第3話 大鎌
「なんだあいつは……。後ろから出てきた? 一体、ここは……」
つぶやくミスペンだが、彼の疑問に答えてくれる者はいない。
独り宝物庫に残されたミスペンは、とりあえず身だしなみを整えることにした。
半裸で痛々しい肩と顔が剥き出しのままというわけにいかないので、室内を探検する。
「すごいな、これは……」
室内はアウララのお気に入りの宝がこれでもかと居並ぶ。絵画に陶磁器、工芸品、宝飾品。
他にも有名スポーツ選手のサイン入りの道具まで。
ミスペンの目には飾る価値があるのかも不明なものが半分以上を占めた。
部屋の端にあるクローゼットを開けると、いかにも高級そうな服の数々。
フォーマルなジャケットやスーツ、カジュアルなTシャツにベスト、他にも服とすら思えないような奇抜なものまでズラリ。
ただ問題は、あの白い生物に合う服しかないこと。丈が短すぎるし、そもそもズボンがない。
アウララの姿を思い出すと、裸に青いジャケットを羽織っているだけ。足が短いから何も履く必要がないということだろうが、人間はそうはいかない。
部屋の中にはタンスのような棚もあった。開けると、中は色とりどりの布がギッシリ。
肌触りのいい反物のような大きな布が、巻いた状態で納められていた。
「よし……」
ミスペンの表情が緩む。服そのものを入手できないとなると、この反物を使うしかない。
とりあえず服を着ている状態になりさえすれば、この謎めいた場所から離れられる。
一番肌触りがいいと感じた紫色を選び、布の片端を踏みつけておいて、左手を使って上半身に巻きつけた。
余った部分に左手をかざすと、手のひらから見えない風の刃が撃たれ、布が意のままに切れる。
紫の布はまだまだ余っているので、続いて顔の右半分にも布を巻いていく。布の端は左手をかざし、ターバンのように結んだ。
形はやや不格好だが、間に合わせにはちょうどいい。ちゃんとした服はこれから用意しよう。
あの世紀の大泥棒などと名乗る厄介な生物、アウララが戻ってくる前に脱出しなければ。部屋のカーテンを指でわずかに開け、隙間から外を見る。
その時、ミスペンは息を呑んだ。外には、想像もしたことがない光景が広がっていた。
窓から見える景色は、黒っぽい地味な色彩の四角い建築物で埋まっていた。空すら見えない。
建築物の壁は、木でも石でもレンガでもない。ダークグレー一色で、境目もない。見たこともない材質だった。
『ここは何階だ?』という疑問がミスペンの中に生じた。だが、直後に彼が下に視線を落とすと、何階かなどという話ではない、もっと大きな疑問が彼を襲った。
下には、どこまでも続く深淵のような真っ黒い場所があった。その上を、先ほどのアウララと同じような生物が何人か歩いていた。
白い生物は、本当に人間と変わらない様子で黒い場所を歩き、互いにすれ違っていた。
彼は思わずカーテンを閉めた。
「ここは……? ここは、なんだ?」ミスペンはつぶやいた。「まさかとは思うが、あの世……なのか? それとも、夢……」
しばらく経つとまた、床に置かれた手鏡がピカッと光る。
「なんだ!?」
光はすぐに消えた。彼は手鏡のところまで来て、見下ろす。
そのとき、この手鏡には不気味な何かが映っていた。真っ黒な中に、赤と緑色の点が、夜空の星のようにいくつも、次々現れては消えていたのだ。
『なんだこれは――』感嘆を発しようと彼が口を開いたところ、彼のほんの2メートル先で白い光の塊が出現した。
「何っ!?」
それが収まると、銀髪の小柄な少女が床にドンと尻餅をついた。
ミスペンよりもかなり小柄で、まさしく少女という言葉がふさわしいが、しかし明らかに普通の少女ではない。というのも、彼女は鎧を着ていたのだ。
半端な鎧ではない。一瞬見るだにそれが豪華で、かつ雄々しい飾りに富んだものだと認識できるほどだった。
そして、彼女の手には背丈にも匹敵する大きな鎌が握られていた。柄も刃も、鎧同様に美しい装飾が施されているが、弓形に湾曲した刃はカミソリのように薄く、鋭かった。
