【異世界逆襲裁判 ~リーガル・カウンター・ストライク~】
ここは、ユスティジア王国の都の中心にある、ジャスティス裁判所。ここでは、ご近所の揉め事から国家転覆の容疑に至るまで、あらゆる判決が下される。
罪は双方、果たして誰にあるのか。そして、それに見合う罰は如何程か。
今回は、一組の冒険者パーティーについての事例を紹介しよう。
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「それでは、これより、冒険者パーティー【大狼狩り】の裁判を始める」
この国の公爵であり、裁判長でもあるエンリケが、雰囲気を出す為に、手元のガベルを鳴らす。裁判官がハンマーでガンガンやってるやつだ。
法廷内は、すでに静粛そのものであり、むしろ、裁判長であるエンリケが静粛ではない。
「静粛に!」
うるせえんだよボケが。
と、まあ。エンリケがいつものように調子に乗っているが、開廷である。
「この度の裁判は、【大狼狩り】のリーダー、ヘルムート・ラングレーが、パーティーメンバーのマーティン・ベルモンドを独断で追放処分を下した事が発端との事だが、双方、相違ないか?」
エンリケが、原告と被告人双方に問う。
「はい、間違いありません」
原告。つまり、今回の裁判を起こしたマーティンは、すぐに肯定した。
齢、十代後半といったところの、まだ面つきに幼さが残る少年だ。
「被告人はどうだね?」
エンリケが、被告人……訴えられた側であるヘルムートへと視線を向けると、弁護人から肘で突かれ、不機嫌そうな表情で頷く。
「あーい、そっす。その通りでーす」
弁護人を務める、冒険者ギルドの職員が、ヘルムートの態度に顔を顰める。印象が大事であると、事前に伝えたのだが、この男がこれでは、先が思いやられてしまう。
「それでは」
裁判長のエンリケが、手元の羊用紙の束を、パラパラと捲っていく。
「…………被告人ヘルムート」
エンリケの、重苦しい声が法廷に響く。
「貴様、原告からの報告によると、ダンジョン攻略中……それも、キャンプの見張り番をしていたマーティンを強引に呼び出し、パーティーからの追放を一方的に告げた上で、下層に繋がる穴へ突き落としたとあるが……本当なのか?」
これには、傍聴席がざわつく。しかも、事の経緯が発覚したのは、マーティンが下層へと落とされるも、なんとか人里へと戻った半年後。
冒険者ギルドへ行くと、すでに自分は【大狼狩り】に在籍していないどころか、死亡扱いになっていたとのこと。
「なんと卑劣な」
「人の心が無いのか」
「あまりに酷すぎる」
「パーティーのリーダーのやる事か?」
エンリケが、嬉々としてガベルを打ち鳴らす。
「静粛に★ 静粛に★」
どんな情緒だよ。
「被告人、どうなのだ? 答えよ」
ヘルムートが、鼻を鳴らして椅子から立ち上がった。
「いやあ、べつに? ダンジョンの中層あたりまで来たから、今日はここで休憩するかーってなってさ、それで、最初に見張り番やんのが、マーティンっつーことになってな。
だから、ちょいとパーティーのリーダーとして、気合い入れやったわけ。こいつ、普段からろくに動かねえからな」
「……報告書には、いきなり背後から斬りつけてきたとあるが?」
間髪入れずに、エンリケが、ヘルムートへと更に問う。
「まさか、そんな事、俺がするわけないじゃん。小型のモンスターが襲い掛かってきてたから、剣を抜いたらこいつが勝手にビビって穴ぐらに落ちていったってだけさ」
「嘘をつくなお前ぇえッッ!!」
ヘルムートの言葉に、マーティンが勢いよく立ち上がり激昂する。
「静粛に! 原告は、勝手な発言を慎むように」
すかさず、エンリケが、マーティンを制止した。
裁判長に云われては、マーティンはどんなに怒りを煮え滾らせていても、黙るしかない。ここは、マーティンのストレスを発散する為の場ではないのだ。
