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その1 マイマスター

「うぇぇぇぇ」


 魔法陣が上下左右前後に描かれた個室の中、床に盛大に緑色の何かをぶちまける少女がいた。

 姫である。

 どこかのお姫様ってわけじゃない。名前が「姫乃」だから、みんなから「姫」と呼ばれているだけである。


「姫はタフよねぇ、その程度で済んでるんだから。シゲさんの方は集中治療室行きなのに」


 姫の隣に腕を組んで見降ろす20代半ばぐらいの金髪ショートカットの女性が、シックな紺の長いスカートのメイド服を着て立っている。その容姿は、彼女がもし尖った耳であったなら、誰もがエルフを思い浮かべたであろう。その彼女の冷たい狐の様な眼は苦しむ姫を憐れむようにも見えるが、どこか愉しんでいるようにも見える。


「鍛え方が、うげぇ……、違いますから、ぐぇぇ……」


 姫は床に這いつくばり、緑色を吐き出すためだけの器官と化していた。


「まあ、後一時間ぐらい吐いたら、スッキリすると思うわ」

「後一時間もぉぉ、マスター、もう無理っすぅぅ。うぇあ……」

「気を抜いた罰よ。あんな想念体ごときにやられるとは嘆かわしい。修行が足りないわねえ。あんなの一撃で倒してもらわないとねえ。弟子の育て方間違っちゃったかしら」


 マスターと呼ばれた女性は、いたずらっぽく微笑むが、その緑色の瞳は笑っていない。

 姫がその瞳を見たとき、背筋に冷たいモノが走る。

 その瞬間、姫は思い出した――マスターの鍛え方は半端ない。ただ厳しいだけじゃなく、明らかにこのマスターは、弟子たちの苦しみ喘ぐ姿を愉しみたがっている。それは、弟子が強くなればなるほど、より苦しむように特訓が激しさを増していくのだ。死ぬギリギリまで、その精神が崩壊する寸前まで追い込む。その姿を見るときのマスターは、それが極上の快楽だとでも言わんばかりに、恍惚な表情を浮かべるのだ。

 姫は、思う。マスターの修行を受けるぐらいなら、この強烈な嘔吐を一時間我慢する方が、まだマシだ。


「え? いや、うげ……、大丈夫っす。うぷ……、一時間ぐらい平気っすよぉ〜うっく……」


「よろしい。さすが私の一番弟子ね。嬉しいわ。次の仕事の時間も迫ってるから、がんばってね」


 マスターはケラケラと笑う。

 最悪だ。仕事の時間が来たら、嘔吐が収まっていなくても行かされるだろう事は、姫には充分に予想できた。昨日の仕事からまだ一睡もしていない状態だが、それを抗議したところで、「これも修行の一つよ」とにこやかに告げられるだけだと予想できた。これならいっそシゲさんの様に、意識不明の方がましではないか、とさえ思う。


「こんな状態になる前に、助けてくれたって良かったんじゃないですかねぇぇ」


 数刻前、姫たちは任務中に突如出現した巨大な想念体に呑み込まれ、その腹の中で藻掻いていた。シゲさんは生命力を吸われて危険な状態になり、意識不明に。姫は何とか脱出しようと頭を働かせたが、息が出来ず苦しさのあまり頭が回らなくなり、溺れていたのである。

 近くで一部始終を観察していたマスターが見かねて手を翳すと、巨大な想念体の動きが止まり、ボロボロと崩れだす。そして風に飛ばされて、跡形もなく消失したのだった。


「何言ってるの? これも貴方たちの修行の一環なのよ。私が手を出したら駄目じゃない。本当に辛かったのよ。私の弟子が苦しむ姿を見るなんて。でもね、私は心を鬼にして……貴方たちのために必死で堪えていたのよぉ」


 そう言って涙ぐむ。


「いや、もう、そーいうのいいっすから……。うげぇ……」

「あらあら、まだ辛そうね? あんまり、喋らない方が良いんじゃないかしら」


 言い終わった後に、ふふふと笑い声が混じる。


「マスター、絶対、愉しんでるでしょうぇぇ」

「そんなことないわよ。心外だわぁ」


 そう言って、ふふふとまた笑った。


「ぅ、嘘だぁあ。マスター、絶対たのしんでるぅぅ」


 そのとき急に、ピーっとブザーが鳴る。

 それは、店に客が来た合図であった。姫は反射的に立ち上がろうとしてよろけ、そのまま仰向けにぶっ倒れた。


「まだ、立っちゃだめよ。ゆっくり休んでなさい。接客は私がやるから」


 ヤレヤレと、大袈裟に両手を広げ、ドアの前で振り返る。


「姫、解ってると思うけど、そこから出たら駄目よ。出たら1からやり直しだからね」


 そう楽しそうに言うと、ドアを開けて店へ向かう。


「お帰りなさいませ〜ご主人さまぁ〜」


 メイド喫茶お決まりのセリフで愛想よく迎えるマスター。だが、店に入って来たお客を見たとたん態度を変えた。


「何だ、あんたか。愛想よくして損したじゃない」


 悪態をつかれた客は楽しそうに微笑む。上品なスーツに身を包んだ小肥りの初老の男で、白い口髭と顎髭、金縁の眼鏡をかけていた。


「そういうのが堪らないねえ。私専用のサービスかな」

「冗談じゃないわ。それより、依頼完了の報酬、さっさと頂戴な」


 マスターは遠慮なく手を出して、クレクレと手招きする。


「チカちゃんはがめついなぁ。先程、想念体の殲滅を確認したところだよ。最近奴らの数が増えて困る。お陰さんで、この街の想念体は居なくなったがね。ただ、ちょっと気になるところがあってな、それで確認が手間取ったんだ」


 そう言って懐から封筒を出してマスターに手渡す。

 マスターは直ぐに封筒の中身を確かめ、中に入っていたお札を数え始める。


「それで気になるところって?」

「ん、ああ、たいした事では無い。それはこっちで対処するよ」

「なあんだ、追加の依頼があるのかと思ったのに、残念。そっちだけで大丈夫なのぉ?」

「ああ、チカちゃんの弟子ほど優秀じゃないがね、数だけは多いからな。しかしチカちゃん、お金儲けがしたい訳じゃないだろうに。本来の目的を忘れたのかな?」


「ひいふうみいよ、いつむーななやーくーとぉー。きっちり百万。毎度ありがとうございます」


 マスターは、お札を丁寧に封筒に入れ、テーブルの脇に置き、俯いたまま呟く。


「忘れてなんかいません。忘れる事なんてできません。それは、私が生きる理由ですから。お金は、目的を達成するのに必要なだけです」


「なるほど。わかった。まあ、ここ最近おかしな事が多い。何かと仕事を依頼する事も増えるだろうさ」


「よろしくお願いしますわ」


「では、そろそろお暇するよ。まだまだ片付けないといけない事案が山積みでね。なかなか隠居させてもらえないみたいだ」


 チカは扉を開けてにこやかに男を送り出す。


「いってらっしゃませ。マイマスター」


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