両者は口を開いたまま、見つめ合った。それは1秒ほどだったかもしれないが、2人にとってはとても長い時間に思えた。
ミスペンがこの少女に声を掛けようと口を開いた瞬間、それに反応するように少女は立ち上がった。
「くっ!」
息を吸い込むような小さな声を発しながら、彼女は手に持つ大鎌を振りかぶった。
そしてミスペンに向かって振り下ろそうとした瞬間、彼は左手のひらをこの謎の少女にかざし、念じた。
瞬間、少女の動きが完全に止まった。
「んぐっ……!?」
少女は驚いた顔つきに変わって、小さなうめき声を発する。動きたくても動けないらしい。
ここで、部屋のドアが開いた。アウララだ。彼は盆の上に酒らしきビンと、グラス1個が乗ったものを運んでいたが、慌てて床に置く。
「おいおいおい! コラ。また増えたな! 変な生き物がよぉ。って……うわぁ! オイ!」
彼はミスペンのそばまで来た。
「その服、なんだよ! 覚えてるぞコラ! 盗ってもバレねぇと思ったか? ティク・ダールギ染めってんだよ。でっけぇ美術館から盗ってきたんだからな! お前みてぇな生き物が適当にグルグル巻きにしやがって。物の価値もわかんねぇ奴がよぉ!」
ミスペンはアウララにも手を向けると、彼は泡を噴いて床に転がる。アウララは幸せそうな顔で「おたからみつけたー」とうわごとを言っている。
一方の少女はというと、未だ大鎌を振り上げた体勢のまま動けずにいた。
この突然入ってきてわめき散らし、ミスペンによって気絶させられた白い生物を見て、とても衝撃を受けているようだ。
ミスペンは彼女に近づき、話しかけた。
「悪いが、私は術士だ。中でも一番得意なのが、精神操作だ。言わなくてもわかるか? 君は今、首から上しか動かせない」
少女はミスペンをにらみつけ、言った。「許さない。こんなことして! 殺してやる!」
彼はこの少女の顔つきをよく見た。敵意を目一杯こちらに向けてはいるが、元の顔つきは子供そのもの。
どうやらこの子は、何か事情があって幼くも重装備に身を固め、こんな大きな得物を振るって戦わざるを得なくなったのだろう。
ミスペンはそのように想像し、顔つきが少し優しくなった。
「別に、君に何かする気はない」
ミスペンは少女に言う。
「ただ、お互い生き残るために手を組みたいだけだ」
「生き残る? あんたと? どうして!」
少女の威勢は変わらない。
「ここは……おかしな場所だ。君も私も、変な場所に来たらしい。何が起きたのか調べないと」
「そうやって騙す気でしょう。私をこんなとこに入れて。獄卒の手先!」
「ごくそつ?」
ミスペンは、少女が何を言っているのかわからないという顔をした。それが意外だったらしく、少女はぽかんとして黙る。するとミスペンは続けた。
「いいか。少し混乱してるみたいだが、私は君の敵じゃない。ただ、味方になるかどうかは、君次第ということだ」
するとまた少女はいきり立つ。
「こんな術使っといて、よくもそんなことを! あたしが誰か知ってたら、絶対こんなことできない!」
「君が誰なのか、話してくれるのか?」
ミスペンの問いに、少女は『しまった』という顔をして視線を逸らす。
「話したくないならいいが、君こそ攻撃する相手は選んだほうがいい。状況をよくみるんだ。今、君が何をするべきか。少なくとも今、私は君をどうにでもできるわけだし、逆に君が私を信用してくれるなら、すぐに術は解こう」
少女は迷っているようだった。ミスペンは続ける。
「もう一度言う。君が何者かはこの際どうでもいい。どこの出身で何をしてたかは、ここでは関係ない。どうやらこの場所は、あんな生き物ばかりらしいからね」
そう言ってミスペンは床の上のアウララを指す。アウララはまだ泡を噴いたまま、「宝石、くれ~」とうわごとを言っていた。
少女は指された方向に目をやり、改めて見たことのない生物を前に、顔つきを歪める。
「こいつ……何?」少女の口調には嫌悪がにじみ出ていた。
