第25話 祭りの後
スカーロはしばらく大泥棒に向かって騒ぎ続けた。ほとんどは幼稚な暴言を浴びせるばかりで、中には彼の良心に訴えかけるように涙ながらに友情の大切さを伝えるコーニルスのような者もいたが、アウララには響いていないのか、それとももう彼はここにいないのか。返事は一切なかった。
やがてスカーロ達は諦めて、アウララへの抗議と説得をやめた。クフェルスの上に乗った者達も、ひとりずつどいていった。
「いやー、重かったな」
「お前だよ。お前、俺より上にいたろ」
「あれ? そうだっけ?」
上のほうにいたスカーロ達は適当なことを喋りながら、離れていく。続いて、下のほうにいたネモフルス、キンギルス、トージュルスが次々クフェルスから離れ、地面に立つ。トージュルスはクフェルスの下をのぞき込んでミスペンの様子を確認した。
「おいミスペン、大丈夫か? 潰れてないか?」
「ああ、君達のおかげだ。ありがとう」ミスペンはクフェルスの下から答える。
「かつおだしのおかげで、泥棒逃げてったな。やっぱりかつおだしは世界で一番美味いぞ!」
「お前がずっと言ってるかつおだしって、そんなに万能なのかよ?」ロテが小さく突っ込んだ。
「そうだぞ!」トージュルスはロテに答える。「決まってるだろ、魚! なんたって世界で一番美味いんだからな!」
「かつおだしのおかげで泥棒が逃げたとか言ったの、なんだよ?」
「そんなこと言ったか?」
「適当な奴だな……」
そんな会話の中、最後にクフェルスがとうとう自分の役割が終わったと感じたのか、ミスペンの上から離れて地面にちょこんと座り、地面に寝転んでいる彼の顔をひとなめした。
「ああ……ありがとう」ミスペンは上体を起こし、土の上に座った。
友達のコーニルスとリムナルスが駆け寄る。
「クフェルス、すごいよ! ミスペンさんを守ったんだよ」
「もぉー、心配したー!」リムナルスはまだ泣いていた。
そしてネモフルスがそれに続く。
「クフェルス、君は本当に根性があるよ」ネモフルスはニッコリ笑っていた。「大の大人がこれだけたくさん乗っても、まったく根を上げることもないとは」
クフェルスはいつも通り無表情で「んー」と返した。抑揚のない、機械のような返事だった。上に大勢のスカーロが乗っていた時はあんなに苦しそうにしていたのに、もう呼吸は安定し、普段通りになっていた。
さて、そうして平和が戻ったマルシャンテ村。クフェルスの下で寝転がっていたミスペンも自由に動けるようになったはずなのだが、しかし彼は地面に座ったまま動かなかった。殴られた傷の回復はとうに終わっていた。彼は落胆で動けなかったのだ。
彼は服越しに土の冷たさを感じながら、あの大泥棒を始末できるときにどうして始末しなかったのかと悔やんでいた。奴は予想していたより、はるかに危険な存在だ。
アウララと初めて会った日、彼を殺さなかったのは『手鏡』の機能停止を恐れたからだ。『手鏡』の正体がわかっていない中、もしその活動が止まるようなことがあると、彼自身やターニャが正体のはっきりしない場所に取り残されてしまう危険があったからだ。しかし、その後始まったのはユウトやドーペントをはじめとする気のいい奴らと一緒の、快適な冒険者としての生活だ。結果的には、洞窟に飛ばされた時点でアウララを始末しておいても、きっと問題はなかったのだ。
判断を誤ったことで、『手鏡』はこうして別の世界の者まで異郷に飛ばしてしまうことになり、持ち主であるアウララもまた、この世界の不治の病のような存在となってしまうのかも知れない。悔やんでも後の祭りだ。
最初にミスペンを守るため覆いかぶさったクフェルスは、スカーロ達が離れた今も彼の前で座っている。ミスペンの苦悩を理解してくれようとしているのか、彼女はミスペンの顔を正面からしっかりと見つめ、そしてもう一度顔をなめてくれた。
「わかった、ありがとう」ミスペンがクフェルスの手を握ると、彼女はまた「んー」と返した。
「ねえミスペンさん、大変だったよね。怖かったよね」コーニルスが涙目で寄ってきて、。
「なんとか、大丈夫だ」
「本当に怖かった。もう、どうしようって思った! 今日、寝れない!」リムナルスはまだ泣いている。
