第5話 人間のような女性
その日の夕方。
ミスペンが酒場に入ると、奥の席に座る青年のもとに、店員が料理を運んでくるところだった。
青年はミスペンからは後頭部しか見えないが、人間なのは明らか。誰かはいうまでもない。
他に客はいなかった。
そして、彼に料理を運んできた店員だが――ミスペンは意外に思った。
コミカルな生き物ばかりのこの世界で、異様なまでに人間に近い種族の女性だった。
紫色のロングヘアで、服はピンク色の布でできたシンプルなワンピース。
頭には円錐型の灰色をした角が、真上に向かって6本も生えている。
そして腰からはスカートを突き抜け、髪と同じ紫色の、とても太い尻尾が床付近まで伸びていた。
角は20cmくらいありそうだが、それを含めなくても大柄で、身長はユウトどころかミスペンよりも高い。
アキーリの建物は、いうまでもなく身長が130cm程度しかないこの町の住人のために作られているので、基本的に天井が低い。
この店は飲食店だけあって、開放感を出すためか天井を高くしてあるので問題ないが、それでもこの店員がジャンプでもしようものなら、角が上に刺さってしまうだろう。
他の家には、きっと立ったままでは入れない。
この店員が席に着いたユウトの前に、注文されたであろう品の乗った盆を、その名前を言いながら静かに置く。
「麻婆チキンバーガーぁ、白味噌かずのこ丼、マスカットシナモンソーダっです」
長くてややこしい料理名を、店員は若干舌をもつれさせながら伝えた。
ミスペンにとっては、料理かどうかすらもわからない変な名前だ。
聞いたことがある言葉は『チキン』『シナモン』しか含まれていない。どんな代物だろうと思ってテーブルを遠くから眺めていると、ユウトが店員に妙な態度を見せる。
料理を置いて厨房に戻ろうとする彼女を、ユウトはか細い声で呼び止めた。
「ああ。あの……」
「はい?」店員は答える。
「パフィオ……さん」
ミスペンやドーペント達の前では決して出さない、弱々しい声だ。
しかし声色はユウトに間違いない。
「はい、なんでしょう」
パフィオというらしい店員は答えた。か細い声の男にも礼儀正しい。
「あの……俺、と……」
ユウトは弱々しく言った。
距離が離れているミスペンにしてみれば、声を発したことすらはっきりとはわからないぐらいの声量だ。
「はい?」
「俺と……一緒に、その……冒険……」
「あの、すいません。よく聞こえなくて」
「俺と……その、あの。魔獣、の……討……」
「えーと、どうかしました?」
よほど声が小さかったのだろう、パフィオは顔をユウトに近づけた。
するとユウトはうつむいて、それ以上何も言葉が出てこない。
ここまでを店の入り口で立ったまま観察していたミスペンは、面白そうだと思い、彼の背後、テーブルひとつ間に挟んだ席に着く。
そして、パフィオはミスペンにちらっと視線を向け、黙ったままのユウトにこのように伝えた。
「あの、すいません。他のお客さんが来ちゃったので」
言われたユウトは、心なしか落ち込んだように見えた。
パフィオは、みしっみしっと足音を立てながらミスペンのところまで歩いてきた。
「あの、ご注文は?」
ミスペンはパフィオを改めてよく見た。
絶世の美女というわけではないが素朴な可愛らしさを持った女性で、ユウトがあんな態度になるのは納得できる。
何より目を引くのはとても大きな乳房で、脚も長い。
こんな魅力的な要素ばかりなのに、なぜか目立たない雰囲気を帯びており、色気もあまり感じさせない。
妙な生物だらけのこの町で、人間と同様の特徴を持った女性などそう出会えるものではない。
ミスペンにとっても、この町での生活が長くなるのなら仲良くしておきたい相手だ。
ミスペンは彼女に耳を近づけるよう合図し、「コーヒーを一杯」と小声で告げた。
店にはメニューらしきものがない。何を作ってくれるのかも、値段も不明だが、よほどぼったくりの価格でない限りは払えるだけの魔晶を持っている。
パフィオは「はい、コーヒー一杯」と小声で返してくれた。
ミスペンはさらに、ユウトを手で示しながら頼んだ。
「それから、彼と話をしてやってくれないか」
この時ユウトはというと、すっかり失望したような背中をして黙々と食べている。
ミスペンの声は聞こえていないようだ。
「えっ? あの人と……?」
パフィオは目をまん丸にして、どうしてだろうと言いたげな顔をした。
意味をよく理解できていないようだ。
ミスペンはパフィオが理解できるように、表現を変えて伝えた。
「今は他の客もいないし、彼の相手をしてほしい」
パフィオは困惑する。
「で、でも、注文を店長に届けないと」
「その後でいい。チップも多めに渡そう」
「チップ……? えーと……」
わずかに首を傾げ、目をまん丸にするパフィオ。そのしぐさも可愛らしい。
どうも、この町には客が店員に直接カネを渡す習慣はないらしい。
「ああ。なんでもない」
ミスペンは取り繕った。
「わかりました……やってみます」
パフィオは困惑しつつ一度厨房の近くへ行き、コーヒーの注文を伝えた。
店長からの「へーい」という野太い返事を聞いた後、パフィオは言われた通りユウトの席へ歩いていく。
さあ、この男女はどんな会話をするだろうかと楽しみにしていたミスペンであるが、早々に裏切られてしまう。
「あっ、あの。あそこの方が、あなたと話すように注文を下さったので……」
と、なんとパフィオはミスペンを指し、せっかく小声で出した指示を暴露してしまった。
ユウトはぐるっと振り返る。