「……すみません」
「…………」
マーティンは、「やってしまった」という顔になり、椅子に座る。
彼の隣で、検事を請け負ったギルド職員が、眉間に皴を寄せた。マーティンの失態に、ヘルムートだけがにやけている。
「……さて、原告の弁護人」
気を取り直して、エンリケがマーティンの弁護人へと向き直る。
「原告の主張は、この様なものであるが、弁護人から何かあるかね?」
「はい」
エンリケから促され、弁護人のギルド職員…………受付嬢のエリアーデが、楚々と起立。
眼鏡を上品にくいっと上げた。
「ほぅ」と、傍聴席から見事な美術品でも見た時かの様な息が漏れる。何故か、裁判長の方からも。
「この事件が起きた直後の現場に居合わせた証人に来てもらっています」
「なにィ!?」
ヘルムートが、思わず声をあげる。これは、彼にとっては非常に都合の悪い展開だ。
あの出来事のあの状況で、思い当たる証人なんて、限られるのだから。
証言台に現れたのは、弓士のエルフである。【大狼狩り】の、パーティーメンバーだ。
そう、この展開で召還されるとしたら、パーティーメンバーが考えられるわけで。
「いなかったよ。モンスターなんて」
証言台のエルフは、抑揚のない声で、そう云った。胸のない、まだ幼く見えるエルフの声は高い。
「あたしはマーティンの悲鳴が聴こえて、すぐにテントから飛び出したんだけどね? 少なくとも、モンスターの姿なんてなかったし、キャンプにモンスターの襲撃を受けたような形跡もなかったね」
ちなみに少年だ。男の娘である。
「異議あり!」
弁護人のギルド職員が、挙手をした。掌に魔力を纏わせ、発光させているあたり、なかなかアグレッシブなアピールだった。
「証人の言葉は、証言を証明するものがないのなら、根拠にならない証言であります」
「……うん。ん?
…………えっ?」
静まり返る法廷。エンリケの思考が混乱した。
「………………証言の……更にその証明?」
いや、アホか。そんな事を認めてしまえば、延々と裁判が終わらなくなってしまう。
150年前の事例、【エルフの森大炎上事件】の蒸し返しではないか。
「……異議あり」
今度は、検事であるエリアーデが、挙手をした。掌が、七色に発光している。
法廷では、如何に裁判長へのアピールが出来るのかが、判決の明暗を分けるというのは、常識なのだ。
アピールしてナンボ。ガンガンアピールしていけ。
それが、主流であり、スタンダードなディベートなのだから。…………裁判とディベートを、一緒にすんな。
異世界の裁判の作法を、さも常識であるかのように語るんじゃねえ。
「それを云い出してしまえば、被告人の主張である『原告がモンスターの襲撃に驚き、落とし穴に落ちていった』という発言も、信用出来るものではなくなります」
「異議あり! 被告人は冒険者ランクA級の冒険者です」
「異議あり。冒険者ランクと発言の真偽は、全くの別問題であります」
「異議あり! 冒険者ランクというものは、冒険者ギルド、果ては依頼人達からの信頼の証でもあります。
そんな、信頼の出来る人物が、法廷において虚偽の発言をするわけがありません」
「異議あり。信頼を得ている立場の人間であろうが、虚偽の発言をする者はいますし、犯罪を起こす者は起こすでしょう」
「異議あり! 検察側の発言は、まだ、罪の確定していない者を犯罪と言及しているものであり、果ては、ここに居る我々をも犯罪者だと決めつけた発言であります!」
「待て待てお前等。勝手に法廷で殴り合いを始めんな。
元気一杯かよ」
「いや、検察側の発言は、許されるものではありません! 彼女は、今の発言で聖職者や王族ですらも、犯罪者であると……畏れ多くも、そう云ったのだッ!」
「うわぁ……マジかよオイ。全っ然、止まらねえじゃん。
俺、裁判長なのに無視されてる。…………あれ?