「お前って、そんな感じなのになんで怖がりなんだ?」
「そんな感じって何? 怖いもんは怖いよ!」
コーニルスはミスペンに「痛いの、とんでけー」とおまじないをしてくれた。もう回復は終わっているのでおまじないは必要ないが、その優しさに心は温かくなった。
ミスペンを守っていた他のスカーロも、近寄ってきて心配してくれる。
「おいミスペン!」キンギルスが言った。「バイカルスさんのために作った薬がいっぱい余ってるんだ。今から持ってきてやる」
「いいや、もう回復した。気遣いありがとう」
近くで、リムナルスの兄のトージュルスだろうか、飛び上がってわめいている。
「本当に悪い奴だ! みんなの宝物を盗むなんて信じられない! パフィオペルスのネックレスまで盗むなんて!」
「あの、ね……。パフィオペルス、あのネックレスは大事なものだから、外に持って行って無くすのが嫌だから部屋に置いてるって言ってたんだ」
「パフィオペルス、そんなこと言ってたのか!?」トージュルスが大げさに声を張り上げた。
「うん」
「なんだって? ますます許せないぞ、泥棒め!」トージュルスは両拳を高く挙げる。
「しかし……あのアウララという生き物は、不思議なことを言っていた」
「本当か? ネモフルス。何言ってたっけ」
「本当に友達か……などと言っていたはずだ」
「確かに不思議だ」
「ミスペン。あんなのでたらめだろ?」キンギルスが訊いた。
「そうだ。そもそも奴は村の皆の宝を奪った悪党だ。話をわざわざ聞いてやる筋合いもない」
「そうだな。きっと考え過ぎだぞ、ネモフルス」
「ミスペンさん、あなたは本当にパフィオペルスの友達よね?」バイカルスが訊いた。
「もちろん」
パフィオの友達かと訊かれれば、否定する理由はない。ただ、アウララはこの村でミスペン一行がやったことを知っているのだ。最初から見ていた、と言っていた。
詳細は不明だ。奴はどうしてここにいたのだろう? もしかすると、アウララもミスペン達と同様にパーダル達のは不明だ。あるいは、『手鏡』によってミスペン達がここに送り込まれることをあらかじめ知っていたのか? ――だが、アウララ自身は自分がここに送られることを知らなかったようだ。パーダル達のことも知っていれば、ジャナなど盗める物はいくらでもあったはずなのに、そうしなかった。やはりパーダル達、例の世界の住人については知らないとみるべきなのか。
考えてもわからないし、今後、彼がどう動くつもりなのかもまったく予想がつかない。
その会話のそばで、スカーロ達はひとりふたりと家に帰っていく。口々に、思い思い話しながら。
「なんだよあの白いの……」
「ふざけんなよ! あの指輪がなかったら、明日から何を眺めて生きたらいいんだよ」
「もう最悪! コップ盗まれたまんまなのに! どうしよう? 本当に最悪!」
「あんな泥棒、滑って転んじゃえばいいのに」
「泥棒はきっと地面の下にいるんだ。穴を掘ったら見つかるぞ」
「お餅食べよう」
大泥棒アウララの乱入によって、宴の華やかな、楽しい雰囲気はぶち壊しになった。その場に残るスカーロ達は残った料理を食べ、酒を飲んでいるが、表情は曇っており、半ば残飯処理のようだった。
トージュルスがミスペンの至近距離で手を振る。
「じゃあな! 俺はアウララにうちのドアとか天井盗られたら困るから、帰るぞ!」
彼は非現実的な速さで走り出し、あっという間に闇へと消えた。
「なんだよアイツ。石の塊なんか誰が盗るんだよ」ロテが白い眼をして吐き捨てる。
「石の塊に見えても、スカーロの人達にとっては大事なんだと思います」リラがフォローした。
「だから、あのクソ泥棒にとっちゃ石の塊だから、盗らねぇだろって話だよ」
「そうですね……」
いつまでも地面に座って後悔しているわけにもいかない。ミスペンは立ち上がった。
「災難だったな、旦那」ロテも苦笑しながら言葉を掛けてくる。「どうしようもねぇ奴に目ェつけられちまったな」
「まったくだ」
「さて……どうする?」
「お前達とは今度こそお別れだ。私はリラさんをなんとしてもご家族のもとに送り届ける」
「そうかい。わかってんのか? 向こうに帰る方法」
