第13話 大蛇との秘密
目を開くと、木の天井がユウトを出迎えた。
少しホコリっぽく、薄汚れた空気に覚えがあった。
周囲を見回して、心底安堵する。あの、レサニーグの自宅だ。カバンも巻貝もすぐそばにある。
「よかった……」
つぶやいてから、心の中で『本当によかった』と何度も繰り返した。
だが、起き上がった彼の視界に意外なものが飛び込む。それは茶色い大蛇の顔。
「うわぁ!」
ユウトは驚いて跳ねそうになった。
大蛇は床に身体のほとんどを置いて、そこから首をユウトの前まで持ち上げ、のぞき込んでいるらしい。
「……シュケリ!」
名を呼ぶと、大蛇はたどたどしく答えた。
「あの、えっと……。ユウト、どういう……こと?」
どうも大蛇のシュケリは、すっかり怯えているらしい。
起きたばかりでまだ頭が覚めず、目も痛いユウトは、彼女の態度の理由がよくわからなかった。
「ユウトって……魔晶から出てきたの?」
彼女は言う。
「えっ?」
「ユウトのベッド、光って……それで……ユウト、生まれたんだ。生まれたんだよね? 魔晶の光から。ユウトって、魔獣じゃないよね?」
シュケリも寝ぼけてるんだろうか、とユウトは思った。彼女が何を言っているのかよくわからない。
「何、何?」
「だって、魔獣じゃないの? 出てきたし」
徐々にユウトの頭がはっきりしてきて、この大蛇が言っていることの意味と、彼女が最悪のタイミングで家に来たことを理解した。
どうも、別の世界からレサニーグに転移してきた瞬間を見られたらしい。
それで、ユウトが魔獣だと勘違いしているのか? どうしてそんな風に思ったのだろう。
レサニーグで暮らし始めて早々にわかったことだが、そもそも村には鍵の技術も、プライバシーという概念もない。
住人は誰の家であっても構わず、ずかずかと入っていくのだ。その文化のおかげで村の住人は皆仲良しだが、反面、こんな厄介な状況が生まれてしまった。
大蛇のシュケリは初対面こそ衝撃的だったものの、一緒に魔獣討伐に出掛けたり、食事を摂ったりして何日も過ごすうち、徐々に気にならなくなってきていた。
しかし、こんなことになるとは。
ユウトが『ややこしいときに家に来んなよ』という感情を言葉にしないでいるのには理性のブレーキを要した。
「んー、いや。あの……ここで見たこと、みんなに言わないでな」
「なんで? 魔獣だから?」
「いや、魔獣じゃないんだけど……だって、俺、喋るだろ。見た目も全然魔獣じゃないし」
彼女はそれには答えず、代わりにユウトのそばにある見慣れない物に着目する。
「これ、何?」
シュケリはベッドの上に置かれた茶色い大きな物体に注目する。
それは、バラバラの鎧と一緒にガムテープでぐるぐる巻きにされたスポーツバッグだ。彼女は顔を近づけ、匂いを嗅ぐようにする。
「変な匂いがする……」
そして、茶色い物体の横に巻貝を見つけ、同じように匂いを嗅いだ。
彼女はこの巻貝が特に気になっているらしく、巻貝の周囲でとぐろを巻き始めた。
ユウトはなんとかごまかす方法を見つけようとした。考えている間に、シュケリは勘違いから始まった推理を加速させる。
「ここからユウトが生まれたの? ここから魔獣が出てくるの? ルーポもウールソも、ここから出てきたの?」
「いや、違う違う」
「何が違うの? どう違うの?」
「えーっと、その」
ユウトはなかなか言い訳が浮かんでこない。するとシュケリの解釈は間違った方向へ勝手に進んでいく。
「ユウト……信じてたんだよ? 一緒に冒険にも行ったのに。なのに……騙してたの? レサニーグのみんなのこと」
シュケリの目が潤み、口の端がぷるぷる震え始める。
「わかった! わかった、もう。言うよ。全部言うから」
観念したユウトは、自分がレサニーグに来た経緯を正直に説明するほかなかった。
数分後。
ユウトはベッドの上であぐらをかき、シュケリは彼の腰から腕にかけ巻きついている。
ユウトはシュケリと話をする分には問題ないが、まだ巻きつかれるのは若干抵抗があり、苦笑いしていた。
大蛇の身体は意外に重く、また筋力もなかなかのものだ。
向こうがその気になれば簡単に腕の一本くらい折れるんじゃないかと思ってしまう。