彼の顔は火に入れたガラスのように歪んでおり、鮭の切り身のように紅潮していた。
ミスペンはやれやれといった感じで頭をかく。
「楽しそうじゃないか」
仕方なく話しかけるミスペン。
するとユウトは前に向き直ると、拳をドンとテーブルに打ちつけた。
パフィオはどうやらまずいことしてしまったと気づいたらしく、ユウトとミスペンを交互に見てオロオロとしている。
それから、誰一人言葉を発しない嫌な時間が少し流れた。
「おい、パフィオ!」
厨房から先ほどの店長の声がして、パフィオは逃げるように「はーい」と奥に消えた。
急いでいる分だけ足音はドスドスと大きく、床がきしむどころか、店全体がわずかに揺れた。
ユウトはまた振り返って、ついにミスペンに感情をぶつけてきた。
「なっ……なんなんですか!」
今までうまく喋れなかった分もあるのか、彼の声は少し大きかった。
「私はただ、この店に入っただけだが」
ミスペンはとぼけた。
しかし事実として、店に入った段階ではユウトがここにいることすら知らなかったのだ。
他にやりようがなかった、といえなくもない。
「邪魔、しないで下さい」
ユウトが言った。
「邪魔?」
ここで外からガヤガヤと話し声がして、やがて冒険者だろう、武器を腰に下げた5人の団体客がやかましく入店してくる。冒険者だろう。
「あれ? ユウトだぞ」
「ほんとだなー」
「ユウトがいるなー」
団体客は意味もなくお互いに同じ言葉を繰り返し合うやりとりをして、5人でひとつのターブルを囲んだ。
この店はどの席にも4脚の椅子があるので、彼らは隣の席から椅子を持ってこなければならなかった。
ユウトが機嫌を損ねた今、この5人が彼にちょっかいを掛けたりすると大変なことになるとミスペンは心配していたが、幸いにも彼らがユウトの存在に触れたのは入店直後だけで、その後は中身もない雑談に興じた。
彼らがいる間、静寂は一瞬もなかった。
そしてパフィオは厨房からワイングラスの載った盆を両手に戻ってきて、まずそれをミスペンのもとに運んだ。
「ツユクサコーヒーです」
コーヒーの前に何か余計な言葉がついているが、ともかくミスペンは「ありがとう」と述べた。
そして彼女は後から来た団体客への対応に追われる。
彼らはそんなに食べられるのかと思うほど多くの、おかしな名前の料理を注文していた。宴会のように盛り上がる彼らの横で、ユウトは今まで起きたことを忘れようとしてか、いたって静かに食べ始めた。
ミスペンに運ばれてきたワイングラスの中の液体はほぼ真っ黒で、表面に小さな青い花が浮かんでいた。
コーヒーは一口頂くと、可もなく不可もなくといった感じだという感想の後、突然とてつもない甘味が襲ってくる。
「あっ、甘いなこれは……」
彼は思わずつぶやく。
飲んでいると、部分的に甘味が強いところと、そうでないところに分かれているのに気づく。
中でも花の近くは恐ろしく甘い。
この青い可愛らしい花は、ふたつの青い小さな花弁が小さくV字を形成し、その間から細く短い黄色のシベが伸びて全体的にはY字になっている。
蝶に似ている気もするし、よくよく見ると虫の顔にも似ている気がする。
これがコーヒーの前についていた『ツユクサ』だろう。
この花は一体なんだと思い、端をかじってみると、これが予想を完全に裏切ってきた。
今までに食べたどんな雑草よりも、ひたすら苦く、不味い。
こんな苦い物は一生かけても他に出会えないだろうと思うほど。
誰にも見られないように花を吐き出してから、彼はつぶやく。
「なんだ、この花は」
誰にも聞こえないくらい小さくつぶやいて、口直しにコーヒーを一気に飲む。
浮かべてあるだけだから食べられなくても無理はないが、それにしても度が過ぎている。
しかし、花の近くのコーヒーが甘かったのは、なんだったのだろう。
パフィオが注文を取り、料理を運ぶために店内を歩くたび、ぎしっ、みしっと音が鳴る。
ミスペンはパフィオの足元の床を見た。
足が載っている部分だけわずかに沈んでいる。
彼女は外見的には決して重そうではない。
尻尾があるとはいえ、それを含めてもミスペンやユウトとそう変わらない体重に思える。
しかし実際は、客の座る椅子や料理の載ったテーブルなど、店内にある重そうなものすべてと見比べても、床をきしませるのはパフィオだけだ。
しかも、先ほど早歩きをしたときは建物自体が揺れていた。
いつか彼女の体重で床が抜けるのではと少々不安に感じたが、それを直接指摘するわけにもいかないので、気づかなかったことにした。
ミスペンは不思議なコーヒーを飲み干す。
口の中はツユクサの花の苦みはもうなく、代わりにコーヒーの甘い甘い後味が長々と居座っていた。
改めてユウトを見ると、彼は自分の存在を認識するなといわんばかりに、黙々と麻婆チキンバーガーを食べている。
パフィオは団体客のくだらない冒険話にいつまでも付き合っていた。
昨日ルーポを3匹倒したとか、毎日石を殴って拳を鍛えてるとか、本当にどうでもいい話だ。
彼女は時折ユウトとミスペンをちらちらと見た。
退屈というより、申し訳なさそうだった。
団体客の無駄話はしばらく続きそうで、きっと離れられまい。
これ以上は進展がなさそうだと判断してミスペンが席を立つと、パフィオがやってきて、話しかけてくる。
「あの……ごめんなさい、さっき私、悪いことしちゃいましたか?」
「いや、これでよかったんだ。ありがとう。また来よう」
ミスペンは笑顔を残して適当な個数の魔晶を彼女に渡し、店を出た。