第1話 ジーラ・ヴェイラの地下秘密施設
ユウトがレサニーグ村を追放されてから何日が経っただろう。
20日、それとも30日か。
まったく別の場所で、巨大な異変の端緒が開こうとしていた。
そこは真っ暗に近い、古く澱んだ空気の満ちる空間。
誰も立ち入らぬ、否、立ち入れぬはずの地下秘密施設で、けたたましくサイレンが鳴り響いていた。
コンクリートで覆われた暗い廊下を、光の群れが走る。
身長1m前後という小柄で真っ白い、猫に似た生物が20人ほど、隊列を組んで施設内をひた走っていた。
彼らは黒い服で身を包み、頭に被った小さな帽子には煌々と光るヘッドライト。
白い生物の群れの先頭を走る者は、険しい顔をしてトランシーバーのような端末を片手にわめく。
「聞こえるか、第7小隊、ならびに第9小隊! 奴は第3層にいる! 応答しろ、そっちの状況は!?」
トランシーバーから返ってくる声が、彼の表情をより厳しくさせる。
「……いない!? 馬鹿な。第3層のどこかにいるはずだ!」
その後ろを走る白い生物はどれも息を切らし、先頭の彼に追いつくのがやっとだった。
集団の前から二番目を走る者がいかにも必死の形相をして、高い声で先頭に呼びかける。
「ガルトナウ、警部補……あの……はぁ……」
「どうした、メネズ!」
先頭の人物が肩越しに名を呼ぶ。
「あの、はぁ……はぁ見え、はぁ、あぁ……!」
「どうした、何があった!」
「見え、ました! 見えましたぁ!」
声を裏返らせながら、メネズは必死に何かを伝えようとするが、見えたということを伝えるのがやっとだ。
「何が見えた? 早く言え!」
「ガルトナウ警部補、止まりましょう。限界です!」
メネズの後ろから、別の白い生物が言った。
「まったくだらしない! 全員、止まれ!」
集団は止まった。ガルトナウ以外は肩で息をしている。地面に座り込んでいる者も少なくなかった。
「はぁ、はぁ……」
「おい、メネズ。何が見えた?」
「アウララは、今……第4層にいます!」
「なっ、なんだと! いつの間に!」
「あいつ、速すぎます!」
「メネズ、よく確かめろ。お前のスペークスでしか奴の居場所がわからないんだ。本当に第4層に行ったのか? どうやって!」
メネズと呼ばれた副官らしき白い生物は、他の部下同様息が切れている。
「はぁ……はぁ……」
後ろの列から、メネズとは別の白い生物が言う。
「あれだけ走って、息が切れないの……ガルトナウさんだけです」
「ボーダロン! 鍛錬が足らんぞ! いや、そんなことはどうでもいい。第3層には第4から第10小隊までが待機してるはず! ジーラ・ヴェイラ警察の精鋭が100人以上いるんだ。奴のスペークスを止められる者はいたはずだ!」
「しかし、事実としてアウララは……」
「奴のあの『透過』がそんなにも強力だというのか!? あり得ん! 連携して当たれば必ず対処できるはずだ!」
「あっ、あ……!」
メネズが焦ったような声を発する。
「どうした?」
「アウララは、今……第5層に到達しました」メネズ
「もう!?」
「あいつ、どうやって!?」
「あり得ん、そんなことは不可能のはずだ。第4層にはスペークスを遮断する装置があったはず。入った時点で奴は何もできなくなるはずだ! もしその装置を破壊すれば、即座に高熱によってフロア全体が蒸し焼きになる!」
「あの、お聞き下さい」メネズが説明する。「アウララは銃でスペークス遮断装置を破壊した後、高熱が出る直前に『透過』を使い、第5層に移動したようです」
ガルトナウ警部補は絶句した。他の部下も、お手上げという顔をしている。
「仕掛けの情報が漏れているのか……?」
「諦めるな! 走れ! まだ間に合う!」
「いや、ここ、第2層ですよ? 第5層にはエジタフ係長の第1小隊がいますから、お任せしたほうが」
「まだだ! やれないことはない! 走れ! 下を向くな!」
「うぅぅ……」メネズは力を使ったこともあり、とても苦しそうだ。
「頑張りましょ、メネズさん」
「はぁぁぁ……」メネズは長い息を吐いた。
この地下秘密施設で最も深くにあるのが第5層。
上層の慌ただしさが嘘のように、口笛を吹きながら、真っ暗な廊下を悠々と歩く者がいた。
頭には彼を追跡している者達と同じ、ヘッドライトつきの帽子。
「余裕だな。余裕過ぎるぜ。あんなもんでオレ様を止められると思ったのかよ? トラップもイマイチ、警察は数ばっかり多い無能ども。ちょっとは楽しませろよな」
