第12話 再度の誘い
数分後。結局ターニャはまた、とぼとぼ町を歩いていた。
町の構造は意外に複雑で、行き止まりがかなり多い。
少し歩くたびに行き止まりにぶつかってしまう。
「どうすりゃいいの……」
歩き疲れ、道の脇にある岩に腰掛けた。腰鎧がガチャンと音を立てる。
「こんなことなら、あいつらについて行きゃよかった」
そして彼女の目に涙が光る。しくしくと泣き始めた。
「ミスペン……いないの? どこ……」
と言ってからターニャは唇を噛み、『あいつに頼っちゃ駄目』と己に言い聞かせた。
しかし、独りでどうすべきかもわからない。
「化け物ばっか、嫌なんだけど、ここ……。帰りたい……。なんなのあいつら。野菜とか芋とか、鳥とか。気持ち悪い」
彼女はまっすぐ下を向いた。
「ってか……なんでターニャの名前、言っちゃったんだろ。ごめんね……ターニャ。なんでだろ、ドジっちゃった。なんであんたの名前で呼ばれなきゃいけないんだろ……。今からでもなんとかなるかな? 無理かな……。ごめん……うぅ……」
先ほど、アウララの隠れ家でミスペンの身の上話を聞いていて、彼が幼い子どもをその手にかけなくてはならなかった過去を苦しそうに語ったことで、彼女の中で間違いなく何かが動いた。
――あの子のような誰かを、あいつは殺したのだろうか?
そう思った時、ターニャの脳裏にある人物が蘇った。
そして忘れることのできないその名を、無意識に言ってしまっていたのだ。
ターニャという名前。
それを発した直後であればまだ訂正は利いたが、彼女の名が口をついて出てしまうとは思わず、頭がパニックになり、他に偽名が一切思いつかなかったのである。
このままずっと、ターニャの名で呼ばれなくてはならないのだろうか?
どうしてこんなことになったのだろう。
もう二度とミスペン達に会わなければ、ターニャと呼ばれることもなく、好きな名前で元いた場所に戻る方法を探すこともできるが、この夜をどうやって越えればいいのだろう。
すすり泣いていたが、足音が聞こえてターニャはどうにか涙をこらえた。
この、ザッ、ザッという足音は、先ほど会った鳥やジャガイモ達よりも強く地面を踏みしめている感じがする。
おそらく人間だ。
もしやと身構えていると、予想通りの男の声がした。
「ああ、ターニャ。よかった。心配したよ、洞窟の中で迷ってるんじゃないかと。ドーペントも心配してるぞ」
その発言の最中、彼女の視界は少しずつ明るくなってくる。
見上げると、昼のように明るく照らされた、紫のローブ姿の男が立っていた。
やはりミスペンだ。
ターニャは、ほんの少し安心の思いが湧いてきて再び泣きそうになり、なんとか我慢したものの、涙声は少し混じった。
「来なくていい……」
「怪我はないか」
「心配しなくていいって」
「それは無理だ。ユウトを入れても、今のところ人間は3人しかいないからな。君に何かあってもらってはね」
ターニャは呼吸を整えて彼に尋ねる。「あのユウトとかいう奴とつるんでるの?」
「まあ、今は。とりあえず悪い奴じゃなさそうだし、世話になってるよ」
「そう……」
ターニャは立ち上がった。
彼に少し近づきつつも、顔を見せないようにして、今度は小声で尋ねる。
「結局、あいつは仲間殺しをしたの?」
「仲間殺し!?」ミスペンは初耳という反応をした。
「黒い鳥と会って、そんな風に言われたわ。ユウトは仲間を殺して食べたかもしれないって」
「食べただって?」
「だって、ここの奴ら、食べ物ばっかじゃないの」
「黒い、鳥……か」
「ここ、鳥とか、野菜とか、そんなのいっぱいいるんでしょ」
「なるほど」
ミスペンは苦笑しながら答える。
「確かに食べ物のような見た目の奴もいるみたいだが、食えるとは思えないぞ……。それに、ユウトは仲間を殺して食べるような、そんな野蛮なことをする奴には見えない」
「見えない、だけ?」
「変な言いがかりをつける奴はどこにでもいる。ましてユウトはよそ者だからな。この町に来るまでに、何かあったらしい。それが関係してるのかも知れん」
「何かあったって?」
