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果てなき時空のサプニス  作者: インゴランティス
第2章 呪われた手鏡
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第5話 チャンピオンという役割

 ターニャは蒸しパンを食べながら、炭酸飲料を飲んでいた。ミスペンはハムとチーズをつまみにウィスキーをたしなんでいる。


 ミスペンが口を開く。

「さっき私は、ここに来る前のことを少し話したが、あれはほんの一部だ。今後のために交友を深める……とはいかないかもしれないが、一応もう少し詳しく話すとしようか」


 これにターニャはツンとして返す。

「あなたのことなんか興味ない」


 少しの間、互いに言葉を発しない、気まずい食事が続いた。


 今後、同じ人間同士で助け合わなくてはならないとなると、このままでは厳しいと思ったミスペンは、迷いはしたが、少し詳しく自分のことを話すと決めた。


「では、今から話すことは私の独り言だと思ってほしい。私は今、こんな身体になってしまったわけだが……何と戦ってこうなったかを説明しよう。対戦相手だ」


 ターニャは蒸しパンを食べながら、ミスペンを一瞥した。


 興味ないとは言ったものの、結局は話に耳を傾けてくれているらしい。


「私は、ある国で……闘技場のチャンピオンといわれる立場だったんだ」


 そう話しながらも、ミスペンはまったく誇らしげではなく、むしろ苦々しそうだった。


「チャンピオンと聞いて、意味がわかるか? 闘技場で、一番強いといわれていた……一応ね」


 少女は蒸しパンを口いっぱいに頬張ったまま、「ふぁふぁんえほ?」と答えた。


 彼女が何を言いたかったかミスペンにはわからないものの、いずれにせよ答えてくれたことで小さな手応えを感じた。


 何を言ったか訊き返しても教えてくれないだろう。彼は説明を続けた。


「闘技場に入る時、知っておかなくてはならないことは、一度『戦う側』としてそこに入ったら、相手を殺すか、自分が死ぬか、どちらかしかないってことだ」


 少女は蒸しパンを頬張ったまま、口を動かすのをやめた。


 渋い顔をしている。


 彼女の顔を見て、ミスペンは気づいた。


「ああ、そうだ。せっかくの美味しいものが不味くなる話かもしれないね」


「あえあん、ふぉあっふぁえお」


 彼女は渋い顔のまま、ぼそぼそ答えた。


 やはり何を言っているかは不明ながらも、もし彼女がやめてほしいと思うならもっと強く言うだろう。


 きっと興味を持ってくれていると信じ、ミスペンは話を続けることにした。


「厳密に言えば、その日集まってきた挑戦者で行われるトーナメントを勝ち抜き、優勝した者はチャンピオンと戦うことになる。勝てば新しいチャンピオン。そして、負けた者は全員死ぬ。それが毎日続く」


 少女は静かに口の中の蒸しパンを咀嚼している。


「チャンピオンになれば庶民じゃ到底手に入らないような金がもらえる。お偉方にも目を掛けてもらえる。果ては貴族の家柄までもらえる……至れり尽くせりというわけだ。しかし、そこでチャンピオンになるというのが、どういう意味かを誰からも聞かされなかったんだ。少なくとも、私はね」


 少女は口を動かすのをやめた。よほど話が気になるのだろうか。


「それは、勝ち続けないと死ぬということだ。一度チャンピオンになったら、負けて死ぬまで毎日戦いが続く。それまでは挑戦者と戦い続ける。それが、あの闘技場でチャンピオンになるということの意味のひとつだ」


