第9話 伝説、推参
何度も首を傾げつつではあるが、クイは町の鍛冶屋までターニャを案内してくれた。
鍛冶屋は他の家と同じような木造の建物だった。
店先には立派な剣や斧、槍、ハンマーが飾られていた。
しかし、全身が真っ黒の毛むくじゃらな、なんの生物かわからない鍛冶屋はターニャの期待を裏切った。
「武器しか作ったことがないから、そのカブトとかいうやつは知らん」
と、彼は言った。
そもそも、この毛むくじゃら鍛冶屋が言うには、いくつかあるこの町の鍛冶屋は例外なく武器に特化しており、鎧や小手といった防具はおまけ程度にしか作っていないそうだ。
ターニャは、兜とは頭を守るための防具だと説明しなければならなかったが、どれだけ説明しても理解してもらえない。
少しの間、言い合いになったので、周囲には野次馬がだんだんと集まってきた。
彼らはターニャが大声で鍛冶屋に兜を作れと要求するのを聞いていた。
しかし、誰ひとり兜が何かを理解できなかったようだ。
なぜか、この町の住民からは『頭を守る』という概念がすっぽり抜け落ちているらしい。
しまいには、毛むくじゃら鍛冶屋はこんなことを言ってくる。
「バケツでも被ってりゃいいんじゃないか?」
馬鹿にしているわけではなく素直な提案だったのだが、これが爆発寸前だったターニャの怒りに火をつけてしまった。
彼女はその場で地団太を踏み、感情のままわめき散らした。
「はぁぁ……もう……!! もぉー!! いい加減にして! こっちに来てから、こんなことばっかり! どいつもこいつも馬鹿じゃないの! バケツ被ってろなんて、何考えてたらそんなこと言い出すの! 兜がわからないわけないでしょ!! 馬鹿にしてるわ!!」
「おい、騒ぐな! わかんねぇもんはわかんねぇんだよ」
鍛冶屋が慌てながら応じる。
その言葉を引き金に、ターニャは背中の鞘から大鎌を抜いた。
「う、わぁぁぁ!」
鍛冶屋は慌てて近くにあった鍛冶用の小ぶりのハンマーを手に取り、一触即発となった。
周りにいた町の住民も悲鳴をあげて、多くは逃げ出す。
「ターニャ、駄目! 駄目!」
言い合いの間もずっとそばで見ていてくれたクイが、バタバタと羽ばたきながら必死に止めようとする。
その時だった。遠くから、男の声が響きわたる。
「そこまでだ!!」
鍛冶屋は声のした方向を見て、『あっ』という顔をした。
周囲に少し残っていた野次馬も指を差し、目を輝かせて現れた者の名を呼ぶ。
「あっ、あぁ……!」
「あれは!」
「ラヴァール様!!」
「伝説の冒険者、ラヴァール様だ!」
「頂点の弟子も勢揃いだ!」
「すげえ!!」
彼らに交じり、クイも感嘆する。
「うわぁ、ラヴァールだぁ!」
すると近くの野次馬が耳ざとく、クイを叱りつける。
「おい! ラヴァールさんだろ!」
「いや、ラヴァール様よ!」
クイはしゅんとしてしまう。
誰が現れたのか、ターニャも目をみはった。
それは個性豊かで思わず笑ってしまいそうな、それでいて妙に威圧的な光景だった。
総勢12人。
色も形も様々の12人が、横一列に並んでこちらへ歩いてくる。
アキーリの街路の幅をギリギリまで使って。
なかでも、12人の中央にいる二足歩行の獣が、群を抜いた存在感を放っている。
まず服装からしてスタイリッシュな青いジャケットを羽織り、下には鎖鎧。外見的にも他とは一線を画している。
それだけでなく、目つきは怜悧さを感じさせる鋭さで、雰囲気にも強者のそれをまとっていた。
目の周りは黒く、鼻と口のあたりは白っぽい、そしてその周りは茶色いことから、おそらくイタチという生物のはずだが、それはおよそ、イタチという言葉から想像できる存在感とはかけ離れていた。
このイタチの両脇を固めるのは灰色のアシカと、ピンクのイソギンチャク。
さらにこの2匹の外側にいるのは暗紫色に熟したナスと、青紫色のサソリ。
二足歩行の者ばかりのこの世界の住人の中では珍しく、彼ら5人の中で二本の足で歩くのはイタチとナスだけだった。
この12人の集団は他にもオレンジ色の鳥や緑色の肌の女性、黒いローブを着た蜂のような虫など、様々な生物で更生されていた。
ほとんどはターニャにとって初めて見る生き物で、しかも数人は明らかに理解しがたいものだった。
12人の集団は横一列をなしたまま近づいてくると、ターニャに向かって、まずイタチの左側に立つナスとアシカから話し始めた。
「騒ぎを起こすなら、俺達が黙ってないぞ」
