第7話 岩を砕く拳?
ミスペンがユウトの家に戻ると、家主はいなかった。
ドーペントは玄関のそばで服や装備の手入れをしており、テテは奥の部屋で大きな壺の中にあるものを長い棒でゆっくりかき混ぜていた。
ドーペントは今日の魔獣討伐でマフラーについた葉や木の枝をひとつひとつ取り除きながら、知っている範囲でパフィオの謎を明かしてくれた。
「酒場の店員さんはスカーロという、東から来た種族の人なんです」
「スカーロ?」
ミスペンは靴こそ脱いだものの、玄関のそばで座っていた。
「僕も話に聞いただけですけど、スカーロっていうのはすごく強いらしいですよ。魔獣に噛まれてもほとんど怪我もしないし、もし怪我してもすぐ治るらしいです」
「本当か?」
「あと、パンチで岩も壊すらしいです」
「……それが事実なら、とんでもなく強いが……話に聞いただけなんだろう?」
「はい。でも、みんな言ってますよ」
ミスペンは酒場にいた店員の姿を思い出す。
確かに体格が大きく、角と太い尻尾を備えている分、人間の女よりは強そうだ。
それに、彼女が歩いた時の建物の揺れからすると、体重で人間を大きく上回っていることも確かだ。
見た目以上の体重がありながら人間同様に動き回れるなら、その分筋力は強いはず。
それに、体重があることは女性にとって喜ばしくはないが、戦いでは重量で勝ることは攻撃にも防御にも有利に働く。
ただ、いかに奇妙な生物が多数暮らすこの世界の住人のする話であっても、ドーペントが語るスカーロはあまりに強すぎる。
きっと噂に尾ひれがついたのだろう。
ミスペンはひとつ疑問を口にした。
「そんなに強いなら、酒場の店員なんかやらないで冒険者をやれば、あの魔晶というやつが稼ぎ放題のような気がするが」
この問いにドーペントが答える。
「それが、あの店員さんは戦いが好きじゃなくて、冒険に誘われてもあんまり行かないらしいです。一度だけ行ったことがあるらしいですけど……その時はものすごく活躍したって聞きました。でも、店員さんにとってはつらかったみたいで、もう行きたくないらしいです」
「なるほど……」
確かに、あの純朴でおとなしい彼女がわざわざ好んで戦場に立つ必要はない。
戦わないからこそ、一度の武勇伝がより誇張されて広まっているのだろうか。
彼女の実際の戦闘力を確かめておきたい気持ちもある。
だが、万が一噂通りの力を持っているようなことがあっても、本人がその気でないなら戦わせるべきではないだろう。
ミスペンはひとつ述懐を挟んだ。
「私も、そもそも戦いが好きで術士になったわけではないしな」
「そうなんですか」
「私に限った話ではない。私のいた国では、戦える者は、嫌でも戦わなくては……いつ誰に殺されるかわからないからな」
「なんだか……それって怖いですね。そもそも、戦いで大怪我をしてからこっちに来たんですよね。ミスペンさん、すごく強いのに。何と戦っても勝てそうなくらい強いですよ、ミスペンさんは」
「さすがに、そこまでではない」
「いやいや。ミスペンさんの故郷の話、もっと聞きたいです。でも、怖そうですね……」
「聞かないほうがいいかもしれない。こっちは魔獣さえ倒せればいいんだから楽だよ。余計なことを考えなくていい。楽園のようだ」
「アキーリのことを気に入ってもらえて嬉しいです」
「ターニャもここでうまくやっていければいいんだが。あの子は、きっとここまでの人生、相当苦労してるぞ。本来、あれぐらいの子供なら君達をあそこまで警戒する必要なんか、ないはずだからな」
「そういえばターニャさんって、どういう人なんですか? 全然、僕らと話もしてくれないです」
「私もほとんど知らないが、ただごとではない事情があるんだろう」
ミスペンはターニャの正体についての軽い考察を述べる。
「私の故郷には、ああやって子供のうちから武器や術を使って戦う者は大勢いるが、あんなにしっかりした鎧を着けた子は珍しい。あれはかなり値が張るし、ひとりでは着られないはずだ。大鎌にしたって、そもそも鎌を武器にしてる者自体が少ないのに、相当出来がいい。かなりの腕の職人に特注でもしないと手に入らないぞ。それをあの年でただ持ってるだけでなく、完全に使いこなしてるんだからな。一体どんな境遇なのか……」
ふとミスペンがドーペントを見ると、少し口を開けて黙っていた。
ぽかんとしているのだろう。
「ああ、悪い。少し難しかったな」
ミスペンが謝る。
「よくわからないですけど、色々あるんですね」
ドーペントは至って素朴な様子で言った。
それを見てミスペンが改めて感じたのは、この純真無垢なカエルに、今しがたミスペンが言ったことが理解できるようになるような日など、むしろ来ないほうがいいということだ。
ターニャの正体だって、ミスペンですらも知ったことを後悔するようなえげつないものである可能性も否定できない。
ミスペンは話題を変えることにした。
「黒い鳥については何か知ってるか?」
「黒い鳥ですか? 最近アキーリに来た冒険者の人みたいです。それ以外はあんまり知らないです」
「そうか……」
「何かあったんですか?」
「ユウトの悪い噂を広めてるみたいでな。エルタという名前らしいんだが」
「そうだったんですか。エルタさんですか、名前までは知りませんでした」
ここで、テテが奥の部屋から戻ってくる。ドーペントが彼女に訊く。
