第4話 異常生物
異常な姿の生物。そう表現するしかない何かを目にしたとき、レドとパフィオは言葉を失った。本当に、なんと表現したらいいかもわからないような姿をしていたからだ。
全高5mにも達する体躯はワシの身体を持ち、足には鋭い鉤爪。頭部があるべき場所には十字型に並んで4つの動物の頭がくっついている。上はネズミ、そこから時計回りに黒ヒョウ、緑のカメ、茶色いトカゲ。どれも、3人が知っているような可愛い顔つきではない。ネズミ同様に黄色い目、大きく裂けた口から伸びる信じられないほど長い牙が剣山のように並ぶ。牙の先から黄色いよだれが滴り落ちる。先ほど食べていたであろう木の破片も口の端からこぼれた。4つの頭は乱雑に、各々が勝手に動く。
外見も異常だが、その叫び声もまた、生き物とすら思えないものだった。
「グォワォガウァグワァオギァーーーー!!」
4つの口が同時に別々の咆哮を放つ。聞いただけで正気がどこかに飛んでいってしまいそうなほどの狂った叫びだ。
その咆哮を前に言葉を失ったまま、あんぐり口を開けていたレドとパフィオ。やがてパフィオが恐る恐る、傍らに立つ仲間の名を呼んだ。
「レ、ド……さん……」
しかし、レドは答えられなかった。
「あの……。この人は……魔獣さん、なんでしょうか?」
「違う」レドは細い声で答えた。そう答えるのが精一杯といった様子だ。
「違う?」
「『人』じゃない。こんなの、絶対に人じゃないよ。こんながハルタスの近くにいるなんて、聞いてない!」
4つの頭を持つ恐るべき怪物は、さらなる咆哮をあげながらレド達のほうへ歩いてくる。
「ゴギュガァァガゴグアァァァ!!」
怪物はのしのしと一歩ずつ大地を踏みしめるように、ゆっくりと歩を進めてきた。虚ろにレド達を見つめる8つの黄色い目になんの感情もない。だがその足運びは、まるで恐怖で動けなくなった獲物を前に余裕を見せているかのようだった。
ここでパフィオが前に出た。
「ここは、わたしが」
「えっ?」
「逃げて、下さい。わたし、丈夫なので」しかし、パフィオの声は震えていた。
怪物の持つ4つの顔のうち、カメが口を大きく開く。大量の牙の間から緑色の液体がパフィオに向けて噴射された。
「いやぁーーっ!!」
液体はパフィオの身体にまとわりつき、すぐ彼女の全身が燃え始めた。不思議なことに服は焼けていないが、それでも彼女は苦しんでいた。
「あっ、あっ……あぁぁ……」
緑色の炎の中で、パフィオはもがき、泣いている。
「パフィオ! 大丈夫?」レドもどうすることもできず、武器を持ったまま立ち尽くしている。
「ど、たっ、あ、うぁ……」クイは地面でガタガタ震えながら、その有様を涙して見ていた。
今度は、ヒョウが大口を開け、パフィオを噛み砕こうと狙う。しかしレドは前に進み、三角ホーを突き出した。
「チェシーギ・インヴァードン!」
レドの前面に白い雲のような、モコモコとした壁が発生する。パフィオを狙っていたヒョウの牙はこの壁に当たり、カチンと音がして食い込む。怪物はその衝撃でしばし止まった。
それでもパフィオを包む緑の炎がなくなったわけではなく、彼女は苦しみ続けている。
「逃げて……下さい……」パフィオは今にも意識を失いそうになりながら、それでもレドに言った。
「なっ、仲間を……見捨てれるわけ、ないでしょ!」
「うっ、仲間……」
「ユウトに会わなきゃ。あたし、あいつにひどいこと言っちゃったから……。君達がもし死んじゃったりしたら、ユウト、悲しむでしょ! そんなの嫌だから!」
その時、怪物が白い壁の脇を迂回してレドの前に現れた。レドはそれに会わせるように武器を前に出し、ヒョウの顔面めがけて突撃した。
「ミドナ・サークヴォン!」
ヒョウの鼻先に三角ホーが突き刺さる。
「ンガドゥガゴガァー!!」
4つの頭はそれぞれ、別々の声を出してうめく。レドが三角ホーをヒョウから抜くと、傷口から青い血が流れ出す。
「青い血なんて、こんな魔獣見たことない……」
この言葉に呼応するように、4つの頭はすべてレドをにらんだ。
「えっ?」
謎の怪物はレドに完全に目標を切り替えたようだ。その牙で次々とレドに襲い掛かる。亀にヒョウ、ネズミ……大口を開けては閉じる。レドは亀とネズミの牙を次々とかわし、ヒョウの鼻を三角ホーで打ち払った後、後退してまた唱える。
「チェシーギ・インヴァードン!」
モコモコした壁が再び出現した。この壁にネズミや亀の牙が食い込み、怪物の攻めが止まる。その隙にレドは怪物から目を離さず、クイに指示する。
「クイ! 逃げて! 町の人に教えて! 手伝うか、逃げるかって言って!」
返事はない。振り返ると、クイはまだ地面に寝そべったまま震えていた。
「あの子は駄目か。あたしが、やらなきゃ……!」
レドは一層気を引き締め、歯を食いしばって技名を力強く叫ぶ。
「マイーザ・アターコ!」
レドはジャンプして、トカゲの顔に三角ホーを振り下ろした。平たい額に小さな傷が入り、青い血が多少飛び散るが、その動きはまったく変わらない。
「ガウアオアウァーー!!」亀とヒョウがまた噛みつこうとしてくるのを、再度かわした。
