第26話 二次会
パフィオの家でミスペンは、夫婦に異世界に来てからの思い出を語って聞かせた。思い出といっても、『手鏡』によって彼が見たこともない場所に飛ばされてからほんの3日間のことでしかないのだが、その間に出会った人々はみな個性に溢れ、話題は尽きなかった。
パフィオやユウト、ドーペント、ターニャ……特に、先ほどスカーロの宝物を散々奪って消えたアウララの話に、夫婦はいたく惹かれたようで、目を輝かせていた。それはリラやロテ、リムナルスにとっても同じだったようだ。
何かにつけてケチをつけたがるパーダルすらも、リムナルスに羽交い締めにされたまま、黙って話を聞いていた。もっとも、彼にとってはリラとともに元の世界へ戻るために、彼の知らない奇妙な『島』と、そこに暮らす『未確認種族』の情報を得ることが重要なのだろうが。
ミスペンが話をしている最中、いつの間にか村のスカーロがどんどんパフィオの家に集まってきた。気づけば居間には村のスカーロが何十人も輪をつくり、ミスペンの話を聞くことになった。パフィオが村の人々に愛されていたのがよくわかる。行方不明になって久しい彼女の武勇伝に、皆興味津々だった。もちろん、アウララの話にも。宴の際に食べ残された料理や酒も持ち込まれ、二次会の様相を呈した。
時刻は深夜に及び、ついにミスペンの話題が尽きてしまう。無尽蔵の体力を持つスカーロ達はまったく満足しておらず、おかわりを求めたので、今度はロテが身の上話をしようとした。しかし自分の世界の情報を漏らしたくないパーダルがこれを阻止しようとして、話を聞きたくてたまらないスカーロ達とトラブルになりかけたので、ミスペンは急遽その場のスカーロ達を精神操作で帰宅させ、ついでにパフィオの両親もベッドに連れて行って眠らせ、二次会を強引に終わらせた。
居間には食べかけの料理と酒の山が残され、それぞれの匂いが風通しの悪い石の家の中で混ざりあ合い、むっとするハーモニーを鼻に押し込んでくる。
「うーん……なんだか、お祭りでしたね」リラは疲労と眠気で、今にも目が閉じそうだった。
「ったく、俺ぁまだ全然喋るつもりだったんだけどな、パーダルさんよ。合成獣ハンターがいかにクソな仕事かをスカーロどもに教えるには朝まで掛かるぜ」
「いずれスカーロどもが我々の島に現れる日が来ないとは限らん。もしここで我々の情報をひとつでも与えてみろ。結果としてその情報の分だけ、罪のない市民が犠牲になる」
「はいはい、たいした危機管理能力だぜ。何人かヤベェ奴もいるけど、スカーロってのは単純馬鹿で面白い奴らじゃねぇか。どうせ大した敵じゃねぇよ」
「優しくて、楽しい人達でした……」リラは今にも夢の世界に行きそうだ。
「リラさん、奴らに心を許せばどうなるかわからない。とにかく、ご家族のもとへ帰ることが最優先だ」
「あっ……はい……」
「リラちゃん、もう寝てもいいぜ」
「いや……もうちょっと……」リラはこくりこくりとしている。
「で、ところでよ……ミスペンの旦那。さっきもアウララって奴の話してたけど、結局あいつ何者なんだ? まだピンと来ねぇぜ」
「残念だが、謎が多すぎる。私にもわからないことは多い」ミスペンは答えた。
「ミスペン」パーダルが尋ねてくる。「アウララが言っていたスペークスとのようななんだ? お前は他のスペークスをみたことがあるのか?」
「いや、わからない。ただ、あいつがさっき言ってたことを考えると、アウララの持ってるスペークスは、あの生き物全体の中でもかなり強いのではと思う」
「そのくらいしかわからんか……」
「あんなのまで絡んでくるとはなぁ。どこの世界から来たか知らねぇけど、とっとと帰ってくれって話だぜ」
「奴らの世界の中でも強いスペークス……か」
「あの透明になってんの、どういう仕組みなんだ? 光学迷彩とかじゃねぇのか?」
「こうがく……?」
ロテが言った言葉をそのままつぶやくミスペン。すると、もう眠ったかと思われたリラの目が突然パチッと開く。
「光学迷彩というのは、周囲の景色に同化する、あるいは光を回折させるなどの方法により、他者からの視認を防ぐ技術のことをいいます。自然界なら保護色による擬態、人工物なら対象の表面に映像投影するか、もしくは再帰性反射材やメタマテリアルといった素材を使い、光の反射や屈折の方向を適切に操れば実現可能ですが、看破する手段も豊富に存在します」
その説明の間、時間が止まったかのようになった。微妙な空気が流れ、全員適当な方向を見つめていた。
