第17話 黒き槍
「うっはー、ヤバ……」合成獣とターニャの戦いが視界に入るや、トキが漏らした感想がこれだ。
ミスペンがいない間に、ターニャは好き放題にこの怪物を切り刻んでいたらしい。もはや数えきれないほどの斬撃を浴びた怪物はすべての脚を失い、ただの青い肉の塊でしかなかったが、それでも肉の塊のまま、元気に動き回っていた。むしろサイズが小さくなった分、身軽になったようにすら思える。
ちょうどミスペン達が到着する直前、ターニャの大鎌をかいくぐり、合成獣が彼女に体当たりを浴びせた。
「うあーっ!」
ターニャは吹き飛ばされ、地面に倒れる。さらに上から合成獣が飛びかかってくるところだったが、寸前でミスペンは雷の術を当て、吹っ飛ばした。みたび怪物は動かなくなった。
「何してたの、早く戻ってきなさい!」
ターニャはすかさず立ち上がる。彼女を守っていた術の盾はもうなくなっており、直接青い血を浴びて顔も鎧も青く染まっていた。ミスペンは彼女に手をかざして術の盾を補充しつつ、回復してやった。しかし回復途中で彼女はミスペンの手を払う。
「回復しなくていい! あとちょっとであいつを殺せる!」
立ち上がるが、すぐに膝から崩れ落ちる。疲れからか、それとも毒が完治してなかったのか。
「無理するな」と言って回復してやる。その近くにトキが走ってきて、不思議な呪文を唱える。
「イセ・バーリー・バナオ!」
先ほどの明るく自由奔放な態度とは違って、真剣な表情で唱えたところ、彼女の盾から青と赤のラメのような輝く粉を含んだ灰色の霧が発射され、合成獣まで飛んでいく。霧は合成獣にまとわりついて、その動きを阻害した。青い怪物は攻撃相手も見つけづらくなったらしく、よたよたと適当に近くを動き回っている。
「なんだそれは?」ミスペンが訊く。
「あたしの必殺技その2。よかったー、ちゃんと練習しといて!」
トキは得意げにミスペンにウィンクした。『必殺技』だけではよくわからないので、リラが説明してくれる。ただ、その説明はいつも通り非常に長くてややこしいのだが。
「先輩のイセ・バーリー・バナオは敵の視覚と聴覚を妨害します。こうした弱体化効果を持つVMTは、アンチVMTフィールドの存在下でも、護身用のために使用が認められています。その一方、かねてから悪用の危険性も指摘されており――」
「だから、百科事典!」トキが止めた。
「あ、ごめんなさい!」
ミスペンはこんな長い説明を聞いていられないので、怪物に太い炎を撃った。血に引火して合成獣は火に包まれた。
「うわぁ、おっさんすごい! やっぱり呪文無し?」
「そんな話をしてる暇はない。リラ、全身が燃えたらさすがに死ぬだろう?」
「それが、合成獣は熱に強いのが多くて。燃やしてもなかなか弱点にダメージがいかないみたいなんです」
「なんだと!?」
「でも、長時間の火には耐えられないらしいです。イセ・バーリー・バナオのおかげで、こっちを攻撃できないと思いますから、多分もう倒せます」
「なーんだ。じゃあ、もう大丈夫だね」トキはまたウィンクした。
「安心はできないですけど……」
とはいえ、燃え続ける合成獣はほとんど動いていなかった。ターニャはトキとリラを指差して怒鳴る。
「ちょっと、ミスペン。何こいつら! 悪魔と化け物じゃない!」
「あっ……悪魔ぁ!?」トキは目を大きくする。
「はぁ? 文句あんの?」ターニャは殺気を放った。
「ケンカするな! ターニャ、その子達は味方だ」
「こんなのが味方!? あんた騙されてんじゃないの?」
その時には、もう合成獣を包む火も、トキが撃ったラメ入りの霧も消えていた。全身黒焦げになって嫌な匂いを発しながらも、またこの怪物は動き始めようとしていた。
