第14話 平和な朝
それから、さらにまた時が過ぎた。
ユウトはもはや、レサニーグに来てからの日数をまったく覚えていなかった。
彼はすっかり村の一員となり、家には連日駆け出しの冒険者が押しかけるようになっていた。
ある日、ユウトは自分の名を呼ぶ声で目覚めた。
目を開けると周囲でいつもの面子が動き回っていた。
「ユウトー! 起きてユウト!」
ピーマンがユウトの腹の上に乗り、ぴょんぴょん跳ねる。
「うぐっ、おいっ……! コモ! お、重い……ちょっ、どけ……」
ユウトはコモという名のピーマンの腰を両手でつかみ、床に下ろした。
しかし直後、右腕にやたらと重い何かが巻きつき、ぎゅーっと締めつけられる。
見ると茶色い網目模様の鱗だらけの縄みたいなものが、いつの間にかユウトの肩から手首までにぐるぐる巻きついていた。
こんなことをやるのはひとりしかいない。
「シュケリ!」
名を呼ぶと、大蛇の顔が「えへへへー」と笑いながらユウトの首元からにゅっと顔の前に飛び出し、ユウトは顔を逸らす。
「うわ! 近ぇ……お前、腕が痛ぇんだって!」
左手の指を、蛇と右腕の間に食い込ませた。
シュケリは諦めてベッドに下り、床に移ってとぐろを巻いた。
そして一息つこうとしたユウトの目の前に、小さな金槌がブンと振り下ろされた。
「うおあっ!」
顔を上げると二足歩行のシマウマが、ニコニコしながらハンマーを握っていた。
「ユウトー! 武器の振り方、これでいい?」
楽しそうにシマウマはハンマーを雑に振り回す。
「ちょっ、顔の前で振るな! エイウェン! 危ねぇから!」
その横でパイナップルのラースラーノは、ささやくような声で「ユウトさん、昨日ルーポ倒せたよ」と冒険の報告をする。
「マジで? 怪我しなかったか?」
「無理だろ。お前、冒険者になったばっかなんだから」
シマウマのエイウェンが否定する。
「ルーポだったら、ボク、10匹倒せるよ」
ピーマンのコモも自信を見せた。
「えー! コモは無理でしょ」
シュケリが言う。
「お前こそ何匹倒せるんだよ?」
「私は20匹倒せるよ!」
床の上でとぐろを巻いた大蛇のシュケリが、首を伸ばして続く。
「20匹も倒せるか? みんな全員同じようなもんだろ?」
と、ユウト。
「本当に倒せるのにー」
シュケリは先の分かれた舌をのぞかせる。否定されたまま話に入れず、ラースラーノは黙ってしょんぼりしてしまった。
「ラースラーノ、大丈夫だよ。そんな落ち込むなよ」
ユウトがフォローすると、「うん」とラースラーノは答えた。少し元気が出たようだ。
「ラースラーノも強くなるよね!」シュケリも続く。
「だな。全員一緒ぐらいだからな」
「みんな一緒に強くなろうよ」
ピーマンのコモはユウトの目の前まで来てジャンプする。
「ねえユウト、漫画読んでよ」と彼は要求してきた。
「えー? 漫画? もういいよ、何が書いてあるかわかんないんだから」シュケリは難色を示す。
「冒険行こうよー」エイウェンもドアに目をやって出発を促した。
コモは周囲の不評も聞かず、ベッドの脇に置いてあるスポーツバッグから、勝手に漫画を一冊出してユウトの前に置いた。
世界初の自動車なのではと思ってしまうほど古い、とても味のあるデザインの車が描かれた表紙には『稗己屋ソニックロア』というロゴが躍る。
ユウトが特に好きな作品の中のひとつだが、それにしても、まさかこの世界の住人のお気に入りに最初に選ばれたのが走り屋の漫画とは予想していなかった。
コモは毎日のように、これを読むようせがんでくるのだ。
仕方なく、ユウトは適当なページを開いた。
一台のスポーツカーが山林の細い道を信じられない速度で駆けていく場面だ。
表紙に描かれているのとは似ても似つかない現代的なマシンだ。
流麗でありながらワイルドさも持ち合わせたエクステリアのこの車のコクピットでは、男が狂気的な笑みを浮かべ、車内で大きな独り言を叫んでいる。
「オレが馬路村最速なんだよォ! わかったかぁ!」
ユウトは、男の台詞として書かれているその言葉を読んだ。
決して演技は上手くないが、一応この男になりきっているつもりで。
「オレのマシンは最新型、440馬力のツインターボだ。それにひきかえあいつのマシンは30年前のオンボロ! 負けるわけがねぇ!」
