第18話 マルシャンテの宴
宴が始まる頃には、すっかり夜になっていた。それでもマルシャンテ村は多くのスカーロが動き回り、様々な物を運んだりと作業をこなしていた。キンギルスの病気が治った記念の宴のためだ。
いつもはほとんど何も考えていないようなスカーロ達が、宴となると別人のように連携のとれた動きで準備を進めていく。男達は各々、家から大量のテーブルを外に運び出し、村の女性達が山のように料理を作る。アキーリで見たような群青色の灯りが村のそこかしこに灯り始め、村の住人も、岩塊のような巨大な家々も、その光に照らされる。村中から知らないスカーロが大勢集まっており、その数は子どもからお年寄りまで100人を超えていた。
男達はテーブルを運び終えた者から順に、まだ料理もできていないのに酒をがぶ飲みし、身内のどうでもいい失敗や好きな食べ物、今彼らが飲んでいる酒の話などで盛り上がった。その周りで、事情も何も知らないのだろう村の子どもが、そこらを10人ほど走り回っていた。子どもといってもスカーロなので、人間でいえば立派な大人の体格の持ち主ばかり。
ミスペンは初め『スカーロは酒を飲んだらあんな大の大人でもわいわい騒ぎながら集団で走っているのか』と勘違いしたほどだ。彼らの幼い顔つきと高い声、そしてスカーロの大人との会話から、ようやく彼らが子どもだとわかったのだ。
人間の子供が遊ぶのと同じだと思ってはならない。スカーロなので走るのも異様に速い。大人でさえ能天気なのだから、子どものスカーロが賢いはずがない。その体重と速度、子どもならではの向こう見ずな勢いでもってテーブルに突っ込んで豪快に倒しては大人に怒られている。そして解放されると、また走り回ってテーブルを倒し、再び大人に怒られるのを繰り返しているのだ。
ガターン! ガターン! スカーロの子どもが準備の邪魔をする音がひっきりなしに繰り返されたが、そこはスカーロ、子どもが倒すことを初めから想定しているのか、それとも適当にただあるテーブルを運び出しただけなのかはわからないが、幸運なことにスカーロの適当さのおかげで、テーブルのほとんどは誰も使っていない、ただ置かれているだけのものだった。子どもの倒すテーブルは、倒しても倒さなくても変わらないから、倒されてもそのままになっている。
そんな光景を見ながら、ミスペンは石のコップになみなみと注がれた酒にひとつ口をつけた。美味い酒ならその光景も、これまでのゴタゴタもいい肴になるところだが、残念ながら顔をしかめざるを得ないものだった。
スカーロ伝統の酒は『サルタンテ』という名前らしい。風味は質の悪いウォッカといえば近いだろうか。初めは鋭い辛み、その後干からびた紅茶を思わせるような猛烈な雑味が襲ってくるという、かなり癖の強いものだった。ミスペンにかつて山の中で野宿した日々を思い起こさせる、木々や土の匂いに近い香りがある。酒の香りとしてはよくない。
しかし最大の特徴にして、最もスカーロらしい個性は度数の高さだろう。アルコール濃度を上げるという目的のためだけにこの酒を作ったと言われても信じるくらい強いし、他に魅力らしい魅力がない。
サルタンテを入れるのに使われる石のコップは、先ほどクフェルスがロテとリラに出したミックスジュースを入れるのに使ったよりも一回り大きい。これまたスカーロらしい大雑把なつくりで、そもそもの素材が重い石なのに、必要以上に大きく、分厚い。一応持ち手はついているが、ミスペンの前に出されたコップの持ち手はデコボコの突起だらけ。使っているうちに指から血が出てもおかしくない。
彼の横にはロテがいた。
「いやー、ミスペンさんのおかげで助かったぜ。一時はどうなることかと思ったけどな」
「そっちもクフェルスとかトージュルスに目をつけられて、大変だったみたいだな」ミスペンは答える。
「リラちゃんがトージュルスの奴に枕にされそうだったんだよ、やれやれだ」
「枕?」
