第4話 ビワとメジロ
急な坂を転がり落ちたオレンジ色の楕円。
その丸っこい身体はまさしくボールのようにゴロゴロと勢いよく転がっていった。
葉っぱのスカートを進路上の草に絡ませるようにしながらゆっくり減速して、ユウト達の目の前で止まった。
「大丈夫ですか!?」
ドーペントがオレンジ楕円の前で屈んで心配する。
「あぁー。大丈夫じゃ、ない、かもー……」
オレンジ楕円が倒れたまま、小声で苦しそうに答える。
身体をまとう葉はぐちゃぐちゃに乱れ、ところどころ皮も破れ、皮と同じオレンジ色の果肉が見えている。
その果肉から甘酸っぱい香りがあたりに漂っていた。
すぐにミスペンが駆け寄り、手をかざして回復する。
緑色の光が傷を覆うと、すぐに破れた皮も、葉も元通りになっていった。
楕円は薄目を開き、「あー、生き返るわー」とつぶやいた。しかし直後、近くにいる人物に気づいて目を見開く。
「うっひゃ! ユウトじゃん! こわーい!」
急いで楕円フルーツは立ち上がろうとするが、自分の葉っぱスカートに足を滑らせて転んだ。
「んー! なんでー!」
果物は大の字になって寝転んだ。
ミスペンが助言する。
「急に動かないほうがいい。回復したとはいえ、君は怪我人だ」
「えっ、回復! すごい。誰を?」
「お前しかいねぇよ」
ユウトは少しイラついた感じで言う。
「えーー!! 意外!!」
楕円の果物は大声を出した。
「何が意外なんだよ……」
ここでドーペントが、後ろから控えめに気遣う。
「ボノリーさん、たいした怪我じゃなくてよかったです」
「あー、ドーペント! 久しぶりだねー」
「お久しぶりです」
「相変わらず緑だねー」
「はい。緑です」
「こいつ、一体何?」
ユウトはドーペントに尋ねる。
「ビワのボノリーさんです」
「ビワ……?」
ここでボノリーは目を見開き、大口を開けて「あれぇーー!!」と先ほど以上の音量で叫んだ。
「もう、うるせぇ……」
ユウトは耳を塞いでいる。
「どうしたんですか? ボノリーさん」
「そういえばボノリー、独りじゃなかった気がする! クイ、どこ行ったんだろ?」
そしてボノリーは立ち上がろうとして、また自分のスカートに足を滑らせて転んだ。
「痛っててー!」
「馬鹿だなぁ」
ユウトが鼻で笑う。
ミスペンが黙って回復してやると、ボノリーは喜ぶ。
「あれ、こけたのになんか気持ちいいかも!」
間の抜けたことを言いながらボノリーはみたび立ち上がろうとしたので、ミスペンが腕をつかみ、立たせてあげた。
「うわ。立てた! ユウト助けてくれたの!?」
「俺じゃねぇけど……」
「んー、クイ、どこ行ったんだろう! いなくなっちゃった!」
「そういえば」とミスペン。
「さっき悲鳴が聞こえた時、2人の声だったような気がするな」
急坂を転がり落ちる前にクイとボノリーが叫んだのは、下にもよく聞こえていた。
「ボノリーさん、クイさんもここに来てるんですか?」とドーペント。
「そうそう! クイ、勝手に森の深いとこに入っちゃったんだ。そしたら、魔獣がいっぱい出てきて」
そしてボノリーはユウトをまっすぐ見て、「あぁーー!」と叫んだ。
「うるせぇ、なんだよ」
「ボノリー、森の中に杖落としちゃったんだ! どうしよー!」
「じゃあ、探しに行かないといけませんね」とドーペント。
「やれやれだな。ターニャはまだ戦ってるみたいだし、援護に行かないと」
ミスペンは言った。
しかし、先ほど聞こえていた魔獣の声はいつの間にか聞こえなくなっている。
ターニャがすべて片付けたのかも知れない。
「行くんですか?」
ユウトは顔と声色で拒否の意思を伝えていた。
「ユウトさん、ボノリーさんとクイさんは僕の小さいころからの友達で……なんとか助けてくれませんか?」
ボノリーは楽し気に続く。
「そう! ドーペントはちっちゃい頃から緑だったよ!」
「いいよ、もう色の話は」
「子供の頃はオタマジャクシじゃないのか?」ミスペンが言う。
「んー? ドーペント? 今は緑!」
ボノリーは子供という言葉の意味もよくわかっていなさそうだ。
「今の話じゃねぇよ」
「あれぇーー!!」
「うるせぇ……」
ここで、目一杯膨れ上がったバッグを肩に掛け、ターニャが高台から降りてきた。
魔晶がバッグから溢れそうになっている。
「ターニャ! 無事か?」
ミスペンが大声で尋ねるが、返事の前にボノリーが叫ぶ。
