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古民家シェアハウスのズボラ優雅な朝食

 漂い始めた甘い香りに、椎名はここに来た日の事を思い出した。

 

「古き良き古民家でシェアハウス……なるほどね」

 

 椎名はチラシと地図を手に、物は言い様だなと変に納得してしまった。

 玄関から勝手口まで真っ直ぐのびる通り土間に、壁と障子で仕切られた部屋が五部屋。

 通り土間には台所があり、シェアハウスなので当たり前だが台所も風呂もトイレも共同。

 古き良き古民家でシェアハウス。

 確かに何も間違ってはいない。

 値段につられ確認もせず契約してしまった自分が悪いのだと言い聞かせ、一番奥の自分の部屋へと足を進める。

 途中、部屋の横の柱に名前が書かれた紙がセロテープでとめられていた。

 表札代わりかと、入り口から順に名前を読み上げていく。

 「田中」「小松原」「共有スペース」「小木」そして真新しい紙に「椎名」と書かれた部屋に到着した。

 いざと障子を開け放ってみると、六畳ほどのこざっぱりとした和室がお出迎えしてくれた。

 出会い頭に鼻っ面をデコピンされた様な衝撃こそはあったが、今日からここが自分の城だと言い聞かせると、早速椎名は部屋の掃除に取りかかった。

 

 棚が一つあるだけで部屋はそこまで広くなく、押し入れも綺麗に空っぽ。

 意気込んで掃除を始めたは良いが、物足りないとすら思うほどあっさりさっぱり終わってしまった。

 引っ越し業者が来るまでまだ一時間以上ある。

 椎名は腕時計を確認すると、どうしたものかと式台に座り込んでしまった。

 石造りの土間。汚れたらデッキブラシでゴシゴシ洗えるななど思いながらふと、目の前の台所へ目を移す。

 意外にもかまどでは無くガス台が置かれ、棚にはレンジやオーブンまで備え付けられている。

 くぅっとお腹がか細い声を上げ、椎名は昼食がまだだったと思い出した。

 

 鞄に手を突っ込んで何かないかと探してみるも、引っ越しの時慌てて詰めた小麦粉やベーキングパウダー、グラニュー糖など、おおよそ昼食になりそうな物は無かった。

 ふと、台所の棚を覗いてみると「共用」とペンで書かれた調味料がいくつか見つかった。

 醤油や塩、砂糖など一通り揃っていたが、どれも使った形跡が見られない。

 次に冷蔵庫を開けてみると、個人名の書かれたプリンやヨーグルトはあったが、やはり共用と書かれたチーズやバターは未開封だった。

 しかし、パックのまま入れられた卵と納豆だけは少し減っているところをみると、そのまま食べれるものは食べているようだ。

 全く自炊しないと言うわけではないらしい。

 不安になりバターの賞味期限を確認すると、定期的に大家さんが入れ換えているのか、賞味期限はまだまだ先だった。

 冷蔵庫の扉には「たまには自炊しなさい」と書かれた紙が貼ってあった。

 

 一度冷蔵庫を閉め、椎名は腕を組み考え込む。

 親心なのだろうが、調味料はまだしも自炊しないと分かっていてバター等を準備するのははっきり言って無駄なのではないだろうか。

 気になり冷凍庫を開けてみると、刻んで下処理された野菜がいくつか袋に入れられていた。

 袋に書かれた日付はそれほど前ではないが、やはり使った形跡もなく、ここまで来ると親心なんて優しい言葉で片付けて良いものか。

 

 ではと、せっかく共用と書かれた物があるのだから、ぱぱっと野菜炒めでも作ってしまおうと、椎名は手を洗い始めた。

 もう刻んであるのでそのまま袋に手を突っ込み、適当に鷲掴みにしフライパンへ直接投入。

 自分が食べるだけなので例えスープに近い出来になっても気にしない。

 椎名は軽く食べれれば良いやと、野菜がフライパンの熱で解凍されるまで放置することにした。

 

 昼を食べたら引っ越しの挨拶のお菓子を買いにいこう。

 ふと思い立ち、人数を確認する。

 大家さんと同じ古民家に住む三人の計四人分。

 しっかりした歌詞折は重いだろうと思い、何が良いか考え込む。

 そうこうしているとフライパンがふつふつと音をたて始めた。

 やはり解凍せずそのまま放り込んだせいで、水分が多いようだ。

 フライパンを覗き込み、よしコンソメ煮にしようと棚に手を伸ばしたとき、後ろでどさりと音がした。

 振り替えれば、開けっぱなしだった鞄が見事にひっくり返り、中身が全て飛び出してしまっていた。

 あぁと自然と声が漏れる。

 フライパンに適当にコンソメの素を放り込み、鞄の中身を回収する。

 ふと、小麦粉をつかんだ時、ある事を閃いた。

 

 慌てて冷蔵庫からバターを取り出し常温にする。

 大家さんの親心を考えるとあるかもしれないと、椎名は棚と言う棚を開け目的のものを探す。

 「やっぱりね!」と思わず声を上げてしまった。

 高い棚の一番奥に、パウンドケーキの型が丁寧にしまいこまれていた。

 わざわざ細かいお菓子の詰め合わせを買いに行くのも面倒。

 せっかくある程度材料が揃っているのだから、引っ越し業者が来る前に手作りした方が楽だ。

 