 ミスペンはそこまで話して、少女の顔を見た。


 彼女はうつむいていて、静かに咀嚼している。彼女の目つきはどこか殺気を帯びていた。


 しかし、その殺気は自分に向けられているものではないような気がした。


 さらにミスペンは続ける。

「最初は、後先なんかちっとも考えてなかった。それまでずっと腹を空かせて、ただ生きるために戦ってきたんだ。それが、勝てばなんでも手に入ると言われれば、飛びつくしかない。あの時はろくにものを知らなかった……闘技場に入った他の連中もほとんど同じような考えだったに違いない。殺し合いだと聞かされても、それで逃げ腰になるような奴はあまりいなかった。どうせこの世は生き延びるために戦うしかない場所だ」


 少女はうつむいて咀嚼しながら、少しだけミスペンのほうを見た。


「それで、私はそこにいた連中のトーナメントに優勝し……チャンピオンに戦いを挑んだ。あいつは本当に強かったが、どうにか勝った。そして観客は大騒ぎして、私が新しいチャンピオンになった。よく覚えてる……人生最高の日だと思った。私は、特別な生まれでない者が手に入れられる限りのものをすべて手に入れたと思った。が、今思えば間抜けな話だ」


 少女はようやく、口の中をほとんど空にした。


「騙されたの?」


 ミスペンは首を横に振った。


「どうだろう。今となっては定かじゃない。ただ、後になってわかってきたことは、闘技場に挑戦者として入った者は、その瞬間から永遠に闘技場の持ち物になるということだ。より正確に言えば、闘技場を持ってるのは王家だから、チャンピオンも王家の持ち物なんだろう」


「うん、で?」

 少女はこの話の先を知りたいらしい。表情を見る限り、彼女はつまらなさそうにしているが、本当につまらないと思っているなら口に出すか、席を立つかするはずだ。


「チャンピオンは、そうだな……」


 ミスペンは考えた。話したいことは山ほどあるが、相手は複雑な女の子だ。


「基本的なことから言うと、まず移動の自由はない。よほど、逃げられるのが怖いんだろう。多い時は監視が百人以上ついてたんだ。あの国の王家は無駄なことに人員を割くのが好きだったみたいだな。そもそも自由な時間はほとんどない。貴族のパーティーや式典に引っ張りだこだ」


「……その程度のこと?」

 また、少女は顔をしかめた。どうやら、物足りないらしい。


「もっと嫌になるような話が聞きたいか? たくさんある」


「どんな?」


 これは話さないでおこうと思ったことだ。しかし、きっと言うべきなのだろう。


「例えば……チャンピオンの仕事の中でも大事なもののひとつは、王に殺せと言われた相手を殺すことだ」


「暗殺者?」


「いいや、闘技場に連れてこられた罪人を、チャンピオンが殺すんだ」


 彼女は少し目を大きくした。意外だったのだろう。


 ミスペンは続ける。

「罪人とは言うが、実際は罪のあるなしは王が勝手に決めるんだ。観客にしてみればどっちでもいいんだろう。私が殺せば、誰だろうと大盛り上がりだ」


 少女にはあまり想像がつかないようだった。退屈に感じたらしく、話を変えてくる。


「食べ物とかは? 貴族のパーティーに出るんでしょ」


「そりゃ、一応美味い物は食べられるが」


「……いい暮らしに聞こえるけど?」


「王族や貴族の機嫌をうかがうのは好きか?」


「別に? だって、戦って勝って、殺せって言われた相手を殺せばいいんでしょ? 対戦相手でも罪人でも。それでいいご飯食べられて、十分じゃないの」


 少女はさも当然かのように言ってのけた。



 それでミスペンは、それ以上話すのを一旦ためらった。目の前にいるのはその辺の農家か商人の娘じゃない。


 きっと、彼女もその小さな手を何度も血で染めてきたのだろう。だから、この程度で動じたりしないのか。


「私より君のほうがチャンピオンに向いてるかもしれないな」


 少女は得意げに少し口角を上げた。


「君はそういう経験があるのか?」


「言うわけないでしょ」


 それなら、言わずにおこうと思っていたところに踏み込まざるを得ない。


「実際は罪人の半分くらいは、王にとって邪魔とみなされた王族や、貴族なんだ」


「ん?」


「それも、王と対立した当事者だけならまだいい。王は邪魔な誰かを見つけるたびに、その一族を全滅させろと私に命令するんだ。兵が捕まえた一族が、全員闘技場に運ばれてくる。私がそれを、ひとりひとり殺してくんだ」


