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果てなき時空のサプニス  作者: インゴランティス
第1章 逃避へのいざない
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第12話 ユウトにとっての『現実』

 ユウトがレサニーグの村に来てからしばらくの時が過ぎた。


 スマホの電池は3日目で切れ、それから彼は6日目までレサニーグでの滞在日数を頭の中で数えたが、そこから先は面倒になってやめた。


 村の奇妙な住人は皆すっかりユウトを信頼しており、会えば一緒に遊ぼうとか、家でパーティーをやるから来てほしいとか、故郷の話を聞かせてほしいとか常にせがんでくる。


 あの先輩冒険者6人だけでなく、経験の浅い駆け出し冒険者と一緒に魔獣討伐に行くことも増えていった。


 時には冒険者でもないのに勝手にトマトがついてきた。


 毎日は平和でにぎやかな時間に満ちていた。それが楽しいことに疑いの余地はない。


 しかしユウトの心の中には、誰にも言えない不安が日に日に広がっていた。


 それは、『このまま一生を終えるのか?』という不安だ。


 レサニーグでの生活は仲間に囲まれ、食べ物も限りなくある。


 魔獣は自ら村を襲ってくることもないし、戦っても弱いので、魔晶稼ぎも安全そのもの。


 だが、裏を返せばそれ以外のものは何もなかった。


 家族と会うこともできないし、テレビもネットもゲームもない。


 故郷の矢掛や、予備校のために日々電車で通った倉敷の町もどうなっているかわからない。


 このまま日本に帰らなかったとしたら、そうした、自分が今まで生きてきた環境とのつながりが途切れたまま、再び元に戻ることもなく終わってしまうのだ。


 それを想像するのは、心に死神のような何かが忍び寄って来るような、とても嫌な感覚だった。


 そんなことを、レサニーグの住人に話すことはできなかった。にぎやかな村で温かい仲間に囲まれながらも、彼は内心孤独だった。




 ある夜。


 村全体が寝静まったのを確かめてから、ユウトは自宅の棚に封印していた木箱を取り出し、蓋を開ける。


 あの日姉にもらった巻貝は、物も言わず木箱の中にあり続けてくれていた。


「よし……」


 かすかな迷いはあったが、彼は木箱の中から巻貝を出し、枕元に置いた。


 そして、ベッドに横たわる。『誰も来るな』と強く念じながら。


 心臓の鼓動はいつまでも激しく、眠りに落ちることを簡単には許してくれなかった。




 夢も見ることなく、ユウトは次の朝を迎えた。


 背中に柔らかい感触。両手はきめの細かい、ふんわりした布に触れている。


 レサニーグの家とは違うことにすぐ気づく。自身が乗っている布団を、全身の神経はよく知っていた。昨日眠ったあのごわごわした布より、人生ではるかに長い間、これに体重を預けてきたのだ。


 目に映る景色は白く、その白い景色の中に丸く黒い物体が見える。黒い物体はアナログ式の掛け時計だということにすぐ気づいた。針は6時20分を差している。


 間違いない。あの見慣れた矢掛の実家、自分の部屋。そのはずだ。白い天井の質感、畳の感触だけでなく、家具の配置も、壁の時計も部屋にあったものと同じだ。


 知っている自室とはどこも変わらないようだが、それでも何か不思議な感じがした。


 部屋の匂いは古びたソースのようなかすかな異臭に、柔軟剤に似た甘い香りが混ざっているような気がした。


 しばらく土と木ばかりのレサニーグにいたおかげで、化学物質に少々鼻が困惑していた。


「帰ってきたか……」


 ユウトはぽつりとつぶやいた。容易に表現しがたい感情に襲われていた。帰ってこられたという安心と、帰ってきてしまったという不安の両方に。


 安心したのは間違いない。


 巻貝を使って、ここに戻れるという確証はなかった。


 人が到底住めないような危険な環境に飛ばされて死ぬ可能性や、この世界であっても日本でない場所に戻ってきて、二度と矢掛に帰れない可能性もあっただけに、しっかりと自宅に来られたのは幸運だ。


