第10話 罰
ターニャはイタチのラヴァールに、町外れの広場に連れていかれた。
11人いる彼の『頂点の弟子』だけでなく、口論の最中に集まった野次馬、そして移動中にもラヴァールの姿を見つけて集団に加わった町の住人が大勢おり、広場に着く時には合計で40人ほどにまで膨らんでいた。
ラヴァールとターニャの周りには彼らギャラリーが輪をつくり、ラヴァールに声援と熱視線を絶え間なく注いだ。
町外れの広場は半径10mほどの円形の空間が、草一本生えていない平らな地面として整備されており、まさに決闘の舞台としてふさわしかった。
そこにラヴァールとターニャが向かい合い、立っていた。
ターニャの後ろでは、異様な雰囲気に圧倒されたクイが不安そうに言う。
「ヤバいよ、ターニャ。ラヴァールはエクジースティも簡単に倒しちゃうくらい強いんだ」
これにターニャは、歯が割れかねないくらい強く食いしばって答えた。
さすがに移動中なので大鎌は鞘に納めていたが、いつでも抜きたい気分だった。
「こんな……こんなケダモノ相手に負けたりなんかしないわ」
ターニャはクイに答えた。
彼女の怒りはいよいよ、これまでにない爆発を迎えようとしていた。
魔晶が大量に手に入り、兜がようやく買えると思っていたのにそれが叶わなかったこと。
バケツを被っておけと愚弄されたこと(少なくとも彼女は愚弄と感じた)。
そして大勢の取り巻きとともに割り込んできたイタチに悪者扱いされ、罰を下すとまで宣言されたこと。
ぬか喜びとプライドを傷つけられる出来事が連続し、もはやその埋め合わせのためにイタチとその子分、さらにはこの場にいる野次馬まで皆殺しにするくらいのつもりでいた。
ケダモノという言葉は彼女にしてみれば当然の表現だが、ラヴァールの後ろに控える11人の頂点の弟子がこんな侮辱に黙っているはずもなかった。
「ラヴァールさんをケダモノ呼ばわりだと?」と、ナス。
「よっぽど自分の首を絞めたいみたいだね。愚かだ」と、アシカ。
ターニャはアシカをにらみつけ、大鎌を抜こうとした。
そんなターニャの心情を読み取ってなのか、ラヴァールはさらに強烈な気迫をまとい始めていた。
「オレの弟子、ダルムとピサンカージ。今は言葉は必要ない。戦いによって道を教える時間だ。オレが直々に、今、罰を下す」
彼は背中の鞘から片手斧を抜き、ターニャに向けた。
それを見て、集まった者達は一気に興奮した。
「一瞬で終わらせてください、ラヴァールさん!」と、ナス。
「いいえ。一瞬では面白くありません。いつまでも苦しませたほうが罰になるかと」と、イソギンチャク。
「ヘリトミネ、ラヴァール様に指図するつもりか?」と、アシカ。
「なんですって?」
イソギンチャクとナスが口論を始めそうになる。
「お前さんら、こんな時までケンカするんじゃない」近くでサソリが制止する。
「レイベルビス、今は発言は許されていない」
アシカが、先ほどターニャに向けたような見下した目でサソリを見た。
「お前達のケンカを、ラヴァール様は望まん」
サソリは引き下がらない。
「減らず口を……」
イソギンチャクもアシカと同じような目をしている。
アシカが言う。
「だが、彼の言うことにも一理ある。今はラヴァール様が悪者に罰を下すところを見ようじゃないか」
「フン、命拾いしたわね」
彼らをよそに、ギャラリーが口々に歓声を上げる。
「ラヴァールさんには絶対勝てねーぞ!」
「ラヴァールさん最強!!」
「キャー、ラヴァール様ー!!」
「そんな人間ぶっ飛ばしちまえ!」
「かっこいいーーーー!!」
この歓声が、さらにターニャの怒りを激しくさせる。
ターニャは思い切り腕に力をこめ、勢いよく大鎌を抜いた。
背中の鞘からガチッと金属の摩擦音がした。
そして得物を両手で構え、ようやくこれまでの怒りを吐き出す。
「もうたくさんよ! あたしは何も悪いことしてない。何が罰よ、ふざけてるわ! この町も大っ嫌い! 全員覚えときなさい!」
これで野次馬は一瞬気圧されて静かになるも、彼女に罰を下すのが誰なのかを思い出してだろう、これまで以上に盛り上がる。