 これに対して少女は、けろっとして、まったく予想外の答えを返した。


「いいじゃないの。貴族なんかいけ好かない奴らばっかりなんだから」


「……私も最初はそう思ってたよ」


「何? 何が言いたいの。相手、縛ってあるんでしょ。ただ殺しゃいいだけじゃないの」


「まったく、君が私と代わればよかったろうな。想像できないだろう? 君にはこんな気持ちにはなってほしくない。戦いと処刑は違う。どうして人の悲鳴を、毎日夢に見るまで聞かなきゃいけないんだ? 君よりずっと小さい子だって、たくさん殺したんだ。観客もどうかしてる。あいつらは誰が死んでも喜ぶ。とにかく苦しんで、叫べば叫ぶほど沸くんだ。あんな奴らのために、罪もない人を殺したと思うと……今でも吐き気がする」


 ミスペンはグラスを少し傾けた。ウィスキーの味はなぜか苦い。


 この話題をするべきではなかった。他に話すことなどいくらでもあったのに。


 この過去についてはこれ以上語らず、記憶の奥にしまっておいたほうがいい。


 まして相手も悪かった。自分だけが苦しんで、相手には何も響かないのだから。


 そう思って彼は少女の顔をうかがった。すると意外なことに、うつむいて考え込んでいるようだった。


 ようやく、石のように固い彼女の心に差し込んだのか。


「この話はこのくらいにしておこう。とりあえず今は生き延びられればいい。君さえよければ、助け合いたい所なんだが、どうかな」


 部屋に静寂が流れた。ターニャは何も言わず、動きもしない。


 戦いに明け暮れてきたと思われるこのささくれ立った少女の心にも、さすがに何か響いたようだ。


 ミスペンは彼女の反応を待ったが、その時はなかなか訪れなかった。


 彼がまた付け加えようとしたとき、少女は小さな声で「ターニャ」とつぶやいた。


「ん?」


「あっ、いや」少女は、しまったという反応をした。


「ターニャと言ったか?」


 少女は苦しそうな顔で黙った。何か考えているようだ。あるいは、その語を出したことを後悔しているようにも見える。


「そうか。ターニャ、君が名乗ってくれたことを嬉しく思うよ。どこまで一緒にいることになるかわからないが、よろしく頼む」


「いや、違う!」

 少女は大声で否定した。何やらムキになっているようだ。


「違うのか? 本当はなんだ?」


 ターニャは黙った。今度は考えるように、視線をせわしなく動かす。


「どうした。私は身の上をこれだけ話したが、君は名前すら言いたくない理由がそんなにもあるのか」


「そんなの、あなたが勝手に――」


 少女が言い終わらないうち、階下からバァンと大きな音がした。


「警察だ!」


「アウララ、観念しろ!」


「あなたのスペークスはもう対策済みよ!」


 階下から聞こえたのは、幼い子供のような高い声。


 子供の声帯を使って、大人の発声をしているようだった。はっきり、よく通る声の出し方だ。


 すぐ、小さな生き物が階段を上がってきているであろう、トントンという音がした。


 侵入者達は動きの統制が取れており、互いに声を出し合って連携をうまく取っているようだった。軍隊か何かだろうとミスペンは感じた。


「何!?」


 ターニャは立ち上がり、背中の大鎌に手を掛けている。


「隠れよう」


「いや、全員殺す!」


「それは無理だ。きっとそんなに簡単な相手じゃない」


 ミスペンは室内の戸棚を手当たり次第に開き、人の入れそうな隙間がある場所を探した。


「何してんの?」


「君も隠れろ。時間がないぞ」


 そして、空いている戸棚を見つけた。隙間はひとり分しかない。


「おい、ここに入るといい」


「やめて。こっちで決めるから」


 ターニャは部屋を出ていった。