「リラちゃん……寝てていいぜ」
「あ……ごめんなさい。皆さん、話してらっしゃったのに」
「いいや。尊敬するぜ、オレにはどうやっても無理だからな。マジ天才だよ、でも寝たほうがいいぜ? どっか寝れるとこに連れてってやろうか」
ロテが立ち上がってリラに近づくが、パーダルも立ち上がって彼をにらむ。
「お前の汚い手を決してつけるな」
「はいはい、冗談だよ。きれいなきれいな分隊長様」ロテはしっかりと皮肉を込めて言った。
「でも、眠いんですけど、ずっと考えてました。アウララがいなくなったり出てきたりする仕組みは、なんなんでしょうか? スキャンしてもわかりませんでしたし……どこに秘密があるんでしょう」
「あのアウララが使っているのは、決して光学迷彩などではない。存在そのものが消滅し、また出現しているようだ」
「やっぱりそうなんですか? それって、物理的に出たり消えたりするってことですか?」
「そうだ。仕組みは解明できない。そのうえ、消えた時とは別の場所で再び出現することもできる。消えている間の位置は特定不能だ」
「それってなんだ? お手上げってことか?」ロテが訊いた。
「シミュレーションを使い、対策を計算中だ」
「本当に役に立つのかね、シミュレーションはよぉ」
「お前が疑問を持つまでもない。数々の任務で信頼性は実証済みだ」
その会話の間、リラはうつむいて何か考え込みながらぶつぶつ言っている。
「……存在そのものが消滅? そんな……あり得ない。そんなことあるわけが。一体どうやって? まさか、じゃあ、一瞬で素粒子レベルまで分解したり、元に戻ったりしてる? そんなまさか……」
「リラちゃん、どうした?」
「いえ。あの泥棒について考えてました」
「リラさん。奴がもし素粒子になっていたとしても、スキャンすればわかるはずだ。残念だが、それすらも確認できなかった」
「そりゅうし?」
「素粒子は物質を構成する最小単位です。フェルミ粒子とボース粒子に分かれているとされ、それぞれについてさらに細かい分類が――」
「おい、もういいってリラちゃん。頭いいのはわかったから。その講義されたら、オレらが先に寝ちまうぞ」
「あぁ、ごめんなさい……どうしても癖で」
「アウララがそんな難しいモノに変わったのか?」ミスペンが訊いた。
「要するに、わたしはアウララが目に見えないくらい小さい粒になったんじゃないかって考えてたんです。でも、そうじゃないみたいですね。どういうことなんでしょう? 完全に消滅してるんですか? だとしたら、どうやって喋ってるんでしょうか。声帯だって消えてるはずですよね」
「残念ながら、不明だ」パーダルは苦しそうに答えた。
「どこか別の場所に移動してて、スピーカーか何かで遠くから声を伝えてる可能性は……」
「もちろんその可能性も考えてある。だが、私の装甲には指向性マイクが内蔵されている。そんなスピーカーがもしあったとすれば、音波の発生源を突き止められるはずだ。残念ながら、奴の声はどこでもない空間から発せられている」
「どこでもない空間って、マジかよ! んな、オカルトかよ」
「ああ……そういうことなんですか……。だからあの人、科学をくだらないって言ったんでしょうか?」
「おかしなことばっか起こるぜ。最高だな! 異世界ってのは。最高にクソだぜ。透明のままミスペンをボコボコにしたのが一番気になるけどな、一体どんな手品を使ったんだ?」
「詳細は不明だが……ミスペン、お前が殴られた時の状況をスキャンしていた。どうも、ナラムの身体ように軟らかいものでかなり強く殴られたような跡がある」
「ナラムというと……」
「わたしのように軟らかい種族です」リラが答えた。
「アウララに触ったことはないが、奴が直接私を殴ったのかも知れないな。奴は軟らかそうだ」
「あり得るな」
「でも、物理的に存在してない状態なのに素手で殴ったってことは、何かトリックがあるはず……」
「視覚、心理、どのような手段にせよ錯覚を利用して魔法のように見せるトリックはすべてスキャンで見抜けるはずだ。それが不可能となると……いや、考えられん。私も、何か種があるはずだとみている」
「そうですよね」
「もうひとつ大事なことは――」ロテがその場にいる3人を順番に見て言う。「多分あいつ、やろうと思えばあの場にいた連中皆殺しにできたはずなのに、やらなかったってことだな。恨みがあるミスペンすら殺さなかった」
「確かに! どうしてなんでしょう?」