「あっ、危ない!」
「イセ・バーリー・バナオの効果が切れてます!」
「何回生き返るの、こいつは!」
その頃。
黒いローブを着たアブが羽をバタバタ動かして滞空し、遠くの木々の間からミスペン達の戦いをうかがっていた。ミスペン達と一緒にいる時はまったく見せなかった冷たい目をしていた。
「やっぱりあいつら、強いね。できればターニャはここで死んどいて欲しかったけど。ま、生きててもちょっとぐらいは利用価値あるか。ここは最後の一撃……おれっちがもらうよ」
バンスターは杖を空に掲げ、唱える。
「黒き槍、天より魂求め、彼方を虚無へと帰さん。リヴェレート・セン・ルーモ!」
合成獣が動き始めようとした時。漆黒の槍の数々が、空から敵めがけて降り注いだ。ミスペン達は驚いてのけぞる。
「うおっ……」
「きゃあ!」
「何これ!?」
見ると、数百本という黒い槍が合成獣の全身を余すところなく穿っていた。まるでリラの話を聞いていたかのように、すべての脚の付け根も貫いていた。今度こそ、この奇妙な生物は動かなくなった。今はただのいびつな形をした、真っ青な物体でしかない。
「今度こそ、終わりました」リラは言った。
「本当か? 死んだか?」
「はい。今の攻撃は合成獣の弱点に当たりました。おしまいです」
「はぁー……」ターニャは大きな溜息をつき、膝から崩れた。大鎌は地面に落としてしまった。
トキは合成獣に刺さった大量の槍を見てはしゃいでいる。
「何、今の。すごい! 君らすごいね。あんなVMT使うのもいるの? イシュトみたい。レラスタ行けるよ!」
この子もリラほどではないが、ミスペンの知らない言葉を連発してくる。苦笑しつつ、彼は「レラスタとはなんだ?」とトキを見て訊いた。しかし答えたのはリラだった。例の百科事典スタイルで説明してくれる。
「レラスタは高校ラライの全島大会の通称です。100年以上続く伝統ある大会であり、今年は1万以上の高校が参加します。全島大会の会場はこのヴァンミン島の首都エーカークにあるレラスタジアムです。それを略して、全島大会自体の通称がレラスタということになってます。近年は財政的に……」
「ちょっと! また百科事典出てる!」
「あ……ごめんなさい」
「もー、何回やるわけ?」
「すいません」
「いや、ありがとう。その知識自体は助かる。後でゆっくり聞こう」
一応ミスペンは答えておいたが、この世界には難しい物事が多すぎるので、リラからすべて学ぼうとしていたら遠からず頭がパンクしてしまいそうだ。
「んなの、どうでもいい!」ターニャは大鎌を手に取り、立ち上がる。「何、あんた達は! 悪魔と化け物じゃないの。さっきの槍みたいなのもあんた達がやったんじゃないの? 当たりそうだったじゃないの!」
ターニャは今までの怒りもすべて込めてトキをにらみつけた。さすがにただの無鉄砲な高校生に過ぎないトキは命のやり取りなどしたことはないらしく、気圧されて後ずさる。ターニャはさらに詰め寄った。
「なんとか言いなさい、こっちはムカついてんの。朝からデカい化け物いっぱい相手して、昼はケダモノが試練とか言って仕掛けてきて、そんで今度は何? この花とかついた虫は。あんた達も何!? どうせ悪魔なんでしょ、殺してやるわ!」
ターニャはトキとリラに向かって大鎌を振り上げるが、すぐに「うっ」という短いうめき声とともに動きを止めた。大鎌を地面に落とし、虚ろな目でうわごとを始める。
「任務……了解……。対象……すべて、抹殺します。……隊長、必ず……成功させます。だから……褒めて、下さい……」
トキもリラもこのターニャの変化に目を白黒させた。ミスペンの左手のひらは、いつも通り、彼女の背中に向けられていた。
