第16話 バイカルスとの和解
そうしている間に薬が完成し、とうとうバイカルスに飲ませる時が来た。薬ができる頃には、家の中は渋い香りで満たされていた。バイカルスの眠っている長椅子の周りには、調合の時はいなかった者も含め、数十人のスカーロが集まっていた。それに加え、パフィオの仲間代表としてミスペンもいた。
キンギルスが中心となってできた秘伝の薬は、真っ黒に近い緑色だった。薬は調合に使う水を持ってくるのに使った大きな壺に入れられており、その量はおよそ100リットルといったところ。こんなに作って今後使うことがあるのかという疑問を、スカーロは誰も抱いていないようだった。
いかにも苦そうなこの薬をコップに入れ、夫のビスカルスがバイカルスの口に少しずつ注ぎ込んでいく。だが、飲ませてもバイカルスはまったく反応を示さない。
「ほら、どうだ?」
夫が声を掛けるも、やはり彼女は動かない。
「大丈夫か? バイカルスさん」
「なかなか目が覚めないな……」
「ああ……バイカルスさん! お願い、起きて!」
コーニルスが涙目になる。その時を見計らって、ミスペンがバイカルスに手のひらを向けて念じる。ついに彼女の精神操作を、少しだけ解いた。
「んんん……」
ゆっくりと、バイカルスは目を開いた。スカーロ達は大喜びだ。
「目を覚ましたぞ!」
「やった!」
「やったーーー!!」
「バイカルスの病気が、治った!」
「やったねコーニルス!」
「本当によかったぁー!」
しかし、バイカルスはぼんやりした意識で、震える指でミスペンを差し、言った。
「……ど、……泥棒……!」
目を覚ました直後の第一声だが、喜びに包まれた空気を壊すには十分だった。
「えっ、泥棒!?」
「なんだって?」
「どういうこと!?」
スカーロ達は混乱する。ここでキンギルスが前に出てくる。
「泥棒じゃない。こいつは病気になったお前を見つけて、俺に知らせてくれたんだよ」
そう、キンギルスはミスペンを示しながら言った。キンギルスは彼女がこうして眠る前に『泥棒』と叫ぶのを聞いた、この中で唯一のスカーロだ。だからバイカルスがミスペンを泥棒呼ばわりするのを聞いても、違和感を持たない唯一のスカーロということになる。
「いや……。見たの、私……」バイカルスは力なく首を横に振った。
「バイカルス!」ビスカルスが妻の手を握る。「ミスペンさんはパフィオペルスの友達なんだ。君が眠っている間、ずっと見守ってくれた。そんな風に言うんじゃない」
それでもバイカルスは折れない。「この男、パフィオ、ペルスの……」と言って、虚ろな目つきでミスペンを指差してくる。
彼女は意識こそはっきりしていないが、決して記憶を失ったわけではない。ミスペン達との初遭遇で何があったかは忘れていないのだ。
話がまずい方向に行っているので、ミスペンは誘導を試みる。
「病気のせいだろうか。何か思い違いをしているらしい」
既にスカーロ達の信頼を得ているミスペンの言葉に、キンギルス達は簡単に動かされる。
「そうだよな! ミスペンはパフィオペルスの仲間だ。閉じ込めるなんてあり得ないよな」
「バイカルス、どうかわかってくれ」
「もう一杯薬を飲ませるぞ」
キンギルスは先ほど使ったコップを壺につけ、薬を汲んだ。
「何よ、私は……健康よ。薬なんて、要らない……」バイカルスは途切れ途切れに拒んだ。
「いいから飲め」
ビスカルスは妻に、強引に2杯目の薬を飲ませた。
「んん……苦いわ」
「だが、これでよくなる」
「バイカルスさん」ミスペンは言う。「さっきは私の仲間が誤解させるようなことを言って申し訳ない。だが、私はパフィオペルスと一緒に旅をした。それは本当だ」
「パフィオペルスを、どこにやったの……」
「パフィオペルスとはゴーレイヤで別れたんだ」
「ゴーレイヤ? 聞いたことない……」
