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果てなき時空のサプニス  作者: インゴランティス
第7章 穏やかな時の中で、僕らは混沌を抱く
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第11話 沈黙の甘み

 それから数分後。


 ロテはテーブルの前に座っていた。リラは彼の隣で、テーブルの上に乗っていた。2人は派手な色の液体がなみなみ注がれた、大きな石のコップを前に苦悩していた。


 今までロテもリラもそれどころではなかったので、まったく気づかなかったが、どうも2人がいるこの部屋は台所らしい。そこら中に置かれた多くの石のブロックのうち、いくつかは蓋が開いていて、中には果物や野菜が山積みで入っていた。端には流し台やかまど、作業台と思われる簡易な設備の上に大小さまざまな器が置かれている。そして部屋の中央には、作ったものをすぐ食べられるようにという発想なのか、合計10人程度が座れそうな長椅子とテーブルのセット。ロテとリラはそこに座らされていた。


 さて、2人の目の前に置かれている派手な液体はミックスジュースだ。石のブロック――のように見える物入れ――に入った果物や野菜を使って作ったものである。石のブロックの蓋は先ほどミスペンがどうやっても持ち上げられなかったが、スカーロにかかれば造作もない。そして同様に、スカーロの力をもってすれば、ジュースを作るのも簡単というわけだ。


 クフェルスはロテのモヒカンヒレを好きなだけなめたり甘噛みしたりして遊んだ後、次々と石ブロックの蓋を開けては、中身の果実を適当に取り出し、ボウルに入れていったのだ。ボウルといっても小さな子どもなら風呂として使えそうなくらいのサイズだが――ともかく、2人の前にあるミックスジュースは、クフェルスがボウルに入れた果物や野菜を素手で握り潰して作った、あまりに豪快で、衛生的にもかなり不安を感じさせるものだった。


 とはいえ無下にするわけにもいかない。これが彼女なりのお近づきの印なのだろうし、何より2人が座る反対側の席で、このジュースを作った張本人がじっと見つめているのだから。その目は無表情のはずなのに、妙な圧力があった。


「……リラちゃん」ロテはリラにささやく。


「はい……?」


「これ、飲んで大丈夫か?」


「……スキャンしましたけど、一応ギリギリ大丈夫みたいです」


「マジかよ?」


「後でお腹痛くなるかもしれないですけど――」


 リラがここまで言ったところで、クフェルスは「んんー!」と高い声を発して立ち上がり、ロテのすぐ隣まで来て、彼を見下ろす。


「おっおい、なんだよ?」


 クフェルスは彼に「栄養」と言った。


「え、栄養……?」


 さらにクフェルスはリラに視線を移し、「健康」と続けた。


「わかったわかった! 飲むから!」


 ロテは圧におされてコップの持ち手に指を掛けた。少々その手はこわばっていた。


 中の液体からは不思議な匂いが漂ってくる。あからさまに飲んではいけない匂い、というわけではない。妙に鼻をくすぐる甘さの中に、ネギか生姜のような香ばしさが混ざった感じだ。運がよければまあまあ美味しいかもしれないが、運が悪ければ喉を通らないだろう。さらに運が悪い場合、飲めば食中毒で、飲まなければクフェルスの機嫌次第で死ぬことになる。少なくとも、彼はその結末に怯えていた。


 ただ、仮にこのジュースがとても美味しくて健康にもよかったところで、飲むためには別の問題をクリアしなくてはならないのだが。それは、石のコップが重すぎるということだ。傾けるだけでもちょっとした運動になりそうだし、片手で持ち上げようとすれば関節を痛める危険すらある。かといって、もしクフェルスに飲ませてくれとでも頼もうものなら、コップを顔にぶつけられて陥没骨折させられかねない。


 と、ためらうロテの横から、ぐびぐびと液が勢いよくどこかへ流れ込んでいく音がする。隣を見ると、リラが軟らかい身体の口の周囲だけを伸ばしてコップの中まで入れるという、ナラムならではの方法でジュースを飲んでいた。


 不安に歪んだ顔でロテがそれを見ていると、リラと目が合った。リラは一度口をコップから出して「あの……美味しいです」と控えめに言った。口の周りはジュースでオレンジ色に濡れてしまっていた。