「救難信号は出し続けている。これを誰かが拾ってくれるのを待つだけだ」
「無理な気がするけどな」
「なぜだ?」
「『手鏡』なんだろ、これ。ここがミスペンの旦那が言う通りの別の世界なら、そんなの届かねーぜ」
「まだ言うか、貴様。そのような言説は信用に値しない!」
「逆に、この期に及んでも信じねぇんだな、あんた。石頭だよなぁ」
「その言葉、今すぐお前を射殺する理由には十分だぞ」
「射殺ってお前……そうだ! 銃、返せ!」
「ここで射殺すれば返す必要はないな」
「リラさんが怖がってる。とりあえず、今はやめてくれないか?」と、ミスペンが控えめに止めた。
「リラさんをダシに使うとはな……」
「別れるのはいいが、これからどうするんだ? もう夜だし、どこで寝るつもりなんだ?」
「お前が知る必要はない」
「ダールのおっさん1人だけならどこへでも好きにしやがれって話なんだけどよ、リラちゃんと一緒にいるつもりなんだろ? おっさんと女の子2人だけでどうする気なんだよ」
「私はダール隊員だ。市民を守らなくてはならない」
「そういう問題じゃねぇ」
「サバイバルの知識、技術、経験は万全だ。リラさんの心配をしているのかも知れんが、私はシミュレーション機能によってあらゆる種類の危険に備えている。猛獣や悪人の襲撃、水や食料の確保、その他諸々。お前ごときが想像する程度のことはとうに計算済みだ」
「そういう問題じゃねぇっつってんだろ。おっさんと女の子が2人きりでサバイバルする状況が不自然だって話してんだよ」
すると、先ほどまでは離れたところで見ていたスカーロの男が話しかけてくる。パフィオの父、ビスカルスだ。
「君達、本当に大変だったな。妻が世話になって、さらには泥棒にも狙われて……」
「そうだな、あなた方も気の毒だった」
「ここまで世話になった。もう遅いし、せっかくだから泊っていってくれ。パフィオペルスや、君達についての話も聞きたい」
「いいのか?」
「もちろんだ。私にとっては娘と妻の恩人なんだから」
「よし、それならお言葉に甘えよう」
ミスペンはビスカルスについていく。ロテもその後を追う。そしてリラはついて行きたそうにパーダルをチラチラ見ている。
「駄目だ、リラさん」
ロテは振り返って、呆れ顔で言う。
「おい、リラちゃんに野宿させる気か?」
「貴様のような危険な男と同じ家で一夜を過ごさせるよりはマシだ」
「どこで寝る気だよ? 安全なとこが都合よくあると思ってんのか?」
「貴様が知る必要はない」
「おいリラちゃん、オレと行こうぜ。どうせ石頭は未確認種族の家に泊りたくねぇってんだろ。コイツと一緒にいたら、君まで石頭になっちまう」
「なんだと……」
「あんたには言ってねーよ、オレはリラちゃんに言ったんだ。お別れなんだろ? サバイバル能力だかなんだかでうまく生き延びりゃいいじゃねーか。お前独りでな」
「私には、善良な市民を不穏分子や未確認種族から守る責務がある。お前がどうなろうが関係ないが、リラさんを間違った道へ誘い込むのは見過ごせん」
「間違った道に誘い込もうとしてんのはどっちなんだろうなぁ?」
目の前でロテとパーダルが言い合いを始めたので、キンギルスは困ってしまった。
「ああ、君達……別に無理に連れて行こうというつもりはないんだ」
「あー! おじさん、いた!」リムナルスの声がするとともに、恐るべき速さで走ってくる。
「やめろ、来るな!」
パーダルは近づいてきたリムナルスを迎え撃つようにして、全身のパーツから多量のワイヤーを出して縛るが、そんなものは関係ないとばかりにリムナルスはパーダルに抱きついた。
「おっ、リムナルスか。せっかくだから、君もうちに来ないか? 宴のご飯の残りもある」
「うわー、やったぁ!」
リムナルスはパーダルを抱え上げ、勝手にパフィオの家へと走っていった。
「放せえええぇぇぇぇ!!」夜の村に、パーダルの必死な声が響いた。
「おや、パーダルさんも連れて行ってしまった。まあいいか……」キンギルスは苦笑する。
「やはり、こうなるんだな」
「オレらはもうこの村の一員ってこった。ハハハハ」
「パーダルさん、やっぱりちょっと可哀想ですけど……でも、これで全員一緒ですね」