ある父親の邂逅
歳が経ってから産まれた子は目に入れても痛くないほどに可愛かった。
少々、おませなところがあるかな。と思う以外は普通の子供だった。
5歳になり、周りに何を選ぶか聞かれる頃にはお姫様になりたいと笑っていた。
花鏡の頃にはある程度やりたいことが決まり早い子であれば一つ二つ出来上がってもおかしくはない。
うちの子には、片鱗も見えなかった。
何かと教えてあげたりもしたが、あの子は
『私にはスキルがあるから大丈夫』だった。
スキルというのがわからないが、本人が言うならもうどうしようもない。
もう手がつけられないのでは。と思うときがあった。
私たちが教えたことに対して少しでもできないとすぐに癇癪を起こし、花鏡の頃にやるべき貴族の基本も全くできなかった。
幸い、領地もない男爵家なので娘が何かした時は爵位の返上をするしかないと妻とも話し、使用人も少しずつ減らした。
事業は信頼できる友人数名に後を頼んだ。
理由を話すと皆『ああ…』と、納得してくれた。
妻は、諦められずに色々なことを教えようとした。
それこそ虐待になるのでは?と言うくらい強く根気強く厳しく教えたがまったく覚えようともせず、むしろ癇癪がひどくなり妻は体調を崩した。
体調よりも精神の方がきてしまったのかもしれない。
社交界デビューであまり良い噂の聞かない伯爵夫人と意気投合し、それ以来家には帰らなくなった。
皆に通いできてもらい、自らの清算を始めた。
娘が、結婚をする時に。と買った生地で衣服も作った。
ウエディングドレス。
純白のドレスに身を包み、良き伴侶と共に幸せになってくれると思って選んだ生地。
きっと、赤く染まるのだろう。
先に逝っているよ。
死刑を待つ牢屋で、夫婦が命を落とした。
妻は投獄前から体を壊しており妻が亡くなると夫も心労からか共に眠るように息を引き取った。
処刑時、両親も共に処刑を受けると思っていたのに二人とも来なかった男爵令嬢は着せられた衣装の意味を理解し、絶望した。
血に染まった花嫁衣装は令嬢と共に葬られた。
令嬢だった女の最期の言葉は
とても、とても小さく。
ごめんなさい。だった。
男爵目線からの処刑前日の話。
投獄中も両親を罵っていた令嬢は隣で静かに両親が息を引き取っても気づかない。