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その5 国見

「えー、わたし、今帰ってきたばっかだよぉ……」


 国見の後ろをぶーぶー文句を言いながら、姫が付いてくる。ちらちらと振り返りながら早く付いてくるように国見が即す。しかし国見にしても納得がいかないのは事実だった。


「私もそう言ったんですが、一人だと危険なので姫も連れて行けと」

「えー、わたし、今しがた仕事終えて来たばかりなのにぃ― ってちょっとまったぁー! 危険だからわたしも行けと? それはつまり危険なところへ行けと言ってる?!」

「いいじゃないですか。頼られてるんですから。それだけ姫は実力があるって事です。私からしたら羨ましいです。私は……一人でも大丈夫って言ったのに」


 最後の方は心底悔しそうにつぶやく。やはりマスターに自分は認められていない。国見は強くそれを感じていた。


「いやそれ、わたしも一人じゃ駄目って事じゃないの?」


 姫はそう言うが、それは同じようで同じではない。確かに姫一人でもだめなのかもしれない。でも国見の中では、姫の方が自分より実力が上であるように感じていたし、マスターもそう判断しているに違いない。そう常々思っている。この任務が無事完了したとしても、それは姫の評価が上がるのであって、国見の評価にはならない。それでは意味がないのだ。


「着きました。あのマンションです」


 国見が指差す先、そこに見えるのは、どこにでもあるような普通のマンションであった。外壁は、元は白色であったのだろうが、今はすす汚れて灰色になっている。また、蔦が這い回っていてゴーストタウンの様な雰囲気を醸し出している。


「わたし、ホラー苦手なんだよね。何この幽霊マンション」

「意外ですね。姫はホラー好きかと思ってました」


 国見は本心からそう思った。姫からは嗜虐的なものを楽しんでいる様な空気を感じる。想念体を倒した後、口元に浮かべる満足そうな笑みがそれである。それはマスターに対しても感じる共通点であった。優秀な魔術師はそういう感じになってしまうのかとも思った。その力は、人としての何か、人を人足らしめている大事なモノを捨てる事で得られるのかも知れない。姫は、いろいろといい加減なところがあるが、その実、魔術師としては優秀な方だ国見は思っている。


 (自分とは違って)

 

 国見は魔術師の家系に産まれた。代々と言っても4〜5世代前である。日本における西洋魔術師としては、由緒ある家柄と言えた。国見は幼い頃から両親に期待を掛けられ、跡継ぎとして優秀な魔術師として魔術協会に認められるべく育てられた。そして国見の父親が、魔術師としてその実力が広く認められているマスターチカに、無理やり弟子として国見をねじ込んだのである。国見自身も自分にとっても初めは良い機会だと思っていた。しかし、マスターチカのみならず、一番弟子の姫にも及ばない自分の不甲斐なさを実感する毎日であり、苦痛の日々であった。


「私も嗜虐的になれば変われるのかな」


 ついついそんなつまらない事を考えてしまう。


 ぶんぶんと頭を振り、雑念を払う。


「シゲさん、さっきからなにブツブツ言ってんすか? 行かないんっすか? 行かないんなら帰りまっしょ!」


 180度回転する姫の腕をパシッと掴んでその動きを止める。


「なんでそう姫は不真面目なんですか? もっとちゃんとして下さい」

「えー、わたしは至って真面目だよぅ。こんなところで死んだら勿体ないじゃない」

「まったく貴方って人は……死にませんよ。ちょっと偵察に行くだけじゃないですか。ほら、行きますよ」


 嫌がる姫の腕を無理やり引きながらマンションの入り口へ進む。陽がそろそろ沈もうかという頃合い。

 マンションの敷地内に入ろうかというときに、引っ張っていた姫の腕が振り解かれる。


「なんですか姫。また駄々こねるつもりですか? いい加減にして下さい!」


 度重なる姫の拒否反応に、とうとう頭にきた国見は、先輩であろうともお構いなしに叱責した。相手が格上であろうとも言うべきときには言う。それが国見の信念であった。


「ごめん……シゲさん。これ、無理」


 姫の顔は青ざめ、手足が震えていた。歯もガチガチと鳴らしている。マンションの方から完全に目をそむけている。こんな姫を見るのは初めてであった。危険な任務は今までにも何度かあった。そんなときでも姫はいつも不真面目で飄々としていた。そしていつも難なく任務を完了させていた。そんな姫だからこそ、国見は戸惑いを隠せない。