「効いてない……?」つぶやくが、怯まずレドは次の技に移る。
「アメロ・ブローヴァス!」
また勇ましく技名を唱えて三角ホーを目の前に出し、くるくると振り回す。4つの顔すべてに多少の傷が刻まれ、青い血が流れるが、怪物の攻めはいささかも緩まない。
「ングオォアァァーー!」
ネズミと亀が同時にレドを噛みつこうとするのを、後ろにジャンプしてかわす。だが、もう彼女は息切れしていた。
「はぁ、はぁ……もう……技出す力が……」
その時だった。彼女は四つの頭に目を奪われていて、怪物の前足には鉤爪があることを見落としていた。動きの止まったレドの胴を、爪がえぐった。
「ああっ……!」
レドは黄色い粒の欠片をいっぱいに飛び散らせ、その場に仰向けに倒れた。白い身が生々しく露出している。
「レドぉー!!」クイが倒れたままそれを見て泣き叫ぶ。
「うぅ……あぁぁ……!!」レドは倒れたまま、もだえている。
それを、緑の炎に焼かれながら、パフィオも見ていた。会ったばかりとはいえ、仲間の倒れる姿に彼女は顔つきを鬼のように変えた。
「仲間を……あなたは……!」
身をぶるぶると震わせると、緑の炎をまとったまま彼女は一気に敵へ走っていく。
「このぉぉ!!」
カメの顔に渾身の拳を打ち込む。怪物の全身が軽く起き上がって、前足が少しだけ浮いた。カメが青い血を口から散らし、一部がパフィオに掛かる。折れた前歯が数本、地面に落ちた。
「ウゴアァァ!!」カメは牙の間から青い血を流している。雨のようにそれを浴びながらパフィオは言った。
「わたしは、スカーロですから! わたしだけを狙って下さい!」
そしてパフィオは顔の下に潜り込み、怪物の腹を拳で打ち上げた。
「ガウアォア……!」
怪物の全身が、数10cm宙に浮いた。彼女の身体を包んでいた緑の炎が消え、怪物の動きが鈍くなる。さらにパフィオは怪物が地面に落ちる前にワンツーパンチを叩き込む。衝撃で怪物の前足は完全に浮き上がり、白い腹が露わになった。
「えぇーーーいっ!」
パフィオは全力のアッパーを怪物の腹に打ち込んだ。ガッと音が森に響くと4つの顔はすべての口から大量の青い血を吐き、その巨体は裏返しとなって、反対側に大地を震わせ倒れた。
それを確かめてから、パフィオは全身の力を失ったように、ばたりと倒れた。そしてレドも、まったく動かないままだ。
「えっ……パフィオ? レド……」
クイは動かなくなった2人に、恐る恐る近寄っていく。そして震えて泣き始めた。
「嫌だ……。僕、独りになっちゃったの? なんで……。なんでだよ! レドも、パフィオも、何も悪いことなんかしてないのに! ひどいよ!!」
しかしその声に応えるように、パフィオは起き上がった。
「はぁ、はぁ……」彼女は怪物の血で全身真っ青に濡れ、息も荒かった。立ち上がる力もないようだが、間違いなく生きていたのだ。それを見た時、クイは安心のあまり、震えたまま涙を流し始めた。
「パフィオー!!」
クイはパフィオに抱きついて泣きじゃくった。彼女を青く染めた敵の血がクイにもついたが、気にしなかった。彼女は戦闘のせいで服がボロボロになっていた。
「クイさん……大丈夫でしたか?」パフィオの声は細かったが、それでもクイを安心させるためか優しく微笑んでいた。
「パフィオこそ! 僕、パフィオ、死んじゃったかと思った……」
「大丈夫ですよ……わたしは、スカーロですから。それより……レドさんが」
「あっ、そうだ。レド!」
クイは倒れたトウモロコシのところへ駆け寄る。
「レド! レド!」名を呼ぶが、倒れたレドは目を開く気配もない。どうにか息はあるものの、今にも命の火が消えてしまいそうだ。
その間にパフィオはどうにか立ち上がり、ふらつきながらもレドのいるところへ歩いていった。そのパフィオに、翼をばたつかせ、せわしなく細かいジャンプを繰り返しながらクイが言う。
「どうしよう! レドが!」
「ミスペンさんなら、回復してくれますけど……どこに、いるんでしょう?」
「ミスペンもテテも、どうしたんだろう。どこにもいないのかな」
その時。背後から3人のものではない声がした。
「ンガォワオァァァァ……!!」
「あっ!」
パフィオが振り向くと、先ほどの怪物が立ち上がろうとしていた。
「あいつ! 死んでなかったんだ! パフィオ……」
パフィオはふらふらと立ち上がる。満身創痍で、もはや歩くことすら難しい。怪物も深手を負っているが、再びこれを退ける力は残っていなかった。ここまでではないかという雰囲気が漂う中。
その時、また予想しえないことが起きた。
バオン――クイが聞いた音をそのまま字に書き起こすとそのようになる――大きな音が空気を震わせた。同時に、ネズミの右こめかみから青い血がバッと噴き出る。それで怪物はぐったりとして、今度こそ動かなくなった。
何事かと周囲を探すクイとパフィオ。すると、見たことのない人物が遠くの岩の上に立っていた。その人物は右手に細長い筒を持っており、先端を怪物に向けていた。
それは、魚。
もとい、魚に手足の生えた、魚人と呼ぶべき生物だった。