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果てなき時空のサプニス  作者: インゴランティス
第6章 悪夢
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第8話 礼節ある冷たさ

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」


 女性の問いの意味を、ミスペンは理解できなかった。聞いたことのない表現だ。まして今は周囲の騒音や精神の消耗もあり、なおさら頭が働かない。ミスペンが固まっている間に、彼女は勝手に話を進める。


「1名様でございますか?」


 確かに自分は独りだが――思いつつも、ミスペンは最も知りたい疑問をぶつける。


「ここは、なんだ? 詳しく教えてくれないか」


「えっ……当店は、ラプ料理専門店となっております。ラプ島の一流農家から直送された現地の素材をふんだんに使い、一流のラプ人シェフが腕によりをかけて調理しております」


 建物の外見から想像できなかったが、どうやら、ここは料理を食べさせてくれる店だったらしい。街の見た目と音のやかましさのせいで想像する余力がなかったらしい。そしてこの女性は店員だったわけだ。しかし、ミスペンが知りたいのはそんなことではない。


「いや、そういう意味じゃないんだ。ここから出る方法を知らないか?」


 店員は一瞬だけだが、はっきりと『お前は何を言ってるんだ』という顔をした。このまま粘っても何も得られないかもしれないが、ミスペンは一応食い下がることにした。


「この、うるさい場所からどうやって出ればいい?」


 店員はいよいよ不機嫌を隠さない。ミスペンと視線も合わせず、「港に行けば船に乗れます」とぶっきらぼうに答えた。それでも、逃げないだけ先ほどの触覚の人物よりはマシだ。話せる相手を探すだけでもエネルギーを使うのでチャンスを逃したくない。


「港? どこだ?」彼は食い下がったが、ここまでだった。


「大変申し訳ございません。お客様、ご飲食をされないのであれば、恐縮ですがお引き取りいただきますようお願い申し上げます」


 店員は腰を曲げ、頭を深く下げる。その長くつやつやした髪から、ミスペンが嗅いだことのない、人工的な甘くかぐわしい芳香がした。彼は何を謝られているのか、にわかには理解できなかったものの、関わりたくない異様な男を門前払いするにあたって、お辞儀までして丁重に振る舞うというのは、彼女にとって最大限の譲歩だったのだろう。それは推測できた。


 これ以上は無駄らしいと理解し、ミスペンは彼女に背を向けた。彼が去ることにしたのを見て、カール角の女は建物の奥へ駆け込んでいった。奥から会話が聞こえてきた。それを聞いた時、ミスペンは足を止めざるを得なかった。


「店長! 変なお客さんが来てるんですけど……」


「変な客!? どんな?」


「腕が1本しかなくて、頭とか、全身汚い布でぐるぐる巻きにしてる男の人です。ここはなんだとか、ずっと変なこと言ってて……」


「あー。頭おかしいんだな、そいつ」


「頭おかしいですよね。なんか、臭いですし」


「そんなの中に入れるなよ。ダール呼ぶか」


「それがいいと思います」


「とりあえずあんまり相手しないで、なんとか帰ってもらえるか?」


「えー、私がやるんですか? 怖いですよ、目がひとつしかないんですよ?」


「一つ目!? なんだそれ。本当に人か? そいつ」


「とりあえず、人だと思うんですけど」


 ふと、店の窓がミスペンの視界に入る。客は迷惑そうにチラチラと彼のほうを見ていた。やはりミスペンが見た途端に素知らぬ振りをする。


 ユウト達には仲間として温かく歓迎されていただけに、ミスペンはこの扱いが一層心に染みた。故郷の世界にいた頃を思い出す。この店で受けた扱いは、貴族の集まる場に関係ない庶民が紛れ込んだ時に似ていた。しかし、そういう時は衛兵にすぐつまみ出されるだけだ。あるいは、貴族の機嫌が悪い時なら命令が一声飛び、剣のサビになる運命が待っている。あんな、冷たい空気の中で誰も何もせず、表の態度だけは丁寧で、ただ裏から本音のやり取りがかすかに聞こえてくる……あんなことは、味わった記憶がない。貴族同士のやりとりとも何か違う、うすら寒いものがあった。店員が自ら『一流』と称する店にもかかわらずこんな仕打ちとは。


 店を出てすぐ、ミスペンは街頭ビジョンの映像がまったく別のものに変化しているのに気づいた。先ほどの巨大な女性は影も形もない。美男美女、計6人がきれいなソファーに座り、ハンバーガーに美味しそうにぱくついている。人間はひとりもいない。頭に山羊のようにカールした角が生えた種族と、同様にムシュケルの、いずれも若く非常に美形の男女が一組ずつ。最後に6人の上に、枯草が絡み合ったような複雑な形の、しかし色とりどりの模様がでかでか表示された。


「なんだ? さっきのと全然違う……どうなってる? どういうことなんだ……」


 さっきは中に大きな女がいたはずだが、いつの間に入れ替わったのだろう。あんな大きな6人が、どこかにいるのだろうか。できれば出会いたくないものだ――


 呆然と見上げていると、男達の話し声が近づいてくる。ふと声のほうを見てミスペンはぞくっとした。頭や腕、脚にヒレがついた二足歩行の生物――もし魚が陸上で歩けるようになったとしたらこんな姿だろうと思わせる者達、5人がそばを歩いて通り過ぎる。彼らは背中にも大きなヒレがあり、魚の尾びれをそのまま大きくしたような尻尾もあった。


