真の令嬢は同じドレスに二度腕を通さない 前日譚
どすん。
どすん。
どすん。
「ちょっとオメェら、ダセェですわ!」
夜会が催されているグリーンティ公爵の屋敷。
その麗しさは王国屈指と名高い庭園に、虚ろを揺るがす地響きと、よく通るハスキィな女性の声が響き渡った。
「弱者は弱者らしく群れて強者に抗う算段を立てていればよいものを、より弱者を虐げるために群れるなど、ダセェですわ! ダサすぎますわ! 力ある者の自覚がございますの?」
声に向けて明かりが向けられる。
そこにいたのは漆黒のドレスをまとった猛虎であった。
否、巨大な虎と見まがう闘気をまとった小柄な令嬢だった。
カラスの羽のような艶やかな黒髪と、すべてを飲み込む深淵の瞳。胸元には磨き抜かれた黒曜石のブローチが光を反射している。
露出している顔と首元、そして腕は対照的に白く。そして一見華奢に見える。
どすん。
華奢で小柄な令嬢が一歩踏み出すと、空が震える。
見かけからはおよそ想像もできない闘気が顕わになると、周囲を威圧する巨虎となって一歩踏み出すごとに世界を揺るがす。
そのような特性を持った令嬢はこの国にもただ一人しかいない。
「ひっ、の、ノワールッ、様」
「げえっ」
「なぜここに」
“黒”のノワール。辺境伯令嬢。
代々騎士団長を務める家すらを歯牙にもかけぬ、王国内最強の武闘派家の令嬢だ。
「あらあら、ダセェですわ。わたくしがどこに居ようとわたくしの勝手でしょう?」
「な、ならばわたくしたちが何をしていようと、わたくしたちの勝手ではなくて?」
現れたノワールに完全に腰が引けている色とりどりの令嬢たち。
その中のリーダー格と思しき令嬢が、顔を引きつらせながらも言葉を返す。
この場、庭園の隅において起きていた事象を端的に表すならば。
一人を囲んでいびっていた。
これで十分であろう。
「そう、あなた方がどこで何をしようとあなた方の勝手。ですがその行為をダセェと思いダセェと呼ぶのもわたくしの勝手ですわね。ダセェと思われたくないならそのように行動したらどうかしら。ああ、このようなくだらないことをわざわざ口にしなくてはならないわたくしもダセェですわね」
黒の扇で口元を隠し、嫌だ嫌だと頭を振るノワール。そしてまた一歩――どすん――歩みを進め、それに合わせて令嬢たちは後ろに下がる。
現在この国にいる令嬢たちにノワールの威圧に耐えられるものなど数えられるほどしか居るまい。
「気圧されて下がる程度ならさっさと散りなさい。変に居残るほうがダセェですわよ。それとも、仕掛けてきてくれるのかしら? 群れればワンチャンあるかもしれねえですわね?」
「チッ、田舎者風情がッ」
捨てゼリフとともに去っていく令嬢たち。
ノワールは冷たい視線でそれを見送った。
「口だけは威勢がいいこと。金も力も束になってもかなわない木っ端ごときがピーチクパーチク騒がすものではなくてよ。……で」
最後に残った一人に向き直るノワール。
そこには囲まれていた令嬢が立っていた。
身分の低い家の者だろう。それも地方の領地貴族。領地経営が厳しい環境なのかやらかしたのか、財政がカツカツであることも推察される。
まあノワールに比べればほとんどが身分も金も下になるのだが。
なぜそういうことがわかるかといえば。
「あ、あの……」
「ダセェですわ」
「ひぅ」
囲まれていた令嬢が何事か口を開きかけたが、かぶるようにノワールの声が空間を塗りつぶした。
「そのドレスはなんですの。二十年前の流行ではなくて? お母上のおさがりかしら?真の令嬢は同じドレスに二度腕を通さない、という言葉をご存知? 髪型もひどいですわ。今の流行にもドレスにもあっていないですわ。貧乏で髪を整える侍女も雇えないのかしら?」
令嬢は驚き、そして赤面した。
囲まれている間に破られたドレス。崩された髪。これを見てのノワールのセリフがぴたりと事実を言い当てていたからだ。
ぼろぼろにされる前ならいざ知らず。現状のドレスと髪からそこまで見抜くなんて。
同時に、境遇を揶揄されたようで羞恥と怒りが令嬢の中に湧きあがったのだった。
だがそんなことなどお構いなしに、ノワールの言葉は続く。
「背筋も曲がって下を向いて。それでも令嬢ですの? ダセェですわ!」
言葉を放ち終わっても、見下す視線を浴びせてくる黒き猛虎の令嬢。
これに対し虎ににらまれた令嬢は、身の内から湧きあがる衝動に任せて顔を上げた。
「お言葉ですがッ」
目が合った。そして驚いた。
黒い猛虎の目線は、令嬢と変わらない高さだった。
「なあに? 言ってごらんなさい」
「あなた様の言葉遣いも大概だと存じますわ」
令嬢の家に金がないのは事実。母が早逝し侍女もおらず、今の流行を追う余裕は複数の意味を持って存在しない、これも事実。
家の力関係から夜会を断れず、大事な形見を身に着けて参加せざるを得なかったし、衣装と髪型の合わせ方など教えてくれる人もいなかったから自分で何とか整えたのも。何なら本来社交に出る年齢に届いておらず、マナーの勉強が足りていないことも。
事実をつかれてそのことについて何か言い返しても相手にはこたえないだろう。
だから令嬢は相手のことを指摘した。
おめーの言葉遣いもダセェんだよと。
「まあ」
口に出してすぐ、令嬢は後悔した。辺境伯家の“黒”のノワールといえば悪名高い危険人物である。世情に疎い令嬢の耳に入るくらいに知られていることだった。
そんな相手に逆切れして言い返すなど。
しかし次の瞬間、ノワールは破顔。それはすぐに取り繕われ、わずかな時間だった。だが間違いなく笑みをうかべたのだ。
「あなた……」
猛虎の闘気は霧散して、するりとノワールが令嬢に寄る。
そして頬を撫で、顎に指をかけ、じっと見つめる。令嬢は身動き一つできなかった。
「いい度胸ね」
令嬢の意識はそこで途絶えた。
その日、グリーンティ公爵は死を覚悟した。
寄子を一家よこせと悪名高き“黒”に詰め寄られたのだ。
名目上の地位は公爵が上だが実力発言力ともに辺境伯家が上を行く。だからと言って参加の貴族の引き抜きを簡単に許すわけにはいかず、あの“黒”と交渉しなくてはならなかった。
だが、“黒”は様子見に提示した条件をすべてあっさり受け入れた。家名および領主家族と領民の一部を含む財産の移転のみ、領地は公爵の傘下に残す。そんな破格な条件だった。
引き抜かれた家は、後に辺境伯家が管理する子爵領に入ることになる。
そしてさらに後。
「さあ、ここから先は手助けはしないわ。あなたはもう立派な令嬢。自分の力で生き抜ける。ガツンと行ってわたくしを楽しませなさいな」
「ノワール、あなたの趣味はどうでもいいですが、舐められるようなダセェ真似はしませんわ」
「うふふ。それでよくってよ」
あの時の令嬢は成長し、改めて社交界へとデビューする。
王国の社交の歴史にまた一ページ加えられようとしていた。
「行ってらっしゃい、ヴァイオレット」
「行ってくるわ、ノワール」
拙作「真の令嬢は同じドレスに二度腕を通さない」の前日譚らしいです。
ダセェですわって言わせたいだけのお話でした。