第9話 世界とは?
ひとまず処置が終わり、人間ではない2人がミスペンに対して興味をぶつける時間が始まった。
「で? あんた。どこかで、誰かにやられたって言った?」テテはミスペンの顔を眺めて言った。
「そうだな」ミスペンは答える。
「ミスペンさんは、偉い人だったみたいです」
「ふーん? 偉い人って?」
「いろいろ聞きました。でも難しくて、僕はあんまりわかんなかったです」
「えーっと? じゃあ、まずミスペンってどこにいたわけ?」
「えーっと、ミスペンさんは人間の人なんですよね。同じ、人間がたくさんいるとこにいたらしいです」
ドーペントは『人間の人』という、人間以外の者でなければまず使わない表現を口にした。
「人間! それって、じゃあユウトとこの人以外にも人間がいるってこと?」
「はい。洞窟の中で、すごくかっこいい武器を持った人間の人にも会いました。ターニャって人です」
「へー。そっちは、ここに連れてきてないのね」
「それが、僕のことが気に入らないみたいで……どこかに行っちゃいました」
「その人間も腕が一本しかなくて、顔の半分が火傷してるの?」
「いいえ!」
「そんな人間は私以外にもいるが……あまり多くはないな」
「どこから来たの?」
「イプ……なんていうとこでしたっけ」
「イプサルって国だって」
「ああ、そうでした」
「で……」ユウトがミスペンに訊く。「えっと、闘技場のチャンピオン? だったんですよね」
「そうだ」
「ちゃんぽ?」
「一番強かった、ってことですよね」ユウトはミスペンに尋ねた。
「まあ、一応は」
「一番強かったの?」
「この世で一番というわけじゃないが、私のことをそう言う人は多かった」
「えーっ! じゃあ一番強いんじゃないの? すごい!」
「そういうわけでもないが」
「ミスペンさんがいたとこって、すごく遠くにあるみたいです」ドーペントが言った。
「どんなとこなの? ユウト、話聞いたんでしょ」
「話は聞いたけど」ユウトが教える。「王様がいて、貴族がいて……剣とか槍で戦ったり、魔法みたいな『術』ってのを使う人たちがいたり」
「オーサマ? キゾク?」
「僕も、聞いてもよくわかんなかったんです。ユウトさんは、ゲームみたいって言ってましたけど」
「ゲーム?」
「そう。本当に、俺が矢掛やかげでやってたゲームみたいだったから、そうとしか言いようがないっていうか」
「ユウト」テテが言う。「あんた、そういうのよく言うけど、こっちは全然知らないんだって」
「でも、そうとしか言えないんだ。説明が難しくて。えっと……闘技場は、俺が知ってる闘技場で合ってますか? 丸いスタジアムみたいなとこで、戦う人が真ん中にいて、周りに観客がいて、っていう」
「スタジアムは知らないが、大体合ってるぞ」
「なんで知ってるの?」
「ゲームで何回も見た」
「またゲーム!?」
「その闘技場で、みんなで集まって戦ってたんですよね」ドーペントがあまり緊張感なく言った。
「ああ……」
ミスペンは肯定か否定か、はっきりしない答えをした。
彼はこの家に来るまでの会話でユウトとドーペントに、闘技場をただの戦いの場でしかないと説明した。
さすがに死ぬこともあれば、目や腕を失うこともあるのは隠しようがないが、それ以上の厳しい現実を教えたところで、純朴で礼儀正しい彼らを無駄に怖がらせるだけだからだ。
テテは目を輝かせる。
「えー。そこで一番強いってこと? すごいね。じゃあ、本当に一番強いんだ!」
彼女も闘技場に対して、ドーペントと同じ解釈をしたようだ。
ミスペンは答える。
「そういうわけでもない。負けたからな」
「あっ。そうだったね……」
「挑戦者に負けて、大怪我しちゃったんですよね」ユウトが言った。
「僕、忘れてました。ミスペンさん、負けて片目と片腕がなくなっちゃったんですよね。なんか、急に怖くなってきました」
「でも、目と腕がなくなっちゃうような戦いなんか、なんでするの? 痛いでしょ?」テテはまんまるの瞳でミスペンを見つめて言った。心配してくれているらしい。
「危ない橋を渡らないと、食っていけないからな」