 彼らはミスペンが見えていないかのように、一瞥もせず側を通り過ぎた。彼らの会話が聞こえる。


「景気も悪いし、仕事全然見つかんねー」


「ポーカー当たんねーしなー」


「競艇行こうぜ」


「金、無ぇっての」


「あーあ、どこで暇潰そうかなー」


「ナンパでもするか?」


「無理だろ」


 などと愚痴っている。ミスペンはいよいよ、めまいを覚える。


「さ、魚。魚だ……」魚人の背中を見て、うわごとのように彼はつぶやく。


 先ほどの店で香ばしい匂いを嗅いで、無意識にミスペンは食欲が刺激されていたのだろう。この歩く魚たちを見て、無性に鮭のムニエルが食べたくなった。


 チャンピオンだった頃、王宮のパーティーで出された料理はいつも最高だった。王族の面白くもない話に付き合うのはひたすら苦痛だったが、代わりに、そこでしか食べられない宮廷料理人のフルコースを楽しみにしていたものだった。スズキのムニエルは特に美味かった。皮と身の好対照な歯ざわり、シンプルながらも余計なものを足さず、素材の味を活かしきる技術に感銘を受けていた。


 目の前の歩く魚達を見て、『こいつらをムニエルにしたらどんな味だろう』という言葉が脳に浮かぶのを抑えられない。手出しすればきっと、とんでもないことが起きてしまう。この場所のルールを何も知らない彼にも、それはよくわかっていた。せめて努力して、ムニエルになった彼らを想像するだけにした。ああ……見た目はグロテスクだが、


 一歩も動かずに突っ立っていると、先ほどのカール角の店員の声が。


「あの、お客様。大変恐縮ですが、ずっとそこにとどまっておられると、他のお客様が入店できませんので、申し訳ありませんが……」店員の顔と声色には強いイライラがにじみ出ていた。


「え?」


「あの、申し訳ないのですが、どこか別の場所に行って下さると」


「ああ……すまない」


 ミスペンは店から離れる。といってもどこに行けば文句を言われずに済むのかわからない。こちらに視線を向けてくる者達はなおもいる。彼らはミスペンに見られると、気づかぬ振りをしてはすぐ去っていく。


 彼は飲食店を離れ、ビルとビルの間に入った。ビル同士の間には、人がギリギリすれ違える程度の隙間があった。


 あのラプ料理だかの専門店とは別の店から歌が聞こえてくる。窓が開いており、黄色い派手な店内からよく聞こえた。愛だとか青春だとか、好きなのになかなか告白できない葛藤だとかを主題に置いた歌詞を、軽快かつキャッチーなメロディに乗せたものだ。この世界の若者には大ヒットしているであろうポップスだが、これが厳しい弱肉強食の世界で命の奪い合いに明け暮れてきたミスペンにすればとにかく青臭くて甘ったるく、まして傷つき混乱した今ともなれば、なおさら心を逆なでするものだった。


「なんなんだ。なんなんだ、ここは……! 私は……私は一体……!!」


 彼はいよいよ正気を失いそうになっていた。自分一人だけが、おかしな世界に迷い込んだ。行き場もなければ、力になってくれる者もない。


 それは頭を押さえ、その場に座り込む。そして左手で、壁を殴った。店の壁は質感こそ軟らかそうだが、実際に殴ってみると見た目の何倍も硬かった。コンと音がして、鈍い痛みが肘まで伝わってくる。その痛みでも彼の苦痛が紛れるわけではない。


「この歌を、止めろ……。このふざけた歌を、止めろ!」


 歌は止まないが、代わりに誰も来ない。文句を言われることもない。ただ、上の階から嫌な視線を感じるだけだ。見上げれば、視線の主は引っ込む。


「ここは、どこだ……」


 仲間からも引き離され、故郷にも帰れず、ただ騒音まみれで立っているのも苦痛なこの場所で一生を終えるのか。死にそうなところを『手鏡』によって助けられ、カエルやバッタや、その他おかしな者達とともに気ままに冒険者暮らしをして過ごすのかと思った矢先、今度は『手鏡』におかしな世界に送られて狂い死ぬのか。『手鏡』は、こうして人をもてあそぶのが目的だったのか。


「ここはどこだ! 教えてくれ! 『手鏡』!! 頼む……助けてくれ。せめて。こんな場所に放り込んだんだから、せめてここが何か教えてくれるだけでいいんだ。頼む……!! 帰れなくていい。帰れなくていいから……どこだ。どこに来たんだ、私は!!」


 誰に伝えることもできず、押し殺した小声で嘆く。コンクリートの地面を見ながら。コンクリートといっても非常にきめ細かい、灰色の絹のような質感だった。城の大理石より美しいと感じたが、このままでは美しい地面の上に嘔吐としてしまうかも知れない。


 そして彼はビルの間から除く細長い紫色の空に向かってわめいた。


「こんな……こんな世界に送って、どうするつもりだ! くそっ!! なんとかしろ!! 私を……どうしたいんだ!!」


 彼はいまいましい『手鏡』に言ったつもりだが、届くはずもないだろう。それでも怒りをぶつけずにいられなかった。


「はぁ、はぁ……」


 もはや誰も近寄って来ない。音も立てず、近くの店の窓が閉まる。どこまでも孤独だ。


 しかし、彼のもとに思わぬ声が。


「大丈夫ですか?」


 可愛らしい女の子の声だ。ミスペンは見上げる。そして目に飛び込んだ物体に、ぎょっとして後ろに転びそうになった。それはピンク色のぷよぷよとした生物だった。

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