まさか、俺は認識されない存在にでもなったのか? 自分の知らないうちに!」
理論騒然。もはや、相手の失言となる部分を、執拗に狙う舌戦ではないか。
エンリケ裁判長が、勢いよくガベルをぶっ叩く。
「先程、弁護人は聖職者や王族も犯罪者と決め付けていると、私に指摘してきましたが」
検事エリアーデが、眼鏡をくいっとした。
「教会関係者で、地下霊廟に武器や密造酒を隠し売買している者が、過去に法廷で裁きを受けました。第一王子暗殺の手引きをした、末弟王子が裁判にかけられた事も」
「流れをもらった!」と、息巻いていた弁護人が、息を飲む。
「歴史がすでに物語っているではありませんか。『人は誰しも、悪意の種をその内側に抱えている』のだと」
────過去のデータがある以上、それは一定の根拠となる。それが、国家として、不都合なものであろうが、宗教上好ましいものではないとしても。
そのデータを否定したいのであれば、過去のデータを否定出来るだけの、根拠のあるデータが必要である。
「……それで、証言内容ですが」
そもそも、パーティーメンバーの証言が真実であるのか否かという論点だった筈だ。いや、その論点でさえ、元々は、ヘルムートの行動や主張が真実であったのかどうか……というもの。
弁護人によって、論点があまりにも、ズレにズレてしまったが。エリアーデが短く息を吐く。
「パーティーメンバーの証言によると、モンスターに襲われた形跡はなかっと?」
「ああ、そうだね。で、悲鳴が聴こえた方へ行ってみると、ヘルムートが1人でいたんだ」
証言台で欠伸を噛み殺していたエルフが、長耳を上下に揺らしながら、エリアーデからの質問に答えた。
「その時のあなたは1人でしたか?」
「いいや、まだ寝ていた酔いどれドワーフを、テントから出てきた魔法使いと一緒に起こして、その場にいたパーティーメンバー全員で、悲鳴のした現場へと向かったのさ」
「なるほど」
その後、【大狼狩り】のメンバーが、証人として、次々に呼ばれていく。彼等は、エルフとほとんど同じような証言内容を並べた。
一番最初に反応したのが弓士のエルフであった為、情報を得るのに、多少のバラつきがあったのだが、それでも、エルフの証言と矛盾した証言は出てこなかったのである。
「さて、以上が冒険者ランクB級上位、そして、被告人と同じ冒険者ランクA級中位の魔法使いの証言ですが」
エリアーデが、弁護人へと微笑む。
「検察側は弁護人を煽らないように」
裁判長のガベルが鳴った。
エンリケは、原告のマーティンを見やる。ヘルムートを、睨み付けていた。
「ふむ」
エンリケは、咳払いを一つ。
「原告マーティン、君からも、あの夜に何が起きたのか、聞かせてもらえるかね?」
「は、はい」
マーティンは、急に話が振られた事に驚いたのか、その返事は、上擦ったものとなった。
ぎこちなく立ち上がると、やはりぎこちないリズムで証言台へと移動する。
「僕は、ダンジョンでキャンプをする時は、大抵、一番最初に見張りにつくんです。僕の仕事は、戦利品の回収や、罠の解除と罠の製作と設置。
その日、ダンジョン内で拾い集めた素材で傷薬を合成したり、食材を料理したり。弓士の矢を補充したり、武器防具のメンテナンスも簡易的なのもだけどやるかな。
戦闘技能は壊滅的だけど、僕の腕が買われたのは、そういったところだと自負しています。だから、僕が最初に見張り番につくのも、べつに嫌じゃなかった」
そう、マーティンには冒険者としてやっていく為の戦闘技能がない。
ヘルムートは街の破落戸程度なら片手で相手に出来るし、なんなら素手でも対処可能。しかし、マーティンはそうもいかないのだ。
護身用に、仕事道具とは別にナイフを持ってはいるが、それを使う時は、彼の死が確定してしまうくらいには、彼は弱い。辺境の田舎からやってきた、駆け出しの冒険者でも、彼には勝てるだろう。
