第2話 捕虜
「のあっ……!?」
腕を巻きつかれた直後、声を発するが早いか、彼は非常に強い力で引っ張られた。唯一の腕を取られているので、手をつくこともできず床に倒れる。そして、彼は自分の左上腕に巻きついているものを直視した。暗くてよく見えないが、銀色の細いヒモが5本、彼の腕を厳重に縛っていた。それは布や革でできた縄や鞭ではないような気がした。それらよりもっと硬くて冷たい。このヒモは、壁に開いた隙間から伸びている。
「ぬうっ……」
彼は、巻きつかれているのが左腕だから、手は自由ということに気づいて、とっさに風の術を使い、左腕を縛るヒモを切ろうと試みる。
だが、一切効果はなかった。
そのヒモは鋼のように――いや、鋼より硬く、傷一つつかなかった。ならばと、ミスペンは壁の隙間に向けて雷の術を撃つ。
すると、男の厳しい声が聞こえた。
「無駄なことをするな。それ以上おかしな動きをすれば射殺する。これが最後の警告だ」
ミスペンはその声に、はっきりと聞き覚えがあった。『手鏡』め――と、彼は心の中で強く呪わずにいられなかった。なんて奴を呼んでくれたんだ。きっとお前がここに呼んだのは、あのひどい世界の醜い部分を体現するような男だ。
ズズズ、ゴゴゴ――石の壁に開いた隙間が、少しずつ広くなっていく。やがて、あの男が姿を現した。全身が銀色に光る装甲で覆われた大男、パーダル。ミスペンの身体を拘束する超硬質のヒモは、彼の盛り上がった右肩部から射出されていた。そしてこのパーダルの武器はもちろん、ヒモだけではない。現に彼は右手に銀色の小銃を持ち、銃口をミスペンに向けていた。
パーダルは警告に対するミスペンの返事を待たなかった。シュンという音がして彼の腰からも数本のワイヤーが射出され、ミスペンの両脚が拘束された。
ミスペンは何も言葉を発することができなかった。冷や汗が背筋を伝う。パーダルの手に握られたあの小さな武器には恐ろしい火力が秘められていることを、ミスペンは知っていた。撃たれればすべてが終わってしまう。
「答えろ。目的はなんだ」パーダルがミスペンに問う。
「目的?」
「ここに我々をさらった目的だ」
我々、ということは複数いるのか。そして彼は、ミスペンがここに彼を誘拐したと勘違いしているようだ。無理もない。
「さらってない!」
「ではここはどこだ。何が起きた!」
「知らない! 私は何も知らない。『手鏡』が原因なんだ」
「手鏡?」
「アウララの持ってる手鏡が、時々光るんだ。多分それが起きると、誰かが別の場所に飛ばされてしまう。そもそも私は、『手鏡』のおかげで君たちのいた場所に飛ばされたんだ。私と一緒にいた4人も!」
「こちらがそんな話を信じる理由はない」パーダルは取りつく島もない。
「まったく……!」
仕方なくミスペンは、まだ自由に動かせる左手のひらをパーダルに向けて念じる。可能な限り強い精神操作を掛けた――が、まったく変化はない。彼は人間のように見えるが、操作したくとも『精神』という概念にそもそも触れられないような感覚があった。万事休すか。
「なるほど、それが『精神操作』か」
なんと、精神操作が効かないのに、それを試みたことは看破されている。これではどうしようもない。直接戦ってもきっと勝ち目はないだろう。今ここで死ぬかもしれない、という恐怖がありながらも、そんなものは何度となく経験してきた。
「あぁ……降参だ。わかった、好きにしろ」
ミスペンが冷静に伝えると、パーダルは質問を矢継ぎ早にぶつけてくる。
「正直に言え。ソーバーギヤに侵入した目的はなんだ? 自然保護区で何をしていた? ここに我々を連れ込むことで何を狙っている?」
「待ってくれ。私は何も知らない……『手鏡』のせいなんだ」
「また『手鏡』か。信じないと言ったはずだ」
「私も、こんなことになって困ってる。そちらの領分に入り込んだことは謝るし、今回あなたがこうなったのも残念だと思うが、私は何も知らないから、どうしようもないんだ。私だけでなく、一緒にいた他の5人も、『手鏡』がなかったら君達の世界には絶対に行かなかった。本当だ!」
