第6話 眠らせた後で
「おっさん、んな見た目で、仕事はできねぇタイプか?」ロテがミスペンの代わりに、パーダルの矛盾に突っ込んでくれた。
「なんだと? 私は分隊長として規則に従い、必要な説明を行ったまでだ」
「マニュアル通りの仕事しかできねぇんなら、その程度ってこったぜ。部下は苦労してるだろうな」
「貴様……温情で生かされていることを忘れるな」
「今は言い争ってる場合じゃないぞ」ミスペンが仲裁しようとする。それでロテは仕方なくパーダルを責めるのをやめて、ミスペンに言った。
「にしても、このおばさんもとんだヒステリーだぜ。ポロポロ泣いてたかと思えばいきなりキレやがって」
「仕方ないだろう、大事な娘のことなんだ」ミスペンはパフィオの母をかばう。
「ミスペンさんはわかるのかい、どうも人生経験が豊富そうだ。誰かさんと違ってな」と、またロテは角の立つ言い方をした。
「誰のことだ」案の定パーダルは黙っていない。
「さぁな」
「さぁな、だと?」
「じゃあ言うけどよ、おっさんだけだったらこのおばさん、暴れまくってたぜ? そしたらどうすんだよ。偉い分隊長なんだろ」
「無論、殺害する」
「あぁ!? パフィオの母ちゃん殺す気だったのかよ。とんでもねぇな」
「こちらに危害を加えてくる以上、当然の措置だ」
「あのなぁ、ミスペンに任せたほうがいいに決まってんだろ。精神操作できるし、スカーロの扱いも上手いぜ」
「ミスペンか。この男も単なる未確認種族でしかない。精神操作などという非科学的な手段を使う男など、信用に値しない」
「本当は手柄が欲しいだけだろ?」
「貴様、調子に乗るなよ……」
「オレだってパフィオちゃんの恩人だってアピールしたいのに、我慢したんだぜ。あんたはなんだ? ってか、さっきおばさんにしてた話、どういうことだよ。パフィオちゃん保護したのか? 『保護』ってなんだ? どうする気なんだよ?」
「お前に話す必要はない」
「ダールお得意の秘密主義だな、クソがよ。あの子になんかあったら母ちゃん泣くぜ」
いつまでも口論を続けるパーダルとロテをよそに、ミスペンとリラはパフィオの母について話していた。
「ミスペンさん。すごいです、こんな強い人も精神操作できるんですか」
パフィオの母の寝顔を一瞥してから、ミスペンにリラが尋ねる。彼女の黒い目には尊敬の色が浮かんでいるように見えた。その右目を覆うように、自然保護区で会った時同様、ジャナという半透明の正方形が浮かんでいた。それと対になるあの大きな長方形は今は出していないようだが。
「もし効かなかったら危なかったな」ミスペンはバイカルスを見下ろして、険しい顔で答えた。彼女は気持ちよさそうに、まだ「カスタードぉー」と同じ寝言を続けていた。
それに対し、リラは興味深そうにバイカルスを見ながら言う。
「今スキャンしてるんですけど、すごいですね。この人、完全に寝てます。脳波がすごく穏やかです」
ミスペンが『のうは』という言葉を聞いたのは生まれて初めてだが、リラはあの奇怪な世界で生まれ育ったのだ。パーダルといい、あの飲食店の店員といい、あの世界の住人と話していると、聞いたこともない、意味を教えてもらっても理解できないような言葉ばかりが飛び出す。
もはやそういうことに慣れてきたのでスルーし、単純に精神操作の結果バイカルスの様子が穏やかになったという意味だと解釈し、彼は「いい夢を見ているようだ」と答えた。
「でも、すごい偶然ですよね。この人、ミスペンさんが一緒に旅した人のお母さんなんですね……」
「そうだ。だが、きっと偶然じゃない」
「偶然じゃない? というのは?」
「きっと『手鏡』の仕業だ」
「手鏡……?」リラの軟らかい身体は、ほんの少し斜めに傾いた。首を傾げるような動作なのだろう。
そこでパーダルが止める。
「リラさん、あまりその男と話すんじゃない」
「ダールのおっさんよりはマシだよ」ロテが口を挟んだ。
「お前に止める権限はない。素性の知れん未確認種族を市民から遠ざけるのは当然の責務だ」
「だから、素性がしれないし、よくわかんねぇVMT使うし、なんの種族かすら謎な野郎でも、石頭で物わかりの悪い、図体だけのおっさんよりはマシだろっつってんだよ」
「お前は……」パーダルが再び腰の大きな装甲部分から何かを取り出す。小銃のようだ。その銃口をロテに向けた。
「おい、そうやって無理矢理黙らすんだな? ったくよぉ! 人の銃だけ取りやがって、横暴だぜ!」
ミスペンは見ていられず割って入る。