「ラヴァール様に勝てると思ってんのか!?」
「ラヴァール様に雲の向こうまでぶっ飛ばされるぞぉ!」
「楽しみーー!!」
ここで、野次馬をかきわけて人間がひとり近づいてきて、クイの横に出てきた。
「わあ! ミスペン!」クイが驚いて飛びのく。
「おい、ターニャ。ここにいたか」
周囲の野次馬が、誰だ、どうしたんだと騒ぎ始めるのを聞かずに、ミスペンはターニャに尋ねる。
「これはなんの騒ぎだ?」
「うるさい、出しゃばってこないで!」
するとナスがミスペンに尋ねる。
「お前も見ない顔だな。何者だ?」
するとクイが代わりに説明してくれる。
「この人はミスペンさん。みんなを回復してくれるすごくいい人間だよ」
だが、ひとりの野次馬が言った。
「こいつ、知ってるぞ。ユウトと一緒にいた奴だ!」
それに他の野次馬が一気に反応する。
「ユウトの仲間だって!」
「人殺しの仲間だ! なんて奴だ!」
ミスペンは顔をしかめただけで、特に否定などはしなかった。代わりにクイが弁護する。
「ユウトは悪い奴じゃないぞ! ミスペンだっていい人なのに!」
野次馬が罵倒する。
「お前、なんなんだよ!」
「緑の鳥め!」
「引っ込んでろ!」
さらにはラヴァールの取り巻きも罵倒に加わる。
「あんたなんかラヴァール様と戦ったら1秒も持たないわよ!」と、イソギンチャク。
「あいつ焼き鳥にしてやろうぜ」と、ナス。
クイは何も言い返せず、震えながら涙を流してしまった。
ラヴァールは「やめろ」と一喝。みな、静かになる。
「必要な者に必要な罰をオレが下す。もし指導が必要なら、オレが導く。それだけだ」
そして彼は、片手斧の刃を再びターニャに向けてこう続ける。
「まず、ターニャに罰を下す。そしてその次に、ユウトという奴にも罰を下す。それで十分だ」
ラヴァールの子分も野次馬も、また盛り上がる。
「人間どもは今日で終わりだー!!」
「うおぉーー!!」
「ラヴァール様ぁー!!」
この歓声でターニャはいよいよ火がつく。
「あたしは人間様よ、ケダモノ! ここまで恥をかかせて、生きて帰れると思わないでちょうだい!」
それが引き金となって、ラヴァールはいよいよ殺気を放った。
それは、ターニャにあのルチアーノ・フィジケラを思い起こさせるものだった。
彼女に『負ける』という恐怖が襲い掛かる。
そんなはずはない――
そう彼女は己にいい聞かせた。
部隊にいた頃、周囲から背の低さを随分とからかわれたターニャだが、このイタチはそんな自分よりも一回り背が低いのだ。
しかも獣だ。
負けるわけがない。
イタチに殺されるなどすれば恥という言葉ですら足りない。
彼女はラヴァールを一層強くにらみつけ、言い放った。
「今すぐその首をはねてやるわ!!」
己を鼓舞するには十分だったが、ラヴァールの殺気もさらに強まった気がして、ターニャは手足が震えないように集中しなくてはならなかった。
ミスペンが後ろから声を掛ける。
「ターニャ。事情はわからんが、ここは――」
彼が言い終わらないうちに、ターニャは怒声を浴びせる。
「うるさい! あんたには何もわかんないでしょ!」
ミスペンはそれ以上何も言わなかった。涙を流し続けるクイの横で、とても心配そうに状況を見つめていた。
ラヴァールは殺気とは裏腹に、冷静な口調で「鍛冶屋よ、戦いの合図を頼む」と言った。
うるさかった野次馬は静まりかえる。
毛むくじゃらの鍛冶屋は「わかった」と言って、少し息を落ち着けてから大声で合図した。
「では……用意、始め!」
それを皮切りに11人の頂点の弟子も、野次馬も、割れんばかりに盛り上がった。もはや誰が何を言っているのかわからない。
そんな声の雨の中、ターニャは構えた大鎌を前に出し、相手の様子をうかがいながら一歩一歩近づいていく。
かつて隊長に教わったように、自分は決して隙を見せないようにしながら、相手が隙を見せた瞬間に一気に攻めるつもりだった。
しかし、一瞬だった。いつの間にか、ラヴァールは彼女の目の前に移動していた。
