第1話 灰色の空間
ダールの巨大ビルに仲間とともに閉じ込められたミスペンだが、突然視界が真っ白になった。何も聞こえなくなり、温度や重力の感覚もなくなる。ふわっと、座ったまま宙に浮いているような感覚に襲われながら、彼はすぐ、これが『手鏡』の仕業であることに気づいた。
ミスペンの心に強く浮かんだ言葉は、『もういい加減にしてくれ』だ。もういいだろう。次はどこに連れて行くつもりなのか知らないが、こんな幼稚な気まぐれに付き合わされる身になってもらいたい。
そして彼の思考は、視界が奪われている数秒の間に様々に推移した。
果たして真っ白な視界に色が戻ってきたとき、そこにある光景はどんなものか。もしかすると視界が戻ることすらないのかもしれない。別の世界に飛ばされた瞬間、あの合成獣のように恐ろしい生物の胃の中にいたらどうだろう。痛みも恐怖も感じることなくあの世に行けるだろうか。
あるいは――『手鏡』にこうして飛ばされるのも4度目だ。今や、様々な世界が存在することを実感として知っている。それだけに、彼の中には疑問があった。『あの世』とは一体どこだ? そんな世界がどこかにあるのか? 『手鏡』は、そこに直接誰かを送り込んだり、逆にそこから死者を連れ出して、生きている者達の暮らす世界に送り込むこともできるのだろうか。もしそうなら、『手鏡』は死すら操っていることになるが、本当にそんなことが――
回り続ける疑問への答えを得ることのないまま、ミスペンの視界が戻ってくる。
そこは思った以上に暗い、灰色のだだっ広い空間だ。同時に、やや不快な蒸し暑さと、硬い床に腰と脚を落ち着けている感覚を得る。どうやら、『手鏡』はとりあえず人の暮らせる場所を選んでくれたようだ。もちろん、そんなものは安心できる材料にはならないが。
広い空間の端には大きな窓があった。そこから淡い日光が差し込み、外は爽やかな青空だった。声や音は一切しなかった。
立ち上がり、歩いてみる。歩けどもなかなか端へ到達しない。そこは貴族が舞踏会でも開けそうなほど広い部屋だった。天井も高く、彼の身長の3倍はある。先ほどまでにいた世界の異様な慌ただしさから一転、時が止まったかのような場所に来てしまったらしい。
ここは石造りの宮殿か何かの一室なのだろうか、とミスペンは思った。しかし、その割には殺風景だ。美術品はおろか、家具らしきものすらない。代わりに、壁や床と同じ材質らしい灰石の四角い大きなブロックのようなものが大量に積まれていた。倉庫だとしても、こんな大量の石の塊ばかり揃えて、一体なんに使うのだろう。資材置き場なのだろうか。
ブロックの山に近づいてみる。それらはただの四角い石の塊のようだが、ただひとつ、ブロックの中身が見えているものがあった。そのブロックの中には麻のような地味な布が乱雑に押し込まれていた。ホコリの匂いがする。服は袖や襟のようなものがあり、どうも衣服らしい。ここが宮殿だとしたら、使用人のものだろうか?
他のブロックを注意深く見ていくと、どれも上のほうに水平の溝があるのを見つける。それでミスペンは気づいた。この溝より上が蓋なのではないか、と。この部屋にあるブロックの数々はすべて、石でできたケースなのかもしれない。しかし、本当にケースなら蓋を開けられなくては。試しに左手一本で溝に指を押し込もうと頑張ってみるが、まったく入らないし、もちろん蓋も持ち上がらない。見た目通りの重さだ。こんな材質で作ったケースなど、人間に扱えるとは到底思えない。
ふと、ミスペンの頭にある想像が浮かび上がる。もしも、こんな重い蓋を軽々持ち上げられる者がいるとしたら……。彼はそんな人物をひとりしか知らない。が、そんなはずはないだろう。まさか彼女が、こんなだだっ広いだけの殺風景な空間で生活していたとは想像できない。
ミスペンは窓へと向かうことにした。外の様子を見て、ここがどこなのか情報を得なければ。窓まではかなり遠いが――思ったところで、どこかからズズッ……重い石が動くような音が聞こえた。見ると、すぐ近くの壁の一部が微かに開いていた。向こうは暗くて見えない。
ミスペンは身構えた。ここがどこであれ、入ってきたのが何者であれ、侵入者として攻撃されるのはまず間違いない。精神操作でどうにかなればいいが。
しかし、部屋に誰かが入ってくると予想していたミスペンは裏切られた。突然、壁の開いた部分から何か長いものが瞬間的に伸びてきて、彼の左腕に巻きついたのだ。