「あ! ユウト! あれ? ユウトじゃないんだっけ? こっちもあっちもユウト? あれー?」
ボノリーは楕円の身体を振りながら、ユウトとターニャを交互に見ている。
「ボノリーさん、あの人はターニャさんですよ」
ドーペントが教えてあげると、ボノリーはユウトを指差して訊く。
「んー? じゃあこの人は?」
「ユウトさんです」
するとボノリーはニコニコしてユウトに言った。
「よくわかんないけど、近くて見たらユウトって木か草かでいったら草に似てるね!」
ユウトは複雑な顔で、この風変わりなフルーツを相手した。
「何言ってるか、ずっとわかんねーよ」
「うびゃー!」ボノリーは転んだ。
「ユウト、気持ちはわかるがもう少し愛想よくしたほうがいいぞ」
するとユウトは顔をしかめ、何も答えない。
「どうした? とりあえずこのボノリーは無害そうだぞ」ミスペンは尋ねる。
「そういう問題じゃなくて、ですね」ユウトは言いづらそうにしている。
「こいつと何かあったのか?」
ユウトはミスペンに近づき、耳打ちする。
「この世界の奴ら、信用できません」
「何があったんだ?」
やはりユウトは答えない。
「事情は知らないが、今後のために恩を売っておけ」
「恩を売る……ですか……」
「どうせこの連中は何も考えてないぞ。昨日のジャガイモとかの連中も、ドーペントが言うように、多分悪い奴らじゃない」
「んー? なになに? 何話してんの? 気になるぅー」
「僕らにも話せないことですか……?」
「……ちょっとな」
ユウトは答えた。ドーペントは何も言わなかったが、少し悲しい顔をしたような気がした。
「いずれ話せる時が来ると思うぞ」とミスペン。
「そうですよね?」
「んん? なんだろ。聞きたい!」
「そうですね、聞きたいです」
するとその時、ターニャが坂を下りてくるのが見えた。
「あっターニャさん! いました。よかったです」
ターニャは不機嫌な顔をしてはいるものの、一応ユウト達がいる場所にやってきた。
「ターニャさん、ずっといなかったから心配でした」ドーペントはターニャに声を掛ける。
「あぁ?」ターニャはドーペントの気遣いに、きつい視線で応えた。
「ターニャ、君は我々のことはなんとも思ってないかも知れないが、こっちは一応君がうまく魔獣と戦えてるか、気になってたぞ」
ターニャはすねながら答える。
「あんな奴ら、何万匹出てきたって楽勝」
「すごいですね、ターニャさんもユウトさんと同じくらい強いんじゃないでしょうか……あれ? ターニャさん! もしかして、それ……中、全部魔晶ですか?」
彼女のカバンを見てドーペントが尋ねた。彼女の持つカバンは魔晶と魔晶珠が、外から見えるほど山盛りで入っていた。
ボノリーもカバンをのぞき込もうと走って近づいてくる。
「うわー! いっぱーい」
するとターニャは誰にも触らせず、中も見えないように、カバンを懐に抱えるようにした。
「あれ? 隠してる?」
「あたしの魔晶だからね。盗ったら殺す」
「うわぁ。怖ーい!」
「重くないか? 私が持とう」
ミスペンが言ったが、ターニャはぴしゃりと断る。
「ちょっと、これはあたしがひとりで集めたんだから。あげるわけないでしょ」
「私が泥棒すると思ってるのか」
ミスペンは言ったが、ターニャはまったく無反応だった。
「そうです。ターニャさん、クイさんを見ませんでしたか?」
「誰?」
ミスペンは、ビワのボノリーを指してターニャに尋ねる。
「実は、この子の仲間が森の中で迷ってるらしいんだ。心当たりはないか?」
ターニャは、少し面倒そうに答えた。
「さっき、鳥がいたけど」
「あー! それってクイだ! やったぁ!」
「クイはどこにいた?」
「坂の途中で止まってた」
「坂?」
ターニャはボノリーを指差しながら説明する。
「鳥は坂をこいつと一緒に転がり落ちて、途中木に当たって、そこで止まってた」
行ってみると、クイはターニャが最後に見た時同様、崖の途中に立つ木にぶつかったところでじっとしていた。
彼は、寝息を立ててすやすや眠っていた。
彼の腹はゆっくり膨らんだり、しぼんだりしていた。
しかし腹や頭、翼から血が出ている。
そうでなくとも、魔獣のわんさかいる森ですやすや眠るなど危険すぎる。
「うびゃー! クイ! どうしちゃったのクイ!」
ボノリーはクイが死んだとでも思ったのか、すぐそばまで駆け寄る。