それでも、彼が冒険者の一員として重宝されるのは、戦闘以外のサポート能力の高さに他ならない。
魔法により傷を癒すヒーラーがいない【大狼狩り】は、彼が傷薬や強化薬を調合するからこそ、パーティーとして成立しているのだ。
「その夜も、素材の調合や武器の手入れをして時間を潰してた……皆が寝静まり、ヘルムートがテントから出てくるまでは」
じ、と。マーティンが、その瞳に、ヘルムートを映す。
酷薄な表情を浮かべた、彼の顔を。
「まず最初にヘルムートから『話がある』と云われ、『あっちで話そう』と、キャンプから離れた岩の裏手に誘われましたが、僕は断りました。キャンプを見張る人間が居なくなると、モンスターの襲撃を報せる人間が居なくなりますから」
マーティンの言葉に、不自然な点はない。エリアーデは、ヘルムートへと視線を寄越す。
「被告人は、原告の発言内容について何かあるかね?」
「…………チッ」
ヘルムートは、立ち上がりつつ小さく舌打ち。
「何も。こいつの云う通りだよ。
話したい事があったから、こいつを岩陰にでも呼び出そうとしたら、断られた」
次に、証言台に立つのは、ヘルムート。
「それでは、被告人に質問です」
「おう」
エリアーデに対して、ヘルムートは雑な返事で返す。
「あなたは」
エリアーデは、脳内で何をこの場で訊くべきなのかを、取捨選択をしていく。
「…………何故、ダンジョン内で……それも、キャンプの見張りを彼がしているという状況で、話をしようとしたのでしょう?」
ヘルムートが、下唇を噛む。時間にして、1秒ほど。
何かしらの、葛藤が、そこにはあったのだろう。
「後回しにしたくなかったっつーのと、他の奴らに話を聞かれたくはなかった」
「それは、何故?」
覗き込むかの様な、エリアーデの視線。
「マーティンの野郎には、今回の冒険を最後に、パーティーからはキックするつもりでいたからな。それを本人にだけ伝えようとした」
ヘルムートの表情が、ぐにゃりと歪む。
「それは、何故? 何故、そのタイミングだったのでしょうか」
エリアーデの疑問。
何も、ダンジョン攻略中じゃなくてもいい話ではないか。そう、彼女は云っている。
「パフォーマンスの問題だよ。直接、戦闘に参加しないこいつが、どう精神を崩そうと、戦線は崩れない」
回復薬はパーティーに作成される都度、支給している。マーティンが、予備を管理し、必要に応じて使ってはいるが、それは、緊急時の話だ。
「予定じゃもう帰るだけだったしな。帰る道中のモンスターに、戦線を崩す程、危険なモンスターはいねえと踏んだ。
万が一、出てきたところで逃げるのに集中すりゃ全滅はあり得ねえと判断した」
個人の人格はどうであれ、ヘルムートは、経験則に基づき判断を下す。絶対的な必要性はなかったのであろうが。
「あの時じゃなきゃいけなかった。少なくとも、あれ以上、俺は抱えたままではいられなかったんだ」
それは、まるで、圧し殺すかの様な吐露。
「だが、いざそれを話せば揉めちまってな」
それは、そうだ。
それは、そうだろう。
まさか、ダンジョン攻略中に、パーティーからの解雇通告を受けるだなんて。揉めるに決まっている。
…………では、ヘルムートは、そこに考えが至らなかったのだろうか。パーティーをまとめる立場でありながら。
「口論になり、思わず俺はあいつを突き飛ばした」
「辞めろ」「いやだ」の応酬の末に、そうなった。
それもそうだ。ヘルムートは、説明不足であったし、言葉足らず。
揉めもするだろう。
「ああ、そうだよ。夜襲を仕掛けたモンスターなんていなかったし、マーティンの野郎が落とし穴に落ちていったのも、俺のせいだ。マーティンの野郎の事は、ずっと気に食わなかったしな」