「どうしたんですか? 姫」


 問い掛けにも姫は応えず震えるばかり。何か視えるのかとマンションの方を振り返るが、国見には何も視えなかった。


「じゃあ、姫はここに居てください。私が視て来ますから。何かあったらインカムで連絡します」


 そう言い残し、マンションへと入っていく。

 扉の前に立ち、感覚のチャンネルを合わせる。魔術的なモノは、そのチャンネルを合わせたときに視えるようになる。それ故に、普通に生活している一般の人々には魔術を感知出来ない。稀に、生まれつきそういったチャンネルに合ってしまう人も存在したりはするが、極少数である。魔術師としての訓練を受ける事で、自分の意識をそういったチャンネルに合わせる事が出来ようになる。

 扉を開け、中に進む。特に魔術的な何か、怪しいものは見当たらない。只々静まり返っていて、人が住んでいる気配がない。それは、今誰も居ないというより、ここ数年ずっと誰も住んで居ない様な場所に感じられた。

 エントランスからエレベーターに乗ろうして、ふとその手を止める。エレベーター内で何かあったら対処が難しい。逃げ場がない。そう考えて、階段で行く事にする。目的地である部屋は4階。ならば階段で登っても大したことはない。

 きょろきょろと階段を探す。階段はエレベーターから横の壁際にひっそりとあった。ゆっくりと覗き込み、異常がない事を確かめる。ひんやりとした空気で、薄暗い。普段なら絶対通りたくない場所だった。


「ここまで来たんだ。行くしかない」


 そう自分に言い聞かせて階段を登る。魔術的な何かにとっては、あまり意味のない事かも知れないが、念の為と思って足音を忍ばせながら登る。国見は自分の心が不安に支配されるのを必死で堪えた。何かが来るかも知れない。姫の異常な怖がり方を見た故に、より一層不安が掻き立てられる。後ろや壁にも注意を払いながら進む。

 そして程なく4階に辿り着いた。何も怪しいものは見つからない。まさか姫は、行きたくなかっただけで、怖がっているふりをしたのではないか? そうも思えてくる。姫が居ないのはある意味好都合だった。これで国見一人で出来る事を証明できる。そう考えると勇気が湧いて来る。

 目的の部屋のドアに辿り着く。てっきり扉に何かが仕掛けられていると思っていたが、魔術的なものは何も仕掛けられていなかった。ドアを開こうとして思い留まる。


「ここは慎重に行かないと。ひとまず姫に連絡を……姫、応答願います」


 イヤホンインカムに手をやり、姫に呼びかけるも応答が無い。インカムを付けてないのか、それともまだ震えたままで反応出来ないでいるのか? しばらく呼び掛けても応答が無いので諦める。

 ならば保険に結界を張っておこうと思い、術式を展開するが結界は生成の途中で直ぐに消失してしまう。その事実に国見は愕然とする。彼女は結界には自信があった。これについては姫よりも上だと自負している。それがまったく機能しない。

 ここは退くべき。冷静な自分は訴えかけるが、意地がそれを許さない。このまま何も解らずに引き返して報告など出来ない。解決は出来なくとも、何かしらの情報を手に入れなければここに来た意味がない。

 ドアノブを掴んでドアを開く。インターフォンやノックをしなかったのは、依頼者から聞いていた手順だと同じ結果になりかねないと考えたからだ。異なる手順を行えば何か違った結果を生むかも知れない。鍵が掛かっているかも知れないが、ひとまず開けてみよう。そう思った。

 ドアをゆっくりと引くと、ドアはそのまま開いていった。

 何かが出てくるかもと身構えていたが、何も起らなかった。人が居る気配は無く、部屋は静まり返っている。


「誰か居ますか?」


 誰も居ないと判っていても、ここはちゃんと声を掛けておくべき。万が一誰か居た場合に揉め事になるからだ。

 返事がない事を確認して、ドアを閉め部屋に入る。習慣的に靴を脱ごうとして止まる。靴を脱ぐと逃げる時に全力で走れない。とはいえ、このまま土足で上がるのも躊躇われた。少し思案したが、結局脱ぐ事にする。何事も無かった場合、自分の靴跡を部屋中に残すのは後々問題になりそうだと感じたからだ。