「こっちの世界に来てから、このアキーリに来るまでに色々あったようだが、あいつは今つるんでる連中にもそれについて話してない。言いたくないようなつらい思いをしたらしい」
「こっちの世界って何……?」
「どうも、『世界』というのがあるようだ。我々がいたアウララの家も、ああいう世界らしい。そしてこの世界も、我々が元いた場所とは別の世界のようだ」
「何それ……」
「ともかく、ユウトは色々あって別の世界からこっちに来たらしい。聞いたこともない話を色々聞かせてくれた。君も会ってみると、楽しいかもしれないぞ」
「冗談でしょ? そんな怪しい奴、どうして信用するの」
「実際人のことはわからんが、あいつは別に悪い奴じゃなさそうだ。仲間を食うような奴でもないだろうし、ドーペントやテテとうまくやってるように見える。ああ、ドーペントっていうのはさっきユウトと一緒にいたカエルのことで――」
「そんなのはどうだっていい」ターニャはぴしゃりと止めた。
「ターニャ、実際ここは得体の知れない連中ばかりだが、余計なことを考えなければ楽だ」
「ここ、化け物ばっかりじゃないの……」
するとミスペンは、疲れをにじませながら言う。
「……人間の世界にいた頃と比べると、相当マシだ。嫌な奴ばかりの中で、殺すか殺されるかの毎日よりはいいだろう? それに、いろんな知らない場所をたらい回しにされてる今、もがいても仕方ないぞ」
ターニャは納得できないという顔をしたが、しかし反論はしなかった。
「君はこれからどうする?」
ミスペンは続ける。
「私はとりあえず、ユウトの家に泊まらせてもらえるか訊いてみようと思ってるが……来るつもりはなさそうだな。ご覧の通り、もうすっかり夜だ。泊まる場所を見つけないと。宿屋に行くか? ここでは『魔晶』という石が金の代わりらしい。持ってるな?」
答えるまでもない。
ターニャは自分が着ている鎧を見下ろした。
懐にしまわれた3個の魔晶が、鎧の隙間から群青色の輝きを微かに放っていた。
「君が手に入れた分だけで泊まれるかは、確認しないとわからないが」
「わかってる。あたしは、自分でできるから……」
「宿代が足りなかったらどうする? 野宿は危ないぞ」
ターニャはどう答えたものか迷っていた。
しかし、ついて行くわけにもいかない。
待っているのは知らない男2人と大ガエル。
だが別れたところで怪物ばかりの中、独りでどうすればいいのだろう?
すると、ミスペンはターニャから見て左を向き、手を挙げた。
彼が向いているほうを見ると、会いたくなかった影が見える。
「ドーペントが来たな」
とミスペンに言われずとも、街の灯りはあるひとりの人物が歩いて近づいてくるのを照らし出す。
そのシルエットは完全に二足歩行のカエルだ。ターニャはその影を、汚物を見るような目でにらみながら「げっ」とかすかに嫌悪の声を発する。
ドーペントはそんな反応も聞こえず、純朴そのものの顔つきで近づいてきて、彼女に話しかけた。
「あっ。あの、洞窟で見かけた……。無事だったんですね」
もちろんターニャは返事せず、ミスペンが代わりに答える。
「この子は無愛想なんだ。すまないな」
ターニャはミスペンをキッとにらんだ。
それを見てドーペントはたじろぎつつ、提案する。
「あっ、あのユウトさんのところで、みんなで食事を取ろうと思うんですけど……来ませんか?」
「ターニャ、腹は減ってないか?」
ミスペンの問いにターニャは「いや」と首を横に振った。
実のところ、アウララの部屋で蒸しパンを数個食べたおかげで腹具合は十分だった。
得体の知れぬ生物の作った料理など食っている場合ではない。
それを察してかミスペンが、テテの料理について軽く紹介した。
「遠慮はするなよ。どうやらこっちの世界でも、人間はほとんどいないらしいからな。それに、料理を少しもらった。残り物の……なんとか丼というやつだが、食べたことのないような不思議な味だった。悪くない」
「不思議な味?」
「言葉にはできない味だ。不思議としか言いようがないが、決して不味くはなかった」
これをいいほうに受け取ってくれたらしく、ドーペントは嬉しそうに答える。
「美味しかったってことですよね? ミスペンさんが食べたのはテテさんの自信作の豆苗煮込み寒天丼です。テテさんもきっと喜びます」