ミスペンが「触るな」と止め、すぐにクイに手をかざした。傷が治っていく。
「見たことない鳥だ」とユウト。
「この人はメジロのクイさんです」とドーペント。
「メジロ……?」
「そういう種類の鳥らしいです」
「へえ」
このクイを体長10cmほどまで縮小すれば、日本に古来から数多く生息するメジロとほぼ一致する外見だ。
しかしユウトは鳥に興味がなく、メジロについては聞いたこともなかった。
回復してもらった鳥は、突然パチッと目を覚ます。
そして周囲を見て、やかましく叫んだ。
「うわぁぁぁ! ユウトぉぉ!!」
「うおっ、びっくりした」ユウトは少しのけぞった。
直後、ボノリーが「うるさーーーい!!」と叫んだ。この声のほうがうるさい。
「耳が潰れる……」ユウトは耳を塞ぐ。
「元気ですね」ドーペントは驚きもうるさがりもせず、楽しそうだ。
メジロのクイは逃げようとするが、身体が本調子でないためうまく飛べない。
バサ、バサとその場で緩慢に羽を動かすだけだ。
「殺されるー!! 痛ててて!」
クイは立ち上がろうとするが、あまり力が入らないのか、身体を起こしかけては倒れるのを数回繰り返す。
「どうしよう、立てない。ああ、あちこち痛い、傷薬塗らないと! あ、その前に逃げないと!」
と言いながらも、クイは立ち上がろうとしては倒れるのだ。
ミスペンは苦笑した。ボノリーだけじゃなくこいつもか、と呆れる。
「おい、まだ動くんじゃない」
彼はクイの翼を握って止めた。するとクイは、翼を激しく動かして抵抗する。
「痛てて! 翼がぐしゃぐしゃになっちゃう」
怪我しているとはいえ、大きな鳥の翼のパワーは侮りがたく、ミスペンの手はすぐに振りほどかれた。
「すまんな。とにかく飛ぶな。もう少し回復が必要だ」
クイはミスペンに返事せず、急に静かになって周囲を見た。
すると、すぐ近くに知り合いのカエルがいるのに気づく。
「あ、ドーペントいる。元気そう」
ドーペントは答える。
「はい。ドーペントです。元気です」
「最近会ってないよね」
「そうですね」
「というか、ドーペント、いっつもユウトと一緒にいるよね。なんで?」
「ユウトさんのこと、皆悪く言いますけど、いい人ですよ」
クイは語気を強める。
「えーっ! 人殺しじゃないのー!? みんな言ってるよ!」
すると、ドーペントも同じだけ語気を強めた。
「いいえ! 殺したところなんて、誰も見てないじゃないですか」
ここでビワのボノリーが会話に加わる。
「あのね、クイ。ユウトは木か草かでいったら、草なんだよ」
ユウトは『なんだよそれ』と言いたかったが、クイは「そっかー!」となぜか納得した。
もはや突っ込む者は誰もいなかったが、なんとなくその場に平和な空気が流れた。
ミスペンに回復してもらいながら、すっかり敵意のなくなったクイはボノリー、ドーペントと会話を続ける。
「テテはどうしてんの?」
クイがドーペントに訊く。
「テテさんはいつも料理を作ってくれてます」
ドーペントが答える。
「触覚、相変わらず長いの?」
ボノリーが訊く。
「触覚は長いです」
ドーペントが答える。
「へー! 意外!」
ボノリーは飛び跳ねた。
「意外だねー。短くなったりしないんだねー」
クイは楽しそうに左右に揺れている。
「はい。テテさんの触覚はずっと長いです」
ドーペントが答える。
ターニャはそうしたくだらないやり取りを、少し距離を置いて冷めた顔で見ながら、バッグに手を突っ込んでいた。
魔晶がこぼれ落ちそうだったので、隙間を詰めようと試みている。
一個なら軽い魔晶だが、これだけ入れるとさすがに重い。
もっとも、彼女が身に着けている鎧や具足よりははるかに軽いが。
クイは、そのターニャに着目する。
「あ。昨日会ったユウトみたいな人だ」
「あれー! ほんとだ!」
ボノリーも思い出したらしい。
「何?」
ターニャは視線で『近づくな』というメッセージを発するが、能天気な鳥は気にもしない。
ミスペンのおかげで回復したクイは、ぴょんぴょんと小刻みに両足ジャンプして距離を詰める。
「こんなに真っ黒なんだね。思ってたより黒いね」
クイはターニャの漆黒の鎧に注目しているようだ。
「ちょっと、近寄らないで」
ターニャが両手を出して防ごうしても、やはりお構いなし。
クイは歩いてターニャの周囲を回った。
「結局、昨日泊まれたの?」
