第22話 異変
酒を飲み、飲ませ、談笑し、時にケンカしながら、個性的な丼に舌鼓を打つ。奇妙な村の奇妙な宴は、このまま夜更けまで続いていくかと思われた。
だが、それはある一声で破られた。
「大変だぁー!!」
男の声が、宴の空気をつんざく。皆、静かになって声のほうを見た。スカーロの男がパニック状態で、走り回りながら訴えている。
「ない。指輪が! ないんだ、なくなった! 大変だ、大変だぞー!」
村のスカーロ達は、走り回る彼の周囲に集まった。そして彼を囲み、口々に尋ねる。
「えーっ!?」
「指輪?」
「本当か?」
「どうした?」
指輪がなくなったという男は答える。
「物を取りに家に帰ったんだ。そしたら、うちの大事なフローライトの指輪がないんだ!」
「マジかよ!」
「泥棒かも」
「泥棒!? 一体誰なんだ!」
「そりゃ大変だぁ!」
しかし、ある冷静なひとりが「お前、よく無くすだろ」と言った。それで、場は一旦静かになった。
「そういえばそうだったな」
「なーんだ」
指輪を失った男も「そうかもな。うわ、無くしたのかよ……」と、落ち着いた上で落胆している。
「探したら見つかるって」
そこにスカーロの女性がひとり、感情的に嘆きながら皆のもとに戻って来る。
「ちょっと聞いて! ねえどうしよう、本当にどうしよう! もう駄目!」女性は頭を抱えて、でたらめに歩き回っている。
他のスカーロが彼女の周りにぞろぞろ集まる。
「どうしたんだよ」
「あのね、大事なコップなくなっちゃった。大事なの、弟にもらったのに。どうしよう、もう駄目!」
「落ち着けよ」
「えーどうしよう! 盗られちゃったの? どうしよう! トパーズがはめこんであったの。大事なのに!」
「お前も無くしたんだよ」
「無くしてない! だってずっとテーブルに置いてあったのに。なくなるわけない!」
「盗られたんだよ。泥棒だ!」
「誰!? 誰が盗ったの!? テーブルの上に置いてあったのに! どうしよう! もう本当に駄目! あれがないと駄目なのに!」女性は大声でわめきながら、その場に座り込んでしまった。
そうして2人が騒いだおかげで、他のスカーロ達も不安を煽られた。
「なんか、俺も盗られたような気がしてきたぞ」
「俺の大事な100人掛けの椅子、盗られてないかな」
村人達は持ち物が盗まれていないか確かめるため、ひとり、またひとりと帰宅していった。そして、ほどなく村中で悲鳴が次々と上がる。
「うちも盗られてる!」
「あぁー! 腕輪がー!」
そして彼らと同じように一度帰宅したビスカルスも、肩を落としてパーダル達の前に戻ってきた。
「どうしたの? あなた」
「それが、パフィオペルスの、ネックレスが……」
「なんだと!?」
「ネックレスが、無いの?」
ビスカルスは何も言わず、苦しそうにうなずいた。バイカルスは「ああ!」と口を手で押さえて涙ぐむ。
「やっぱり泥棒か! パフィオペルスの宝物まで盗むなんて、許せないぞ!」トージュルスは両拳を天に突き上げた。
「どうしましょう、こんなことになるなんて」バイカルスは泣き出した。「あの子がいなくなってから、あの子の部屋はそのままにしてたのに。あのネックレスも! あれはパフィオペルスの、本当に大事な宝物よ。あのガーネットのネックレスは、本当に大事にしてたのに!」
「泣かないで下さい、奥さん」
パーダルが慰めるが、それが聞こえないかのように彼女は取り乱した。
「ああ……! あの子がいなくなって、ネックレスまで無くなったら……もう……」
バイカルスは泣き崩れ、その場に膝をついた。ビスカルスは何も言わず、彼女の肩に手を置いた。
ここにスカーロ3人娘が来る。彼女らに混じり、ミスペンもいた。
「ねえビスカルスさん、バイカルスさん。ミスペンさん連れて来たよ」
「ああ、ミスペンさん!」バイカルスは涙で濡れた顔を上げる。「どうしましょう、パフィオペルスのネックレスが!」
「盗まれたんですか?」
「他の物はまったく手つかずだった。ネックレスだけがなくなってたんだ」
ミスペンは思い出した。パーダルに指示され、ロテとリラがいる部屋に突入した時のこと。あの部屋の机の上に、赤い宝石のついたネックレスがあったのだ。宝石は小粒で、ネックレス本体は家具などと同じ灰色の石でつくられており、決して値の張るような代物ではない。ただ、両親にとって大切な娘の品なのは間違いないことだ。
「どういうことなんでしょう? パフィオペルスのネックレス、今までずっとあの場所に置いてたのに。誰にも盗まれたりなんかしなかったのに!」
その時、老人の声がした。