「何、その料理」
ターニャは鼻で笑う。
「まったくわからないが、とりあえず食べてみるといい」
ターニャは大きく溜息をついて、観念した。
「わかった……。行くよ、もう。行けばいいんでしょ」
「やっぱり、僕がカエルだから嫌なんですか? でも、僕、何もしませんよ」
ドーペントが言ったが、ターニャは「うるさい」と返しただけだった。
彼女は、心細いところを誘ってもらったことで安心している気持ちもありつつ、『もし何かあったら』という警戒は決して緩めないでおこうと決めていた。
ミスペンの照明術に寄せられたのか、先ほどターニャと会話した4人が近づいてくる。
ジャガイモとキャベツはミスペンの頭上の光を見上げてはしゃいだ。
「すげえ! 明るいぞ! なんだこれ!」
ジャガイモが飛び跳ねる。
「どうしたんだこれ! 灯りより明るい!」
キャベツが足をばたつかせる。
「私の術だ」
「ええ!? ユウトかお前!?」
ジャガイモはミスペンの至近距離まで詰め寄った。興味深そうな目をしている。
「いや、ユウトじゃない」
「ユウトっぽいけどユウトじゃないのか」
「でも、武器持ってないぞ」
「そうだな」
一方、キツネはターニャの前に来て「君、また会ったな」と話しかける。
それにターニャは何も答えなかった。
キツネはそれ以上会話を試みようとしなかった。
その横で、ドーペントにタコが話しかける。
「ドーペントも一緒か」
「はい、ドーペントです」
「久しぶりだな」
「そうですね、久しぶりです。元気みたいですね」
「おい、やめろ」キツネが止めた。「そいつはユウトの仲間だから、話すな」
「あ、そうだったな」
「やっぱり駄目ですか?」
ドーペントは少し残念そうに言った。
「うーん、だってユウトの仲間だしなぁ」
「ユウトさんはいい人ですよ」
「人殺しだろう?」
キツネがきつい目で言う。
「ユウトさんはそんなことしませんよ」
「本当か?」と、タコ。
「信じるな」
キツネは動じない。
「みんな言ってるだろ。ユウトは人殺しなんだ」
「ユウトさんは、そんなことしません」
するとキツネは少し語気を強める。
「強情だな、ドーペント。前から変わってない。またオゴギャグーさんと一緒に魔獣討伐に行きたくないのか?」
「僕はユウトさんと一緒に行くので、大丈夫です」
ドーペントとキツネの間の険悪な雰囲気のおかげで、ミスペンの光を見上げてはしゃいでいたジャガイモとキャベツも落ち着く。
しかし彼らはターニャを見つけ、また騒ぎ始めた。
「あれ! さっきのユウトっぽい奴がいる!」
「気づかなかった!」
「何?」
ターニャは白い眼で応じる。
「おいユウトっぽい奴、宿屋行くんじゃないのか?」
「値切ってやるぞ」
「あんた達は用済みだから、どっか行って」
ターニャは冷たくあしらった。
「うわぁ!!」
「もう行くぞ」
キツネが言う。
「こいつらはドーペントの仲間だから話したら駄目だ」
「そうか、うわぁ! ドーペントの仲間ってことはユウトの仲間だ!」
ジャガイモは今までで一番高いジャンプをした。
「どうしたんだ! どうしてだ!」
キャベツはタコに、胸倉をつかむくらいの勢いで迫る。
「僕に言われても知らないよ」
タコは困った様子で答える。
「のあぁああ!!」
「どわあああ!!」
なぜか絶叫しながら、ジャガイモとキャベツはそれぞれ真反対の方向へ走っていく。
彼らに続くように、キツネとタコも去っていった。
夜のアキーリは、再び静かになった。
「ターニャ、あいつらとは初対面じゃないみたいだな」
「あんなの知らない。しつこい奴ら」
ドーペントは少し残念そうに、先ほどのキツネ達について教えてくれる。
「あの人達は、前は僕やテテさんと仲良くしてくれたんですけど、ユウトさんの悪い噂を聞いてからは、ずっとユウトさんを人殺し扱いするので……もう、あんまり会うこともなくなりました。でも、悪い人達じゃないですよ」
彼にミスペンとターニャは答える。
「そうみたいだな。ターニャを助けてくれようとしたみたいだ」
「あんな奴らに助けてもらう筋合いない」
「そうですか……」