「えっ、マジ!?」


「結構甘いですよ、でも――」


 言いかけたところで、クフェルスはリラを両手で挟むようにして持ち上げた。


「きゃあ! えぇ、えーっと? あの……!」


 クフェルスはそのまま、両側からゆっくり力を加え、リラのぷよぷよした身体を変形させた。口の周りから、ジュースの雫がテーブルに垂れる。


「……何してんだ?」


「食べる」クフェルスは答えた。


「リラちゃんを食うなよ。その子は未来ある女子高生だぜ」


 すると、クフェルスはリラを元の場所に置いて、今度はロテの顔をなめ始めた。


「ああ、もう……わかったよ。なめろよ、もう。なんだよお前……」


 その台所に、今度はミスペンとコーニルスが入ってきた。ロテ達を見つけるなり、コーニルスが友達の名を呼んで、走ってくる。


「あ、クフェルス! クフェルスー!」


 声が台所によく響く。しかし、コーニルスがあまりにも走るのが速いので、2人が『よく響く』と認識するよりも前に、彼女はロテ達のところに到着してしまった。後からミスペンが歩いてきていたが、部屋が広すぎるので時間が掛かるようだ。


「あ、姉ちゃん……この子っていっつもこうなのか?」ロテが顔をなめられながらコーニルスに訊いた。


「うーん、クフェルスはスカーロのことはなめないんだけど、時々アリーアの人を捕まえて『食べる』って言いながら顔とかなめるよ。みんな嫌がってるからやめてって言うんだけど、全然やめないんだ」


「問題児だな……」ロテは『アリーアの人』が何を指すのかはわかっていないが、とりあえず答えた。誰が相手であるにせよ、その行動をとる奴は問題児に決まっている。


「でも、クフェルスさん、ジュース作ってくれましたよ」リラが言った。


「そうだよ。ジュースを作るのがクフェルスの趣味なんだ」


 クフェルスはそれを聞くと、「ん」と言ってロテが飲まなかったジュースのコップをコーニルスに渡した。コーニルスはそれを受け取ると、口を大きく開けてコップを逆さにする。どぼっと音がして、派手な色の液体はコーニルスの喉に落ちた。飲んだというより、落ちたという表現がふさわしい。彼女は大きなコップにいっぱい入っていたはずのジュースを一滴もこぼさず、1秒ほどで空にしてしまった。


「美味しいね!」なんとも気持ちのいい笑顔だ。口の周りはまったく濡れていない。


「んー」クフェルスはいつもより少し長く発声した。無表情のままだが、どこか嬉しそうな顔つきにも見える。


 ロテもリラも、何も言えずにただ衝撃を受けていた。


「い、今……何した?」ロテは喉から絞るような声で、コーニルスに訊いた。


「飲んだよ」コーニルスは目を丸くして答えた。


「いや、飲んだのはわかるけどよ」


「そうか、わかった! お魚さん、もう一杯欲しいんだよね?」


「いや、その……」


 ロテが返事に困っていると、長い距離を歩いて、ようやくミスペンが彼らのところに歩いてきた。


「無事だったか。心配してたが、どうやらうまくやってるみたいだな」


「おいお前、遅ぇぞ。こっちは大変だったんだぜ」ロテは苦笑する。


「何があった?」


「顔はなめられるしよぉ、リラちゃんは餅みたいにされて――」


 自分が話題になったことに気づいたのか、クフェルスはミスペンに近寄ってくる。スカーロだけあってその速さは相当のものだった。しかも予備動作もなく、直立状態からいきなり早歩きで接近してきたので、ミスペンはまったく動けなかった。クフェルスはミスペンの両肩をつかむ。


 つかまれた時、ドンという音こそしたが、痛みはなかった。しかし突然肩をつかまれて危険を感じたミスペンは、急いでクフェルスに精神操作を掛けようとしたが――その時にはクフェルスは、ミスペンの鼻から額までをひとなめしていた。


