第18話 ダール
ミスペンとバンスター、それにトキとリラは、先ほどの戦いの場から離れるように歩き、大木の下であの合成獣という謎の生物について話した。ターニャはミスペンが精神操作させたまま歩かせ、この場所に着いてからも術を解いていなかったので、相変わらずブツブツ言い続けていた。
「ミスペンさん。あの気持ち悪い奴って、魔獣じゃないんですか?」
このバンスターの問いに、「まじゅうって何?」と質問で答えたのはトキだ。
「魔獣はバンスターの故郷にいる怪物だ。さっき我々が戦ったあいつよりもはるかに弱い」
「弱いの? 強そうな名前だけど」
「合成獣は弱点に攻撃を当てないと倒せないみたいだが、魔獣は強い奴でも何発かで倒せる。倒すと姿が消えて、代わりに魔晶という宝石が出てくる。さっきバンスターが言った冒険者とは、魔獣を倒して魔晶を稼ぐ奴らのことだ」
「えー、楽しそうだね」
「そうだよ」バンスターが答える。「強くなったら魔獣は簡単にやっつけられるから楽しいよ。逆に冒険者に気をつけたほうがいいよ、悪い冒険者がいっぱいいるからね。中でもラヴァールっていう奴は本当に悪い奴なんだ。その手下も性格悪いのばっかりでさ」
冒険者の楽しさについて話すのかと思いきや、やはり陰口のほうが多いバンスター。
「お前、ほどほどにしておいたほうがいいぞ」ミスペンが不機嫌な顔をして止める。
「ミスペンさんもそう思わないっすか? ずっと卑怯者呼ばわりされて、嫌でしょ。あいつらのこと」
「思ったとしても言わないほうが自分のためだ。陰口の言い過ぎはいずれ身を滅ぼすぞ」
「いやー、さすがっすねぇ。金言っすねぇ」バンスターはニコニコして返した。まったく言葉に重みがない。これ以上言っても心に響くわけがないので、ミスペンは本題に戻した。
「リラ。この世界は合成獣みたいなのがはびこってるのか?」
「どこにでもいるわけじゃないですけど、こういう自然保護区には合成獣はずっといます」
「始末しないのか?」
「合成獣は勝手にどんどん増えるんです。自然保護区は、増え続けてしょうがない合成獣をわたし達の文明社会から隔離するための場所という役割があります」
「そうよ」トキが続いた。「だから、自然保護区なんて名前は大人がついた大嘘なわけ。本当は合成獣パラダイスよね」
「なんか、ちょっと聞いただけでヤバそうな奴らっすねー」バンスターの顔つきは変わらず、そしてこの世界の出身者である2人に訊く。「というか、あんなのがいっぱいいるとこになんで来たんすか?」
「あっ……うーん、ハハハ」トキは笑ってごまかした。「だから、出ようよ。うちの部行こう」
「だから、無理ですよ」
「しかし、このままいつまでも森にいても、寝る場所もない。いつかは街に戻らざるを得ないか……」
「だよね! こんなとこで寝てたら合成獣に食べられるよ」
「そもそも、腹が減ってきたしな……」
「だから、行こうよ」
「さっきから君はそう言ってるが、壁を自力で越えてここに来たのか?」
「いや、入るのは簡単。穴があるから」
「穴!?」
「そう。だから、街に戻りたかったらすぐだよ」
「そうなんだ、へえ……ミスペンさん、行きますか? おれっちはどんな街か気になるっす」
「気は進まないが……」
「美味しいイドドのお店、この辺あるよ」
「イドド?」
「イドドというのはバナナの輪切りを揚げたものです。イドドに使われるバナナは普通のものと違って、甘くない、芋に近い味の種類を使います。食感は外はサクサク、中はホクホクで、味も辛みの強いものから甘いものまで各種揃っていて、値段も手頃なので老若男女問わず愛されています。特にゴーレイヤ周辺はイドドの食文化が発達しており、他地域にはない味付けや食感のイドドが売られています」
「リラって本当、よくそんないろんなこと知ってるよね。あんた、知らないことないんじゃない?」
「いや、そんなことないですよ……」リラは恥ずかしそうだ。
「じゃあ行こうよ。街、楽しいよ」トキはミスペン達に自然保護区を出るよう誘うが、これをリラが止める。
「待って下さい。だから、ここにご飯持ってくるって……」
そしてトキとリラは議論を始めた。
「えー! だって、一緒に出ればいいじゃん」
「そしたら、ダールが来ますよ」
「えっ? そう?」
「だって、この2人は角が折れたヴィラームって言えばまだいけますけど、このアブの人はどうするんですか?」
「えーっと、ムシュケルってことにできない?」
「いや、難しいと思いますけど……」
ミスペンが割って入る。