大きな独り言を続けながら、男は素早いシフトワークと的確なペダル操作によって後輪をスライドさせ、美しい軌道のドリフトを繰り返して連続コーナーを次々とクリアする。
その間も彼は狂気の笑みを崩さない。
「ヒャッハハ! あいつ、見えてるか? 見えてねぇだろうなぁ! それともとっくにブッ壊れてるかぁ?」
だが、視線をかすかに上に移した彼の表情が曇る。
「何っ……?」
男がバックミラーの中に見つけたのは、間違いなく、それだ。
山林に映える一台の車。彼の対戦相手のマシンだ。
「あいつ……なんだと!? オレの走りに、どうやって!?」
見間違いではない。しかも、ミラーの中の影は次第に大きくなってくる。余裕だった男に焦りが混じってくる。
「あの野郎、50年前のオンボロでどうしてオレについて来れる! あんなスピードが出るエンジンじゃねぇはずだ!」
しかしここで、彼はまた狂気的な笑みを取り戻す。
「だが、終わりだ。オンボロじゃ、あんな走りにゃ耐えられねぇ! 奴のタイヤも、エンジンも限界寸前のはずだ。一気に振り切るぜ!」
彼は片足でアクセル、ブレーキの両ペダルを操るヒール・アンド・トウを巧みに使って速度制御しつつ、再び軽やかなシフトワークを見せた。
マシンのテールは実に華麗に壁際すれすれを流れていく。
右、左とドリフトを繰り返し、ヘアピンを抜け、そして、向かった先には一台の軽トラが!
「のああぁぁ!!」
馬路村最速の男の顔が、恐怖に染まる。
軽トラとスポーツカーは、今まさに正面衝突をしようとして――
その時だった。ユウトの目の前に突然大蛇の顔が現れる。
「うわあ!」
「ねえ、もう行こうよ! ユウト!」
「なんで邪魔するんだよ、シュケリ」
コモは小声で文句を言ってシュケリをにらんだ。
「なんかこの人、ずっとゴチャゴチャ言ってるけど、よくわかんない」
シュケリはつまらなさそうに言った。馬路村最速の男も、この大蛇の前では単なるうるさい人間でしかないのだろう。
「どうして! すごく速いのに!」
「速いの? 全然動いてないのに」
シュケリは、漫画の登場人物だから、そもそも動いていないと言いたいのだろう。
「もう冒険行こう」
エイウェンは床に座り、退屈そうにしている。
「しょうがねぇな。今日はここまで」
ユウトは『稗己屋ソニックロア』を閉じて、スポーツバッグに戻した。
「ちぇー。わかった」
「ちょっと準備するから」
「よーし! 行くぞぉ! いっぱいやっつけるよ」シマウマのエイウェンは嬉しそうだ。
「エクジースティが出ちゃったらどうする?」とシュケリ。
ユウトは答える、
「そんな遠くには行かねぇよ。とりあえず酒場行くか。メシにしねーと」
「やったねー!」とシュケリはユウトに巻きつく。
「うっ……あのな、シュケリ」
「何?」
「巻きつくのはいいけど、自分の体重、自分で支えろよ」
「えー? どういうこと?」
「もー、お腹減ったー!」シマウマのエイウェンは腹を押さえている。
「あ、写真撮ってよ」コモが言った。
「いいねー!」
「撮って! 撮って!」ジャンプしまくるエイウェン。
「写真? しょうがねぇな。でも、電池もあんま余裕ねーし」
ユウトは口では渋りながらも、電池節約のため普段は切っているスマホの電源ボタンを長押しした。
「でんちって何?」コモが訊く。
ユウトは説明が面倒なので「なんでもない」と答えた。
「どういうことー?」
「わかった、じゃあ撮るから待ってて」
「はーい!」
電源がついた。ユウトは眠そうな顔のままカメラアプリを起動し、満面の笑みの4人を画角に収めて音量ボタンを押す。
シャッター音。
電池残量は25%。そろそろまた充電のために、矢掛に戻らなくては――と思ってから、いや待てと思い出す。
もう戻らないことにしたんだ。またあの時のシュケリみたいに気まずいことになる。
じゃあ、スマホは諦めないといけないのだろうか。
それでもいいのかもしれない。彼はもう、この村で手に入るものだけで十分だと思い始めていた。
ともかく家を出て、酒場に向けてワイワイと進む一行。
子分のようになった者達と楽しそうに行動するユウトを、大木の下で横目に見ている2人がいた。