「おい、な……なんだ!?」


 クフェルスは半開きの目のまま、ミスペンを見つめて「ん」と答えた。そして今度はもう一度彼の鼻を甘噛みする。


「何をしてる? コーニルス、彼女は……」


「クフェルスはスカーロ以外の人を見ると、こうやってなめたり甘噛みするのが好きなんだ」コーニルスは笑って答えた。


「ったく。さっきのもそうだけど、こっちも変だよな」


「本人が何も言わないから、すごく緊張しました……」


「怖くないよ」コーニルスは笑って、ミスペンを甘噛みするクフェルスを眺めていた。


「あの」リラがミスペンに訊く。「ところで、パーダルさんは?」


「別な部屋で見かけた。リムナルスに遊ばれてたぞ」


「あの女、ヤベェよな。パーダルの奴には同情しねぇけど、銃弾の雨食らって喜ぶようなのといるなんざ、生きた心地しねぇだろうな」


「わたし、リムナルスと一緒に遊ぼうと思ったんだけど、ミスペンさんに止められたんだ」


「リムナルスはパーダルに相手してもらったほうがいいからな」


「そうだな、あのまま2人だけで最後までくっついててくれたらいいぜ。つーかミスペンの旦那、ちゃっかりしてるよな。オレらが苦労してる間に、すっかりその子と仲良くなっちまいやがって」


「運がよかった。この子はすごく優しい子だぞ」


 ここでコーニルスはロテの前に歩いてくる。ミスペンと仲良くなっていることはわかっても、相手はスカーロだ。ロテは少し後退して身構えたが、コーニルスは「怖くないよ」と両手を広げてアピールする。


「おお……」ロテは答えつつ、まだ警戒は残っていた。


「ねえ、あなたもパフィオペルスのお友達?」


「友達っつーか……そうだな。あの子が死にかけてたから、助けてあげたくらいだな」


「そうなの!」コーニルスはロテの前まですぐに走ってきて、その手をふわりと握った。「ありがとう、お魚さん。パフィオペルスを助けてくれて。ミスペンさんだけじゃなくて、お魚さんもパフィオペルスの恩人だったんだね? わたし、コーニルス。本当に感謝してる」


「ああ……」これでロテも警戒を解いた。「コーニルスちゃんな? 仲良くしような」


「そうだね! どうする? そうだ、リムナルスも呼んできたほうがいいよね」


「いや! あいつは駄目だ!」


「そうなの? どうして?」


「そりゃあ……あの子は銀ピカのおっさんとイチャイチャしたいからだよ」


「そうなの? いっぱいいるほうが楽しいんじゃない?」


「2人きりのほうが楽しいこともあるんだよ」


「そうなの?」


 ここで、部屋の外から複数の男の声が。


「おーい!」


「薬草持ってきたぞーー!」


「リムナルス! 何も壊してないかー!?」


 そしてドスドスと足音が響いた後で、男達がさらに騒ぎ始める。それは2人と合流したからではなく、別室で『遊ぶ』2人を発見したからだ。


「なんだこいつ! 銀ピカだぞ!」


「リムナルス何やってんだー!」


 男達の声で、家の中がにわかに騒がしくなる。


「来てくれたよ。キンギルスさん達だ!」コーニルスが目を輝かせ、ミスペン達に言った。


「大丈夫だよな? どんな奴連れてきたんだ?」


「えーっとね、ちょっと行って見てくるよ」そう言ってコーニルスと、さらに続いてクフェルスが突風のような速さで台所から出ていった。


「なんか嫌な予感がしてしょうがねぇぜ」


「わたし達、結局逃げるどころじゃなくなっちゃいましたね」


「私も様子を見に行こう。2人はここで待っててほしい」


「頼んだぜ、旦那が頼りだぞ。リムナルスよりヤベェ奴が来てたらすぐ知らせに来いよ」


 つい先ほど初めて会ったばかりなのに、平然と頼んでくるロテ。何も返事せず、ミスペンは部屋を出ていった。


 あの二足歩行の魚は、アリーアという愉快な連中と違って中身は人間と大差ない。しかも、今はパーダルに奪われてはいるが、本来は銃という危険な武器を使うらしい。今は自分が持っている精神操作という力を彼が生き延びるために利用したいのは明らかで、敵になることはないはずだが、今後はわからない。状況次第では、スカーロ以上に危険になるかもしれない――とミスペンはみていた。

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