 止めたほうがいいのかも知れないが、侵入者が危険な集団だった場合、精神操作で動けなくさせるのはかえってまずいだろう。


 戸棚に隠れると、やがて侵入者が入ってくる。無数の足音がする。


「ん!?」


「酒と食べ物……」


「ここで、誰かがメシを食ってたようだな」


「しかも、2人?」


「アウララに共犯者がいたなんて聞いたことない」


「とにかく調べよう」


 ミスペンの心臓が高鳴る。ターニャが襲い掛かって墓穴を掘らないかが心配だった。彼女の性格なら、どうするかわからない。


 遠くから別の侵入者が大声で知らせる。


「アウララ、確保! 眠っているようです!」


「例の物もここにあります!」


「係長、これで事件はやっと解決ですね」


「長かったな……」


「こいつ、何年も手こずらせやがって!」


 この声を聞く限り、侵入者は少なくとも賊の類いではないとミスペンは判断した。


 しかし、人間を見つけた時攻撃してこない保証はない。もしこの棚を開けられた時、どうすべきだろうか?


 そしてミスペンのいる部屋の戸棚を、侵入者がひとつひとつ順番に開けていく音がする。


 もうすぐか――覚悟を決めると、ついにその時だ。バタンと音がして、外から光が入ってきた。


 黒っぽい服を着た、白い猫のような生き物と目が合う。


「なっ……なんだお前は!?」


 白猫らしきものはすぐには攻撃の姿勢を見せない。


「戦うつもりはない」とミスペンは答え、様子を見ることにした。


 周囲にいた白い生物が、続々とミスペンの前に現れる。


「えっ……」


「なんだ、このでかい奴は?」


「こいつ、喋るぞ!」


「おい、係長に誰か知らせに行け!」


「俺が!」白い生物がひとり走っていく。


 そして白い生物達がミスペンに尋問を始める。


「正体はなんだ、言え!」


「私は……アウララの味方じゃない」


「なんという生き物だ!?」


「人間だ」


「ニンゲン?」


「とりあえず出ろ!」


 棚から外に出る。


「君達はアウララを追ってるのか?」ミスペンが訊く。


「話は後で聞く」


「アウララを捕まえてくれたのは助かる」


「どういう意味だ?」


「あいつの持ってる手鏡、厄介だぞ」

 とミスペンは教えた。すると白い生物の顔つきが一段と真剣さを増す。ミスペンはまずいことを言ってしまったと気づいた。


「お前……なぜそれを知ってる?」


「重ねて言うが、私はアウララの味方じゃない」


「どうしてここにいるんだ?」


「私にもわからない」


「どういうこと?」


 白猫のような生物のひとりが、「とにかく、手錠だ」と言いながらカバンを開け、銀色の金属でできた、二つの輪が鎖で連結された道具を取り出す。


 その時、アウララが眠っている部屋の方向から何人もの悲鳴がした。


「何があった?」


「『手鏡』から光が!」


「なんだと!?」


 直後、ミスペンの視界が真っ白になる。


『またか!』


 と彼は言ったつもりだった。が、自分が発したはずの声を、彼は聞くことができなかった。


 周囲は他の何も見えないほど強い光で満ちていた。といっても目が痛くなるわけではない。


 まさしく、視界が白い何かで覆われたような感覚だった。


 反射的に手で目を隠そうとしても、身体が指一本動かない。いや、身体には麻痺しているような感覚がなかった。


 同時に、手を顔の前に持ってきたつもりなのに、一切視界は遮られないのだ。


 そもそも足元の感覚がなくなっているが、かといって、重力がなくなり浮遊しているような状態のわけでもない。


 とても不思議だった。

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