部屋の奥へ歩いていくと、突き当りには巨大な扉が待っていた。
近づくと、扉に突然大量の記号が浮かぶ。何百、何千という見たこともない複雑な記号が、各々好き勝手に扉の中で踊っていた。
扉の前の床には100個以上のボタンがついている。ここまで侵入してきた者に対し、最後にその頭脳を試そうというのだろう。
まともに解けば何年かかるかわからないが、この男なら突破は一瞬だ。
「こんなの誰が付き合うんだよ、ええ? 暇な奴が作ったんだろうな」
言い終わるとともに、彼の姿が一瞬で、霧のように消失した。
そして彼の身体は、巨大な扉を抜けた先に出現する。
そこは、不思議なことに洞窟のようになっていた。
遠くで水滴が落ちる音が断続的に響いてくる。
最初にこの場所が発見されてから、一切手つかずのように見える。
そんな自然そのままの洞窟を進んでいくと、やがて似つかわしくない品が落ちているのを発見し、彼はニヤリと笑った。
「あれが、例の品か」
彼は帽子のヘッドライトの向きを手で調節し、目標の物を照らす。
それは、洞窟の端に置かれた銀色の手鏡。
箱などに入っているわけでもないし、仕掛けらしきものもない。あまりにも無造作で、誰かの忘れ物かと思ってしまう。
しかし、こんな場所にわざわざ手鏡を忘れる者がいるだろうか?
一歩一歩それに近づきながら、彼はつぶやいた。
「滅びをもたらす、呪われた手鏡か……そんなの、嘘に決まってるぜ。オレ様が確かめてやる」
鏡に近づく。当然ながら自分の顔が映った。
ヘッドライトが鏡に反射し、まばゆく光る。そしてアウララの背後にある、茶色い岩の壁も照らしている。
「ただの鏡じゃねーか」
彼は手鏡の持ち手を横から指でつまみ、これを拾おうとした。だが岩に張りついているのか、びくともしない。
「はぁ?」
彼は同じようにして、何度か手鏡を持ち上げようと試みた。何度試しても、びくともしない。
まさか。彼の心に焦りの感情が走る。こんな場所まで来て、手ぶらで帰るのか。もう一度手鏡を持とうとしてみる。
すると、今まで頑として動かなかったのが何かの間違いかのように、今度はすんなりと持ち手の下に指が入った。
手鏡を持ち上げた彼は、再びニヤリと笑った。
「なんだよ……びっくりさせやがって」
しかし、少し視線を外してから手鏡に戻した彼は、何かがおかしいと気づく。
「ん?」
真っ暗な洞窟で、頭のライトだけが頼りだ。彼はよく手鏡を見た。
さっきまで自分の顔と、照り返すライトの光だけが映っていたはずだ。
なのに、今は何も映っていなかった。単なる銀色の板に変わっていたのだ。
「は? 一体……」
彼の感嘆に答えるかのように、鏡にはあるはずのないものが映った。
中央に黒い丸、そしてその周囲には銅がさびたような、薄い青緑色のひものようなものが細かく、うねうねと動いている。
「のわっ!!」
アウララは思わず手鏡を放り投げてしまう。ガランカランと、金属にしては明るく軽快な音でそれは転がった。
「のっ、呪いってこういうことか?」
しかし、不敵な笑みに変わった。
「……面白ぇじゃねーか」
彼は手鏡を再び拾い上げる。
「おい、オレ様を呪ってみろよ。クソ手鏡が」
挑発したが、何も起こらない。鏡の模様も一切変わらなかった。うねうね動くだけだ。
「ハッ! ただのドッキリグッズか? 期待外れだな」
するとアウララの背後で、ゴトゴトと重量物が移動しているらしい音がした。
ほどなく、鈍重な音でもって、あの大層な仕掛けが搭載された扉が開く。
せわしない足音が響いて、多くのヘッドライトが洞窟を照らす。
集団の先頭に立つ者が言った。
「アウララ! ここにいるのはわかってる。お前のスペークスは使えないぞ!」
返事はない。その声は何度も洞窟の中を反響した。
「誰もいません!」
「アウララは? ここにいるはずですが」
集団は奥まで進み、そしてここで起きたことに気づく。
「あぁ……!!」
「ない!」
「ありません、エジタフ係長! どこにも!」
「なんということだ。ああ……! こんなことになるとは!」
「奴が、よりにもよってあの……」
「ああ。我々はまたしても、奴に盗まれたんだ……それも、一番奴の手に渡ってはならないものを!」
「係長、諦めてはいけません。追跡部隊が奴を追いかけてくれてます!」
エジタフ係長は顔を上げる。
「そうだな。我々はやれることをやった。今は奇跡を信じるしかない」