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その6 姫

 あのとき、止めるべきだった。

 姫は手を伸ばし彼女を止めようとしていた。ただ、口からは何も発する事ができず、伸ばそうとした手は動かし方を忘れたかのようにぴくりとも動かなかった。


 そうしているうちに、彼女はマンションの入り口の方へ歩いて行ってしまった。


 姫が正気を取り戻したのはしばらく経ってからだった。


「シゲさん、ほんとにこの中に入って行ったの……?」


 姫の目の前、マンションの入り口、否、マンション全体を覆うドーム上の結界が張られている。暗い緑色や黒色、灰色等の色が混ざり合い、それはヘドロの様であった。そんな中に平気で入っていった自分の同僚。絶対に無事では済まない。そう感じされる程、禍々しさがその結界にはあった。


「助けに入る? わたしが? この中に? こんなヘドロの中に? シゲさんの為に? なんで?」


 終わりの無い自問自答を続ける。いくらなんでも、ただの同僚の為に、こんな気持ちの悪いところに全身を浸けるなんて考えられない事だった。


「シゲさん。シゲさん?」


 インカムに向かって応答を求めるが、返事がない。壊れているのか、もしくはこの結界に阻まれているのか? もしくは、国見の身に何かがあったのか?

 しばし考え込んだ。助けに行く? いや、様子だけでも見に行く? 

 再び自問自答を始めるがやがて、180度踵を返して、立ち去る。無理だ。こんな気持ち悪いところに入れるわけがない。


「だって、しょうがないじゃない? わたしだって無事で済まないわよ。あんなところ」


 頭をブンブンと振りつつ歩く。が、数歩進んだところで足が止まる。進もうとする意思に反して、足がまったく動かなくなった。


「なんでよ? わたしは帰りたいのに。ぅぅぅぅ」


 無理やり歩こうとするも、姫自身の意思とは別のものが姫を押し止める。


「あぁーーもぅ! なんでよぅ!」


 それは自分の意思ではない。

 少なくとも表層の意識では、国見の自業自得であり自分とは関係のないことだと思っている。それが「いつもの自分」のはずだった。それは間違いない。姫は自分は自分、他人は他人という主義だ。他人の助けを求めない代わりに、自分も他人を助けたりはしない。もちろん協力することはある。一人では出来ないことを二人で協力してやるというのは否定しないし、そうする必要があると認識している。しかし、今回のこれは、そうではなく、勝手危険に飛び込んで行ったのだ。それに助けを求められているわけでは無いし、実際国見は無事で、問題ないかもしれない。そう思っていた。


「ねえ、なんでよぅ? わたしは嫌だって言ってるでしょ」


 誰でもない自分自身に姫は問い掛ける。しかし、心の奥底にあるもの、彼女自身の無意識下にある強い意思があった。その意思は誤魔化されなかった。国見が無事でいるなんてことはありえない。その事を解っているのだ。

 このまま仲間を見捨てて帰る訳にはいかない。そんな無意識下の強い意思によって姫は再びマンションの入り口に向かっていった。


「はぁ……まったくありえないわ。仲間の為だからってなんでわたしが。これなら独りの方がまだ良かったじゃない」


 一通り悪態を付き終わると、意を決し、呼吸を止めて結界の中に入る。しかしわずか数分で限界が来てしまう。呼吸がさすがに4階の部屋までは止められなかった。国見と同じくエレベータを避けて、階段を登り始めたところだった。そこで身体が新しい酸素を求めて、一気に空気を吸い上げる。それはまるでヘドロを勢いよく飲み込んだかのようだった。強烈な吐き気に見舞われる。目がまわり、膝をついて盛大に嘔吐する。自分の意思が介在しない、身体の条件反射であった。喉や鼻の奥がジンジンと痺れた。


「シゲさん、よくもこんなところに入れたわね」


 壁に手を付き、再び立ち上がろうとしたとき、()()()()()左目に強烈な痛みが走った。左手のひらでモノクルごと抑える。


「ぐっ、なんでこんな。数年無かったのに、今頃」


 姫にはこの痛みには覚えがあった。それは数年前。まだ中学生であった頃だ。自分の部屋に真っ黒い大きな蛇が床を這っているのを見つけた。突然の事に恐怖し、その場に立ちすくむ。その蛇が鎌首を持ち上げて近づいて来て、飛び上がり左目に突っ込んで来た。そのまま左目を喰らい、脳まで達するかと思われた。左目の激痛に、目玉を取り出したい欲求に駆られる。痛みに抗う術は無く、そのまま意識が遠退いて行った。

 気がつくと病院のベッドに寝かされていた。そして、左目の痛みが無くなっている事に気付く。医者の説明によると、姫の左眼は眼球ごと無くなっているとの事。また、眼球だけでなく目蓋ごとごっそりとくり抜かれた様になっていること。そして何故そうなったのかは不明であり、それ以外の異常は特に見当たらないとの事だった。

 医者の淡々とした説明を、まるで退屈な授業の様にぼんやりと聞いていた。まるで実感が沸かなかった。何が起こったのか解らないまま、左眼が無くなった。そう聞かされて、どうしろと言うのだろうか。ショックが大き過ぎて感情が付いて行けない。壊れてしまわない様に、感情のブレイカーが落ちたのだろう。

 眼帯をつける為、包帯が外される。左眼全体を覆う様に眼帯が付けられた。

 家に戻ってから初めて目の状態を確認した。眼帯を外し鏡と向き合う。


 意外とショックは無かった。事前に話を聞いていた事もあったり、まだ心のブレイカーが落ちたままだったのだろう。左眼は姫の心の様にぽっかりと穴が空いており、真っ黒な空間が奥にあった。


