第5話 魚人
この現れた魚人の肌は緑色で、頭に上と横から計3つ生えたヒレがまず目を引く。他にも腕と脚にヒレが見え、腰からは同じくヒレのついた尻尾。手は5本の指がすべて水かきでつながっており、何も持っていない左手は扇形に広がっていた。履いている靴も手と同じくらい幅広らしく、長方形の特異な形状をしていた。
口にくわえた短い棒からは細い煙が立ち上り、服はスーツの上からブラウンの迷彩ジャケットを羽織っているというスタイルだった。この魚人は右手に長い筒を持っているだけでなく、左手には黒い四角形の物体を装着していた。
その風貌、攻撃――クイとパフィオにとって、すべてが見たことのないものだった。クイとパフィオは、一体何者だろうかと顔を見合わせて話した。
「えっ……」
「誰なんでしょう?」
「知らない。見たことないよ。ねえ……レドを助けてもらおうよ」
「そうですね。きっと優しい人だと思います」
クイは魚人に向かって飛び立ちながら、「おねがーい! 助けてー!」と大声で呼びかける。
「うわぁ、なんだお前!」魚人は両手に持っている道具の先をクイに向けるが、クイはそれが何かわかっていないので、恐れることもなくこの魚人に助けを求めた。
「お願い。助けて……お願い! レドが死んじゃう!」クイは泣きながら、バタバタと翼を動かしてアピールする。
「あぁ、レド? なんだよお前は?」
「ねえ、早く助けて! レドが!」クイは必死に、倒れているレドを翼で示す。
その頃、パフィオは少し気が抜けたような顔をしてから、その身体がぐらついて、ズシンと大きな音を立てて倒れる。今まで気力でどうにか立っていたのだろう。
「ああ! パフィオまで!」クイはさらに激しく涙を流す。「どうしよう。僕、独りぼっちになっちゃう……お願い! ねえ、お願い!」
仕方なく魚人は、クイに連れられてレドのところへ歩いていく。
「うわ、なんだこれ! トウモロコシか?」倒れたレドを見て魚人は戸惑う。
「ねえ、レドを早く助けて! じゃないと死んじゃう!」クイはまだ小刻みにジャンプして、翼を動かしてアピールしていた。
「つっても、トウモロコシなんざどうやって面倒見たら……ってか、お前らなんだよ?」
「僕はクイ。ねえ、お願い!」
「名前を聞いてんじゃなくて……ったく! しょうがねぇな。安くねぇんだぞ、これ」
魚人はカバンから赤いカプセルを取り出すと、開いているレドの口の中に直接放り込んだ。効果はすぐに表れた。
「んん……」レドがかすかに声を発し、表情が動く。
「あっ、ちょっと元気になった!」クイは目を輝かせる。
「で、この姉ちゃんもか」
魚人は同じようにパフィオにカプセルを飲ませる。すると変化はレドとは比べ物にならないほどはっきり表れた。というのもパフィオは、カプセルが喉を通った瞬間にカッと目を開いたのだから。まるで今まで彼女がしっかりと意識があり、わざと目を閉じていたかのようだった。
「うあっ!」
驚いて少し距離を取る緑の魚人。そして、パフィオはむくっと起き上がる。よく寝たとでも言うように。
「えぇ……ちょっと早すぎじゃねぇか? 本当になんだよ、お前ら……」
目を白黒させている魚人に、パフィオはとぼけた感じで訊く。
「はい。えっと、誰でしょう?」
「オレはロテ・クンザンってんだ」
「ロテクンさん? ありがとうございます」
「いや、ロテなんだけどな」
「ロテクン、ありがとう!」クイはロテに抱きつこうとするが、ロテは素早くかわす。
「ロテだっつーの。寄ってくんな、血がつくだろ」
するとクイは、ロテの前でペタンと腰を落とし、座り込んだ。
「はぁぁ、怖かったぁー……ねえロテ、この魔獣、何? 倒したのに、消えないし。魔晶も出ない」
「なんの話してんだ? 魔獣?」
「えっ……。あれって、魔獣じゃないの?」
クイは、あの4つの顔を持つ怪物のほうを向いた。それでロテは、クイが何について話しているかをとりあえず理解して、その怪物まで歩いていくと、トカゲの頭をガッと踏みつけて言った。