「えー! どんな世界なの? よくわかんないなぁ。アキーリはご飯食べられないなんて人、誰もいないよ」
「そうか、ここはいい世界みたいだな」
「そうだ、イプサルっていうんだっけ? ミスペンのいたとこ。そんなとこ知らないよ、遠くにあるんだよね? どうやってあの洞窟まで来たわけ? 歩いて来たの?」
テテは、ミスペンがここまで来た経緯に話題を移してくれた。
それはミスペンにとってはありがたかった。
あんな忌まわしい場所のことを、わざわざ彼らが深く知る必要はない。
「いいや、そうじゃない」
「イプサルからここまでどうやって来たかの話、聞きました。でも難しくて、僕、あんまりわかんなくて。すごいことが色々起きたんですよね」
「なんか、信じらんないような話でした」ユウトが言う。
「私もだ」ミスペンが答える。「あんなことが本当に起きたとは。今でも、夢を見てる気分だ」
「何? 何? すごく知りたいんだけど。2人が聞いた話、そろそろあたいに教えてよ」
ここで、改めてミスペンは、例の『手鏡』によってアウララの家に飛ばされてからの彼の身に起きたことをテテに説明したが、まったく理解されなかった。
「無理だわー。わかんないわー」テテは頭を抱え、うずくまっている。
「なんだか、僕らのいる世界ってきっと狭いんだろうなって思ってます」
聞くのは二度目のはずのドーペントも、同じように頭を抱えていた。
「あんた、そう思うくらい理解できたの? あたし、ひとつもわかんない」
「いや、僕もわかってないです。とりあえず、その『手鏡』っていうのは怖いです」
「ミスペン、白い猫みたいな奴らって言った?」
「ああ」
「そんなの聞いたことないよ。本当に、夢見てたんじゃない?」
「夢、か。そうかもしれない」
「異世界……?」ユウトが誰にともなく、尋ねるようにつぶやいた。
「え、異世界なんですか? でも、確かに!」
「そっか。ミスペンも聞いた? ユウトって、別の世界から来たんだって」
「ああ。矢掛というところから来たんだろう? だが、それがどこにあるかまでは聞いてない。別の世界とは?」
「ユウトさんがいた岡山とか矢掛と、アキーリは、別の世界らしいです」
「世界……? 世界はひとつじゃないのか? それとも、死後の世界とか、神々の世界とか……そういう話をしてるのか?」
「えーっと……」
「多分、そうじゃないと思います」ユウトが答えた。
「ということは?」
「うーん……場所が全然違うっていうか……」
「違う場所のことを、異世界というのか?」
「それだと、さっき僕らがいた洞窟とアキーリの町も異世界なんですか?」
「いや、そうじゃなくて。歩いて行けるとこは異世界じゃない」
と、ユウトは説明した。彼にとっても難しいらしく、頭を片手で押さえ、片目をつぶっている。
「あ、そうなんですか」
「歩いても行けない場所は異世界なのか?」
「だから、全然違うとこに一気にワープするんです。そういうの、異世界転生とかでよくあるやつで」
「ワープ? 転生? なんの話をしてるんだ?」
「えーっと……」
「ユウトって、ほんとによくわかんない言葉いっぱい使うよねー」
「ほら、だから、ワープっていうのは、ミスペンさんがなった、目の前が白くなって気がついたら全然違うとこにいたっていうやつのことです」
「あれが、ワープか。それで、あの手鏡の力で、私は別の世界に来たと言いたいのか?」
「そういうことです」
「それで、イプサルがあった世界と、白い生き物の世界と、そしてここは、それぞれ別の世界ということで合ってるか?」
「多分、そうだと思います」
「すごいね、ミスペン。すごい頭いいね」
「はい。僕達、何回ユウトさんに聞いても理解できなかったんです」
「そうか。私も理解できてるか、はっきりとはわからない」
「ユウトって、訳わかんない言葉いっぱい出してきて、説明してくんなくて、いっつもあたいもドーペントも、首傾げて終わるんだ。でも、ミスペンがいれば意味がわかるね」
「ミスペンさんが来てくれてよかったです」
「悪かったな。俺、頭悪いからさ……」