反応しなければとターニャが腕を動かそうとした瞬間、腹に重い衝撃を受け、世界が回った。
野次馬や木々がぐるりと下に飛び、背中と後頭部に痛みを覚えると、気づけばラヴァールが目の前にいた。
彼の片手斧は、ターニャの首元に向けられていた。
「へっ……? え……?」
ターニャはほとんど声を出せなかった。
地に倒されたことにようやく気づいたが、何をされたのかは見当もつかない。
口が自然に少し笑っていた。いや、引きつっていたのだ。
ラヴァールはターニャを鋭い目で見つめ、簡潔に告げた。
「決めたぞ。お前は今、この瞬間オレの弟子だ。道を踏み外さぬよう、オレが導いてやる」
ギャラリーは歓喜を爆発させた。
各々、好き勝手に抱き合ったり、走り回ったり、ジャンプを繰り返したりしていた。
その場にとどまっている者はほとんどいなかった。
その歓喜の渦の中、ラヴァールはターニャの首元から斧を離すと、彼女から見て90度右を向き、目を閉じて頭上でクルクルと斜めに斧を回してから縦横に5度、目前の空を切り、そして最後にその斧を背中の鞘に納めるという勝ちパフォーマンスを披露した。
ギャラリーは熱狂を増した。
「ラヴァール様ーーー!!」
「ラヴァールさんがこんな悪者に負けるわけないぜ!」
「ラヴァールさん最強!!」
「結婚してーーー!!」
「やっぱり正しい人が勝つんだ! こうじゃなきゃ!」
そして群衆はラヴァールの名を一様に連呼した。
「ラヴァール様! ラヴァール様! ラヴァール様! ラヴァール様!」
鼓膜が破れそうな大歓声の中、ターニャは大鎌を地面に置いたままアヒル座りをして、何の攻撃を受けたかもわからない腹を押さえ、人目もはばからず泣き始めた。
「うぅぅ……。うぇぇぇーー!」
鎧のおかげで腹に受けた衝撃は分散され、ダメージは若干で済んだ。
代わりに、兜がないせいで後頭部だけは直接地面に衝突しており、鈍痛がある。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
このイタチは武器を使うことすらしなかったのだ。
さらには弟子にして導くとまで言い放った。
その扱いに彼女は、人間としての誇りをすべて壊されたような気がした。
クイは魔晶のどっさり入ったターニャのカバンを口にくわえて運んでから彼女のそばに置き、「ターニャー、泣くなよ」となぐさめた。反対に彼はすっかり泣き止んでいた。
「うるさい……。うるさーーい! あたしが間違ってるの……? 嘘でしょ。どうしてこうなるの!? 兜が欲しいだけなの……兜が欲しいだけなのにぃーーー!!」
ミスペンはそんなターニャを一応術で回復しつつ、ラヴァールの強さに息を呑んでいた。
あのイタチの動きはまったく肉眼で追えなかった。
ラヴァールが動き始めた直後、ミスペンが見たのは、武器を使わず、左拳を前に突き出していたラヴァールと、地面に仰向けに倒れたターニャの姿だった。
短い毛で覆われた小さな拳を、ターニャの腹に一発打ちつけただけで終わらせてしまったのだ。
このあたりの魔獣は完全に見掛け倒しとはいえ、ターニャは単独で数十体の魔獣を、一度も攻撃を受けることなく片付けた実績がある。
一体このイタチはどのくらい強いのだろう?
もし自分が相手することになっていたとしても、術を使う前に倒されて同じように負けたに違いない。
尊敬されるだけの強さはあるわけだ。
ミスペンはふと空を見上げた。
遠くの建物の屋根に、黒い鳥が止まっていた。エルタだ。
見つかったことに気づくと、すぐ彼女はどこかへ飛んでいった。
騒ぎ続けるギャラリーに対し、ラヴァールは片手を軽く挙げて制する。
ピタッと静かになり、彼はミスペンに言った。
「お前、ユウトという奴の仲間らしいな」
「そうだ」
「そいつのところまで案内しろ」
「わかった。事情はまったくわからんが、この子に温情を掛けてくれたみたいだな」
ラヴァールは落ち着いた様子で答える。
「過ぎた苦痛は人を育てない。道を踏み外した者には指導が必要なのだ」
この発言でギャラリーが再び熱狂したことはいうまでもない。