この子がそんなことをしないのはわかっているが、それでも少し不安だった。
シュケリが訊いてくる。
「えーっと? 巻貝で? これを置いて寝たら……? ってこと?」
「そうだよ。昨日の夜、これを枕元に置いて寝て、俺の地元の矢掛に帰ったんだ。で、今戻ってきた」
「オカヤーケじゃないの? ヤカゲって何? トカゲ?」
「トカゲ? いや違う。だから、まあ……とにかく矢掛」
「ん? トカゲ?」
「トカゲじゃない……とりあえず、俺は地元に帰ったんだ」
「なんで? 巻貝で? どうやって?」
「とにかく、誰にも言うなよ。この巻貝は大事なんだ。な?」
「うん。わかった……よくわかんないけど……秘密ね」
そう言ってシュケリはまた巻貝の周囲に巻きついて、自分のとぐろの中にそれを取り込んだ。
「おい、それ持ってくなよ」
「……これ、私も使っていい?」
それを聞いて、ユウトは血相を変えた。
「駄目だ! 使うな。絶対、今寝るなよ」
「なんで?」
「矢掛にお前が行ったら、大変なことになる。俺はお前らのこと味方って思ってるけど、俺の地元の人間は、大きい蛇は敵だと思うから、すぐ捕まる」
「捕まるの!?」
「しかもただの蛇じゃなくて喋るから、すぐ殺されるかも」
「へっ、殺しに……?」
シュケリの声がまた怯えをまとう。
「なんで、そんなに怖いの? ユウトは優しいのに、他の人間は違うの?」
「俺だって、ここの奴ら初めて見た時はびっくりしたよ」
「なんで? みんな普通だよ。私も普通の蛇だし」
「でも、俺の世界には喋る蛇なんかいないんだ」
「えぇーーーっ!!?」
シュケリは口を大きく開け、かなりの大声を出した。絶対に外に聞こえただろう。
「びっくりした、でけぇよ」
シュケリは落ち着きなく首を伸び縮みさせた。
「嘘だって。そんなのおかしいよ。喋る蛇がいないって、じゃあ、それって、その蛇はどうやって喋ってんの? ……あれ? 喋ってないのか。えーっ? どういうこと? 誰とも喋れないなんて変だよ!」
「逆にお前らこそ、なんで喋ってんだ?」
「普通だよ、それが。ユウトも喋れるんだから」
「うーん、でも、ここにいたらそんな気がしてくるな。俺の世界の人らが、ここの連中のことわかってくれたらいいけど、やっぱり無理だろうな」
「人間って、みんなユウトみたいにいい人だと思ってた。ユウトのいたオカヤーケに、私も行きたかったのに。悪い人間ばっかりなの?」
「悪い人間ばっかりじゃないけど、人間の世界の中に人間と全然違う生き物が入ってきたら、仲間とは思ってもらえないんだ」
「どうして? レサニーグのみんなは全員違うのに」
「そうだな、俺もわかんねぇ。だから、巻貝のことは誰にも言うなよ」
「うん。わかった……約束する」
「ああ、約束な」
会話は一旦終わったが、シュケリはまたユウトに巻きついてきた。ユウトは「うわっ」と驚く。
「何? 『うわっ』て」シュケリはユウトのすぐそばまで顔を近づけた。
「ちょっ……あのさ」ユウトは顔を少し遠ざける。
「何?」
「重いんだよね」
「えっ! なんで? 何が?」
ユウトは仕方なく、シュケリの身体を両手で持ち上げた。
「んーっ……」
思わず声が漏れる。ずっしりとした重量が腕に伝わる。
「んもぉー!」
シュケリは文句を言いながらも抵抗せず、ベッドに降りた。
「私が重いってこと? 重くないよ」
「人間と同じくらい重いんだよ、お前」
「えーっ? じゃあ人間も軽いよ!」
ユウトは立ち上がると、棚から木箱を出す。巻貝を木箱の中に入れ、布で包んで棚に納める。
カムフラージュ用の石やらなんやらも忘れずに手前に積んだ。
「そこに入れるの?」
「そうだよ。こうやってしまっとかないと、夜寝るたびに矢掛に帰っちまうから」
「……なんで?」
「えーっと、俺もあんまりわかんねぇんだけど、箱に入れといたら巻貝の効果が発動しないんだ」
「うーん、難しい。どういうこと?」
「とりあえず、使わない時は箱に入れて、使う時だけ枕元に置くんだ」
「うん、わかった」
次に、シュケリはユウトのスポーツバッグに顔を近づけた。
「これ何?」
「向こうから持ってきた。色々入ってる」
「何持ってきたの?」
「そのうち言う。でも、これもみんなには言うなよ」