「パーダルさん、ロテも。こうなったら我々は一緒に生き残っていかないといけないぞ。ケンカしてる場合じゃない」
パーダルは数拍置いて、小銃をしまった。ロテはやや安心した様子で言ってくる。
「あんた、ヘンテコな格好してるし角もないけど、オレは信用するぜ。このおっさんとスカーロどもから守ってくれよ」
「それは問題ないが、君にも落ち度はあるぞ」ミスペンは返す。
「オレが? オレぁただ巻き込まれただけだぜ。何も悪いこともしてねぇし、ただ前科あるってだけで容疑者にされそうなんだ。それで何回も銃向けられてんだぜ。逆の立場で考えてみろ、キレるだろ?」
「だが、口は災いの元だ」
ロテはそれを聞いて、言いたいことはあるようだが、一応黙った。パーダルもこのミスペンの言葉でいくらか冷静になったらしい。
「ミスペン、お前が使う精神操作が便利だということは認めておこう。それでも、原理不明の力を乱用することは公共安全法に違反する」
「じゃあ使わなかったらよかったのかよ?」
「それについて明言はしないが、お前の力が危険だということは間違いない。最低でも、それがVMTの一種であることをお前が証明できない限りは」
「何が言いてぇんだよ、石頭がよ」
「証明したところで、私が『未確認種族』というやつなのは変わらないんだろう?」ミスペンは訊き返す。
「そうだ」パーダルは落ち着き払って答えた。
ミスペンは、このパーダルという男の扱いにこれから苦労することになりそうだと感じていた。人の話をまともに聞かず、せっかくミスペンが丸く収めようとしていた状況を荒立ててしまうし、難癖をつけてミスペンとロテを悪者扱いし、リラから遠ざけようとする。見る限りパーダルのほうがリラにとっては有害のような気がするが……。精神操作も効かず、きっとまともに戦っても強いに違いない。本当にたちが悪い。なんとか揉めないようにやっていかなければ。
「で、ミスペンの旦那」ロテは笑って言う。「さっきオレが動けなかったのはあんたの仕業ってことだよな」
「そうだ。すまんな」
「どこでそんなVMT習ったんだ? マジで動けなかったぜ」
「ぶいえむ……とかいうのじゃない。術だ」
「じゅつ? なんだか知らねぇけどよ」ロテは少し邪悪な笑みを浮かべ、こんなことを言う。「後で教えてくれよ。動けなくしたい奴がごまんといるんでな」
なかなか物騒な魚人だ。ミスペンは少し眉をひそめて答える。
「残念だが、精神操作は身に着けるのに10年は掛かる。それは人間の場合だ。魚に覚えられるかは知らない」
「おっと! 魚じゃねーぞ、ジャンディーだ。今のは禁句だぜ」
「ああ……」
ミスペンはロテのような荒くれ者と接した経験は多い。だが、目の前にいる彼は外見的には完全に手足の生えた魚だ。人間並みの権利を堂々と主張されると、正直、調子の狂う感がある。
「10年か」ロテは続ける。「確かに、そんぐらいで身に着けられたら安いもんだな」
「才能があればもっと早く覚えられるが、普通は10年か15年くらいはかかる」
「へー。でもリラちゃん、ここって普通にVMT使えるんだよな? フィールド無ぇのかな」
「ありません。どうも、完全に未開の島のようです」
「なるほどな。オレも久々にVMT使うかな……でも、相当ブランクあるからな」
「使えるのか?」ミスペンが訊く。
「戦闘術一式は昔、組織にいた頃世話になった人に仕込まれてな。VMTも回復と補助だけはアンチVMTフィールドってやつがあっても使えるから一応覚えたんだけど、あんま才能ねぇし、結局ほとんど使ってねぇな。リハビリしねぇと、集中の仕方も忘れちまったぜ」
その間、パーダルは考え込んでいるようだった。うつむいて何か小声で言っている。
「諸般の条件を鑑みれば13%……。やはり、他に……」
「何ブツブツ言ってんだ?」ロテが訊いた。
「これからどうすべきかを考えなくてはならない。この女を眠らせたのはいいが、誤解を解くことは難しい。かといって、このまま放っていくわけには……」
「放っとくしかねーんじゃねーのか」
「それでは、この女が目覚めた時、事実と異なる内容を周囲にばらまくことになる。そうなれば結果的に大勢のスカーロが敵として襲ってくるだろう。スカーロは腕力だけでなく運動能力も非常に高い。リラさんもいる以上、ここから逃げたところで追いつかれて終わりだ」
「スカーロってのは全部で何人いるんだ?」
「家の外はとうにスキャン済みだ。周囲1kmだけでも100体以上のスカーロがいる」