 玄関で脱いだショートブーツを綺麗に揃える。姫やマスターなら構わずに土足で入るに違いない。こんな所にも、自分と彼女たちとの違いを痛感する。


「だってしょうがないじゃない……」


 誰も居ない空間に呟く。

 パシパシと両手で自分の頬を叩き、気持ちをリセットする。気を引き締め直して周囲を伺う。

 台所の流しに食べ終わった後のカレー皿やスプーンが置かれている。皿の縁に付着しているカレーが乾いて張り付いていた。放置されて随分と日が経っているのだろう。

 台所の向かい側の浴室のドアを開ける。死体があるのでは無いかと危ぶんでいたが、特に何も変わった様子は見られない。ごく普通のユニットバスであった。洗面台の上には、髪ブラシやコップ、この中に立てられている歯ブラシが一本。浴槽の中も確認したが、特に異常はない。後は確認していないのは奥の部屋だけになった。

 扉を開け、奥の部屋を覗く。天井に付けられたライトが点けっぱなしになっていて、部屋は明るい。6畳ほどの広さだ。机に本棚、そしてベッドがあり、残りのスペースの部屋の中央に四角い白いローテーブルが置かれている。テーブルの上には、グラスが横倒しになっており、中に入っていたであろう液体が、テーブルの上で模様となって乾いていた。その模様と混じって、テーブル上に書かれていた赤い図形らしきものが液体に溶かされ滲んで崩れている。

 近付いて図形を確認するとそれは魔法陣だった。出来上がっていた魔法陣が液体によって削れている。

 テーブルの側の床に、魔法陣が描かれた黒い本が置かれている。手に取って中を確認すると、魔術の本であった。


 魔術の本には大きく分けて3種類ある。

 1つ目は怪しいモノ、眉唾ものを集めて効果が有るか無いかわからないようないい加減なもの。所謂エンタメ本である。


 2つ目は、実際に魔術師が使っているものやそれに近いものが書かれているが、部分的であり、必要なものが足りず、それ単体だと役に立たない本である。これは実際の魔術師が書いているものも存在する。 


 3つ目は、本当の魔術の本である。本自体に魔術が宿っていると伝えられている。ただこれは手に入れることはほとんど不可能である。様々な本がそれぞれの魔術師団体の御神体の様に扱われていると聞いている。国見自身もまだ見たことが無い。


 そしていま手に取ったそれは、2つ目の魔術書であった。この様な本は普通に市販されているもので、簡単に手に入れる事が出来る。故に、この部屋の住人が持っていても別段不思議な事では無い。普通の状態ならば。


 テーブルの上に書かれていたであろう欠けた魔法陣。これはここで何かしらの魔術を行おうと試みた跡に違いない。

 そして本来ならばこんな本に書かれている魔術を素人が見様見真似で実践した所で何も起きる筈は無い。必要な条件が揃わないからだ。しかしこの部屋の現状を見るに、何らかの魔術が発動した跡と思われる。スマホでその魔法陣を撮影し、証拠品とする。流石にテーブルごと持って帰ることはできない。また、見落としがあってはいけないので、部屋の彼方此方を無造作に撮影する。


「よし、こんなもんかな」


 魔術の本はゆっくり中身を確認する為、持ち帰る事にする。これで此処で出来る事はもうない。そう考えた。偵察としては、これで充分の成果だろう。まだまだ出来る事はあるかも知れないが、あまり此処に長居はしたくない。姫の事もある。あれだけの恐怖を見せられると流石に何かあるかもだし、一刻も早く此処から去るべきだろう。

 急ぎ玄関に向かい、ショートブーツを履く。ドアノブを降ろして外に出ようとしたが、ドアが開かない。閉めた時に習慣的に鍵を掛けてしまったのだと思い、鍵を開けようとするも、鍵など掛かっていない。


「何で開かないの?」


 ドアノブをもう一度戻して、再度開け直すもやはり開かない。身体全体で体当たりするも、ドアはびくともしない。

 罠にハマった?!

 国見の心の底の方に、無理やり抑えつけていた恐怖が湧き上がってくる。

 じわじわと室内が冷気に満たされていくのを、肌で感じる。

 先程出て来た奥の部屋の方から何かが来る。そんな予感がさらに恐怖を煽ってくる。


 ……冷気と共に冷たくぬるりとした何かが、足首から膝へと絡みついてくる――シュゥシュゥと音を立てながら。


「姫! 姫ぇぇぇ!」


 マンションには、体当たりの鈍い音と、助けを乞う絶叫がこだまするだけだった。

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