「あぁー、大変なことなってしもうたぁー。何をお前ら、いつまでも宴なんぞしとるか。それどころじゃないわ」
それはスカーロの年老いた男だ。頭に4本の角を持ち、身長だけは他のスカーロの男と遜色ない彼は、しかし年齢から脚の力は衰えているらしい。石の杖を振り上げながら、よたよた歩いてくる。
老人の出現に際し、村人の表情は総じて晴れないものだった。
「あっ、長老!」
「長老、様……だ」
「うわぁ……」
いつもは自由な言動ばかりのスカーロ達が、明らかに何かに気を遣っているらしい。どうもこの長老らしき老人はあまり尊敬されていないようだ。
ビスカルスは、仕方ないという感情を若干露わにしつつ、長老に近づいて話しかける。
「長老、宴には参加されないと思っておりましたが」
「何言うとるか!」長老はキンギルスに杖を振り上げた。「そうやってワシを年寄り扱いしよるんか! あぁん!?」
「そういうわけではありませんが……」
「ありませんが、なんじゃ! ありませんがどういうことなんじゃ。こんなよそ者まで呼んで来よってからに……なんじゃこいつらは!」長老はパーダルとリラをにらみつけ、杖を向ける。「こんなんが来るから、泥棒なんぞしよるんじゃろうが! ワシの家の大事な壺がなくなってしもうた!」
「あのサファイアの壺が!?」
「ワシの家内が作った大事な壺、誰が盗んだ? あぁ? こいつらしかおらんぞ、よそ者が!」
「違います、この人達は妻の病気を治して下さった優しい人達です」
ビスカルスが言った。一応、病気を治したのはキンギルスを中心に調合した薬のはずなのだが、なぜかミスペン達がバイカルスを治したことになっている。
「こんなんが病気を? あぁん? なんでこんなよそ者がビスカルスの病気なんぞ治すんか、くだらん。こいつらが泥棒に決まっとろうが」
「違います、長老」
ビスカルスに耳を貸さず、老人はパーダルとリラに近寄っていった。「んん? お前か? ワシの壺盗ったんだろうが。えぇ?」
「落ち着いてほしい」パーダル長老に答える。「私は罪人を捕らえる立場だ、自ら罪を犯すことは決してない」
「なんかややこしいこと言いよるな。んん? 年寄りだからお前も馬鹿にしとんか。ややこしいこと言うたら、理解できんと思うとるか。ようわからんなって、それで許してもらえる思うとるんか?」
「長老、落ち着いて下さい」
ビスカルスに言われてもなおも聞かず、長老は今度はミスペンをにらみつける。
「あん? なんじゃお前。角はどうした」
「私は角はないが、パフィオペルスの仲間だ」ミスペンは答えた。
「んん? パフィオペルス? あんなんはもううちの村民じゃないわ。勝手にどっか行きよってからに、何年も帰ってこん。あんなもんの仲間なんぞ、知らんわ」
ミスペンは若干、天を仰いだ。この御仁も曲者らしい。他のスカーロ達がいる中ではあるが、うまく精神操作でどうにかしたほうがいいかもしれない。
長老の剣幕に、周囲のスカーロ達は少しずつ
「長老もあんな風に言ってるし、本当にあいつらが盗んだのか?」
「あいつらってバイカルスさんの病気治したって言ってたけど、確かに実際治したとこは、俺見てないぞ」
「私も見てない」
「そうだな、本当は治してないのかもな」
「お前が見てなくても、この人達が治したんだ」
「じゃあ治した後で盗んだのか?」
「違う、盗んでない!」
ここでネモフルスはいぶかしみながら「ミスペン君」と呼んだ。「君を疑いたくはないんだが、そういえばバイカルスは『泥棒』と言っていたね?」
「ん!?」
「違う、それはバイカルスさんの勘違いだ!」
「そうよね? パフィオペルスの友達で、こんなに優しいミスペンさんが、泥棒のはずないわよね……」
「ああ、すまない。考え過ぎのようだ」
ここで、「ねー」と遠くから子どもの声がする。「泥棒の犯人連れて来たよ」
「なんだと! 犯人!?」
「ほれ見たことか、やっぱりよそ者がやったんだろうが!」
子どもに脇を抱えられるようにして連れてこられたのは、ロテだった。
「違うっつってんだろ! オレじゃねーよ!」ロテは怒声を上げながら暴れている。
「んん? 盗んだんか、お前」
「盗んでねぇっつってんだろ! なんだよ、いつ盗んだってんだ。こいつらに訊いてみろ、ずっと周りにいたんだからな」
ロテは首の動きで周囲の子らを示す。しかし残念ながら彼は長老と相性がよくないらしい。
「お前……なんじゃその喋り方は」
「あぁ?」
「お前ワシを馬鹿にしとるんか。アリーアごときがワシらスカーロを馬鹿にしよるんか。身の程知らずが、誰がここの長かわからんのか。アリーアごときが! 殴ったるわ!」