認めた。自分が、やったのだと。
「貴様、法廷で嘘を吐いたのか」
エンリケが、ギロ、と睨む。そう、彼は法廷で自らの発言を覆したのだ。
到底、許される事ではない。ヘルムートは、両手を軽く上げると、片目を瞑り口の端を吊り上げる。
「まいった」のポーズだろうか。法の裁きが下ったところで、何も痛くないとでも云いたいのかも知れない。
要は、舐めきっているのだ。
法廷を。裁判というものを。
だが、説明がつかない。そんな事をして、自分が無事でいられるとでも、本気で思っているのであろうか。
少なくとも、彼の弁護人となったギルド職員は、隣で顔色を青くしている。「あ、これ詰んだな」と云わんばかりに。
エンリケが、今度は、マーティンへと顔を向けた。
「…………被告人に落とされた後、原告は、独力でダンジョンの下層から生還した、と?」
辻褄が合わないのではないだろうか。エンリケは、ヘルムートに確認をする。
「被告人は、原告の事を、直接戦闘への貢献が小さい事を、不服としていたね?」
「ああ、そーだよ」
ヘルムートは、ガリガリと後頭部を暢気に掻きながら答える。
「パーティー内でも、ギルド内でも、マーティン個人の戦闘能力は低いものだと評価されていた……」
消え入りそうな程、か細い呟き。エンリケは、裁判長として、この違和感を無視するわけにはいかなかった。
何故、この裁判が起きているのかと云えば、それは、マーティンがヘルムートに対して、訴えを起こしたから。しかし、本来なら、この裁判は起きなかった筈だ。
何故なら、マーティンは、死んでいる筈なのだから。今、この場にいない筈の人間なのだから。
だから、おかしいのだ。今の、この状況は。
「原告は、ダンジョンの下層から見事、脱出し、パーティーの拠点の村まで戻ると、冒険者ギルドで自分がすでに死亡扱いにされていた事を知り、それも含めて訴えに至る」
エンリケが、手元の資料を捲りながら、それを静かに読み上げる。そして、最後にヘルムートを見た。
なるほど、被告人ヘルムートの余裕の正体が、エンリケにも見えてきた。多少、不利になろうとも、ヘルムートには、この確信があったから、余裕をずっと崩さなかったのだ。
「そう、生きてる筈ねえんだよ。ダンジョンで冒険者がたった1人、それも、普段は荷物持ちばかりしている様な、非戦闘員がよ。
あれから、どんだけ時間が経ったと思ってる? 半年近くだ。
ダンジョンの下層に1人取り残されたであろう冒険者が、半年後に現れた。
そんな事、あるわけねえのによ」
ヘルムートの人差し指が、真っ直ぐにマーティンを指差す。
「そこに居る筈のねえ奴が、そこに居る。……理由は一つだろ?
そいつはマーティンの名を騙る偽者だ」
ざわつく法廷。これで、一気に空気は変わる。
先程までは、ヘルムートが、不当にマーティンをパーティーから首にして、尚且つ、彼を危険な目に遭わせたという流れだった。
いや、実際、今もそれは変わらないのだろう。変わらないのだろうが、しかし。
ここへ来て、マーティンが偽者なのであれば、そもそもの根底が覆るのだ。
名の売れたパーティーから、消えた1人の冒険者。それに気付いた、第三者の存在。
それが、今回の裁判を思い付いたとしたら。殺されかけ、酷い目に遭ったのだと、訴えを起こし、見事、裁判で勝利を納めれば、ヘルムートから多額の金をむしり取れるのではないだろうか。
「……なあ、偽者さんよ」
ヘルムートが、にやつきながら、マーティンを見る。隣のエリアーデでさえ、これはもう負け戦なのでは、と、諦めていた。
「どこのどいつだよお前。まあ、大方、予想はつくけどな。
ギルドの酒場で酔い潰れてる破落戸の1人か? いつも酒場で冒険の打ち上げをしている俺達の会話でも、盗み聞きでもしてたか?