そこまで言った直後、パーダルの顔を覆っているヘルメットのゴーグルが青く光った。あるいは、それが彼の目なのか。ミスペンには知る由もないが、その青い光は薄暗い部屋で見せられるには少々眩しかったので、彼は反射的に顔を背け、目を閉じた。きっとここで人生は終わりなのだろう。この石頭の大男は、こちらの話をすべて突っぱねたあげく、適当な罪を決めつけて殺すに違いない。まったく『手鏡』め――と再び内心呪いながら。
しかし、そうではなかった。予想外なことにミスペンの身体を拘束しているヒモが、突然すべてなくなった。不意に解放されたことで身体が床に落ちる。腰にやや衝撃が走った。左腕と両脚に痛みがある。きっとあの硬いヒモの跡がくっきりついているだろう。
パーダルが一歩、一歩とミスペンに近づいてくる。
「なんだ……?」
「スキャン完了」パーダルはミスペンの目の前まで来て言った。「ふむ、まさか……本当にお前は、何も知らずにあの場所に来たのか?」
ミスペンは『スキャン』という聞き慣れない言葉に戸惑いつつ「えっ? ああ、そうだ」と答えた。
「声紋、表情、発汗、脈拍を調べさせてもらった。今のお前の発言が真実である確率は89%……少なくとも、今の発言については信じることにしよう。しかし、お前達そのものを信用するだけの根拠はない。それに、たとえ故意でなくとも、こんな場所に我々を押し込んだ責任がある」
「責任だと?」
ミスペンはパーダルの発言をほとんど理解できなかった。何をどう調べたら、何がわかったんだ? 信じるのか信じないのかわからないし、拘束を解きながらも責めるようなことを言っている。だが、どちらかといえば友好的ではないのだろう。
さらにパーダルはミスペンに問う。
「お前は何者だ? なぜ、角も触覚もない。身体構造を解析するに、お前は初めからそうしたものがない種族の可能性が99%。あり得ない。あまりに奇妙だ」
「私は人間だ」ミスペンは答える。
「ニンゲン? 不思議な種族だ……我々の法では、未発見の種族、特にそれが知的生命体だった場合は断固たる処置をとる決まりとなっている。つまり、お前が我々に敵対的な行動に出た場合、私の対応はひとつだけだ」
「私はあなたと敵対するつもりはないから、もっとわかりやすく言ってくれないか?」
するとパーダルは強い口調で言い切った。「逆らえば殺す。これで満足だな」
ミスペンは閉口した。この男、一方的に硬いヒモで縛り、武器を向けて質問攻めにしたあげく、気に入らなければ殺すということか。とんだ無法者ではないか。
そしてパーダルは続ける。
「今は重大事件が起きている。私はダール捜査師団の一員として捜査に全力を挙げなくてはならない。お前が生き延びる道は、それに協力することだけだ。時間がない。質問や拒否は受け付けない」
ミスペンはパーダルの発言が何を意味しているのか、そして今何が起きているのかを、懸命に頭を回転させて理解しようとした。ここに飛ばされる前にいたソーバーギヤだかゴーレイヤだって、そこで起きたことだって、何がなんだかほとんどわからないのだ。しかしこのパーダルという男は待ってくれない。
パーダルは彼が入ってきた壁の隙間まで歩いていき、振り返ってミスペンに「早く出ろ」と命じた。
逃げようもない。ミスペンは言われた通り、立ち上がって彼に近づいた。先ほどは気づかなかったが、隙間から外に出たところには横に開く構造の、石でできた大きなブロックがあり、それがドアの役割をしているらしい。室内に大量に積まれていた謎の石ブロックとは別のようだ。このドアのブロックには境目はなく、全体が一個の大きな石の塊のようだ。
「出ろ」パーダルは冷たく言った。
いちいち、部屋を出る順番まで命令されるとは。捕虜のようだと思いながら、ミスペンはこの広い部屋を出た。