「先ほど、この部屋の外を見たんだが……ああいう生き物がたくさんいた。このあたりの人間は、もしかすると我々だけかもしれない。同じ人間同士、とりあえず今は手を組まない理由はないだろう?」
少女は悔しそうに「わかった。手を組む……」と答えた。
「頼むぞ、君みたいな女の子と殺し合いをするのはごめんだ」
ミスペンは少女にかけた精神操作を解く。少女は一旦安心した顔をしてから、それを男に見られたくないのか、表情を引き締め直した。
そして大鎌を背中の鞘に収めつつも、再び敵意のこもったまなざしを男に向ける。
その敵意を理解しつつ、諭すようにミスペンは名乗る。
「私の名前はミスペン・キヴァンロ。君は?」
「あなたを信頼したわけじゃない」と、少女はしかめ面で腕を組んだ。
ミスペンは「そうか」と言い、床にあぐらをかいた。
「私は少し休まないと。身体がこんな状態だからね」
少女はミスペンの姿を、警戒するように見ながら訪ねる。
「その怪我は?」
「ずいぶんやられたな。回復術を知らなかったら死んでた。いや、もう死んでるのかな?」
「まさか……こいつに?」少女は床で泡を噴いているアウララを指差す。
「いや。この怪我はここに来る前だ。戦ったこともないような強敵だった。こんなに血を流したのは10年振りか……。あれは絶対に死ぬ状況だったんだ。なのに、一体何が起きたのか。目の前が真っ白になって……気がついたらここにいたんだ。だから、私はここはあの世じゃないかと思ってるんだが」
少女は愕然とした顔をして「あの世……?」とつぶやく。
「私の故郷の人に伝えても信じないだろうね。まさか死んだら、白い小さな生き物ばかりの場所に飛ばされるなんて。でも、どうせあの世に行くなら五体満足がよかったんだが」
「ここが、あの世? こんな場所が?」
信じられないという表情で、少女は自分の手と周囲を交互に見ている。
「はっきりしたことは何もわからない」
「あの生き物は?」少女はアウララを指差す。
「あいつは、話に聞いたことすらもない生き物だ。アウララというらしい。どうも、泥棒だそうだ。そういえば……」
ミスペンは立ち上がると、アウララの横に落ちているピストルを慎重に拾う。
そして、それを自分の体から遠ざけるようにして、それでいて落とさないように気を遣いながら持った。
さらに彼は言う。
「君がここに来る少し前、アウララはこれを私に向けて、殺すと言った。これが何かはわからないが、どうも少し操作すると相手を殺せるらしい」
少女はそのミスペンの言葉に警戒を強め、背中の大鎌の柄に片手を掛ける。
「おいおい、私は何もしないぞ。大体、これの使い方も知らないしな」
「そんなこと言って、油断させるつもりでしょう」
「君を殺すつもりなら、とっくにやってるぞ。こんな物を使う必要はない。というより……私は無闇に人を襲うようなことはしない。『それ』から手を離すんだ」
少女の表情は警戒したままだが、手は背中から少しずつ離れた。
「よし。じゃあ、こういう危ないものは見つかりにくい場所に隠すとしよう」
ミスペンはピストルを、部屋の隅に置いてある派手な口の広い壺の中まで腕を入れ、静かに置いた。
「あの世なのに、あいつ、あなたを殺そうとしたの?」少女が指摘する。
「ここはあの世じゃないのかもしれないな」ミスペンが答える。
「だとしたら……? 一体ここはどこだっていうの?」
「もっと調べないとわからない」
少女はアウララを指して言う。
「こいつを殺したほうが早いんじゃないの?」
「まだ生かしておこう。情報を取れるかもしれない。それに……見た目は可愛いだろう?」
少女はアウララを見て、しかめ面で言った。
「こいつ、あなたを殺そうとしたんじゃないの?」
「だが、精神操作すればいい話だ。もっとこの部屋を調べないとな。その辺にあるのは何かわからない物ばかりだし、部屋の外の景色も妙だ。見てみろ」と、カーテンを指差した。
「外に何があるの?」
「驚くぞ。大丈夫だ、私は何もしない」