「ああ! 大丈夫です。ユウトさんは強いですから」
「うん」
「機嫌直したね」
「別に機嫌悪くなったわけじゃねぇけど」
「でも、その『手鏡』ってなんなんだろ。不思議だねー、ユウトが使った巻貝とは違うんだよね」
「巻貝?」
「それの話は、ちょっと」
「あ、そうです。ユウトさん、その話あんまりしたくないんです」
「すいません」
「あー、だからね、『手鏡』が不思議っていう話よ。それの力を使ったら、どんな世界にも行けるってこと? ユウトとミスペンから聞いただけで3つの異世界があって、あたいらが今いるとこを合わせて4つの世界ってことね。他にもいっぱい世界があるかな?」
「かもしれないが、『手鏡』を操作する方法はわからない」
「あー、そうなんですか……」
「でも、『手鏡』のおかげで、いつかあたいもミスペンの世界に行けるかな?」
「そうですね。行ってみたいです。ミスペンさんみたいな人がいるなら、きっと素敵な世界だと思います」
「ユウトもそう思うよね?」
だが、ユウトは気乗りしない様子で「え……うん」と答えた。
「あれ? ユウト?」
「君は顔に出るみたいだな」
「……すいません」
「謝ることはない。君が正しい」
「えーっ? ユウトが正しいの? なんで?」
「『手鏡』がこれからどうするつもりかはわからないが、少なくともイプサルは好き好んで行くような場所じゃない」
家の中に、静かに冷たい風が吹いたような気がした。
「理由を訊いていい?」
「一体、どんな世界なんですか?」
「私の世界は嫌になるような人間ばかりだ。君達は純粋すぎる。だから、どんな目に遭わされるか……。君達はここにいたほうがいい」
ミスペンの発言に、場はしんみりとした。
「……そうなんだ……」
「俺も、ここはいい世界だと思うよ」
ユウトが、暗くなった雰囲気を変えるように言った。
「性格悪い奴もいるけど、魔獣倒してりゃ冒険者としてやってけるし」
「そうですね。テテさんがご飯を作ってくれますし、毎日楽しいです」
「でも、そんな風に言われるとやっぱ気になるな。イプサルも矢掛も、来るなって言われるほど行きたくなる」
「物好きだな。マジでやめたほうがいいよ」
「ユウトさんの世界も、悪い人ばっかりなんですか?」
「そういうことじゃないけど、俺の世界、デカいカエルもバッタも居ないんだよ」
「僕は普通のカエルですよ」
「あたいもただのバッタだけど」
「いや、お前らはそう言うけどな……人間ばっかなんだよ」
「ユウトさんって、元の世界に帰りたくないんですか?」
「……やめろよ。急になんだよ」ユウトは途端に、辛そうな顔に変わった。
「すいません」
「君も元の世界で何かあったのか?」
「いや、そういうことじゃないですけど……」
実のところ、レサニーグを出て以来、ユウトは矢掛の実家がどうなっているのかと思案しない日はなかった。
ドゥムとダイムは本当にあの家に転移したのか、そして、もしそこに転移していたとしたら母と姉は無事なのか。
一応、仲間として何度も一緒に魔獣討伐に行った日々の中で、あのアライグマとイカが人間を見つけ次第襲うような凶悪な性格でないことはわかっているが、もしものことを考えるととても心配だった。
それでも――ユウトは、元の世界に戻りたくなかった。それは確かだった。
「わかりません」ユウトは自信なさげに答えた。
「わからない?」
「そりゃ、向こうの世界のことは気になりますし、こっちになくて向こうにあるものはいっぱいあるんですけど、でも、向こうに帰っても、俺……多分、駄目です」
「駄目とは?」
「向こうじゃ、俺、できることがないです」
「立派な冒険者なんだろう?」
「日本人で冒険者やってる人なんかいないですよ。ジャングルとかのすごい深いところを探検してる人はいますけど」
「ジャングル?」
「深い森があるんです。とりあえず、向こうに戻っても魔獣がいないから、稼げないです」
稼げない。そう、ユウトは言った。
確かに重要な理由だ。しかし彼は、これが向こうの世界に戻りたくない本当の理由ではないような気がしていた。
