第4話 不思議の村
ドゥムとカフが持つ灯りと同じ色の光が、闇の中に小さくぼうっと浮かんでくる。
「よーし、見えてきた」
ドゥムが言って、ユウトはその光がレサニーグの村だと理解した。
近づいていくと、そこは可愛らしい木造の建物が建ち並び、各戸に設置された灯りで青紫色に照らされた幻想的な場所だった。
小さな門をくぐったところでカフが言う。
「どうだ? ここが俺達のレサニーグだ。いいとこだろ」
「ああ……」ユウトはなんとなく答える。
ドゥムとカフはこれからについて話す。
「それじゃ、どうすっかな」
「飯にしようぜ」
「でも、疲れたんだよなぁ」
「ユウトをみんなに紹介しねぇと」
すると、数ある建物の中も最も大きい、バルコニー付きの家のドアが勢いよく開いて、小さな人影が飛び出してくる。
「ちょっとちょっと! 遅いって!」
人影は女の子の声を発した。それも、時刻をまったく気にしていないであろう大声。
そして彼女はこちらに走って来る。
背中に建物からの光を受け、ぼんやり逆光になってシルエットしか見えないが、それはさらさら髪をなびかせて足首までの長いドレスを着た、やや胴体の太い人物のように見える。
『人間か』
ユウトは少し安心した。身長はユウトをこの村に案内した2人と変わらず、自宅の近所の小学生と同じくらいだ。
しかし、近づいてくるこの子を見て彼は、『何かがおかしい』という感覚をうっすら得ていた。
青紫色の逆光の中で彼女の姿ははっきりとは見えないが、それでも何かおかしいのは確かだった。
「悪い、今日はあんまり魔獣がいなくてな。遠くまで行ったんだ」ドゥムが言った。
「心配したよ、2人とも」さらさら髪の女の子が言う。
「遠くまで行ったから、魔晶はいっぱい手に入れたぞ」カフが言う。
「魔獣はほとんど俺が倒したんだけどな」ドゥムが続く。
「おい! それ言うなよ!」カフが大声を張る。
ドレスの女の子はそれには答えず、ユウトのほうを向いて訊く。
「んん、そこの人は? こんなに細い人、珍しいね」
ユウトはこの女の子を正面から見て、今しがた『何かがおかしい』と感じた理由に気づく。
この女の子には首がなかったのだ。
首がないといっても、ちゃんと可愛らしい目や口がある。
そして、太っているから首がないという意味でもない。頭部と胴体が完全にひとつのパーツを形成しており、境目がなかったのだ。
服から上は髪が生えたウィンナーのようだ。しかもよく見ると、表面に細かい網目のような模様がある。
ユウトが小学生の頃、母が弁当に入れるウィンナーに包丁で縦横の飾り切りを入れてくれていたことを思い出す。
しかしそのウィンナーに、まさかこんな形で出会うとは。
『服着たウィンナーなんてアリかよ』と思い、彼は苦笑する。
ドゥムとカフはこのウィンナーのような少女に、ユウトについて説明する。
「こいつは近くで見つけたんだ」獣のドゥムが言った。
「こいつ、すごいぞ」球体のカフが言った。「魔獣も魔晶も知らないくせして、素手でルーポ倒したんだ」
「ルーポに噛まれて大怪我してたけど、傷薬だけで治ったんだぜ」
「すごい! 本当なの?」
ウィンナーのような少女は素直な驚きを見せる。
「本当だよ。なあ、お前! 冒険者になろうぜ」
女の子に答えつつ、改めてドゥムはユウトを誘った。
「お前だったらいい冒険者になれるよ」カフも同様だ。
「冒険者……か……」
ユウトは腕を組んでつぶやく。さっき予備校から帰ってきたばかりなのに、急に言われても答えようがない。
「とりあえず、酒場においで! 私の仲間もみんな揃ってる」
ウィンナー少女は3人を誘った。酒場とはどうやら先ほど彼女が出てきた、バルコニー付きの建物のようだ。
酒場の中は、外と同じ青紫色の光でさらに明るく照らされていた。
店内には数人の客と店員がいたが、全員それぞれに別の姿をしていた。人間はひとりもいなかった。
「帰ったか! ドゥム、カフ!」
席に座った客のひとり、ワニのような顔つきの、鱗がゴツゴツとした人物が若干しわがれた声を上げる。
向かいには黒っぽい鳥もいた。遠くの席にはイカ、ミカン、そしてトマトがそれぞれ離れて座り、食事をとっていた。
ミカンとトマトはカフと同じように手足が生えていて、顔もあった。
イカは足を器用に使い、椅子の座面のところにある口まで料理を運んで食べているようだった。
明るい店内でユウトは、ここまで自分を連れてきた3人の詳しい姿も知ることになる。
