第3話 レサニーグの村へ
灯りを持った謎の冒険者コンビはユウトを先導し、歩き始める。
「レサニーグの村がオレらの拠点だ。さすがにレサニーグは知ってるだろ」と、謎の球体カフが言う。
ユウトは「村?」と訊き返した。
「おい、まさかレサニーグも知らねえってことか?」獣が言った。
「つまり、なんにも知らねぇのか。本当にどこから来たんだ?」カフが言った。
この奇妙な2人が自分のいた場所を知っているわけがない。どう伝えようかとユウトは迷い、あまり自信のないまま不明瞭な発音で「……日本っていう……」と答えた。
「ホンテユー? そんな場所があんのか」
「聞いたことないな」
2人は顔を見合わせた。案の定だ。
そこでユウトは補足する。
「日本っていう国の、岡山県ってとこから来たんだ」
それでも、やはり2人は理解できない。
「んー? どこのどこだって?」
「オカヤーケ?」
ユウトはさらに詳しく「岡山県の小田郡矢掛町」と答えるが、彼らにとってはさらにわかりづらい。
「なんか、コロコロ変わるな」
「ややこしいとこから来たんだな、あんた」
「冒険者のオレらが知らねぇんだから、相当遠くから来たんだろうって思ってたけど、遠いだけじゃなくて、ややこしいんだな」
どう言えば理解してもらえるだろう? ユウトは苦笑いした。
矢掛に住んでいた頃、故郷を訊かれた時には矢掛、矢掛で伝わらなければ岡山と言っておけば毎回通じた。
どちらも通じない相手と会ったことはなかったし、そういう状況を予想していなかった。こんな場所に来る破目になるなんて、予想できるわけがない。
「で、名前は?」
獣に訊かれ、ユウトは「唐沢勇人」と答えた。
これも2人には理解できない。
「えーと? なんだって?」
「カラサワ」
「カ、ラ……何?」
「カラサー?」
なんと、これも難しいらしい。彼らは日本語を流暢に扱うくせして、日本の言葉はうまく聞き取れないというのだろうか。
苗字で通じないなら下の名前を言うしかない。漫画やゲームで異世界に行った主人公も、絶対に下の名前を名乗るから、初めからそうしておいたほうがよかった。
「ユウト」
彼は下の名を答えた。自分で言ってから、すぐに気恥ずかしくなった。下の名前だけを名乗るなんて、小学生以来だろうか。どうしてもっと簡単な苗字の家に生まれなかったのだろう。そうすれば苗字で通じたのに。
「ユウト? カラサーじゃないのか?」獣は言った。
「本名は唐沢勇人っていうけど」
ユウトは言った。
「カラワ?」獣はまだ理解できないらしい。
「いや、カラサワ」
「ややこしいなー」球体が言った。
「どう呼べばいい?」少しうんざりした様子で獣は訊く。
「ユウトでいいよ」
「ユウトな、わかった。俺はドゥム。こっちはカフだ」
獣が自己紹介する。彼らの名前は、やはりこういう世界の住人に相応しい、聞いたこともない言葉だった。
「ああ……」
ユウトは、またあいまいに答えた。これから下の名前で呼ばれると思うと、やはり恥ずかしい。慣れるのだろうか?