普段のマーティンに対する俺の風当たりを見て、これならいけるとでも思ったか? 馬鹿が、てめえみてえなどうせ底辺中の底辺、どん底の底のチンピラが、ちょっと知恵を働かせたからって、簡単に金を手に出来るわけがねえだろ。
甘いんだよ。…………マーティンの野郎には、うまく化けたみてえだけどな」
ヘルムートは、一気に捲し立てた。
最初、彼を再び目にした時には驚いたものだが、冷静に考えたら、何の事はない。他人がうまく化けただけ。
いつも、マーティンにはきつく当たっていた自覚はあった。今回は、それを第三者に利用されたのだろう。
だが、こうして指摘してしまえば、マーティンの偽者は言い訳さえ出来ない。何故なら、普段、戦う力の無い人間なのだから、突然、覚醒したなんてミラクルファンタジーが起きるわけがない。
「外見だけじゃなく、喋り方までそっくりだぜ。本当にうまく化けたもんだな?」
何せ、彼が普段、見張りの時にどう過ごしているのかまですらすらと答えている。もしかしたら、ヘルムートの知らない交遊関係にある友人だったりするのかも知れない。
だが、それこそ、ヘルムートには興味の無い話だ。にやにやと、彼は笑っ…………──────
「なんだその面は」
引き攣る。強張る様に。
詰みの状態まで追い込んだ筈の偽者であるとされているマーティンが、笑っていた。ヘルムートではなく、マーティンが。
「どうやら、僕が偽者で詐欺を働いてると疑われているようですが」
「ああ!? 疑われてるも何も、てめえは偽者でけちな詐欺師野郎なんだろうが!!」
ヘルムートの怒号が響き、エンリケから「発言を控えるように」と窘められる。
「では、僕が本物のマーティン・ベルモンドだと証明出来たら、何も問題ないのでは?
…………例えば、本人しか答えられない様な質問をする、とか」
「────ッッ!」
空気が固まるとは、このような状況を云うのだろう。暫定マーティンの偽者の、この余裕は何なのであろうか。
「っ……裁判長!」
エリアーデがエンリケへと顔を向けると、エンリケはゆっくりと頷く。
「原告への質疑応答を認める」
勝機。いや、分水嶺だ。
ここが。此処こそが。
「あなたの名前と年齢、誕生日を答えてください。冒険者ギルドの登録番号も」
本人ならば、すらすらと答えられる質問だ。まあ、冒険者の中には、自分の冒険者の登録番号なんていちいち把握していない者も居るだろう。
ヘルムートの様に。
だが、彼は淀みなく答えていた。それは、休日の過ごし方や、日課や趣味、行き付けの店からお気に入りの席に至るまで。
更には、交流のある人物の人間関係すらも。寝泊まりしている宿の名前や、どの部屋に泊まっているのかなど、生ぬるい質問でしかない。
彼は、最後の冒険に出発する朝に、何を食べたのかまで答えた。当然、ギルドの職員が確認の為に方々へと駆け回る事になる。
法廷は長時間を要したが、大部分は、これが原因であろう。だが、労力の甲斐あって、事実確認は取れた。
なんと、ほとんど合っていたのだ。さすがに、細かなやり取りまで覚えていない者もいたが、記録に残っているものは、確実に確認が取れている。
その上での、この結果だ。
「で、でたらめだ! こいつは、でたらめを云っている!」
焦った様子で、ヘルムートが口を挟むが、先程までの余裕は微塵も感じられない。
「いえ、適当に答えたのではなく、こうして事実確認のすり合わせをした結果ですので、全てを彼の虚言と片付けるには、無理があるでしょう。勿論、記録に残っておらず事実確認が取れないものもありましたが」
「ぐっ!」
エリアーデの冷静な指摘に、ヘルムートは表情を歪めた。
「マーティン!」
傍聴席から、声がした。
彼は、彼の名を呼ぶ方へと顔を向けると、にっこりと笑う。
「あなたなの?」
そこに居たのは、どこにでも居るような村娘。
そばかすが目立つが、将来、ややもすると『化ける』可能性がある年頃だ。
「……彼女は?」
「お世話になってる宿の看板娘さんだよ」
小声でエリアーデに訊かれ、それを少し気恥ずかしそうに、彼は答えた。
「…………僕の生まれは、もう地図から名前が消えた廃村。今じゃ、小屋の一つ、井戸の一つも残ってないような村です。
滅んだのは、8年前。オークとゴブリンの群れによって、滅びました。
僕とヘルムートは、その村の生き残りです」
ヘルムートの顔色が変わる。何故、それを。
誰にも云った事がないのだ。ヘルムートは、誰にも。
パーティーメンバーにさえも。マーティンには、口止めをしていた。
同じ村の出身だなんて、知られたくもない程、マーティンの事は嫌っていたから。実際、パーティーメンバー達の前で、マーティンがその事を話した事は、記憶にある限りではない。
「誰に聞いた……いや、マーティンか?