「おやめ下さい長老!」
長老ひとりがいるばかりに、このままでは泥棒騒ぎも解決しようがない。ミスペンは仕方なく、この厄介な老人にほんの一瞬だけ左手のひらを向ける。その間に彼に精神操作を掛け、すぐに解除した。その一瞬だけでも長老は意識を失いかけ、膝から崩れそうになった。意識がはっきり戻ってきた時、彼は何に怒っていたのかなどすっかり忘れていた。
「んっ……なんじゃ、今すごくサルタンテが飲みたい気がするわ。サルタンテを持ってこんか!」
周囲のスカーロが、明らかに嫌々ではあるが、その辺からサルタンテが入ったコップを持ってきて長老に渡し始めた。老いてはいてもさすがにスカーロには変わりなく、長老は恐るべき速さでコップを次々と空にした。
スカーロは安心して、長老から離れた場所で愚痴を言い始める。
「ふーっ、長老には困ったもんだよ」
「宴はあいつなしでやろうと思ってたのにな」
「ちょっと、聞こえるよ?」
「飲むのに夢中だから大丈夫だよ」
ミスペンは彼らに近づいた。
「ひとつ訊きたいんだが、泥棒の姿を誰か見たのか?」
「誰か見たかって……?」
「いや、俺は見てない」
「私も見てないよ」
そこでミスペンは切り出す。
「実は、私には心当たりがある」
「心当たりだって? 本当か?」
「そうだ。姿を消せる泥棒を、私はひとり知ってる」
ここでトージュルスが、異様な大声で反応した。
「えーっ! 本当か!! 泥棒が誰か、知ってんのか!!」
「ちょっと声が大きい、長老が来ちゃうでしょ」
案の定、長老が酒を飲むのをやめ、ミスペンの前まで歩いてくる。
「なんじゃお前は。泥棒を知っとる? あの魚がやったんだろうが! んん? それか、お前か? 自分がやったの隠すために嘘ついとるんか!」
「長老、サルタンテはまだまだあります」
「酒なんぞ要らんわ、白状せぇ! 泥棒だろうが!」
「ミスペンさんじゃないよ。わたし達と一緒にいたから」
「そうだよー!」
「じゃあ魚か? ワシらの宝奪って楽しいんか! あぁん?」
「ロテ君も違う。僕らと話してたんだ」
「そうだぞ、この魚はおれがサルタンテを飲ましてやったんだ」
「それは関係ねぇけどな」
「お前らじゃろうが!」
「パーダル君とリラちゃんは、私達と一緒にいました。長老、犯人は彼らではないです」
「何を! じゃあ誰がやったんな!」
「それはミスペンが知ってるという話です」
「嘘ついとるに決まっとるわ!」
「でも、ミスペンさんはバイカルスさんの病気を治してくれた優しい人で……」
「そんなん知らん! お前ら、こいつらの肩持つんか! んなもんはこの村におることないわ、要らん! 出てけ!」
「長老、それでは村のほとんどの人がいなくなります」
「あぁ!? なんでほとんどおらんようなるんじゃ。こいつらアリーアどもの肩持ちよってからに! お前らなんぞスカーロじゃないわ!」
長老が杖を振り上げ、近くにいるスカーロの頭を殴ろうとした時。彼は膝から崩れ落ちた。地面に大の字に倒れ、「この国はワシのもんだぁー」と寝言を始めた。ミスペンはこの老人に向けられていた手のひらをさりげなく裏返した。
「あっ、長老……」
「どうしたんでしょうか、長老は」
ミスペンは「酒が回ったらしい」とごまかす。
「でも、長老はすごく酒に強いんだけど」
「年だからじゃないか?」
「そうだな、怒ると頭に血が上るし、酒もより回ったんだろう」ミスペンは適当に言った。それでスカーロ達は安心して、一様に笑顔を見せ始める。
「いやー、助かったね。理由はよくわからないけど、長老は寝てくれたほうが話が簡単で済む」
「長老はいつもこうなのか?」
「普段は家の中で寝てるんだ。でも、時々外に出てきて、ちょっとしたことで怒るんだよ」
キンギルスは長老のそばまで行ってしゃがむと、その身体を軽々持ち上げた。
「長老をどうするんだ?」
「長老の家まで連れて行ってやらないとな」
そう言って、早歩きで向かった。
「それで、ミスペン。泥棒に心当たりがあるって言ったけど?」
「ああ。少し時間が欲しい」
「何をするんだ?」
ミスペンはスカーロ達から少し離れた場所まで歩き、誰もいない夜空に向け、ここにいないはずの人物に呼びかけた。
「アウララ! いるなら姿を見せろ!」
これに周囲のスカーロはざわつく。
「アウララだと?」
「誰だそりゃ?」
「アリーアの名前か?」
ミスペンがそれに答えようとした時だった。彼の後ろ、集団から少し離れた位置から声がする。
「馬鹿がよ。こんなことでいちいち騒ぎやがって」
このいかにも悪童らしい声。間違いない。