「この国の外だ」
「そういうことか!」ビスカルスがひとつ手を叩いた。「だからバイカルスさんは泥棒と言ったんだな。パフィオペルスを盗まれて、知らないところに隠されたと勘違いしたわけか」
「なるほど」ネモフルスも続く。「僕らは国の外に何があるかを知らない。パフィオペルスが国の外に出たのはわかってたけど、そこにどんな町があるか、ちっともわからないんだ。でも、どこの町にいるかがわかっただけでも、すごく安心するよ」
ここでミスペンの前にコーニルスがやってきて、彼の手をふわりと握った。
「ありがとうミスペンさん! いつか、そのゴーレイヤにみんなで行こうよ」
コーニルスはとても無邪気に笑って言ったが、とんでもないとミスペンは思わずにいられなかった。この純朴で優しい女性があんな恐ろしい場所に行ったら――想像したくもない。パフィオと仮に再会できたとしても、彼女が想像しているような楽しいものには絶対になるまい。
ミスペンが答えに困っていると、ネモフルスが答えてくれる。
「コーニルス、残念だがゴーレイヤはこの国の外だ。僕らは行けないよ」
「そうだな」ビスカルスが続く。「難しいだろうな。何しろあの洞窟は越えられないからな……」
「えっ……無理なの?」コーニルスは泣きそうな顔になった。「じゃあパフィオペルスは帰って来れないの?」
「いつかそのうち、会える日は来ると思う。だが、今すぐは難しい」ミスペンは言った。
「そうなんだ……。でも、いつか会えるよね?」
「わかったか? バイカルスさん!」キンギルスが強く言った。「パフィオも元気だし、あんたももう治ったんだよ。薬を2杯飲んだんだから、さすがにもう元気なはずだぞ」
「……どこも……」
ビスカルスは妻の肩を抱いて言い聞かせる。
「この人たちはパフィオペルスのことを守ってくれた恩人だよ。お前のことも、私達に知らせてくれたんだ。いつから体調が悪くなってたんだ? ずっと眠ったまま起きないなんて。本当に心配したぞ」
夫の言葉に、バイカルスの顔つきが少し変わったような気がした。これに続いて他のスカーロ達も説得する。
「バイカルス、話せばわかるはずなんだ。泥棒だなんて勘違いだよ」
「バイカルスさん、疑ったりしないで、みんなで何か美味しいもの食べようよ」
「フッ。疑念は虚無から生じる……そういうことさ」
「ミスペンはいい奴だし、魚は20000倍美味くなるぞ。最高の枕もあるぞ!」
「銀のおじさんと遊ぼう! いっぱいぐるぐる巻きになれるよ!」
適当な発言も混じっているが、ともかく村人の説得でバイカルスは、自分が勘違いをしていると思ってくれたようだ。
「私は……ちょっと疲れてたのかもね……」
「そうだ。すまなかったな、お前に苦労を掛け過ぎた」
「あなた……」バイカルスはミスペンに笑顔を向ける。「パフィオペルスのこと、守ってくれたのよね。ありがとう……ごめんなさいね。私……勘違いして」
「いいや。わかってくれて嬉しい」
「きっと夜までには意識がはっきりするだろう」
結局、パーダルの心配は杞憂に終わった。スカーロという種族は、少なくともここで出会った者達に関しては、人を疑うということをほとんど知らないようだった。しまいにはミスペンは『パフィオペルスに守ってもらった』と言い、パフィオの優しさと勇敢さを称賛こそすれ、自分達がパフィオを守ったとは一度も口にしていないはずなのに、なぜかスカーロ達から『パフィオペルスを守ってくれた恩人』という名誉までもらってしまった。このままいくと、彼らはどんどん都合のいい勘違いを続けて、しまいにはグランダ・スカーロ最高の英雄としてこの村で定住させられてしまいそうだ。こんなに純朴では悪人に利用されるのは時間の問題のような気もするが、もしかするとこの国にはそんな者はいないのかも知れない。