と、ナスが言った。最初に『そこまでだ!』と言ったのと同じ声だ。
「どうも君には、誰がルールなのか理解してもらう必要がありそうだ」
アシカが若干芝居がかった口調でこれに続く。
「覚悟しなさい、悪者!」
と言ったのは、イタチの右側を固めるピンクのイソギンチャク。
若干ねっとりした、大人の女性というべき声質だった。
台のような部分の上から百本を超える触手が生えている。
触手の先端は黄色っぽい。このイソギンチャクを、ターニャは見ないようにしていた。
台のような部分には大きな目と、分厚い唇のある口がついていたからだ。
実はターニャはイソギンチャクという生物をそもそも知らなかったので、この世のものとは思えない正体不明の怪物でしかなかった。
ターニャはこうした連中をスルーし、おそらく中心人物ラヴァールと思われる、青いジャケットのイタチをにらみつけて凄んだ。
「はぁ? 大勢ぞろぞろと、何? あたしは兜を作ってほしいだけ。文句は言わせないわ」
対するイタチはといえば、何も言わず、ターニャに冷静な、しかし刺すような視線を向けていた。
彼の隣にいる取り巻きのアシカが、代わりにターニャに言った。
「それなら、君がその手に持ってるものは何かな」
それで、ターニャは大鎌を抜いたままだということを思い出した。
しかし、今更納めるわけにはいかない。
聞かなかったフリをして、彼女はより強くラヴァールをにらみつけるが、相手が気圧される様子もないのが彼女を不安にさせた。
このイタチは身体が大きいわけでもない。
身長はこの町の他の住人同様、130cmくらいだ。
それなのに、戦う前から貫禄をわからせてくる。
毛むくじゃらの鍛冶屋が、このイタチに嘆願する。
「ラヴァールさん! 頼む、こいつをなんとかしてくれ。変なもの作ってくれって言ってきて、断ったらこの有様なんだ!」
すかさずターニャは反論する。
「変な物じゃない! 兜よ!」
ラヴァールの代わりにアシカが答える。
「兜? あいにく、聞いたことがない」
「俺も知らねぇ。なんだそりゃ」
ナスが笑って言った。
「なんで知らないの!?」
ターニャが唾を散らす。
「お前、この町で暴れるつもりならわかってるよな」
ナスが言った。
「現実を知る時だ」
アシカも続く。
「今更逃げられないわよ!」
イソギンチャクも自信満々に言う。
周囲の野次馬も騒ぎ立てる。
「そうだそうだー!」
「お前、もう終わりだぞ!」
「ラヴァールさんと頂点の弟子に楯突くなんて、考えらんねえ」
依然にらみを利かせるラヴァール、彼の手下の挑発、そして野次馬の声。
四面楚歌の状況で、ターニャの怒りは再び爆発を迎えようとしていた。
「何よ、あんた達は……何よ! 本気で死にたいなら、今から全員殺してあげるわ!」
殺気を放つターニャ。野次馬は縮み上がって沈黙するが、アシカ達3人は逆に勢いを増す。
「おっ、お前言いやがったな。全員殺すだと?」
ナスがニヤリと笑う。
「そんなことを僕らが許すと思ってるのかな」
アシカは尊大な態度を崩さない。
「まったく野蛮で仕方がないわ」
イソギンチャクは呆れたように目を閉じた。
すると怖気づいた野次馬も勢いを取り戻し、そうだそうだ! と続いた。
しかし。
ターニャをにらむだけで一言も発さずにいたイタチのラヴァールが、ついにここで片手を挙げる。
すると、彼らは一斉に黙る。場の空気はにわかに張りつめた。
彼はターニャをまっすぐ見据えたまま、言った。
「アキーリは穏やかな町だ。いつ来ても平和で静か、それが魅力。その静寂を、お前は破るというのか」
ターニャは気圧されないように気を張って言い返す。
「なっ……何あんた、偉そうに。文句あんの!?」
ラヴァールは落ち着いたまま言う。
「ただ光を受けて咲く地上の花を、ここに無慈悲に踏みつける輩がひとり。誰かが裁かなくてはならない」
「何が言いたいの……」
すると、ここで鍛冶屋が口を挟む。
「ラヴァール様、こいつは昨日来たんです。聞いた話だと、昨日の夜も鎌で人を襲おうとしたらしいんです!」
さらに、これに野次馬のひとりが続いた。あの、昨日ターニャを取り囲んだ中のひとり、スイカだ。
「そうです、ラヴァールさん! こいつ、昨日の夜に町をうろついてて、怪しいから声掛けたんです。そしたら今みたいに武器振り上げてきたんすよ! 本当に、あとちょっとで殺されるとこでした!」
すると、ターニャがスイカに反論する。