獣のドゥムは改めて正面から見ると、アライグマのような生き物が革か何かでできた簡素な鎧を着ているようだ。
毛並みや模様、顔つき含めてデフォルメの度合いが低い、どちらかというとリアルな獣が体形だけ人間に近づいた風だ。
カフに関しては、酒場に入ったことで初めて正体が明らかになった。
全身に走るひび割れに似た模様に加え、頭頂部から伸びる角は横長のT字型。
つまり、彼は大きなメロンのようだ。
そして、身体の両横から生えている二本の腕は短く、先端には人間のような手がある。
しかし、これも人間のそれとは微妙に異なり、指が太くて短かった。
飾り切りウィンナー少女のレドについては、不思議な生物の中で唯一、店に入る前から正体がわかっていたというのがユウトの感覚だったが、逆に明るい店内で見てしまったことで『本当にウィンナーだろうか』という疑いを抱くことになった。
彼女は、今この酒場の中にいる者達の中でも、群を抜いてファッショナブルだった。
他の者は髪すらないのに、この子だけロングヘアが美しく腰まで流れている。そして着ているのは、いかにも戦うための格好をしたドゥムとは違い、パーティードレスのように広がりながら地面まで続くワンピース。
襟元はやや深く下に切れ込んでおり、半袖の袖口には小さな反り返しがある。やはり見れば見るほど人間らしい。
『本当にウィンナーだろうか』と疑った理由は、彼女の肌の色がウィンナーにしては明るいことと、顔に刻まれた模様は飾り切りにしては細かく、そして丸みを帯びていることだ。
小判型の丸っこい模様が一様に、びっしりと並んでいる。
ウィンナーよりもむしろ他の何かに似ている気がしたが、それが何かはわからなかった。
とりあえず、正体がわかるまで、ユウトはレドをウィンナーと認識しておくことにした。
店の明かりはユウトが『不思議な世界』の住人について認識するのを助けただけではなく、ユウトの右腕に先ほどルーポがつけた傷の跡も明らかにした。
皮膚の下の痛々しい肉が、固まった血で覆われて暗い色になっている。
彼をここまで連れてきた2人も、他の客もこの傷跡を見るために群がり、口々に話す。
「うわ、本当に治ってるなー」カフが言った。
「見間違いじゃなかったか」ドゥムが言った。
「すごい血が出たんだね」レドが言った。
「そりゃあ、相当深い傷だったからな」ドゥムが答える。
「ルーポに思いっきり噛まれたんだぞ」カフが付け足す。
ワニが席を立ち、ユウト達のほうへ近づいてきた。
「怪我したのか?」
「おう」ドゥムがうなずく。「バース、もしこいつがまだ完治してなかったら治してくれよ」
「完治……?」
バースと呼ばれたワニは岩のように凹凸の激しい手を突然伸ばすと、ユウトの右腕をつかむ。
「うあっ」
ユウトが驚いて小さく声を上げるが、誰も気にしない。
バースは傷に目を近づけ、よく確かめた。
「確かに傷は消えてるが、お前、痛むか?」
バースがユウトに訊いてくる。
「いや、ちょっとびっくりして」
ユウトはバースに腕をつかまれた驚きのあまり、質問と対応していない答えを返した。
ただ、実際、ワニの硬い手でつかまれたにもかかわらず、腕はまったく痛くなかった。
「そうか。癒しの力、サーノ」
ワニのバースが『サーノ』と言い終わった瞬間、ユウトの右腕、傷があった箇所が少しの間、白く光った。
じんわりと温かくなでられるような、気持ちのいい感覚があったものの、それ以外に変わったことはない。
「完全に回復してる。何があった? かなり深手だったようだが」
と、バースはユウトの顔を見上げて言った。
背は低いが顔つきには貫禄があり、ワニだけあって口を閉じても鋭い牙が何本もはみ出していた。
ユウトは、この歩く爬虫類に噛み殺されるようなことでもないかと少し怯えていた。
「こいつ、ルーポに腕思いっきり噛まれたんだ」カフがバースに答える。「でもドゥムが傷薬掛けたら、一発で治ったんだぜ」
「それ、さっきも言ってたけど本当なの?」と、レド。
「今もう一回見せるわけにはいかねーけどな。びっくりしたぜ」ドゥムは深くうなずいた。
バースは再びユウトの腕を凝視して、言った。
「ルーポは倒すのは簡単だが、もし噛まれれば痛手のはず。にわかには信じがたいが……」
ユウトも同様に左腕を見る。血の跡こそ残っているものの、傷はきれいに消え去っている。本当に噛まれたのかと思うくらいに。
