第6話 黒い鳥
ミスペンが酒場を出てから数分後、ドアが開いて、極端なまでにしょんぼりとしたユウトが出てきた。
離れたところで待っていたミスペンは話しかける。
「何をやってるんだ?」
この問いにユウトは、怒りをもって質問で返した。
「いつからいたんですか?」
「来たばかりだ」
「どうして、そんな余計なことを……」
ユウトは悪態をついた。
「何に腹を立ててるんだ?」
「もういいです」
ユウトは去ろうとするが、ミスペンは呼び止めた。
「私は君の邪魔はしてないぞ」
ミスペンは笑顔になって言う。
するとユウトは立ち止まり、振り返ってミスペンをにらんだ。
「はぁ、もう……。あとちょっと喋れそうだったんです」
「可愛い子だな。角と尻尾はあるが、お前には確かに似合ってる」
「ちょっ……! 何が言いたいんですか」
「いいか」
ミスペンは真剣な顔になって言う。
「積極的にいくべき時はいかないと、後悔することになる」
この言葉がユウトの心の中にある的にしっかり刺さったのだろうか、彼はうつむいて黙った。
するとミスペンは続ける。
「一応、これは人生の先輩としての助言だ。チャンスはそこら中に転がってるもんじゃない。つかめる時につかまないと、次はないかもしれないぞ。一応、私はお前の手伝いをしようとしたのは事実だ。あの子があっさりバラしたのは予想外だったが」
ユウトはひとつため息をつき、観念したように言った。
「……俺、やっぱり駄目なんですかね。みんなが人殺しだと思ってるから」
「あの子はお前を避けずに、ちゃんと話をしようとしてたぞ」
「何も言葉が出ないんです。何をしゃべったらいいか、全然わからなくて」
「仕方ない」
ミスペンはニヤリと笑う。
「お前がそんな態度なら、私があの子をもらおう」
ユウトは焦って目を見開く。
「なっ……!!」
彼が発したのは一文字だけだが、声はかなり大きかった。
「フフフ……やれやれだな。こんな言い合いをしてる間に、誰かに取られるぞ。さっきの5人組とかな」
「……どうやったら勇気が出ますか?」
「名前は忘れたが、強い魔獣を倒したんだろう? 勇気が出ないなんてあるものか」
「戦闘は、また別ですよ」
「とにかく、勇気は出そうとしないと出ない。後悔したくないなら、今、行くんだ」
「あぁぁぁ……マジっすか……」
ユウトはしかめ面をして、溜息をつきながら再び店に入っていく。
だが明らかにぎこちない足取りで、入口前の段差につまづきかけた。
ユウトが入店した後、ミスペンは「厳しそうだな」とつぶやいて、店の窓から中をのぞいた。
パフィオにしてみれば、先ほど出ていったばかりの客が戻ってきた状況だ。
戸惑った顔をしてユウトに応対している。
ユウトは店内で立ったままパフィオと話している。
いや、会話すらないのかもしれない。
ミスペンからはユウトの背中しか見えないが、彼はうつむいて一切動かない。
パフィオも戸惑ったまま静止している。
5人組は席に着いたままそれを見て、何かはやし立てているようだ。
助けが必要か、ミスペンは思う。
だが、やるにしても少し手を工夫しないと、あいつは悪いほうに受け取るところがあるらしい……
などと考えながらユウトの観察を切り上げ、店から離れようと歩きだしたミスペン。
しかし数歩進んだところで、上から色っぽい女性の声で話しかけられる。
「あなた、ちょっと話が」
声の方向を見上げると、大きな七面鳥がバサバサと羽ばたきながら目の前に降りてくるところだった。
ミスペンが闘技場でチャンピオンとして君臨していた国には七面鳥は生息していないので、彼の感覚としては『大きな黒っぽい鳥が突然目の前に降りてきた』というところだが、いずれにしろ彼は驚いて一度目を大きく開きながら一歩下がって少し身構え、「何かな」と応じた。
「ユウトという人間を知ってるわね」
黒い鳥の女性は尋ねてきた。
「ああ。知ってるも何も、そこの店にいる」