あいつが喋ったんだな!?」
興奮するヘルムートに、彼は目を瞑りふるふると首を振る。
「僕がマーティンだよ」
「………………!」
具体的過ぎる。
マーティンを騙るにしては、出てくる情報が、あまりにも具体的過ぎた。これを否定出来るだけの言葉が、ヘルムートにはなかった。
「まさか、本当にマーティンなのか……?」
声が震える。視界も。
────…………マーティンは、少し俯く。
「自分達みたいな孤児が二度と世に出ないようにって、二人して冒険者になったよね」
「!」
ヘルムートが、動揺を隠せずたじろぐ。
同郷だった二人。幼馴染みの二人。
同じ夢を抱き、同じ道を歩んだ二人。いつしか、関係は良好なものとは云えなくなってしまったが。
「……それでもね、お前は新米だった僕をずっとここまで引っ張ってくれた、多くの手の一つだと思うんだ」
冒険者として、戦闘技能に恵まれなかったが、マーティンは、旅した町や村で、多くの人間と関わってきた。絆と呼べる程に。
それが、巡り巡って、今、こうして、彼を彼たらしめる証明となっている。
「そうか……お前、生きてたんだな。助かってたのか」
ヘルムートは複雑な心境で言葉を吐き出す。
「うん……まあ、ね」
「どうやって?」
それは、純粋な疑問だったのだろう。ヘルムートの視線は、真っ直ぐで。
気付けばヘルムートの震えは止まっていた。
「やだなあ、僕は、戦う力を持たない非戦闘員だよ?」
それは、ある種の期待を込めたヘルムートの疑問を否定する言葉。
「実は僕が強かっただとか、未知の能力に目覚めたなんて、そんなミラクルファンタジーは起きない。現実にはね」
マーティンがダンジョンで生き延びる為には、モンスターから攻撃されない事が前提。何せ、紙装甲の紙耐久。
だが、そんなマーティンが現実に、長年、冒険者としてこうして生きてきたのだ。からくりが、そこにある。
理屈が。あるのだ。
「僕は、戦闘じゃ息を殺してモンスターに狙われないように、ずっと立ち回っていただろ? 例外的に、パーティーメンバーが危ない時なんかには、飛び出してポーションぶっかけたりもしてたけどさ」
「あ」
思い当たるふしならある。確かに、どんなにパーティー全体が傷つきボロボロだったとしても、その中に、ただ1人、無傷の人間がいたではないか。
まあ、そういったところも、マーティンとヘルムートとの不和を生む一因となったのだが。
「………………いや、待て、待て待てッいくらなんでも、そりゃ無理がねえか?」
一度は納得しかけたヘルムートが食いかかる。
「いくら気配を殺していたからって、地上まで20階近く、1人で生き延びるなんて、現実的じゃねえ。有り得ねえよ」
「でも、僕がこうして此処に居ることが、もうその証明になったんじゃないかな」
「もう一回、質疑応答を繰り返すのかい?」と、マーティンは云う。
本人でなければ、答えられない質問を、完璧に答え、姿形も本人そのもの。その彼が、長年生き延びてきたスキルをフルに活用して、死地から生き延びたと云っているのだ。
「駄目だ。もう、これは。
…………我々の敗けだ」
「く、そ……っ」
弁護人のギルド職員が、俯き首を振る。その隣で、ヘルムートが歯噛みしていた。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
法廷に、ガベルの音が鳴り響く。
「判決を云い渡す。当裁判は、原告の訴えを認め、被告人に以下の罰を与える。
被告人、ヘルムート・ラングレーの冒険者資格を剥奪の上、強制労働の刑に処す」
法廷が、今度は喝采に包まれる。