ここで店の奥からエプロンを着けた店員らしきブドウが出てきて一行に近づき、やんわり言った。
「そろそろ席につきませんか?」
「そうだな。座ろうぜ、腹減ってるか?」
ドゥムが店内の仲間に訊く。
「2人がいつまでも帰ってこないから、あたしら先に食べちゃったよ」レドが笑って答える。
「そりゃそうか。じゃあ、食うぞ」
ドゥムとカフは適当に空いている席に着いた。
ユウトも席に着いて、巻貝を目の前にゴトンと置いた。
テーブルも椅子も木でできているが、かなり丈夫そうだ。ユウトが座っても、たわみすらしない。
「何頼もっかなー。もう疲れたよ。あ、ユウトどうする?」
カフに言われたが、何を頼めるのかもわからないからユウトは答えられなかった。
すると、ドゥムがカフに言う。
「カフ、ユウトが取った魔晶あるよな」
「え? あるけど……」
カフはカバンから、群青色の結晶を取り出して見せた。
するとドゥムはそれを指差して、今度はユウトに言った。
「ユウト、今カフが持ってる魔晶はお前の稼ぎだ。それで食える分だけ、俺が適当に頼むからな」
ドゥムに言われてユウトは思い出した。確かに、目を覚ました直後に遭遇したあのルーポは、自分の脚で蹴って倒したのだ。
魔晶のことはすっかり忘れていたが、そういえば、このメロンが拾っていたのか。
「ユウトが自分で頼んだらいいんじゃないの?」ウィンナーらしき少女のレドが言った。
「こいつ、何も知らねぇんだ。どうせ料理の名前だって知らねぇよ」
ドゥムに言われてユウトはムッとした。
確かにこの場所のことは何も知らないが、来たばかりだから知らないだけで、別に馬鹿なわけじゃないという人間のプライドがあった。
「あれ、そうだったっけ」レドが言った。
「確かさっき、魔獣も魔晶も知らないとか言ってたわね」
黒い鳥が言った。外見はずんぐりした体格の、なんの種類かもよくわからない大きな鳥なのだが、喋ると大人の女性の声と口調だったから、ユウトは少し驚いた。
「だが、ここの味は格別だ。何も知らなくてもきっと気に入るさ」バースが続く。
「そうだよね!」レドがうなずく。「でも、大怪我したんだから無理しないでよ」
「完全に回復してるから、食べるのも問題ないはずだ。そうだな?」バースがユウトに尋ねる。
「うん、大丈夫」ユウトは答えた。
ドゥムはブドウ店員に注文するのだが、それは聞いたこともない料理だった。
「おい、マート! とさかふわたま丼とコッペハム、デラカク!」
エプロンを着けたブドウが「はい」と答えて厨房に戻る。
何を注文したのかを訊こうかとユウトが迷っていたら、レドが彼に「見た目、変わってるね」と話しかける。
「そうか?」ユウトは答え方がわからず、なんとなく返した。見た目が変わった生き物にそんな風に言われるとは。
「なんていうんだっけ、聞いたことあるんだ。あんたみたいな生き物のこと……思い出せないな」
言いながらレドは少し首を傾げた。いや、彼女には首がないから、より正確には顔のパーツがある少し下の部分を曲げたのだが。
こんな奇妙な生き物ばかりの場所なら、人間などきっとひとりもいないのだろうとユウトは思った。
「スカーロと似てるけど」黒い鳥は、ユウトが聞いたことのない名詞を出した。
「そう! スカーロでしょ。思い出した、すごく強い種族」レドが言った。
「でも、スカーロじゃないんだ。こいつ、角も尻尾もない」カフが否定する。
「あれ? スカーロだと思ったのに」
「スカーロじゃないとしたら、あなたは何?」黒い鳥が尋ねてくる。
「人間」とユウトは答えた。
「ニンゲン?」レドは目を大きく開く。
「聞いたことないな」ドゥムは逆に目を少し細めた。
「うん、初めて聞いたよ。どこから来たの?」レドが訊いてくる。
「日本」ユウトが答える。
「ニホ?」レドは訊き返す。
「の、岡山県」ユウトは補足した。
「オカヤーケ?」レドは先ほど、村に来る前にカフが言ったのと同じ間違え方をした。
「いや、違うよ」
「違うのか? さっきもオカヤーケって言ってたろ」
「いや、岡山県」
「うーん、難しいな」
「聞いたことのない場所ね」黒い鳥が言った。
「やっぱ、お前らも聞いたことないよな」ドゥムが言った。
「まったくない」バースが答える。
「ほんと、不思議なとこから来たよな、お前」とカフが言う。
不思議なとこと言われて、ユウトは『こっちの台詞だ』と納得いかない思いだった。俺こそ普通のとこから、不思議なとこに来たんだ――と言いたかった。