「ちょっと待て、教えてほしい。ダールとはなんだ?」
「ダールとは世界全体の治安維持を担う組織であり、ナータン島に存在する中央政府と――」
「こら百科事典」
「あっ、ごめんなさい」
「いや、もう少し聞かせてくれないか」
「いいの? おっさん。訳わかんないと思うけど」
「では、続けます。ダールとは治安維持組織であり、各島政府の管轄下において活動する実力組織です。犯罪組織やテロ組織など一般市民に多大な危害をもたらしうる存在に対応する機動師団と、それ以外の犯罪や、犯罪以外も含めた広範な事案に対応する捜査師団の2つに分かれています。わたし達一般市民が機動師団に関わることは基本的にないので、日常会話でダールといえばもっぱら捜査師団を指します。」
「もういいよ、百科事典。眠くなってくるよ」
「あ……ごめんなさい」
「ミスペンさん、これ聞いてわかるんすか? おれっち、さっぱりっすよ」
「……わかるのは、この世界はずいぶんと複雑ということだな」
「はぁー、そんなこと? そりゃ世の中は複雑よ。そういうもんじゃないの?」
「あの街を見てもややこしすぎると思ったし、この森に来てからもそうだ。リラの話を聞けば少しはここを理解できると思ったが、なかなか難しいらしい。多分この世界は、我々がいるべき場所じゃないな」
「何それ。『世界』って何? 別の世界から来たとか? ハハッ」
そうトキが鼻で笑うのに気づいて、ミスペンは口を滑らせたことに気づいた。といっても、それほど致命的なミスではない気がする。彼女らには自分がこれまで体験してきたことについて話しても、それほど害はないかもしれない。どう対応しようか迷っていると、バンスターが至って軽い感じで教えてしまった。
「そうなんだ。おれっち達って、『手鏡』のせいで別の世界からきたらしいんだよねぇ」
「うーん、そういうのいいよ」トキは軽くあしらった。
「あれ? 信じない? やっぱ、そうか。しょうがないね」
しかし、リラの表情がずっとすぐれないままのがミスペンには気になっていた。バンスターをちらちらと見ている。それがなんなのか、訊いたほうがいいのかもわからなかった。
「ん? あれ、なんすか?」
バンスターが空を見て言った。空に、銀色の四角い何かが浮かんでいる。
「あれ、もしかして……」
「危ないです! もしかしたら!」リラは焦り始める。彼女が焦っているのなら、きっと本当に危ないのだろう。
「うわー! こんな日に限って仕事すんなよダール!」トキは空に悪態をついた。
「ダール!? あれがか?」
バンスターは真っ青な顔になって、逃げようと飛び立つ。しかしそれをリラは自信なさげに制した。
「あの、逃げないほうがいいと思いますよ……」
「なんで?」
「多分逃げたら、撃たれます」
「えっ、撃たれる!?」
銀色の塊はその話をしている間にどんどん大きくなってきた。外からでは正体はわからないが、ミスペンはその姿に『美しい』と感じた。銀色の塊としか表現しようがない物体にもかかわらず、ただの銀色の塊だからこそなのか、それは彼が見たことのあるどんな人工物よりも美しかった。船よりも中の構造数百人乗れそうなほど大きい。まさに大船と呼ぶべきサイズだ。
ほどなく、その塊は離れれたところに着地したらしい。強風がその場に吹き荒れ、木々が音を立てて揺れた。そして何秒もしないうちに、異様な外見の6人が走ってきて、ミスペン達を取り囲んだ。
6人ともあの塊と同じように銀色のメタリックな質感をした、装甲が貼られた強化服というべき装備で全身を覆っており、顔は目の部分が黒いゴーグル状となったヘルメット。まず目を引くのは、全員そのヘルメットの頭部にネズミかと思ってしまうような丸い2つの耳がついていたことだ。正確にはネズミの耳のような皿状ではなく、球体なのだが。
この6人の中でも、中央にいる大男がひときわ体格が大きく目を引いた。彼は3人の中央に位置しており、身長2mに迫ろうかというのみならず、肩、腕、腰が異様に盛り上がっていた。盛り上がっているといっても、肥満体の印象はまったくない。たくましい身体をベースに、各部に大きなメカニックパーツを取りつけたような身体だ。どのパーツにも、そこから何かを出し入れするために使うと思われるハッチが存在する。
他4人は大男に比べれば人間並みといっていい体格で、ミスペンと同等の、一般的な成人男性の身長の人物もいれば、ターニャやバンスターと同じくらいの小柄な人物もいた。
6人とも、筒に取っ手がついたような銀色の物体を右手に構え、異世界から来た3人に向けていた。この物体はなんだろうと考える間もなく、大男は低い、よく響く声で感情なく告げた。