ミスペンは左手を肩の上まで挙げて背後の酒場を軽く指で示した。
しかし鳥はユウトがどこにいるかには興味がなさそうで、こう続けた。
「どんな感じかしら」
「どんな、というと?」
ミスペンが訊き返す。
彼はこの鳥に、アキーリにいる他の生き物とは違う雰囲気を感じた。
声の発し方が妙に落ち着いており、顔つきもどこか賢そうな気がする。
ユウトを話題に出しながらも、彼についての評価や主張などを直接言ってこない。
何か含みがありそうだ。
この鳥、いったい何者だろう――ミスペンがいぶかしんでいると、この鳥が次の質問をする。
「あの人間、何かおかしなことはしてない?」
「いいや、おかしなことなんか何も」
ミスペンは答えた。
鳥は「そう」と言って背を向けて少し羽ばたいた。
飛び去ろうとする彼女をミスペンは引き留める。
「待ってほしい。逆に、何が訊きたいんだ?」
鳥は羽ばたくのをやめ、首を少しミスペンのほうへ向ける。
「特に何も」彼女はそっけなく答えた。
「何も? どういうことだ?」
気だるそうに、彼女は身体の向きをミスペンのほうへ戻す。
「私から答えることは何もないわ」
この返事に、ミスペンは『なるほど』と思った。
おそらく、特定の言葉が出てこないか探っているのだろう。
逆にひとつ尋ね、彼女の手の内を探ってみる。
「なぜユウトについて、わざわざ尋ねた? あいつのことについて何か知ってるからだろう?」
鳥はこの問いに警戒したのか、表情をより険しくしてこう答えた。
「言う必要はないわ。聞いてるでしょう? あいつが何をしたか」
「本当にあいつは、噂で言われてるようなことをしたのか?」
七面鳥はその問いに答えず、代わりに不吉な言葉を残す。
「あいつと関わると後悔するわ」
そして彼女は再びバサバサと羽ばたいて、空へ舞い上がった。
「待ってくれ! 君は……」
というミスペンの声も気にかけず、七面鳥はその大きさを感じさせない優雅な飛行で離れていく。
見とれる間もなく、ユウトが店から出てきた。
「えっ!? エルタ……」
空を飛ぶ黒いシルエットだけで、ユウトはそれが誰かわかったようだ。
「やはり、あいつを知ってるのか」
「何を話したんですか?」
ユウトは少し焦っているようだ。
彼の顔は真っ赤だが、それはパフィオとずっと顔を合わせていたからだろう。
「お前のことを訊いてきたぞ」
「俺のことを?」
ユウトはドーペントやテテが彼の過去に触れた時のように、嫌悪感丸出しの顔をしていた。
「本当に何があったんだ? お前、恨まれるようなことをしたのか」
「やってません」
ユウトはミスペンの2つの問いの後者にしか答えなかった。
前者についても、その複雑さを彼の顔つきがある程度物語っていたが、依然、その口から詳細を話すつもりはないらしい。
「そうか」
「エルタの奴……!」
ユウトはミスペンの問いをなかったことにするように空を見上げた。
「噂を広めてるのはあいつか?」
「多分、そうだと思います」
「ユウト……やはり、話してくれる気はないのか?」
ユウトは顔をしかめただけだ。
何度尋ねても話すつもりはないのだろう。
「まあいいだろう」ミスペンが言った。「とりあえず、今のところはお前を信じるとしよう。お前は私とターニャにとって恩人だし、それに濡れ衣なんてのは世の中、腐るほどある」
「はい……助かります」
ユウトは答えた。少し安心したようだった。
ここで、二足歩行のカボチャとカバが遠くから近づいてきていた。
彼らは前を見ず、会話しながら歩いてくる。
酒場に入ろうとしているのだろうか。
「そろそろ、行くぞ」
ミスペンが言う。
「はい」
ユウトとミスペンは酒場を離れ、歩き始めた。
2人の姿を認識したカボチャとカバは立ち止まり、大声でまくし立て始める。
「うわあ! ユウトだ!」
「えっ、本当にユウトか?」
「多分!」
「いや、ユウトじゃないかも! ユウトは昨日会った!」