少女はミスペンを警戒するようにひとにらみしてから、窓の横からカーテンを少し開き、外を見た。
周囲の建物もミスペンや少女が知っている景色とまったく異なり、四角い地味なデザインの高層建築が並ぶ。
「なっ……何、ここ! 気持ちが悪い!」
ミスぺン自身も窓の反対側からカーテンを少し開けて外を見た。
ちょうど、真下の路地を四角い鋼鉄の塊が走り抜けるところだった。ブロロロ……小さくエンジン音が聞こえてくる。
「何度見ても……現実とは思えないな」
少女が眺めていると、下の真っ黒い道で白い生物がちょうど見上げており、目が合った。
「あいつ、何?」白い生物を見下ろしたまま、少女は言った。
「あまり姿を見られないほうがいいかもしれない」ミスペンが答える。
「どうして?」
「先ほど、アウララは私の後ろにいきなり現れた。そんな力を、あの生き物は全員持ってるのかも知れない」
「後ろに……?」
「注意したほうがいいだろう」
2人は外を見るのをやめ、カーテンを閉めた。
今度は部屋の天井に吊り下げられている、白い光を発する輪っか状の物体に着目した。それはいわゆる蛍光灯だが、2人にとっては初めて見るものだ。
「これも、何?」
ミスペンは手を近づけ、この白い輪が熱を持っていることを確認した。
「熱い。触れないほうがよさそうだ」
「術具?」
「そうかもしれない」
ミスペンは少女の顔を見て、額や鼻の横、顎などいくつか細かい切り傷があることに気づいた。
少し血がにじんでいる程度の浅い傷で、まだ負って間もないようだ。
「お、君も怪我をしてるぞ」
「えっ?」
彼は少女の顔に手をかざしたが、彼女は無言でそれを払いのける。
「回復しようとしたんだが?」
「そんなこと言って、また何かする気でしょ」
「別に、回復してほしくないというならいいが」
ここで少女は、何かに気づいたらしい。
「え……? 怪我? 待って」
少女は自分の顔に触れ、「あーっ!!」と叫んだ。
ミスペンは突然の大声に少し驚き、「なんだ、どうした?」と後退する。
「か、か……兜!!」少女は顔をぺたぺた両手で触りながら、パニックになっている。
「兜?」
「兜がないと。もう、兜はどこ!」
少女はパニック状態で、周囲に飾ってある盗品を物色し始めた。
コーン型の角が生えた金色の兜を手に取ると、白い生物の体格に合わせて作られているらしく、小さすぎて入らない。
「もーっ!」と彼女は床に投げ捨てる。
今度は部屋の隅に置いてある青い大きな箱まで走り、拾い上げる。それはなんの変哲もない、プラスティック製のゴミ箱だ。
中に入れてあった紙のゴミやビンなどをすべて外に出してから被るが、それは単なるゴミ箱なので穴が開いておらず、何も見えない。
しかもサイズが必要以上にぴったりで、外そうとしても外れない。
「んー! もぉー!」少女は何度も跳ねながら、外そうと頑張っている。
「そんなに顔を隠したいのか?」ミスペンは軽く笑いながら言った。
「外れない、もう、外れない!」
ミスペンが手伝って少女の顔から箱を外す。少女は腹いせに、思い切り箱を床にガンと叩きつけた。
プラスティック製のゴミ箱は軽快に跳ね、寝ているアウララに当たってその近くに落ちた。それでも彼に変化はなく、「うあー、掛け軸~」とうわごとを言っている。
少女は懲りずに室内を探し、顔を隠せるものを見つけようとしているが、見つからない。
「君は元々、兜を被ってたのか」ミスペンが訊く。
「当たり前でしょ。頭が一番大事じゃないの」
「顔は出してもいいんじゃないか? なかなか可愛いと思うんだが」
少女は怒りの目でミスペンをにらみ、歯を剥き出しにして「あなたが口を出すことじゃない!」とはっきりした発音で拒むと、被れそうな物の探索を再開した。
ミスペンはそれを見て少し苦笑いすると、この建物全体を調べることにした。
部屋を出る彼の背中を、ターニャは目で追っていた。口をへの字に曲げ、警戒の中に少し別の感情が混じったような、何か言いたげな顔で。