 しかし帰ってきてしまったことで、別の問題に直面してしまった。


 これからどうしたらいいんだろう? 戻ってきたところで、何をすればいいのか。


 母に今まで起きたことを正直に伝えようかという考えがよぎる。


 ――いや、無理だ。いい反応が待っているわけがない。


 とりあえず彼はベッドを降り、スマホをポケットから出した。そして充電器につなぐ。


『1%』という現在の電池残量が表示され、充電が始まる。


 そして彼はベッドに腰かけ、これからどうするかを考えた。


 ユウトの視線がふと、机の前に置かれた姿見にいく。映っていたのは、銀色の鋼の鎧を着た自分の姿。


「あっ」


 思わず彼は驚きを小さな声に出し、続いて心に広がったのは深い安堵だった。


 本当なのかと思い、自分の身体を自分で見る。間違いなく、鎧だ。手で触れても同じ。


 あれは、夢ではなかった。嘘のような、長い夢のような日々だったが、しかし現実なのだ。


 あのレサニーグは実在する。向こうで手に入れた物は、こちらに帰っても残るのだ。


 ふと机の上を見ると、ルーズリーフが一枚置かれていた。ユウトはベッドを降り、見に行く。そこにはこう書かれていた。




 勇人へ


 不思議な世界に行けるなんて言って、軽い気持ちで巻貝をあげてごめんなさい。


 とても心配してます。どこにいるのか、危ない目に遭ってないかと気が気じゃありません。


 できるだけ早く帰ってきて下さい。もしここに帰ってきたら、必ず教えて下さい。


 母と姉より




 ルーズリーフの上には薄くホコリが積もっていた。恐らく何日も前に書かれたのだろう。


 ユウトの心が揺さぶられたのはいうまでもない。


 だが、それでも元の生活に戻るわけにはいかなかった。


 レサニーグが実在していることと、巻貝さえ使えば矢掛と向こうを自由に往復できることがほぼ判明した今、彼にとって『現実』とは、人間ではない謎めいた連中とともに過ごす冒険者としての生活にほかならなかった。