「こいつは合成獣ってんだ。大昔の馬鹿タレ学者どもが作ったクソ生物だな。こんなのが森にうじゃうじゃいるんだぜ、この頃は減ってきたほうだけどな」
クイは地面に座ったまま、きょとんとしている。ロテは気にせず、左手に持つ小さな道具から伸びた短い筒の先をネズミの頭に向けて教える。
「頭が四つ並んでる奴だったら、弱点は一番上の頭だ。ちゃんと潰さねぇと、何回でも生き返るから覚えとけ」
「うん……」よく呑み込めていない顔で、クイは小さくうなずいた。
パフィオがそこに近づいてくる。「あの、この魔獣さんはなんですか?」
「えっ、姉ちゃん」ロテはクイを指差して戸惑いつつ言った。「だから、その説明を今こいつにしてやったんだよ。あと、マジューじゃねぇ。それは知らねぇ」
「身体が熱いです。どうしたらいいんでしょう」パフィオはロテの話など聞いていないようだ。
「身体が熱い?」
「ああ……熱いです。汗が出てきます」実際にパフィオの顔は脂汗がにじんでいた。
「えぇ? オレ、医者じゃねぇし」
「イシャじゃなくて、なんですか?」
「簡単に言うと、掃除屋だな」
「お掃除してるんですか。かっこいいホウキですね」
パフィオはロテの持つ長い筒を見て言った。
「ああ、掃除ってそっちの意味じゃねぇけど」
「えっ? 他の掃除があるんですね、初めて知りました」
「あと、姉ちゃん。合成獣の血はなかなか落ちねぇから、今日の風呂はじっくり入ったほうがいいぜ」
「そうなんですか」
横では、いつの間にか立ち上がっていたクイが翼でロテの脇腹をぺしぺし叩く。
「ねえ、レド、起きないの?」
「ちょっ叩くな! 汚れるだろうが」
「僕、汚くないよ。ねえ、レドは起きないの?」
「カプセル飲ましたからそのうち起きる。多分な」
「多分?」
「カプセルが効くかどうかは知らねぇよ」
「かぷせるってなんですか?」パフィオが訊いた。
「姉ちゃんがブッ倒れたのを起こす時に使ったんだよ」
「魔法ですか? 身体が熱いのも、その魔法のせいですか?」
「魔法? えーっと……お前ら、色々変なこと言うよな。マジューとか……オレに訊くな、知らねぇから」
ここでクイがまた、せわしなく魚人の名を呼ぶ。
「ねえ! ロテ! ロテ!」
「なんだよ!?」
クイは、今しがたロテがトドメを刺した奇妙な怪物をまた翼で示して言う。「ねえロテ、あの魔獣倒したよね? 魔晶にならないよ」
実際、動かなくなったその怪物は、いつまでも消えることもなく、戦利品を出すこともない。変わらぬ怪物の姿のままだ。
「だからそれ、さっき言ったろ。なんの話してんだ? マショー?」ロテは面倒そうに返す。
「これだけ強い魔獣だったら、すごい数の魔晶になるのに。エクジースティより、もっと強いんだよ」
「なんの話だよ……マジで。お前ら、なんなんだ?」
「あとさ! ハルタスの町、近くにあるでしょ」
「どこだ、それ」ロテはさらに面倒そうに答える。
「えーっ!?」
「ここはゴーレイヤ自然保護区ってんだよ」
「ゴー、レイヤ……?」クイは首を傾げる。
「不思議な名前ですね」パフィオは目を丸くした。
「本当にお前ら、どこから来たんだよ」
「僕ら、プルイーリから来たよ」
「どこだよ!」
「あれ? 知らないの? 僕ら、プルイーリに来る前はアキーリにいたんだ。レドはレサニーグから来たんだけど、知らない?」
「だから、知らねぇって。自然保護区にお前らの村でもあんのか?」
「えーっ、僕らの世界ってシゼンなんとかってとこなの? 全然知らなかった」
そんな話をしているそばで、パフィオは「ああ、暑いです。どうしたらいいんでしょう」と汗を拭きながら、その辺を歩き回っている。
「パフィオ、どうしたの?」
「なんだか身体がほてってます。じっとしてられないです」
歩き回るパフィオに目を奪われている間に、ずっと倒れたままだったレドがゆっくり起き上がる。
「あっ! レド、起きた!」
「ああ、よかったです!」喜びながらも、パフィオは歩き回るのをやめない。
レドは目を覚ますが、なんとなく横を見るとそこに倒れた合成獣の顔があったものだから、仰天してしまう。