「あれはあんた達が囲んで邪魔してくるからでしょ!」
ターニャとスイカはしばらく口論を続けた。
「邪魔してないぞ! 初めて見る奴が来たから気になっただけだ」
「あんた達のせいで通れなかったじゃないの」
「別に邪魔してないって言ってるだろ。本当に殺されると思って怖かったんだぞ!」
「こっちはただ武器出しただけでしょ」
「ただ武器出しただけ!? それが問題なんだ!」
「だって囲んでくるから、襲われると思うじゃない!」
「お前、ユウトの仲間なんだろ? お前も同じだ!」
「あんな奴の仲間だなんて、絶対に言わないで。絶対に嫌!」
この、ターニャとスイカの言い争いを、ラヴァールの手下3人が、いかにも侮蔑した目で見ている。
「何かしら、これは。低レべルな言い合いだわ」
イソギンチャクがせせら笑う。
「はぁ!?」
ターニャはイソギンチャクに大鎌を向ける。
「あら、私とやりたいの? ちょっと気が早いんじゃないかしら」
「ラヴァールさん、どう思いますか?」
ナスがラヴァールに意見を求める。
ナスへの返事の代わりに、ラヴァールはスイカに言った。
「オレの弟子、オゴギャグー」
「はい!」
スイカが元気よく答える。
「オレの弟子なら常に正しく、常に誠実に真実と向き合うはずだ」
「はい、そうです!」
「弟子?」
「知らないの? オゴギャグーはもう結構前に、ラヴァール様の弟子になったのよ」
イソギンチャクが勝ち誇った様子で言う。
「ラヴァールさんはいろんな町で、千人以上を弟子にしてきたんだ」ナスが続く。
「数多くの弟子の中でも僕ら11人はラヴァール様とともに旅することを許された特別な存在、『頂点の弟子』さ」アシカが言った。
そしてラヴァールはターニャに向き直る。
「さて、オレの弟子オゴギャグーとお前は意見が対立した。しかしオゴギャグーは常に正しく、常に誠実に真実と向き合う……つまり、間違っているのはお前だ」
「なっ、な……何言ってんの?」
「お前は言い訳などできない。なぜなら、今もこうして鍛冶屋に対し、武器を抜いた。そして『全員殺す』とまで言い放った……ここは戦いの場ではないというのに。お前には戦士としての心構えがない。即刻、罰が必要だ」
ターニャはこのイタチのラヴァールの言い草を強引な理屈としか思えないのだが、彼の威圧感と周囲の雰囲気に呑まれてしまったか、唖然とするばかりだった。
頂点の弟子の3人は口々に歓声を上げる。
「ようやく、悪しき者が罰を下されるのが見られるんだね」
アシカが言った。
「軽はずみな行動の結果、お前は痛い目を見る」
ナスが言った。
「もう泣いて謝っても遅いわよ」
イソギンチャクが言った。
野次馬もそれに続き、思い思いのラヴァールへの感情を叫ぶ。
「やったぁぁぁ!」
「罰だ罰だ!」
「やっちゃって下さい!」
「ラヴァール様最高ぉー!」
この場にいるほぼ全員がラヴァールを熱く支持する状況で、しかしターニャは人間としてのちっぽけなプライドを足場に、屈服するわけにいかないと気を強くした。
ラヴァールをにらみ、彼に噛みつく取っ掛かりを探そうとしていた。
自分が悪いことをしているとはどうしても思いたくなかった。
人間ですらない、言葉をしゃべる獣に罰を下すと宣告されるなど、受け入れられるわけがない。
そんな彼女をクイが横で諫める。
「ターニャ、謝ったほうがいいよ。ユウトみたいになっちゃうよ」
心のどこかで味方だと思っていたクイにまでこんなことを言われてしまい、ターニャはまた涙がこみあげてきてしまった。
「うぅぅぅ……。あたしが悪いの? なんで! あたしは悪くない! 兜を作ってって言っただけなのに!」
「ほう……」
ラヴァールが前に一歩進み出てくる。
「ターニャという名前か」
「それが、何よ……?」
ラヴァールの持つ視線と気迫に、確実にターニャは圧されていた。
それを認めたくないという気持ちを、大鎌の柄を握る手に込めていたが、しかしそれでも彼女の声は少し弱々しかった。
ラヴァールはターニャを指差す。
「ターニャ、お前への罰を決めた。お前にはオレが直々に伝えてやる。戦士としての魂、戦士という生き様の意味を」
「はぁ……? あんたさっきから、何が言いたいの?」
「ラヴァール様の言葉は高尚すぎて、君には理解できないようだね」
アシカが見下した目をして言う。
「それなら言い方を変えてやろう。ターニャ、オレと戦え。一対一だ。いいな」