傍聴席では、宿屋の娘が母親と抱き合いながら泣いて喜ぶ。被告人側の席では、マーティンとエリアーデが、勝利の握手を交わす。
ヘルムートは、暗い表情でそれを見ていた。
「……どこで……俺は間違っちまったんだろうな」
ヘルムートの不義に法の裁きが下る。
「尚、被告人の強制労働の内容は、開拓地の開発であり、その地で村と呼べるものが出来るまでとする。それまでは、被告人の冒険者としての活動の一切を認めない。
場所は──────」
「…………えっ」
ヘルムートは、思わず顔を上げた。そこは、かつて、2人の故郷があった場所。
国が、そこを再開発するのだと。それに加わる事が、償いなのだと。
ヘルムートが、幼馴染みに何か云おうと顔を向けるが。
「…………マーティン?」
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
喝采の止まぬ法廷で、マーティンは自分の掌を見ていた。
透けて見えるその掌に、マーティンは「やっぱりか」と、苦笑い。こちらに背を向けて書類をまとめるエリアーデの肩に手を乗せようとするも、マーティンの手は彼女をすり抜ける。
「…………ありがとうございました。あなたが僕の訴えを信じ、ここまで一緒に戦ってくれたから、僕もここまで踏ん張れました」
戦友への感謝を伝える。もう、その言葉さえも届いていないのだろうけれど。
次に、傍聴席の宿屋の親子へは、申し訳なさそうに「ごめんね」と、呟く。当然、その呟きは、喧騒に呑まれ、誰にも聴こえやしないのだが。
マーティンは、少しだけ、宿屋の娘との『もしも』を考え…………そして、少し泣く。
「…………」
最後に、原告側の席へと視線を向けると、ヘルムートと目が合う。
裁判のどんな時より呆気に取られた表情で、マーティンを見ていた。
「……お前が僕にした事は、赦せないけどさ……まあ、頑張れよ」
言葉が届いたのかは分からない。
「これからきっと、大変だろうけどさ。色々と」
そうして、マーティンの姿は、エリアーデが振り返る頃には…………。
「…………マーティンさん?」
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
同時刻。
とあるダンジョンの下層にて、1組の冒険者達が、死体を見付ける。
「お、なんだ、この死体……冒険者にしちゃ少し軽装だが……斥候か盗賊職ってとこか?」
冒険者は、天井に空いた大穴を見上げた。
「なるほど。あそこから落ちてきたのか。
ツイてねえ奴だな、ご愁傷さま」
死後、時間が幾らか経過しているのであろうが、上層から落ちてきたのなら、苦しまずに逝けたのだろう。それが、慰めになるのかは、冒険者達には分かりかねるが。
その死体はモンスターに食い荒らされもしたのだろうが、白骨化しており、生前の面影さえも全身骨折のせいもあってさっぱりだ。手荷物さえもぐちゃぐちゃという有り様。
「うわ、ポーション瓶は全滅だなこりゃ。もったいねえ」
ガサゴソと、鞄やボロ布同然となった外套をまさぐる冒険者達。
本人と分かる遺品でも回収できたらと、思っての事だ。
「お」
やがて、冒険者は、鞄の底から認識票を見付ける。
全ての冒険者が所持を義務付けられている、冒険者としての身分を証明する品である。これなら、死体の身元が分かるだろう。
「ええと、なになに」
冒険者は、認識票に刻まれた名前を読み上げ…………。
「見付けてくれて、ありがとう」
ふと、聞き覚えのない声に振り返るも、そこには白骨死体があるだけ。
「どうした?」
「いや、なんでもねえ」
仲間の声に、冒険者は静かに答えると、ゆっくりと首を振るのであった。
「なんでもねえよ」
了