 あのレサニーグという村とその住人、村の周辺に棲みつく魔獣と彼らのはびこる世界の正体は一体なんなのか。


 巻貝はどういう仕組みで、自分を矢掛とレサニーグの間で行き来させたのか。


 疑問は尽きないが、それはどうでもよかった。


 予備校に行ってはひたすら寝て、帰ってからも適当にゲームや漫画、アニメで時間を潰してまた寝るだけの生活を漫然と繰り返していた頃の彼とは、何かが決定的に違っていた。


 もしレサニーグで何があったかを母や姉が知れば、きっと巻貝を取り上げるだろう。


 そうなれば、あの愉快な連中とはもう会えなくなってしまう。


 今のユウトにとってそれは、すべてを奪われるに等しかった。




 やがて階下で物音がする。母が目を覚ましたのだろう、そして仕事の支度を始めたらしい。


 ユウトは後ろ髪を引かれる思いがありつつも、気づかれないように一切動かず、息を殺した。母がここに来ませんようにと祈りつつ。


 やがて玄関のドアが開き、車のエンジン音がする。家の中は静寂に包まれた。


「……ごめんな」ユウトはつぶやいた。


 外からは鳥のさえずりや風の音が断続的に聞こえる。母が忘れ物を取りに戻ってくる気配はない。


 ユウトはブーツを脱いで靴下になってから、自室のドアをそっと開ける。


 自分以外、家には誰もいないはずなのに、なぜか足音を立ててはならないような気がしていた。


 恐る恐る階段を降りてリビングへ。いつものカゴの中に菓子パンが6個入っている。


 ひとつなら食べても大丈夫だろうと、あんぱんを手に取る。袋を開けた時の香りすら懐かしい。


 一口かじると、母や姉との様々な思い出が蘇り、泣きそうになってしまった。


 どれだけ心配を掛けているだろう。彼は『現実』を手にしたはずだが、間違いなく代わりに何かを失った。


 リモコンを持ち、テレビを点ける。朝のニュース番組。興味も特にない昨今の経済格差についての報道。


 日付はユウトの記憶が正しければ、彼がレサニーグに行った時から12日が経っていた。母と姉が心配するのも無理はない。


 テレビを消し、リモコンを元の位置に戻すと、彼は洗面所に行った。


 鏡を近くでよく見ると、茶髪に染めた髪の頭頂部が黒く戻ってきていた。


「プリンか……」


 恥ずかしさを覚えながらつぶやく。しかし、レサニーグには髪の色など気にする者は誰もいない。


 洗面所からはすぐ風呂場に行ける。せっかくだからシャワーを浴びようと思って、彼はそれが面倒であることを思い出した。


 そもそもレサニーグで寝る時もずっと脱いでいないくらい、鎧の着脱は難しいのだ。


 ヒモで固く結ばれた留め具が十か所もあり、そのいくつかは背中側にある。


 切ってしまったほうが早いが、そんなことをすると鍛冶屋のチボゴンに怒られそうなので、背中がつりそうになりながら1時間も掛けてほどいた。


 ようやく鎧を身体から外すと、未だに血がついたままの服も脱いで、ようやくシャワーだ。


 半月ぶりに浴びる熱い湯が、感じたことがないほど心地よかった。


 頭はシャンプーをつけてもなかなか泡が立たなかった。


 魔獣と戦い、野山を歩き回ってこの身に積もった汚れが濁った水となり、排水口へと洗い流されていく。


 このまま、誰にも何も話さずに向こうの世界に戻っていいのだろうか――彼は迷った。


 シャワーを浴びたことに、母は気づくだろうか。いや、きっと気づくだろう。


 鎧についた土が脱衣所のマットに落ちてしまった。あれは落とそうとしても難しい。


 息子が残した痕跡をどう思う? それでも、答えは決まっていた。


 再び自室に戻ったユウトは、血のついたTシャツとジーンズを押し入れの奥に突っ込んで、しまってあったきれいな服に着替え、スマホの充電完了を待つことにした。


 何もせず待つのも嫌だし、母はしばらく帰ってこないだろう。


 ここに自分が帰ったのがバレるのもほぼ確定したから、リビングでレトルトカレーを食べ、パンをもう一個自室に持って行った。


 こちらで食べる物は懐かしく、できるだけ向こうに持って行きたくなった。


 押し入れの中に、渓流の絵のマークがプリントされた青い大きなスポーツバッグを発見したので取り出し、菓子や漫画の類を片っ端から詰めていく。


 鎧も自分独りでは着られないからここでは着ないで、向こうで誰かに手伝ってもらって着ることにしよう。


 ただ、鎧だけあって硬すぎてカバンに入らなかったので、テープか何かで縛ってカバンと一緒にすることにした。


 絶対に、ここに残すわけにはいかない。


 スマホの充電状況を調べるとまだ50%ほどなので、ゲームでもして暇を潰すことにした。


 最新から一世代遅れた据置機のコントローラを手に取り、中央のボタンを押すと、まずコントローラ、続いて本体の電源が入る。


 まだクリアしていないRPGを再開した。よくあるファンタジー世界観のこのゲームを、ユウトはレサニーグに行く前日の昼まで毎日のようにプレイしていた。


 一世代前とはいえグラフィックと音楽は美しく、仲間同士の会話は軽妙で、戦闘の演出は爽快感に溢れ、そして、ボスは驚くほど強かった。


「はぁ? おい……マジかこれ」


 ダンジョンを守る真っ赤なドラゴンはエクジースティのように弱くはない。重戦車のような火力と耐久力を持っており、主人公達はあっという間に倒された。


「こんなにムズかったか」


 ゲームオーバー画面を見てユウトはつぶやく。まさか、ゲームよりも現実の怪物との戦いのほうが楽とは思わなかった。


 ゲームで勝つにはレベル上げや戦略、システムと敵味方への知識、的確なコマンド入力の技術が必要なのだ。


 これなら魔獣と戦っているほうがいい。適当に武器を振っていれば終わるのだから。


 一旦そのRPGをやめ、他のゲームを色々とやってみた。


 アクション、レース、シューティング……没頭し、どんどん時間が消費されていった。


 どのゲームも魔獣との戦いより難しいが、独りで楽しむのは悪くないと思った。


 レサニーグではいつも周りに仲間がいて、独りになりたくとも簡単にはいかない。


 ふと時計を見ると正午付近になっていて、そろそろ寝ないとレサニーグの連中がユウトはどこだと騒ぎ出す頃だと気づき、急いで電源を切った。母もそのうち帰ってきてしまうだろう。


 スマホは充電完了を示す緑のランプが点灯していた。


 スマホをポケットに入れ、スポーツバッグをベッド上に乗せる。


 ついでにゲームも持って行こう。先ほどプレイしていた据置機は無理だから、携帯ゲーム機を何本かのソフトと一緒にバッグに入れた。きっと向こうの連中は大喜びするはず。


 そして、巻貝を枕元に置いた。


 またあそこに戻るんだ。楽しみなようでいて、なぜだか緊張する。


 目を閉じた時、『もしレサニーグに行けなかったら――』一瞬、寒気のするような想像に襲われ、心拍が激しくなるのを感じた。本当にあの村に帰れるのか?


 しかし、どこに飛ばされたとしてもここにいるよりはマシだ。

 この世界以外なら、どんな場所でも。


 彼には、『今の俺は強い』という絶対の自信があった。


 きっと、どんな怪物だらけの世界でも生き延びられるはずだ。


 こんな居場所のないところにいるよりは、他のどこかのほうがきっとマシなんだ。そう、寝床の中で己に何度もいい聞かせた。

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