんだろうか。考えるばかりで何も答えないユウトに、ドーペントは続ける。
「もしアキーリを出たいんだったら……僕も、そう思ってました」
その言葉を聞いたユウトは、安心したような、申し訳ないような、奇妙な感情になった。
「……お前も?」
「はい。テテさんがいれば、どこでも暮らせますし」
「でも、お前、ここにずっといたんだよな」
「だって、ユウトさんが町から出たいみたいなので……」
どうも、彼は気を遣ってくれているらしい。
「……ごめんな、色々」ユウトはドーペントの目を見られなかった。
「あっ……、どうして謝るんですか?」
「いや、いいんだよ。行こう」
戻ると、テテは昨夜新しく作った家を見上げていた。外観も内装もなんの飾り気もないただの木の家だが、クイとボノリー含めた7人が泊まれる広さだけはある。
戻ってきたユウトとドーペントに、テテが言う。
「あら、どしたの? またいなくなってた?」
「いえ。テテさん、実はアキーリを出たいという話をユウトさんとしてたんです」
「あっ、そう? ドーペントも?」
「そうです」
「じゃあユウト、昨日は本当に町から出ようとしてたわけね」
テテは鋭く指摘した。といっても、彼女の口調や顔つきは決して責めるものではなかった。
「いやぁ……」気まずく視線を逸らすユウト。
「ああいいよ、言わなくても。確かにね……これからこの町でどうやってこうって思ってたけど、よそ行きゃ問題ないか。うん、問題ないね」自分自身に言い聞かせるように、テテは何回もうなずいた。
「テテも来るってこと?」
「そりゃそうでしょ。だって、昨日あんなことあって、これ以上アキーリにいてもしょうがないわ。確かにね、あんた達に言われてわかったよ」
「次はいいとこに行けるといいですね」
「いいとこに行けるまで旅すりゃいいだけよ」そして、テテはユウトをはっきりと見て、念押しする。「ユウト、頼りにしてるからね。本当に、いなくならないでよ」
「ああ。大丈夫」ユウトはどこを見ていいかわからない。
「なんで目を見て言わないの?」
「違うんだよ……ごめんな、昨日」
「あたいらのか、邪魔だったら邪魔って言ってよ?」
「いや……」
「何も言わないなら、無理矢理でもついてくよ。だって、こうやって一緒に生活して、あたいらってもう、家族みたいなもんでしょ」
「家族か……」ユウトはしんみりした顔になった。「わかった。家族な」
それは、半ば彼自身にいい聞かせるようだった。
テテは安心したように微笑んだ。その顔に、ユウトの心はまた痛んだ。
そして。
気分を切り替えるように、テテは、パン! とひとつ手を叩いた。
「とにかく、そうと決まりゃ準備ね」
「僕はすぐ終わります」
「うん、俺もちょっと荷物揃えたらすぐ行ける」
「あたいはちょっと時間かかるかもね」
「なんかあった?」
「あったでしょ、だってあんた達が魔獣に噛まれたりしたとき、あたいの軟膏で治してきたんだから」
「あー、軟膏!」
「そうですね、テテさんの軟膏はすごいです」
「でも、まさかこんな急に色々起きるなんてね……。ミスペンとターニャが来て、それからたったの2日よ?」
「本当に、そうですね。不思議です」
テテは、また家に視線を戻す。
「この家だって、まさか一晩寝ただけで終わりなんて思ってなかったわ。一日しか使わないんだったら、もうちょっと適当な家でもよかったかなぁ」
「昨日のうちに旅に出てたほうがよかったですか?」
「えっ、夜逃げってこと? さすがに夜は魔獣、怖いんじゃない?」
「そうですね……」
「いやー、本当、いい町探さなきゃね」
「そうですね」
「でも旅ってなると、頑張んないとね。あたい、家作って料理作って……へとへとになっちゃう。あ、もう今だってちょっと肩凝ってるかも」
ドーペントは「お疲れ様です」と言い、テテの肩を揉み始めた。
「ん~、やっぱりドーペントのマッサージじゃないとねぇ」
テテは気持ちよさそうに笑った。ユウトは平和な彼らを見て、『本当にこいつらは裏切らないでいてくれるんだろうか』と自問した。こんな問いに答えは出ない。レサニーグの彼らだって、絶対に裏切らないと信じきっていたのだ。
ここで、ドーペントが周囲を見回す。クイとボノリー、そしてターニャは林の中にいる。だが、姿が見えない者もいた。
「そういえば、ミスペンさんはどこ行ったんでしょう?」
「知らない。ユウト知ってんじゃないの?」
というテテの問いに、ユウトは「俺も知らない」と答えた。
「えっ?誰にも何も言ってないってこと?」
「さっきまで、その辺にいたような……」ドーペントは数歩歩いて、付近をよく確かめる。「本当にどこに行ったんでしょう? まさか、ミスペンさんも誰にも言わずに、この町を出ちゃったんでしょうか」
「えー! 冗談でしょ。ターニャ、どうすんのよ。あたいらじゃ扱いきれないでしょ」
「ターニャさんもどうするんでしょうか……」
「ミスペンはついてきてくれたほうがいいよね。ターニャは要らないけど」