「全員動くな。武器を捨て、投降しろ」
はっ、とリラが怯えて高い声を発し、盾をそっと地面に置いた。トキも同じようにしたが、異世界から来たミスペンとバンスターは何が起きているかわからない。
「えっ? なんて言ったんすか?」バンスターは目を大きくしている。
「武器、捨てたほうがいいよ」と、トキは小声で言った。
「はぁ~……しょうがないね」バンスターは杖を地面に置く。
トキは隣にいたミスペンに、そっと「おっさん、あいつらの心操ったら?」と耳打ちした。
「もし効かなかったら、多分全員死ぬぞ」ミスペンが答える。
「えっ!」
「皆さん、黙ってたほうがいいですよ」リラが言った。
大船から出てきた6人の銀色の人物のうち、最も小柄なひとりがターニャに銃口を向けながら指示する。
「あなた、早くその物騒な物を捨てなさい!」
その声は女性のものだった。体格は子どもだが、声は大人の女性だ。しかし、もちろんターニャは精神を操られているので動かない。それどころか依然彼女は、任務がどうとかブツブツ独り言をいっているのだ。
「……何を言ってるの?」
「隊長……この子、変です」と言ったのは小柄な女性の隣、銀色の5人の中でもミスペンと同じくらいの身長を持つ人物。これは爽やかだが、やや幼さの残る青年のそれだ。
「お前、武器を捨てろと言ったはずだ」大男は手に持っている筒の先端をターニャに向けた。
この6人の正体や目的は不明だが、放っておいたらターニャに危害が及ぶのは明らかだった。ミスペンはさりげなく、手のひらをターニャに向けようとした。いや、向けるためにほんの少し、手のひらを動かしたとき。
ビュン――
ミスペンの近くで、確かに空気が震えた。
見た目には何かが出た様子はないが、確かにミスペンの頬のそばを、何かが高速で通り抜けた。
それを示すように、大男の持っている筒状の道具の先端が、ミスペンの顔のほうを向いていた。彼は確かにターニャのほうを向いていたはずなのに。
ミスペンが彼の持っているものを見たところ、先端には円形の小さな穴が空いていた。ちょうど、もしそこから何かが発射されていたとしたら、きっと頬をかすめただろうということはミスペンにも想像できた。それがわかった時、彼は身震いしそうだった。身震いするわけにはいかなかった、次に動いたらどんなことになるかわかったものではない。
「何をしてる! 動くなと言ったはずだ」大男は言った。
「すまない、私達はあなた達の迷惑になるつもりはないんだ。ただ――」
ミスペンが言い終わる前に、大男は「発言権は与えていない」と制した。
「そうか。なら、ひとつだけ頼みがある」
「手短に話せ」
「少しだけ、手を動かしたいんだ。そうしたら、あなたの言う通り、この黒い鎧の子は武器を下に置ける」
「心を操るつもりか?」
先ほどトキが小声で言ったことをしっかり聞いていたのだろう。油断のできない男だ。
「我々を信じることは難しいかもしれないが、あなたが撃たなければならないことはしない」
「それは私が判断する。やるなら早くしろ」
大男だけでなく、周囲の銀色の人物全員が自分を見ている緊迫感の中、ミスペンはゆっくりとターニャに手のひらを向ける。彼女の独り言を止めさせると、手に持っている武器を地面に置かせた。
「何をしてる……」
「この子はやかましいから、私が操って動きを止めたんだ。このままのほうが都合がいいだろう」
「なんですって?」銀色の6人のうちひとりが言った。女性らしい。
「おかしなVMTを使う奴だ」他の銀色のひとりが言った。中年くらいの男か。
「これよりお前達を移送する」大男が指示する。「全員、乗れ。トライアン、パブロ。武器を運べ」
「はい」
「了解です」
ミスペン、ターニャ、そしてバンスターは銃を突きつけられ、船へと歩いていった。ミスペンはターニャの精神操作を解かず、船へと歩かせた。
そして大男は、リラとトキに指示する。「お前達もだ。早くしろ」
「えっ……あたし達も?」
「当然だ。民間人は自然保護区への立ち入りは禁止されている。船で事情を聞かせてもらう」
「あの……」リラが不安げに弁解する。「ごめんなさい。謝ります。でもあたし達、合成獣をやっつけました」
「全部バレてるわよ。合成獣と戦うなんて、何考えてるの」銀色の人物のひとり、小柄な女性が言った。
「えっ……いや、けど……」
「言い訳は君達を支部に連れて行ってからだ」
「あぁぁ! 最悪だぁ~……」トキは両手で頭を抱えた。