「そうだぜ、ひでぇよな? いくらぷるぷるだからってよぉ。クフェルスが守ってくれたけどな」
ミスペンはリラの身体を思い浮かべた。確かに枕としては悪くないかもしれないが、ちょっとひどい話だ。
「そういやリラちゃん、今パーダルと一緒だよな。変な目に遭ってねぇかな……いや、その辺にトージュルスがいるからまだ大丈夫か」
そう言ってから、ロテはその大きな石のコップを傾け、酒を少し口に含んだ。あまり美味そうな顔ではない。
「お前は大丈夫か?」ミスペンが彼に訊く。
「なんとかな」ロテが答えた。
「いや、大丈夫というのはその酒のことも含めてだが」
「酒? 強いから大丈夫だ」
自信を露わにしていたロテだが、すぐに様子が変わる。
「あれ? あー……」彼はよろめき、テーブルに突っ伏した。「あぁぁぁ……駄目だ、コレ」
「大丈夫か?」ミスペンは彼の背中に手をかざし、回復しようとした。が、あまり効果はなかった。都合の悪いことに彼の回復術は酒酔いにはあまり効かない。イプサルでも実証済みだが、ここでも同じらしい。
「なんか一気に来るぜ、この酒。おい……治してくれ」
「すまん、傷は治せるが、酔いは覚ませないらしい」
「おい、マジかよ。肝心な時に……喉が焼けそうなのだけはマシになったけどよ」
そこにトージュルスが来る。
「あれ? お前、どうした?」
「彼は少し――」
ミスペンが言い終わる前に、トージュルスは勝手な思い込みをした。
「そうか、飲み足りないんだな? しょうがない奴だな!」
なんと、トージュルスはテーブルに突っ伏したロテの顎を強引に片手でつかみ、指で軽々と口を開かせた。魚人だけあってロテの口の中は短い牙でいっぱいだ。指に当たっているはずだが、スカーロの丈夫な指は痛みすらも感じないのか。そして彼はもう片方の手でコップを持ち、彼の口にサルタンテをドボドボと流し込む。
「あっ、がっ……ゴホッ! うえっ!」
「しっかり飲めよ!」
むせながらも、ロテは『酒が強い』という自覚ゆえのプライドだろうか、すべて飲み切った。そして、それが彼の限界のようだった。
「うぅぅぅ……クソがぁ……」
フラフラになって遠くの茂みに歩いていくロテ。彼の歩みは千鳥足どころでなく、蛇腹のように右、左と大きく乱れながら進んでいた。歩けているのが不思議なくらいだが、これも『酒が強い』というプライドゆえなのか。
「すっかりあいつもサルタンテを楽しんだな。これであいつは1500倍美味くなるぞ」
トージュルスはロテの背中を見て満足げに言ったが、ミスペンは嫌な予感を抱かないはずもなかった。
そして今度は、遠くからスカーロの男が大声を上げるのが聞こえる。
「おらぁ! 飲め、飲め!」
見ると、村の青年が何人か、同じようなやり方で年長者に強引に酒を飲まされていた。これがこの村の文化なのだろう。あるいはスカーロという種族全体がそうなのだろうか。いずれにせよ、おとなしい、人のいいスカーロ達が裏に持つ野性的な顔を垣間見た気がした。しかし酒は流し込むものではなく、ゆったりと香りや味を楽しみながら飲むものだと信じるミスペンは、そんな文化に巻き込まれるわけにはいかない。
ミスペンはその場から逃げるのとロテの介抱、2つの目的のため立ち上がった。トージュルスはもちろんそれを阻止しようとする。
「あ、ミスペン! お前、サルタンテいっぱい残ってるぞ。飲めないなんて言わせないからな」
トージュルスがミスペンの腕をつかもうとしたその瞬間。ミスペンがサッと彼に手のひらを向けると、トージュルスは意味不明な発言を始めた。
「どぅんどぅ~ん。かつおだし酒が飲みたいぞぉ~」
トージュルスは幸せそうな顔をしながら、その場でくるくる回り始めた。
いつの間にかミスペンの隣にいたヘリオトルスが、いつもの格好つけたポーズでつぶやいた。
「フッ。酒は天国と地獄の両方をもたらす……そういうことさ」
ミスペンはそれに答えている場合ではなかった。ロテが遠くでばったり倒れているのに気づいたからだ。