 学校に久しぶりに登校すると、教室で同級生たちが代わる代わる「どうしていたのか?」「その眼帯はどうしたのか?」と聞いてきてとても面倒だと感じた。本当の事を言う気にはならなかったので、適当に誤魔化していた。本当に心配している者も居るだろうけど、多くは単に自分の退屈を紛らわせる為騒ぎたいだけであったり、男子生徒に至っては話し掛けるきっかけにしている者がほとんどであったろう。

 その中で一人だけ違った印象で対応してきた者がいた。同級生の女子であるが、今までまともに話したことが無い子であった。仲が良いとはとても言えず、むしろ姫の事を陰で悪く言っているフシがあるぐらいである。姫が男子生徒に人気がある事に対するやっかみだろうか。人の陰口というのは、案外本人に誰が言っているのか何となく伝わるものなのだ。そんな子が、青ざめながら矢継ぎ早に質問して来た。心配しているというより、怯えている様に感じた。明らかに、姫以上に彼女の方がショックを受けている感じだった。


「何か知ってるの?」


 不審に思って尋ねると、彼女は口籠り、立ち去って行った。そして彼女は、その後も数日、こちらの様子をちらちらと盗み見しているのがわかった。

 それから数日後、寝ていると夜中に左眼が、否、左眼が有った場所に激痛を感じて飛び起きた。頭蓋骨が中から破裂するのではと疑う位の激しい痛みが襲う。それに痛みだけでは無かった。左の眼窩の中で何かが蠢いているのを感じた。


「蛇だ。あの時の蛇だ」


 夢の中で、眼に飛び込んで来た蛇。それが眼窩の中に巣食っている。そう感じた。

 眼帯を外し、テープで止められたガーゼを引き剥がす。鏡で確認するも、眼窩の中はただ真っ黒で、中に何かいる様子は無かった。確かに鏡には何も写っていない。しかし眼窩の中で蠢いている感覚は続いていた。あまりの痛みに気が動転し、眼窩に指を突っ込んで見えない何かと取り出そうとした。しかし眼窩の中に入るのを何かが邪魔をした。見えない壁があるかのようにそれ以上中に入れる事ができなかった。

 痛みが酷くなるに連れ身体がどんどん熱くなる。訝しんでいると、鏡に写った光景に啞然とする。そこには、自分の後ろ、部屋の出口側が炎で轟々と燃えていたのだ。火事だ。慌てて両親を呼ぶが反応が無い。部屋の出口にあたる扉側が燃え広がっている為、部屋の外にも出られない。そうこうするうちに火は勢いを増し、部屋の天井、壁へと全体を燃やし尽くす。逃げ道は窓しか無かった。ここは2階である。飛び降りたとしても死ぬことはないだろうと判断した。それに、このままここに居たら、一酸化炭素中毒で死ぬか焼死するかしかない。

 窓を開けて、飛び降りて逃げたおかげで姫は一命を取り留めた。


 今のこの痛みはまさにあのとき感じた痛みだった。あの火災の日以来、まだ一度もこの痛みが再発した事はなかった。この痛みが火災をもたらしたものだ。姫はそう考えている。結局のところ、あの火災は原因不明として処理された。特に火元となるようなものが無かった為である。ならば尚更この痛みが原因に思えてならなかった。


 また火が発生するのだろうか。姫は辺りを見回すが、特に火が燃えている様子はなかった。眼窩の中のモノがどんどん膨れ上がる。このままでは全身に広がって行くのではないか? そんな恐怖が姫を襲う。出さなければ。一刻も早く出さなければ。直感がそう危険を訴えかける。


(このモノクルはね、姫の眼窩に巣食う魔の力の暴走を抑えつつ、バッテリーのようにエネルギーを貯めるモノだ。うまく使えば、そのモノクルでおまえは、強い魔術を発動できるようになる)


 マスターチカから渡された時に聞いた言葉を思い出す。

 モノクルで抑えられているはずの魔の力が、抑えきれずに活性化しているなら、そのエネルギーを消費することで、大人しくなるかも? 

 そう思いついた瞬間、モノクルに付いているダイヤルを回した。

 エネルギーがモノクルに充填されていく。それに伴い、痛みが引いていくのを感じる。


 いける。その刹那――モノクルの縁から火花が散り、全体が発火する。

 エネルギーがモノクルの許容量を超えたのだろうか?


「なら、全部まとめて吹き飛ばしてやる!」


 あまりに巨大なエネルギーゆえに、下手に放てば被害は甚大だ。そう考え、空に向かってエネルギーを放つ。モノクルから連動した左手のグローブを天に翳して最大出力で、エネルギーの塊を発射する。

 反動で身体が沈むのを姫は必死で堪える。放出されたエネルギー体は、ヘドロの結界を砕き粉砕する。結界が砕けると、一気に空気が変わる。沼の中から地上に出て空気を吸えるようになった、そんな感じであった。

 大量のエネルギーを放出した姫はその場にへたり込む。左眼の痛みも、中に蠢く蛇の感触も無くなっていた。


「結果オーライ。計算どおり上手くいったわ。でも、この結界の大元は死んでない。皮を裂いただけ。また復活する。それまでにシゲさんを回収しないとね」


 立ち上がると、全身に痛みが走る。再び膝を折りそうになるのを、なんとか立ち上がる。

 

 最大出力が身体に及ぼす影響はかなりのモノだったようだ。


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