「あれは違うんじゃないか?」
「えー、そうか?」
カボチャとカバは、そんな話を本人がいる前で延々していた。
彼らが見えていないような感じでミスペンとユウトはそばを通り過ぎ、ユウトの家に向かって歩きながら話す。
「あんな鳥が何をしようと、一番大事なのはお前がいい女と一緒になれることだ」
とミスペンは言った。
「それはやめて下さい、本当に」
「言っておくが、私は手伝えることがあれば手伝いたいと思ってるんだ」
「じゃあさっきのは、なんだったんですか?」
ユウトはまた、表情に怒りをにじませた。
「店に入ったらお前がいた……それは、偶然だ」
「本当に?」
「わざわざ、つけ回す訳がないだろう? それで、どうも……苦労してるようだから、助け舟を出したんだ。そうしたら、どうやらあのパフィオという子は素直すぎるみたいだ。ただお前と話してくれたらよかっただけなんだが」
「俺がパフィオさんと話すのを、後ろから見ようとしたんじゃないですか?」
「野次馬のつもりはなかったんだ。話がうまく進んだら、気づかれないように帰る予定だった」
「本当ですか?」
ユウトは信じていないようだ。当然といえば当然か。
「ああ」
どうせ何を答えても信じてくれなさそうだが、嘘をつく理由はない。ミスペンは軽く答えた。
するとユウトは憤懣やるかたないといった表情をして、早歩きでどこかへ行ってしまった。
その背中を見ながら、ミスペンは笑う。
「フフフ。先は厳しそうだな」
きっと難所が続くであろう彼の恋路に微笑みつつも、ミスペンはエルタという七面鳥を思い出して表情を引き締めた。
一体、彼女の目的はなんだろうか。真相を教えてくれそうな者はどこにいるだろう。
そんなことを考えていると、先ほどのカボチャとカバがやってきて、ひとりだけになったミスペンを左右から挟んだ。
「おい、お前ユウトだよな!」
カボチャが言った。
「こいつはユウトじゃないぞ」
カバが言う。
「あれ? じゃあお前誰だ?」
「知らないぞ」
「あれー!」
クイやボノリーのような連中だ。この町にはこんなのが大勢いるらしい。
せっかくなので、ミスペンは彼らに尋ねてみることにした。
「お前達はユウトについて、何を知ってるんだ?」
「ユウトは人殺しをしたんだ!」
カボチャが大声で答える。
「詳しく教えてくれるか?」
ミスペンが訊く。
「知らない! とにかくユウトは殺したんだ!」
カボチャが大声のまま答える。
「お前、ユウトと一緒にいたろ?」
カバがミスペンを責めるように言った。
「なんでだ!」
カボチャも同じようにミスペンを責める。
「あいつはそんな悪い奴じゃない」
ミスペンは少しこの2人と距離を取りながら答える。
場合によっては彼らに精神操作を使わなくてはならないだろう、と心の準備をしながら。
すると、このやかましいカボチャとカバは、人聞きの悪いことを交互にわめき始める。
「えー! でもあいつは殺したんだぞ!」
「そうだそうだ!」
「殺した、殺したんだ!」
「うわぁー!」
勝手に騒いだ彼らは、ミスペンの返事など聞くこともなく、勝手にどこかへ走り去っていった。
酒場に行く気はなくなったらしい。
ミスペンは彼らの背中を見送り、呆れ顔で軽く息をついた。
あの2人は真相を知らずとも、噂で回ってきた他人の悪評を信じ込み、ああして大声で広め続けるのだ。
そんな生き物がアキーリに多くいるのなら、ユウトの名誉回復はおろか、真実に近づくことすら難しい。
ただ、希望がないわけではない。
彼らは幼稚で間抜けだが、その言動のレベルはミスペンの知る人間の大衆ともそんなに違いがあるわけではない。
むしろ頭が空っぽに近いぶん、人間よりいくらか扱いやすそうだ。
クイやボノリーがそうだったように。
なんとか、ユウトが危険な存在ではないということを広く理解させられればいいのだが、あの七面鳥のエルタがどうも気になる。