「これは?」ワニのバースは、ユウトの目の前に置かれている巻貝を指す。
「俺達がユウトを見つけた時、近くの地面に落ちてたんだ。こいつの持ちもんらしいけど」ドゥムが言った。
「こいつ、カバンも何も持ってなくて、この……巻貝だっけ? これだけ持ってたんだってさ」カフが言う。
「きれいだねー」ウィンナーのレドは巻貝をうっとりして見つめる。
「ずいぶん大事なもののようね」黒い鳥が言った。
「うん、大事だよ」ユウトが答える。
「後でカバン貸してやるから、しっかり納めとけよ」カフが言う。
「うん」
少し待つと、ブドウが店の奥から料理を持ってきた。
「おー、来た来た」
「ほら、ユウト。とりあえず食えよ」
ユウトは「ああ」と、出されるままに食事をもらう。店員が運んできた盆の上には、ホットドッグひとつと小さな親子丼、そしてサッカーボール型多面体の何か。
「これは?」
「デラカクだ」
「開けてみてよ」
ユウトが手を触れると、多面体の中から半透明の細長い物体が数本、にゅっと飛び出してきた。
「えっ?」
「面白いだろ。これがデラカクだよ」
「ほら、食べてみてよ」
多面体から飛び出してきた細長い物体を恐る恐る手でつかんでみると、それは生春巻きだ。口に入れてみる。柔らかいもちもちした皮の下に野菜と肉が巻かれている。素材の味が活かされた、シンプルながら飽きの来ない味といったところ。
「うん。美味しい」
「よかった!」
親子丼が入っているのは、和風の食堂でみそ汁を入れるのに使うような木のお椀。ホットドッグも、小学校の給食で出た気がする小ぶりのコッペパンにキャベツとハムを挟んだだけの、いたって素朴なものだ。道具は丁寧に、箸、スプーン、フォークが揃っている。ここはまったく知らない場所のはずだが、なぜか日本の食文化との奇妙な符合があった。
ユウトは恐る恐る箸で鶏肉をつかみ、口へ運ぶ。異様なほどによく知っている味だ。醤油とダシがほどよく効いており、肉の食感はまあまあで卵もやわらかい。すごく美味いわけではないが、決して不味くない。だが、こんなところで庶民の味覚に再び出会うとは意外すぎる。
23時にとる夜食としてはやや重く、また様々な国の料理が相性も考えず適当に一緒にされている印象は拭えないが、そもそも奇妙な外見の生物が出す食事と考えると、異常なほどまともだ。生春巻きが飛び出してくるデラカクだけは驚かされたが。
「どう? 美味しい?」レドはまたユウトに味を訊いてくる。
「ああ」ユウトはさっき答えたので、二度目は適当な態度だった。
「はっきりしないねー」ちゃんと答えないとレドが納得してくれないようなので、ユウトは「うん、美味しいよ」と言った。
「ああ、そう? よかった!」レドはニッコリ微笑む。
「ここの飯が口に合わなかったら、レサニーグじゃ食える場所ないぜ」カフが言う。
「そんな味覚の狂ったやつはそうそうおらん」バースが言う。この店の信頼度がうかがえる。
「そうだ、ユウト」ドゥムが言う。「この村には冒険者は全部で6人いるんだ」
「駆け出し連中もいるだろ?」カフが言う。
「あいつらは駆け出しだからな。一人前って言えるのは6人だ。そのうち5人は今、このテーブルに座ってるんだが……あとの1人とはまだ会ってないよな」
「うん」ユウトが答える。
「あとのひとり、ダイムはこの酒場の中にいるんだ」
「ダイムは独りでいるのが好きなのよ」黒い鳥が続く。
「冒険の時は一緒だけどね」レドが補足する。
「おい、ダイム!」
ドゥムの声に、酒場の隅で気ままに料理をつついていたイカが反応する。彼は面倒そうに椅子を降り、一行のもとへ歩いてきた。
「用もないのに呼ぶなといつも言ってるだろう」イカのダイムは不機嫌そうだ。
「こいつがユウトだ。新しくこの村の冒険者になるんだ」
「そうか」ろくに自己紹介もせず、ダイムは席に戻ろうとする。
「おいおい! もっと驚くか、嬉しがるかしろよ」
「興味はない。今はメシの時間だ」ダイムは振り返りもせず、自分の席へ戻った。
「やれやれ。あいつは無愛想だけど、強いぞ」ドゥムが呆れるように軽く首を振りながら言った。
「ダイム、余ってる武器あったよな? ユウト、あいつのお古を使わしてもらえよ」カフが言う。
「それがいいな。ダイムの奴、古い武器いつまでも家に置きっぱにしてるからちょうどいいだろ。ユウト、それでいいよな」
と言うドゥムに、よくわからないままユウトは「えっ? うん」と答えた。