「テテさん、新しい軟膏は完成しましたか?」
「もうちょっとだね。あと半日寝かしたら出来上がり」
ミスペンもテテに話しかける。
「家も料理もすぐできるが、軟膏はかなり時間を掛けるんだな」
「家と料理だって、別に時間かけようと思えばできるよ。でも、怪我治すのは大事でしょ」
「そうですね」
「で、あんた達。なんか気になる話してるじゃないの」
「エルタさんという、最近町に来た黒い鳥の冒険者の話です」
「ふーん、そいつがなんだって?」
「町の中で、ユウトを人殺しだと言って回ってるらしい」
それを聞いて、テテは触覚をピクッと動かした。
「へえ、何? エルタ? よそから来た鳥が、ユウトの評判を下げて回ってるってこと? やってくれるじゃないの!」
「はい。すごく残念です」
ドーペントは悲しそうだ。
「そいつがユウトに何があったのか知ってんのかな。あたいも気になるよ。会ってみたいね」
「だが、あいつはなかなか賢い。情報を吐かせようとしても難しいだろう」
「僕、見たことあるんですけど、ちょっと怖い雰囲気でした」
「なるほどねぇ。ユウトも変なのに目ェつけられたってことかな」
ユウトについても訊いてみることにした。
彼が汚名を着せられることになった経緯も気になる。
「そもそもユウトの過去が気になるんだが……お前達はどこまで知ってる?」
「ユウトさんですか……。うーん、オカヤマのヤカゲってとこから来たぐらいしか知らないです」
ユウトの故郷の地名は昨日の段階で既に聞いている。
「他のことは知らないのか?」
ミスペンは踏み込んでみる。
「そうですね、僕も知りたいんですけど、ユウトさんは教えてくれなくて。すいません」
思った以上にユウトは、仲間に自分の過去や濡れ衣を着せられた背景について話していないらしい。
あるいは、話してもこのカエルが理解できていないだけなのか。
テテもミスペンの問いに答えてくれる。
「ユウトには秘密があるんだ。あたしらもよく知らないんだよねー」
「秘密?」
「そう。アキーリに来る前、どこで何してたか教えてくれないんだー。みんなは噂で、レサニーグってとこで冒険者をやってて、それで仲間を殺したって言ってるけどね」
レサニーグという地名を聞いたのは収穫だ。噂でしかないが。
ミスペンは問いを進める。
「そもそも、君達はどうしてユウトと一緒にいることにしたんだ?」
「それは町の人によく聞かれますね。でも、強いし、いい人ですよ。みんな、ユウトさんのことわかってくれたらいいんですけど……」
「テテは?」
「えー? なんで一緒にいるかって聞かれるとねー、よくわかんないな。でもさー、作ったものを美味しいって言って食べてくれたら、もうそれだけで家族みたいなもんでしょ?」
屈託のない笑顔で答えるテテ。なんといい子なのだろう。
アキーリ住民の大半はあまりものを考えない連中だからこそ、本当に何があったのかなど気にもせず、噂を真に受けてユウトを人殺し扱いし続けているようだが、その一方でドーペントとテテは、深くものを考えないからこそユウトの仲間になったのだろうと思えた。
彼らがずっとそのままでいてくれたらいいが。
話はここまでとして、ミスペンはクッションを持って部屋の端まで行くと、床の上に横になり、目を閉じた。
そして息を落ち着けると、この世界に来てから今までのことを整理する。
――ターニャ、ユウト、エルタ……気になることは山積みだが、何よりも気がかりなのは、死ぬはずだったミスペン自身をこの不思議な場所へ導いた存在。
『手鏡』。
やはり『手鏡』には意思がある、と思えてならない。
奴がアキーリ近くの洞窟にミスペン達3人を飛ばし、ユウト達と引き合わせたのではないか。
偶然ではなく、ユウト達と引き合わせるのが目的だったのではないか、と思えてならない。
例えば、その時ユウト達が別の場所に魔獣討伐に出掛けていれば、『手鏡』はそちらへ飛ばしたに違いない。
町の住人など、余計な奴が近くにいるようなら、テテが待つユウトの家に直接飛ばしたかも知れない。
経緯はともかく、結果的にこの5人がひとつ屋根の下に暮らすことを、『手鏡』は望んだのではないだろうか。
それを試すために、何か『手鏡』が予測していないことでも起こしてみるか……?
だが、今それをしても自分の首を絞めることになりかねない。
アウララは『呪いの手鏡』と言っていた。関われば国でも滅ぼす、と。
だとすれば、ケンカを売るような行為は危険だろう。
それでも、何か方法はないだろうかと考えてしまう。
『手鏡』に本当に意思があるのか、奴がどこまで把握しているのか、知るための手段は――
そこまで考えたところで、テテの声が彼を現実に引き戻す。
「あら、ミスペン。自分の部屋があるのにここで寝るの?」
「ああ……」
ミスペンは起き上がり、笑顔を向ける。
「そうだな」
そしてブーツを履いて外に出ようとしたところで、テテに呼び止められる。
「そういえば、そろそろお腹が空いてきましたね」
「あ、そうだ!」
そして、テテはミスペンに言ってくる。
「ミスペン、ユウト呼びに行ってくれる?」
「ユウトは酒場で結構な量を食べてたようだが」ミスペンが答える。
「へえ、でもご飯は一緒に食べなきゃね」
「ターニャさんもどこにいるんでしょう」ドーペントも立ち上がる。
「あいつ連れてくるの? ま、いいけどさ」