「うわぁぁ!!」
そして別のほうを見ると、今度は変色した味方を目にする。
「で、パフィオ真っ青! なんで歩いてんの?」
パフィオはレドのそばまで歩いて来た。
「はい……こんな色になってしまいました。すごく暑いです」
「あん? あの人、何?」と、レドはようやくロテを見つけて言った。
「ロテだよ。パフィオとレドを助けてくれたんだ」
「へえ、いい人なんだ!」
「レドもロテのこと知らないのか。ハルタスの人じゃないんだね」
「知らないよ。あんな人見たことない」そしてレドは腹を押さえ、つらそうに立ち上がった。「あいったー! 痛たたた……もぉー。散々……ハルタス見つかんないし、すごい強いの出てくるし」
「おかしいなぁ。ロテ、パフィオとレドに同じカプセル飲ましたのに、パフィオはすごく熱くて歩き回ってて、レドは回復してないよ」
「知らねぇよ! 俺に訊くなよ。同じカプセル飲ましたからな! お前らがおかしいんだって」
「えーっ! 僕らがおかしいの? なんで?」
「カプセルは応急処置用だから、1個で完治する奴なんか居ねぇんだよ」
そして、その場にドドーーン! と落雷のような音が響く。
「あん? なんの音だ?」
「そうか……パフィオ、お腹が空いてたんだったね」
「はい。すごくお腹がすきました」
3人がそんな話をしている間にロテは少し歩いてその場から離れつつ、大豆程度の大きさの薄い板を取り出す。少し操作すると、この板は一瞬で大きくなってユウトが使っていたスマホよりも二回りほど大きい、長方形の板に早変わりした。板が宙に浮くと同時に、ロテの右目の前にも半透明の長方形の板が出現。どちらの板にも文字や画像が細かく多数表示され、高速で流れていく。
そしてロテは、誰もいない方向を向いてつぶやいた。
「あー、もしもし。こちら、ロテ。対象の撃破、完了。あと……怪我人見つけた」
すると彼の右目の板から何やら、しわがれた男の声が小さく聞こえる。「了解。対象は5体とも撃破したな?」
「はぁ? 5体? 4体っつってなかったか?」ロテはぶっきらぼうに答える。
「5体だ。4体でも5体でもお前にとっては一緒だろう、早く始末しろ」
「簡単に言いやがって」
「それで? 怪我人と聞こえたぞ」
「ああ、3人いる」
「同業者か?」
「いや――」
話の途中でクイがロテに寄ってくる。「何、それ?」
「ちょっと後にしろ」ロテは追い払おうとするが、彼のところに来たのはクイだけではない。
「ユウト、そういうの持ってた」レドの声だ。
「その板はなんですか?」パフィオもすぐそばにいた。相変わらず顔に脂汗が浮かんでおり、落ち着かないらしく、両手をすり合わせている。
「うわ、姉ちゃん。一応怪我人だから、じっとしといたほうがいいぜ」
「わたしは大丈夫ですよ」
「誰と話してる?」ロテの通話相手の声がする。
「怪我人だ」ロテは答える。「えーと、こいつらはオレの小舟じゃ乗っけれねーから……どうしようかな。支援が要る」
「子供か? 誰だ? 自然保護区になぜそんな奴らがいる」
「知らねぇ。こいつら、なんか変なんだよ」
「知らない……? どういうことだ?」
「俺も訊きてぇよ。どうする? ダールに知らせるか?」
「こっちで通報する。スキャンはしたか?」
「これからやるとこだ」
「今すぐやれ!」
「じゃ、掛け直す」
通話を切って付近を見ると、クイだけでなくパフィオもロテに寄ってきていた。
「あっ姉ちゃん! どうした? そんなに気になるか?」
「はい。誰かとお話してたんですか?」
「上司だよ。安い給料でガンガンこき使ってくれる、ありがたい天使みたいな上司だ」
「そうなんですか。すごく素晴らしい方なんですね」
「そうそう。『本当に素晴らしい最高の』上司だな」ロテはイントネーションにあからさまに皮肉を込めたが、ここにいる3人にはよく伝わっていないようだった。
「そのちっちゃいのが、ジョーシって人なんだね」クイがロテの前に浮かんでいる板を翼で指して言った。
