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入学式

 新学年の初日は2年生と3年生は午前中で解散となり、午後からは入学式となるので教職員はその準備に追われる。

 赴任したての美月もまた例外ではなく、川﨑に色々とこき使われていた。


「御神本先生、国旗と校旗の支度をして下さい!」


「あの、国旗と校旗は何処に在りますか?」


「そんなの少し考えれば判るでしょう」


「すみません」


 諸事情により始業式には掲揚されなかったが、入学式では国旗と校旗を掲揚する事になっている。その国旗と校旗だが、赴任したての人間に場所が判るのか、甚だ疑問だ。

 美月が困り果てていると、けたたましく2人の男子生徒が走って来た。

 しかも2人共それぞれに国旗と校旗をマント様になびかせて。その姿はあたかも、陸上競技の世界大会で優勝した選手が自国の国旗を纏うかの様でもあった。


「先生、どうぞ!」


「あ、ありがとう。君たち、どうして?」


「それはて…」

「おい、黙っとけって言われたろ!」

「………」

「それじゃ俺達はこれで」


 男子生徒は顔を見合わせると、そのまま何事も無かったかの様に行ってしまった。



○▲△

 


「御神本先生、花瓶を持って来て下さい!」


「承知しました。花瓶は何方に有りますか?」


「何でも頼ってないで、少しは自分で何とかしようと思いなさい!」


 心底鬱陶しく川﨑に言われると、美月はそれ以上は何も言えない。


「すみません」


 そんな滅多に使わない物は、前から居る人間でも場所をはっきりと判らない者が多いであろう。恐らくは川﨑も判ってはい。

 そんな時、狼の様に精悍な顔付きで岩の様な巨体の男子生徒が儀式にしか使われない大きな花瓶を持って現れた。


「はい。花瓶」


「ありがとう。でもどうして?」


「………」


 この男子生徒は数秒だけ鋭く美月を睨むと、そのまま踵を返した。

 

「なに?」


 感謝すべき相手ではあるが、鬼に睨まれているかの様な恐怖から開放された美月は、突然の事にそう呟くしかなかった。



○▲△



「御神本先生、花瓶には水を入れないとダメでしょう!全く、気が利かないんだから!」


「すみません。では花瓶を演台に据えてから水を入れます」


 大きな花瓶は先程の無愛想な男子生徒によって床に置かれたままだ。


「おい、何を言っている。そんな面倒な事をして演台で水をこぼしたらどうするつもりだ? あーん、予め水を入れなさい」


「しかし川﨑先生、この花瓶に水を入れてしまっては重くて私では運べません」


「おい、甘ったれるのもいい加減にしろよ!」


 川﨑は他の教職員が居ても関係なく美月を恫喝した。

 初対面から幾らも経っていない。川﨑が自分の何を気に入らないのか見当もつかない美月は狼狽えるばかりであった。


「すみませんでした。花瓶に水を入れて来ます」


 消え入りそうな声で答える美月は花瓶を持ち上げると足取り重く水場へと向かった。その背中を見つめる川﨑の表情は次第にいやらしくなっていった。

 川﨑には狙いが有って美月を怒鳴り付けていたのだ。


『あんな気の弱そうな女は厳しくした後に優しくしてやればコロッと堕ちる。俺の言う事を何でも聞く様になる』


 そうとも知らない美月は花瓶に水を入れて戻って来た。大きな花瓶に水を入れるとかなりの重さの筈だ。

 しかし美月はその細い足で更に階段を登り、その細い腕で演台に花瓶を置かなければならない。


「早くなさい!まったくトロいんだから!」


「すみません」


「さっきから、すみませんしか言えないのか! まったく鈍臭い!」


 ヨタヨタと怪しい足取りながらも美月が階段を登り切った瞬間だった。


「御神本先生、ご苦労様でした。ここからは私がやりましょう」


 川﨑が美月が運んでいた花瓶に手を伸ばそうとすると、そのまま花瓶ごと美月を押してしまった!

 故意なのかそうでないのかは不明ではあるが、結果的に美月は何が起こったのか理解出来ないまま落ちていき、その勢いで美月の手を離れた花瓶は宙に放たれていた。


「!」


 その瞬間、落ちていく美月に一迅の風の如く駆け付け、寸前の所で受け止める天翔がいた。


「!」


「………」


 天翔は自身の腕の中で自分を見つめる美月に声は掛けられない。

 今声を掛けてしまえば、名前を呼ぶだけでも心の箍が外れて抱き締めてしまいそうだったから。

 抱き止めた腕に力を込める事が精一杯であった。


「!」


 一方、花瓶は放物線を描きながら落下していたが、落下地点には先程の岩の様な巨体の無愛想な男子が予測していたかの様に待ち構えている。

 彼は渾身の力で、花瓶をバレーボールのトスの様にして川﨑へと向かわせる。

 当然ながら花瓶がいきなり飛んで来ても対応可能な運動神経をこのアラフィフの数学教師が持ち合わせている筈が無かった。

 川﨑は花瓶を受け損なって上へと弾くと、数歩後退した所で足が縺れて尻餅を付く。すると花瓶がまるで川﨑を追い掛けて来たかの様に、彼を目掛けて落ちて行った。


「うぁ!」


 情け無い声が体育館に響いた直後、花瓶は川﨑の顔面に落ちて割れた。


「なぁ蒼井、お前のご期待通りに花瓶をパスしてやったけど、その後の事は川﨑の自爆でいいんだよな?」


 周囲が騒然とする中その男子生徒、松本は平然と確認する。


「当たり前だろ。「ここからは私が」って言ったんだから」


「だよな。これで借りを全部返したとは思ってないが、利子くらいは返したからな!」


 言い残して去って行く松本の背中を美月は天翔の腕の中で見送った。 

 天翔の腕を掴む自身の手に力を込めながら。

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