「そんなこと訊いてどうする気?」ターニャはクイをにらみつける。
「うわ、やっぱり怖い! でも魔晶いっぱい持ってるし、強いんだね!」
ターニャは何も答えなかった。
彼女は少し調子を崩されたような、困惑した顔をする。
そしてどういうわけか、一瞬だけ寂しそうな目つきをのぞかせた。
「ターニャはユウトじゃない?」
と言いながら、ボノリーもターニャに近づいてくる。
「ユウトはこんなに黒くないよ」
クイが答える。そしてボノリーとクイは不思議な会話を始めた。
「そっかー! ユウトは黒くないね!」
「ユウトは銀色でピカピカだよ」
「でも、ターニャも魔晶持っててピカピカだよ」
「そうだねぇ」
「いっぱい魔晶! 魔晶いっぱい!」
ボノリーはさらにターニャに近づいたので、ターニャは大鎌を抜いて「鬱陶しい!」といきり立った。
「うびゃ!」
ボノリーは後ろに転んだ。クイも一緒に転んだ。
「だから、鬱陶しいって言ってるでしょ」
「武器、かっこいい!」
「かっこいいねぇ」
ドーペントもターニャに近づいてくる。
「ターニャさんはどこの鍛冶屋さんでその武器を作ってもらったんですか?」
「言うわけないでしょ」
「ああ、そうですか……」
「ターニャ、こいつらは敵じゃないぞ」
「だから、鬱陶しいって言ってるの」
「せっかくこういう奴らがいるところに来たんだから、楽しくやろうじゃないか」
これを聞いて、またボノリーはひとつ飛び跳ね、目を大きくして叫ぶ。
「あれぇーー!!」
「うるさい!!」
「どうしたの、ボノリー」
「そういえばボノリー、森の中に武器落としたんだった」
「大変だー!」
クイが翼を大きく広げる。
「あの杖、高かったよね。魔晶50個もしたんだよ」
「50個もしたんですか? なくしたら大変ですね」
「そうだよ、なくしたんだよ」
「あっ、じゃあ大変です」
「どこに落とした?」ミスペンが訊く。
「んー知らない!」
「森の中って言ってなかった?」クイが答える。
「そうだった! 森の中だった!」
「じゃ、行こう!」
勝手にひとりで森の奥へとバサバサ飛んでいくクイ。
ボノリーもその後ろを走っていく。
「おい、危ないぞ」
ミスペンが注意するのも聞かない。残りの面々は取り残された。
「それじゃあ、僕らも行きましょう」
「そうだな。あいつらだけだと、また同じことになりそうだ」
「本当に行くのかよ……面倒くせぇ」ユウトはボソッと言う。
すると、ミスペンは真剣な目でユウトに忠告した。
「もう一度言うが、恩を売っておけ」
「えぇ……マジですか?」
その時、森中にボノリーの声が響き渡る。
「見つかったーー!」
「早ぇよ」ユウトは呆れて息を吐く。
「よかったです!」ドーペントは拍手した。
そしてクイとボノリーは森に入った時と同じように、せわしない速さで戻ってくる。
「いやぁー、ユウトとターニャのおかげで見つかったねぇ」
「見つからないと思ったよ」
これに、ミスペンが答える。
「そうだな、2人のおかげだ」
ターニャは冷たく返す。
「はぁ? どこが?」
「うびゃあ!」
ミスペンとドーペントはニコニコしている。
「まあ、いいじゃないか」
「はい、見つかってよかったです」
クイとボノリーは互いに見合わせる。
「ひょっとして人間っていい奴ら?」
「多分? いや、草か木かで言ったら……どっちか!」
「そうだね、どっちかだ! じゃあアキーリまで競争!」
クイはアキーリの町まで勝手に飛んでいく。
「うふわぁー!!」ボノリーは奇声を発しながらその後を追って走る。途中で転んだが、気にせず転がっていった。
静かな森に、3人の人間とドーペントが残された。
「何、あいつら……」
ターニャは白い目をして言った。
「まあ、人間に対する誤解は少し解けたんじゃないか?」
「そうですね。このまま、どんどん仲間が増えてけばいいと思います」
と言ってから、ドーペントはユウトの顔がターニャ同様、不満げなのに気づいた。
「あ。ユウトさん……あの2人は嫌いですか?」
ユウトは何も答えず、ただ強い視線だけでドーペントに意思をわからせようとした。
彼の言いたいことは、ミスペンにも伝わっていた。
「すぐには難しいかもしれんが、お互い少しずつ理解を深めよう」
と、ミスペンはユウトに言った。
「ミスペンさんは……大人ですね」皮肉を込めてユウトは返した。
ともかく、彼らは一旦アキーリの町に戻り、そこで解散とした。