「何? どういうこと?」トキはミスペンとターニャを交互に見た。
「すまんな、2人とも」ミスペンが答える。「この子は怒りっぽいんだ。私がこうして抑えてやらないといけない」
するとリラが不安げに言う。
「さっきからジャナが変わった反応をしていたので、何かと思ってましたが、こういうことですか……」
「何? リラ、気づいてたの?」
「いえ、不自然な反応があっただけです。この黒い鎧の人の脳波、まるで催眠術にでも掛かっているような……」
「へー、催眠術か。すごいね! ってか催眠術も使えるんだね、おっさん。この子ヤバすぎでしょ、何今の目つき。ってか、この武器もデカすぎ! 何これ、マジでこんなので合成獣の脚斬ってたんだ。こんなのどこで作ってんの? この鎧も、どこのメーカー?」
「いや、こんな装備作ってるメーカーないですよ……」
恐る恐る答えるリラを気にもせず、トキは勝手に話を変える。
「てかさ、おっさん最強じゃん! なんでもできるし、催眠術もできるわけ? そういうVMT? ねえおっさん! 教えてよ! おっさん教えて! そういうVMTが一番使いたかったんだって」
「いや、先輩。これが一番使いたかったんですか」リラが穏やかに突っ込んだ。
「だって、誰でも思い通りにできたら最高でしょ」
「それ、試合中の話ですよね?」
ミスペンは少し呆れた顔で、精神操作の習得について答える。「諦めたほうがいい。10年は掛かるぞ」
「えーっ、10年!? おばさんになるわ」
トキは改めてターニャに近づき、大鎌を見下ろして手を伸ばした。触れようか迷っているらしい。
「触らないほうがいいですよ」リラが止めた。
「それで、リラ。話を戻すんだが、あの黒い槍のような攻撃に心当たりは?」
「一応、ああいう真っ黒いVMTの使い手は知ってますが、現在ほとんどの島にアンチVMTフィールドが常時施されている関係上、VMTには殺傷能力はないので違うと思います。それに、あれはカチオン・エナジーとは色がまったく違うのでカチオン・ベーラルやカチオン・ヴィビンヌでもないと思います。もちろん通常の銃弾でもないはずです。あるとしたら、可能性は極めて低いですが、ミシュラの攻撃と考えられないわけではないです」
「ミシュラ? って、なんか聞いたことあるような」トキは首を傾げる。
「ミシュラは漸暁という犯罪組織が使っているといわれる改造生物です。合成獣とは違って、わたし達普通の人達を改造して、さらに洗脳を施しているみたいです。でも、漸暁はダールの攻撃によって大打撃を受け、事実上壊滅したといわれていますし、ミシュラはダール機動師団の精鋭でも手こずるほどの凶悪な存在といわれています。そういう存在がわたし達を助けるとは考えにくいです」
リラは詳しく説明してくれているが、訊いた本人のトキもよくわかっていないようなのでミスペンが止めた。
「わかった、この世界に難しいことが山ほどあるのは理解した。要するに、誰の攻撃かわからないんだな?」
「そうです、わかりません。でも、ミシュラ以外の攻撃である可能性となるとそれ以下です。となるとミシュラの攻撃という可能性が相対的には高くなってしまいますが――」
「もういいよ、百科事典! ややこしいよ!」
「あ、ごめんなさい。また喋り過ぎちゃいましたか」
「リラって本当に百科事典だよね。それさえなかったら絶対モテるよね」
「すいません……でも、攻撃を出したらしい存在がどこにもいなくて……」
「どういうことだ?」
「さっきからジャナでスキャンしてるんですけど、半径100m以内にそれらしい人の姿がないんです。ただ、もしあるとしたら――」