「いや、あぁ……」離れた相手と通話する技術について説明するのが面倒だったので、ロテは何も答えなかった。
「あのね、ユウトって確かスマホっていうやつ使ってたんだ」と、レド。
「スマホ? なんだそれ。そいつ、何百年前からタイムスリップしてきたんだ?」
「タイム……?」
「こいつはジャナってんだ」ロテは目の前に浮かんでいる板を指差す。「スマートフォンなんぞとは比べもんにならねぇぜ」
「へー。すごーい!」
「もっと金があったらマズドゥールでも買うんだけどな」
「何、それ?」
「色々手伝ってくれる、頼りになる奴だ。俺の給料じゃ百年掛かるけどな」
「レド、スマホって何?」クイは訊いた。「ユウト、そんなの持ってたの? 僕、知らないよ」
「知らないの? クイ、本当にユウトと会ったの?」
「うん。でもスマホは知らない」
「会いましたよ」パフィオが言う。「わたしはスマホを見せてもらいました。真っ黒でしたけど」
「真っ黒? じゃあ、あたしが見せてもらったのと違うのかな。あたし、シャシンっていうの撮ってもらったんだ。あれ? シャシン撮られると死ぬんだっけ?」
「あぁ、写真撮られたら死ぬ? いつの迷信だよ」ロテが話に入ってきた。
「メーシン?」クイは首を傾げた。
「違いますよ」パフィオが言った。「カフさんと話してわかりました。ユウトさんはそんなひどいことはしてないです」
「そうそう! さっき言ったけど、それはカフが適当に嘘言ってるだけなんだよ!」
「あ、そっか! ごめん、そうだったね。でも、じゃあドゥムとダイムって、どうなったんだろう?」
「そのおふたりは、確か、ユウトさんの世界に行ったんです」
「あー、そうだった気がする!」
「えっ? 聞いたことない。何それ? 誰がそんなこと言ったの?」
「ユウトさんが言ってましよ」
「ユウトが!?」
そうして3人が話している間、ロテはジャナを操作していた。しかしリラックスしていた彼の顔つきが突然張りつめる。ジャナを捜査する手が完全に止まった。3人は彼の様子が変わったのには気づかず、ロテに話しかける。
「ねーロテ、これすごいね。いっぱい動いてるね」
「何これ?」
ロテはまったく答えず、大きな長方形の端を数回タップする。長方形は縮小して消滅し、彼の左目のそばに浮かんでいた画面も元の豆くらいのサイズまで小さくなった。
「医者呼んでくる。ここを動くなよ」
ロテは豆のサイズまで縮んだジャナをジャケットのポケットにしまい、足早にその場を去った。
「えっ? ロテ? どういうこと?」
「知らない」
「どこに行ったんでしょう」
「イシャって何?」
3人は言われた通り、ロテがイシャを連れてくるのを待ったが、いつまでも戻って来ない。代わりに遠くで、クゥーンという何か機械が起動するような音が長く響いた。
「何か鳴いてるね」
「聞いたことない魔獣かな?」
「えーっ! さっきの魔獣がもう一匹いるの?」
「もう一匹来たら、さすがにもう勝てませんよ……」
そのままじっとしていても何も起きないので、レドが沈黙を破った。
「ねえ、町に行こうよ」
「でも、ロテ、ハルタスのこと知らないんだって」
「ロテさんも知らないんですか?」
「それって、おかしい。ねえ、クイ。ちょっと高く飛んでよ」と、レド。
「わかった。ちょっと身体が痛いけど、頑張るよ」
クイは地面に身体をぶつけた痛みを我慢して、翼を動かした。そして木々の上まで飛んでいく。
クイは高く、高く飛んだ。森よりももっと上まで。何が待ってるんだろうと怖い気持ちも抱えながら。
そして――彼が目の当たりにしたのは、さらに信じがたい光景だった。
「えっ……えぇぇぇーー!?」
きらびやかで巨大な街だった。空の向こうまで達しそうなほどの超高層建築は赤、青、黄色、紫と様々な色と風変わりな形状をしていた。その建築物の間を、四角い色鮮やかな大量の物体が高速で飛び交っていた。さらに上には紫の空とオレンジ色の雲。あまりにも想像をかけ離れており、クイには何がどうなっているのか、さっぱり理解できなかった。レドとパフィオにどう説明したらいいのかもわからない。