「なんで? 気になる!」
「しょうがねーなぁ」
鎧をスポーツバッグに巻きつけているテープを剥がし、バッグを開けた。中には漫画とお菓子が詰まっており、端のほうに携帯ゲーム機とそのソフトがある。
「うわあ! 何これ!」
ユウトは適当な漫画を取り出し、ページをパラパラとめくって「こんな感じ」とシュケリに見せる。
「うーん? よくわかんない」
「あ、そう」
漫画の魅力がわからないなら好都合だとユウトは思った。自分が読むために持ってきたのだから。
お菓子も食べさせないほうがいいだろう。日本の食べ物の美味しさを覚えられて、もっとくれと言われても困る。
携帯ゲーム機を取り出し、電源を入れてみる。だが、反応はない。
「……あれ?」
画面はつかない。それで彼は思い出した。この携帯機は長く手を触れていなかったのだ。充電などしているわけがない。
「うわー、やっちゃった。電池切れか!」
「でんち? どういうこと?」
「あー、いいよ気にしなくて」
「えー、気になる」
そしてシュケリは大声を出した。
「あーっ!! そうだったー!!」
「なんだよ?」
シュケリはユウトの腹の周りをぐるぐる巻きにして、顔をユウトの顎の真下に持って行き、彼を見上げる。
「ちょっ、だから重いって……」
ユウトが文句を言うのも聞かない。
「思い出した!」
シュケリは言う。
「なんでユウトの家に来たか忘れてた。みんな、大騒ぎしてるんだよ。ユウトがいなくなったって! 武器も魔晶もそのまんまなのに!」
ユウトは頭をかいた。そりゃそうだ。
「わかった。じゃあ、もうみんなと会えばいいな? ちょっと、どいて」
彼はもう一度シュケリを身体から離れさせ、スポーツバッグの中に漫画と携帯ゲーム機を入れて閉め、それを部屋の隅の目立たない場所に押し込んだ。
その時、ドアが開く。
「おい」と、先輩冒険者のワニが入ってきた。
「バース!」
バースは後ろにパイナップルを連れている。村に住んでいる住民のひとりで、おとなしい性格の子だったと思う。
あまり目立たないから、ユウトは名前を覚えていなかった。
「ユウト、帰ってたのか。シュケリがユウトの家で何をやってるのかと思えば……」
バースが近づいてくる。
「バース、どうしたの? その子、ラースラーノだよね」
「ラースラーノは冒険者を目指すことにした。一人前になれるように、俺達で戦い方を教えるところだったんだ。しかし、お前はどこに行っていた?」
と、バースはユウトに訊く。
「ちょっと行きたいとこがあって」ユウトはごまかした。
「お前達2人だけで冒険か?」
「えっ? うん」
「だよねー!」
ここでバースが何かに気づいたらしい。ユウトを見る目が変わった気がした。
「だが、ユウト……」
「何?」
「……どうして鎧を脱いでる?」
言われてヒヤッとした。鎧のことを忘れていた。鎧はスポーツバッグから剥がしたが、ガムテープはそのままだ。今見られたら面倒なことになる。
「えーっと! ちょっと鎧は、今までずっと着てたから脱いでたんだ」
ユウトは緊張したが、バースは「そうか」とすぐ納得してくれた。
「他の奴らも待ってるぞ。今日は西に行くつもりだ。行けるな?」
「ああ、もちろん」
「行こう!」
「ちょっと鎧着るから、先行ってて」
「ああ」
バースはラースラーノを連れ、出ていった。
ユウトは安心する。このタイミングでスポーツバッグを発見されていたらごまかすのは難しかった。
それとも、バースになら巻貝のことを言っても大丈夫だろうか? と頭によぎったが、振り払う。そんなことを考えてはいけない。
「鎧、どうする?」シュケリが訊いてくる。
「着るの誰かに手伝ってもらわねぇと」
「私が手伝うよ」
「いや、シュケリには無理じゃねぇかな……」
スポーツバッグから鎧を出し、床に置かれた剣を手に取るユウト。
急いで出発しなければ。その前になんとなく振り返って、巻貝を納めた棚を一瞥した。
もう、巻貝は二度と使わないほうがいい――そう彼は心に決めた。
向こうからどうしても持ってこなければならないものなど、ひとつもないはずなのだ。
ここには仲間も食べ物も揃っていて、追い込んでくる存在もない。何が不満なんだ、と。