「奴は安全な立場に身を置かなければ行動できない小心者だ。殺す勇気もないのだろう」
「そうかもしれないですね」
「どうかな……。それよりも、『楽しませてもらう』っつってたのが気になるぜ」
「そういえば、ロテさんは昔窃盗団にいらっしゃったとか……」
「おい、リラちゃんまでオレの過去をほじくり返すわけか?」
「いえ、そういうんじゃないんですけど、でもそういう方なら泥棒をする人の気持ちがわかるのかもしれない、と……」
「そういうことか。残念ながらオレはチームの中でも用心棒だったから、直接盗むのはほとんどやってねぇんだ。でも、そうだな。一応ワルだった経験から言うなら、『世紀の大泥棒』とかほざいて、盗品ジャラジャラつけてアピールする野郎は、ただ目立ちたいだけだから、殺すまでやる必要がねぇんだろうな。あいつは透明になって一方的にやりたい放題やれるから厄介ってだけで、やってること自体は煙草吸うガキみてぇなもんだ。背伸びしたいってとこだろ」
「なるほど、すごい分析ですね」
「一理あるか……」
「構ってほしいだけってことでしょうか?」
「そうかもよ。案外、コーニルスちゃんあたりがハグしてやったら、ピタッと盗むのやめたりしてな」
「だといいんですけど……」
ミスペンは室内の天井を見上げ、尋ねた。
「どう思う? アウララ」
「えっ? ここに、いるんですか?」
「可能性はある」
「へへ……参ったな。もしあいつが聞いてたら、オレもボコボコだぜ」
だが、待てどもアウララの声はまったく聞こえない。
「いないのか?」
「ふーっ、一安心だな」
「どこで聞いてるかわからないと思ったら、本当に怖いですね。好きなことも言えません」
「でも、パーダルのおっさんだって似たようなもんだろ。好きなだけスキャンできるし、指向性マイクも持ってる」
「私の持っている機能は市民の安全のためにのみ使用される」
「問題は『市民』の範囲が狭いってのと、その機能を使う本人が石頭ってことなんだよな」
「永久にお前の武器を返さないままでもいいんだが」
「ほら見ろ! このおっさん、自分にすり寄ってくる奴だけしか『市民』と認めねーんだぜ」
「ロテ、この人とは少しくらい上手く付き合ってもいいと思うぞ」
「ミスペンさんよ、あんたも権力にゴマ擦るタイプか?」
「そこまではしたくないが……とりあえず、今のところ我々は、離れられないらしい」
「それも今夜までだ」パーダルが答えた。「今日のところは仕方がない。だが、私は明日には必ずここを離れる。ヴァンミン島に帰る手段が確立できない以上、リラさんの安全確保が最優先だ」
「村にいたらいいんじゃねぇの?」
「リムナルスもトージュルスも危険すぎる」
「だから、リムナルスとあんたがずっとイチャイチャしときゃ問題ねぇだろ」
「貴様、誰がイチャイチャなどと!!」
パーダルとロテが終わりのない口論を続けるのを聞きながら、ミスペンは目を閉じた。まったくおかしな巡り合わせだ。一体今日はなんだったのだろう? この先どうなるのか予想もつかないが、きっと今後もにぎやかな日々が続くに違いない。
ただ、目を閉じながらもミスペンは、なかなか眠れなかった。ひとつの疑問が彼の胸の中で重石となっていた。
『あの世界は、なんだったのだろう?』
ターニャ、パフィオ、クイ。短い間とはいえ、ともに旅した仲間はあの奇怪な世界に残されたままだ。それとも、自分がここに来るのと同じタイミングで、さらに別のどこかに飛ばされたのか? きっと、そうであってほしい。
ダールに捕らえられた彼らが、もしあのままだったとしたらどうなるのだろう。ダールはパーダルのような奴ばかりに違いない。身の毛もよだつような目に遭っていないだろうか。パーダルは知っているのかも知れないが、もちろん訊いたところで答えるはずもない。
だが、きっと『手鏡』はすべてを見ている。でなければこんな場所に飛ばしてくるはずがない。ユウトやドーペント、テテ……他のはぐれた仲間もだ。きっと何か意味があって、どこかに飛ばされている。あるいは、今もプルイーリにいるのか?
そしてミスペンは感じた。何が起きているのかを本当に問うべき相手はパーダルではなく、『手鏡』なのだ。それは直接言葉を発しないが、代わりに、真実を知っている誰かと引き合わせてくるはずだ。それは明日か、それとももっと先か。
奇妙な世界の連中とこれからも一緒にいることになるのかはわからない。だが、明日やるべきことは決まっていた。
プルイーリに行かなければ。誰かが待っているはずだ。