そこで周囲をなんとなく観ていたトキは、空を指差して叫んだ。「何、あの生き物!」
リラとミスペンが指されたほうを見ると、遠くの空を触覚の生えた黒い服の人物がゆっくり飛んでいた。
「えっ……」リラはこの空飛ぶ人物と、とっさに開いたジャナの画面を交互に見て、目を白黒させている。
「バンスター!」ミスペンが名を呼んだ。
バンスターは羽をバタバタ動かしながら近づいてきて、彼らのそばにふわっと着地し、爽やかな笑顔で「いやー、なんとかなりましたねー」と言った。
リラはジャナの画面を見て、とても複雑な顔をして黙った。それとは対照的に、この不思議な生き物に、トキは興味津々で近づいていく。
「トキ先輩、危ないです!」リラが止めた。
「いいや、おれっちは危なくないよ」バンスターは答えた。
「何、あんた。虫?」トキはリラが止めても興味を持つのをやめない。
「おれっちはアブのバンスターだよ」
「アブ!? 合成獣から抜け出してきたわけじゃないよね」
「なんの話? おれっちは冒険者だよ」
「冒険者?」
「そう! ラヴァールっていうすごく嫌な奴の弟子なんだ」ここでもバンスターはさりげなく陰口を差し込んでくる。
「バンスター。お前、逃げたんじゃないのか?」ミスペンは呆れた感じで言った。
「いやー。逃げるわけないじゃないっすか。おれっち、仲間っすよ? 離れたとこから攻撃するのがおれっちのやり方なんで」
「勝てそうだから戻ってきて、美味しいところだけ持っていったんだろう?」
「なっ! なんでそんなことを! ミスペンさん勘弁してくださいよー!」
「あんたらって、仲いいの? あんまり仲良くない?」トキが訊いた。
「そもそも、こいつは味方かどうかすら怪しい」
「おれっちまだまだ頑張りが足りないっすね。ミスペンさんの信頼が得られるように、これからもお助けしますよ」
「悪いが、そんな顔つきと喋りの奴は信用できないな」
「いやー、残念っすねぇ。顔と喋りは生まれつきだから、しょうがないっすね」
「おっさんって不思議なのと友達なんだね。このヤバい子もね」トキがターニャを指差して言った。
「私も、本当に不思議だと思ってるよ。こんな3人が1ヶ所に集まるとはな」ミスペンは少し疲れた表情で返した。
「あれ? 前からの付き合いじゃないの?」
「いや。ここ3日くらいの知り合いだ」
「えっ!? 浅っ! 全然仲間じゃないじゃん! ほぼ初対面?」
「でも、おれっちはこれからミスペンさんの力になって、信頼を深めるつもりっすよ」バンスターは笑顔を崩さない。
「なら、陰口を言うのはやめろ。そのヘラヘラ顔もだ」
「いやー、いくらミスペンさんの言葉でも聞けないこともありますよ。だって、生きてくのって大変なんすから」
そしてバンスターは立ったまま動かないターニャの顔をまじまじと見つめ「ターニャさんはどうしたんすか?」と訊いた。
「この子達を殺そうとしたから、私が精神操作で止めた」
「そういうことっすか!」
「精神操作……?」トキは首を傾げた。
ターニャは未だ、任務だのなんだのとブツブツ言っている。リラはジャナの画面を真剣な目で見つめ、この大鎌の少女の様子を確かめていた。
「にしても、ターニャさんがこんなこと言い出すなんて、不思議っすね。おれっち、ミスペンさんに精神操作された時、楽しい夢見さしてもらいました。ターニャさんはどんな夢見てるんすかね」
「ターニャの正体は私も知らない。本人も喋らないだろうしな……それで、ちょっと場所を移そう。この化け物について知ってることを教えてくれないか」
「夢、ですか? ちょっと、気になるんですけど……」
「私には隠すことはない。だが、こんな化け物のそばで話すのは気が進まないな」