不安が顔から見えていたのだろう、2人は元気づけるように言う。
「心配するな、ちゃんとレサニーグまで送ってやる。その、ホンテユーとか、オカなんとかってとこまではさすがに送れねぇけどな」
「俺達が通りかかってよかったな、ユウト。お前、野垂れ死ぬとこだったぞ」
ドゥムとカフにしてみれば、ユウトはどこから来たのかも、名前もあまり理解できないはずだが、それでも彼らは親切にしてくれている。
そして星空の下、夜道を歩く。灯りを持つ、人間ではない2人とともに。下はアスファルト舗装などない土の道。
『本当に何が起きてんだ、ここはどこなんだよ』
ユウトは、誰にともなく心の中で問いながら目をこすった。頭がおかしくなったのかと疑う。
仮にこれが夢だとしても、ただの夢でないのは明らかだった。
夢の中にいながらにして、そのことをはっきりと理解した経験は記憶する限り一度もないし、むしろ、不測の事態のおかげか、普段より五感が鋭くなっている感すらある。
靴下越しに、足が砂粒を踏みつけるのがわかった。一歩進むたび地面の凹凸が皮膚に食い込み、体重が石や土を微かに下へと沈みこませる。呼吸のたび、空気の清らかさを味わう。
ドゥムとカフの持つ灯りで、周囲に木が生えているのがうっすら見えた。その木が風でさわさわと音を立て、揺れていた。
目の前の球体と獣は、一体何者だというのだろう。二足歩行の獣はまだ百歩譲って許すとしても、顔のついた球体に手足が生えているなど不気味でならない。
どうして互いに違和感を覚えることもなく、一緒に行動しているのか? どんな仕組みの生物だろう。
ユウトのそんな疑問に気づくこともなく、2人は彼らの冒険者としての活動について駄弁り始めた。
「聞いてくれよ、ドゥム」カフが言った。「こないだエクジースティと遭っちまってさー。ま、オレの逃げ足なら楽勝で逃げられたけどな」
「お前、またその話か」ドゥムは少しうんざりした感じで返す。
「この前とは別のエクジースティだよ。バースと、エルタと行ったんだけどな。倒せたら魔晶がいっぱい手に入ったんだろうなー」
「エクジースティはヤバいだろ。レサニーグの連中全員でもキツいぜ」
「レサニーグの連中か。なんか、冒険者になりたいっていう奴結構いるけど、無理だよな? ルーポも倒せねぇ奴ばっかだろ」
「ルーポも倒せねぇんじゃ、冒険者になったって死ぬだけだな。カフの実力でやっとギリギリだもんな」
「おい、そんなことねーぞ! オレだって役に立ってんだろ」
「はいはい。でも、お前の実力でギリギリなのは本当だぜ」
「なんだよー」
ユウトは後ろで聞きながら、この2人のやりとりにも何か、現実感のなさを感じていた。アニメや漫画、ゲームによくある会話だ。
エクジースティというのは知らないが、きっと強敵に違いない。彼らは日々こうして怪物を狩り、魔晶という宝石を手に入れて生活しているのだろうか。
『まさか俺もこいつらと一緒に、冒険者というやつをやることになるんだろうか?』
とユウトは感じていた。
これからどうなるかとても不安だが、地元で行き詰まりを感じていた彼にとって、もしかするとこれからいいことが起こるのでは……と想像させるものだった。
ふと、ユウトは思うところがあり、巻貝を左手一本に持ち替え、空いた右手をズボンのポケットに入れた。
硬くて平べったい板に指が当たり、ホッとしながら物体の感触を確かめる。
板の側面にいくつか並んでいる突起の位置やパーツの境目は、すべて触り慣れたものだった。これは、彼がベッドで眠る時にポケットに入れっぱなしにしたスマホだ。
取り出して、本当に自分のスマホであることを目でも確認するが、暗いのでよくわからない。
ボタンを操作し、画面を点ける。時刻は22時41分。いつもの見慣れた、青空と南の島の待ち受け画面に、ゲームやウェブブラウザ、設定などの見慣れたアイコンが10個ほど並んでいる。
「よかった……」
小声で息を吐きながら画面を指でタップしたり、スワイプしたりして操作した。
当然のように電波はなし。
試しに適当な番号に電話を掛けても、やはりつながらない。ウェブブラウザもゲームアプリも起動したところで使えない。
高度な技術の塊である日本製通信端末もネットがなければほとんどただの硬い板と化してしまうが、それでも今までいた場所とのつながりを感じて、ユウトは安堵した。
同時に、『ここは夢ではないのではないか?』という疑問が生じた。何もかも眠る直前のまま、自分の身体と服、スマホ、そして巻貝だけがここにある。
「結局、何が起きたんだ……ここ、どこだ?」
前を歩く謎の2人に聞こえないように、彼はつぶやいた。
そして考える。今自分のいる場所がもし夢でないとしたら? 姉の言っていた『不思議な世界』とは、まさか本当だったのか?
……想像するだけで恐ろしい。どうすれば帰れるだろうと思う一方、ユウトの中には『どうせ帰ったところで』という気持ちもあった。