本当の理由がなんであるのかを、考えたくはなかった。
テテが話を進める。
「ユウトがいた世界のことって、色々ユウトから話は聞いたんだけど、全部難しくてわかんないんだ」
「はい。難しいです」
「私もここに来るまでに少し聞いたが……少なくとも、ユウトの国は私がいた世界よりはかなりマシのようだが」
「でも、なんか、シゴトっていうのをして、オカネっていうのをもらわないと生きていけないんだって」
「普通のことのような気がするが」
ミスペンがなんの気もなく言ったこの言葉が、ユウトの心に深く刺さった。
彼が顔をしかめてうつむくのを見て、ドーペントが「大丈夫ですか?」と気遣う。
「いや」
と短く答えてから、ユウトはミスペンに言う。
「俺は……普通のことができないです。俺、駄目だから、楽なことだけして生きてたかったです」
「あああ……。そんなことないですよ。ユウトさんは、駄目じゃないです」
「うん」ユウトは苦しいトーンで応える。
「まあ、全員そんなもんだ。深く考えるな」
ミスペンは優しくフォローした。
「……はい」
「どっちにしろ、お互いここでやっていくしかないわけだ。お前達とは仲良くやれそうだな」
「よろしくお願いします」
「よろしくねー」
「ああ。こちらこそ」
と言ってミスペンは立ち上がる。
「どうしたんですか?」
「実は、洞窟で会ったもうひとりの人間を捜しに行きたいんだ」
「あ! そうですね。確かに気になります。ちゃんと洞窟を出られたんでしょうか」
「よし。ドーペント、行くか」
「はい」
「行ってらっしゃーい」
ミスペンとともに出発しようとしたドーペントは、またユウトが表情を変えているのに気づく。
「あれ、ユウトさん。どうしてそんな顔を?」
ドーペントに言われ、ミスペンもテテもユウトを見た。
彼は不満げな顔をしていたが、注目が集まったので、できるだけ真顔に近づけて答える。
「いや、別に……」
「あの子はここに来る気はないかもしれないが、あの子を含めて人間は3人しかいないんだ。道に迷ってるかもしれないから、最低でもこの町までは来させてやりたい。今頃、どうしたらいいかわからなくなってるだろうからな」
「……はい」ユウトは納得いかないようだった。
「気持ちはわかる」
「あの人、こっちに来さして大丈夫なんですか?」
「なんとか私が対処しよう」
ユウトは不承不承で、「わかりました」と受け入れる。
「そうだ」テテは棚まで行き、棒を持ってきてミスペンに渡す。棒の先端が、青紫色に強く輝いていた。
「ほら、これ使って」
「これは?」
「灯り。アキーリの人はみんな持ってるよ」
「なるほど。気持ちはありがたいが、私は術が使える」
ミスペンは真上に手をかざす。すると、彼の少し上に光る玉が出現した。
「うわ、明るい! すごい明るい。何これ!」
「『手鏡』ですか?」
「いや、照明の術だ」
「すごいです、そんなのできるんですか? どうやったんですか?」
「何年も修行して身につけた」
「えーっ! 自分で明るくできるってことですか?」
「すごいけど、ちょっとまぶしいよ、それ」
「ああ、すまない」
すると光る玉は消えた。
「えっ、なくなりました」
「便利だねー。出したり消したり」
「その術と、灯りを持ってたらもっと明るくできますね」
「だが、私は手が1本しかない。術を使うには、手が必要なんだ」
「あ、そうなんですか」
「手が塞がったらまずいわけねー。でも、念のため持っといたら? どっかで役に立つかもよ」
「……そうだな」
受け取ると、ずっしり重かった。鉄か何かでできているのだろうか。
気持ちはありがたいが、早速荷物になりそうだ。
それより、棒の先端で青紫色に輝く石はなんなのだろう?
知っているどの宝石とも違う。ミスペンはそれをじっと見つめた。
「僕達が使ってる灯りは、普通の冒険者のよりちょっと光が強いんです」
「なるほど。この石はなんだ?」
「魔晶を使って、鍛冶屋さんが作るんです」
「興味深いな」
「じゃ、あたいはご飯の用意しとくよ。ちゃんと帰ってきてね。夜は危ないから、魔獣にやられたりしちゃ駄目よ!」