「うっは! 石のでかいテーブル持ち上げるような奴がうじゃうじゃいるわけか。どうすっかな、ここってパフィオちゃんの地元なんだろ? まさか、やられる前にやる気か?」
「リラさんの前でそんな物騒な話をするべきでは……」
ミスペンは遠慮がちに制した。リラをダシに使ったが、異世界から来た者達が、自分達の生存のためだけにパフィオの故郷の人々を虐殺するような光景など考えたくもない。
「あー、いやいや冗談に決まってんだろ。リラちゃん、ちょっとしたブラックジョークだ」
ロテはいやに明るい笑顔になって取り繕う。リラは怯えた顔つきのまま、会釈するようにロテにほんの少し頭を下げた。ピンクの全身が穏やかに波打つ。
さて、ミスペンの先の発言はこれからの展開を丸く収めようと思ってのことだが、パーダルはそう受け取らなかった。
「ミスペン、お前の脳波はスキャンしている。どうもお前はスカーロどもの味方をするつもりのようだな」
声は低く、威圧的な言い方だった。これにミスペンは答える。
「味方も何も、スカーロと敵対すること自体に無理がある。うまく関わりを持って、戦いにならないように――」
ロテがそれを遮る。「無理だろ。このおばさん、どうすんだよ」と、パフィオの母を指差す。
「なんとかうまく方法を考えないと。確かに私はパフィオと一緒に行動したんだ。説得は無理じゃない」
「もう一回パーダルが余計なこと言って、おばさんがキレるだけだぜ」
「お前のその減らず口をここで利けないようにしてやってもいいのだが?」パーダルはさらに威圧的な口調になった。
「ほら来たぜ、すぐそうやって脅すだろ」
「私が彼女を説得するから、あなた方は一旦外してもらえないか?」
「おい、どこ行けってんだよ。あんたがスカーロを眠らしてくんねぇと、オレら一瞬で死ぬぜ」
「もしかして、スカーロの人達を殺すしかないんでしょうか……」リラは悲しそうに言った。
「リラさん」パーダルは申し訳程度だが、優しい言い方になった。「君がそんなことを考える必要はない。実際、殺しながら進むのは得策ではない。そんなことをすれば、我々は泥棒どころか、同胞の仇として、先に言った100人どころではない、さらに多くのスカーロに命を狙われることも考えられる……」
「あり得るな。信じらんねぇぜ、絶対死ぬじゃねぇか」
「だから、あなた方は一旦どこかに隠れてほしい。その間に私がひとりで彼女を説得する」
「あんたが失敗したらどうすんだ?」
「その時は逃げるしかない。だが、どうにか失敗しないようにする」
「逃げ場なんかあんのかよ……キレたおばさんスカーロなんか、無敵じゃねぇか」
「待て!」
「どうした?」
「ここに、スカーロがひとり近づいている」
「えっ……」
「なんとか隠れようぜ、この場はミスペンに任せるぞ」
「いや、その時間もない! 奴は速すぎる!」
その時、遠くから男の声がした。
「おい! バイカルスさん! バイカルスさーん? 今行くからな!」
石の壁に反響し、彼の声は何度も聞こえた。足音もドンドンと聞こえ始める。どうやら何者かがこの家の中に入ってきたらしい。
「来たか……」
「おい、どっか隠れる場所!」
ロテは室内を見回すが、戸棚のようなものはひとつもない。ここは一応応接間のはずだが、長いベンチと大きなテーブルしかない、ただの石造りの殺風景な広い部屋なのだ。
「えっ、どうしたらいいんですか? あぁ……」リラは汗を流して怯えている。
「まずは冷静になろう。おそらく、この家はとても大きい。向こうが着くまでは少し余裕があるはずだ」
「そんな余裕はない! 奴の速さは我々の常識をはるかに超えている!」
そうパーダルが怒鳴っている間に、来訪者の足音は明らかに大きくなっていく。そして、足音の主はとうとう応接室に入ってきてしまった。
それは金髪で口ひげを生やした、堂々としたたたずまいのスカーロの男。身長は角抜きでも明らかに2mを超えている。服はパフィオの母が来ているものの男版といった感じで、麻のような安い生地で作った至ってシンプルなシャツとズボン。穴だらけのボロボロというわけではないが、もしもらっても使うことはないだろう。
顔に刻まれたしわを見る限り、おそらくパフィオの母と同年代だ。女性でも立派だった角は、本数こそ三本と少ないながら一本一本が太く長い。パフィオやその母でも相当な腕力を持っているだけに、男の力となれば計り知れない。まともにやり合えば命はない相手だ。
一行に緊張が走った。