 そうと決まれば必要な物を調理台に出していく。

 パウンドケーキ型で焼ける椎名のお気に入りのお菓子はウイークエンドシトロン。

 しかし、アーモンドプードルもレモンもない。

 砂糖はあるからグラスアローは出来る。

 今回はなんちゃってウイークエンドシトロン。見た目はそれっぽいグラスアローしたバターケーキを作ることにした。

 

 片手までフライパンを混ぜながら、同時進行でどんどん計量しボウルに入れていく。

 フライパンのそばに置いておいたからか、バターはほどよく柔らかくなっていた。

 ゴムベラが見つからず、小さなフライ返しでせっせと混ぜるが如何せん要領が悪い。

 実費で買ってしまおうかとイライラしていると、玄関戸がガラリと開いた。

 思わず顔を上げると、目があってしまった。

 大きな黒ぶちめがねに、目が隠れるほど長い切り揃えられたぱっつん前髪で後ろはショートヘアの女性。

 服は上から下まで真っ黒で、リュックを背負い分厚い本を抱えていた。

 絵に描いたような、図書館にいそうな女性に、椎名はカクカクと変な動きになりつつどうにか会釈することが出来た。

 

「は、はじめまして。今日から越してきた椎名です……。また改めてちゃんとご挨拶させてください」

 

 前屈みでボウルを混ぜながら挨拶などあり得ない。

 椎名がにっこりと笑うと、玄関先に立ち尽くしていた女性ははっと思い出したように動き出した。

 

「はじめまして、小松原です。そう言えば大家さんが新しい人が来るって言ってましたね」

 

 意外にはっきりと澄んだ声で話す小松原に、椎名は肩の力がほっと抜けた。

 

「ご飯作り中にごめんなさい。また改めて……お昼ご飯それ、ケーキなんですか?」

 

 気を使い部屋に戻ろうとした小松原だったが、パウンドケーキ型とボウルを交互に見やり、不思議そうにしている。

 

「いや、これは引っ越しのご挨拶用にと……」

 

 あははと気まずい笑い声を上げながら、出来た生地を型に流し込んでいく。

 へーっとしばらく眺めていた小松原だったが、あっと小さく声を上げると部屋に駆け込んでいった。

 

「これ、使えませんか?」

 

 すぐ部屋から戻ってきた小松原の手には、小分け梱包されたミックスナッツの袋が握られていた。

 

「えっ良いんですか!? 皆さんにお配りするお菓子なのに……」

「良いんですよー。せっかくなら美味しいもの食べたいじゃないですか」

 

 お堅そうな見た目に反し、無邪気に笑う小松原に、椎名は同性ながらドキッとしてしまった。

 さっそく小松原は小さなボウルを取り出すと、袋からピスタチオだけを選び細かく砕き始めた。

 自炊はしないのに行動に迷いはないんだなぁと思いつつ、オーブンに四十分にセットしケーキを入れる。

 後は十五分位たったら一度真ん中に切れ目を入れ、焼き上がるまで放っておくだけだ。

 

 すっかり存在を忘れていたコンソメ煮を器によそい、小松原と仲良く式台に座り込み世間話をしながら昼食をとった。

 やはり小松原はあまり自炊をしないらしく、今日もコンビニで幕の内弁当を買ってきたと照れ臭そうに笑った。

 コンソメでくったくたになるまで煮込んだ冷凍野菜よりも、不思議とコンビニの幕の内弁当の方が体に良さそうな見た目をしている。

 

「卵とか納豆とか、ご飯に乗せるだけで食べれるものはみんな食べるんですけどね。仕事が不規則とか面倒とかで自炊なんてって人ばっかりですよ」

「へーそうなんですね。小松原さんはなんのお仕事されてるんですか?」

 

 予想通りの返答に、椎名は大きく頷きながらコンソメ煮に口に放り込む。

 

「私は定時きっちりで終わる図書館司書です。基本的には不規則ではないですけど、仕事終わりに自炊は無理なタイプです」

 

 思わず頬張ったコンソメ煮を吹き出しそうになった。

 見た目から納得できる職業だが、見た目とは裏腹に意外にもきっちりし過ぎていない複雑なギャップ。

 思わずむせると、ふんわりと甘い香りが漂ってきた。

 オーブンを見ると、焼きはじめて丁度十五分を過ぎたところだった。

 急いで一度取り出し、真ん中に切れ目を入れ再びオーブンに戻す。

 まだ完全に焼き上がってないにもかかわらず、一人では理性が保てなかったであろう程甘く香ばしい匂いだった。

 

「……いい匂い。なに作ってるの?」

 

 ふと、真後ろの部屋が開き、ボサボサ髪の男性が顔を覗かせた。

 

「あれ、小木さんいたんだ。おはよー?」

 

 おおいに腰を抜かす椎名の隣で、小松原はなれた様子で挨拶している。

 小木はふんふんと鼻をならすと、椎名の隣にどさっと座りこんだ。

 

「あ、新しい人? どうも小木です。仕事は小説とかエッセイとかコラムとか書いてます。だいたい部屋にいるけど昼夜めちゃくちゃなのでたまに生存確認お願い致します。あれ焼けたら僕も食べていい?」

 

 小木は言いたいことだけばっと言うと、無言でオーブンを見つめ動かなくなってしまった。

 

「椎名です。すぐ近くでパティシエ見習いしてます。皆さん用に焼いているので、是非是非食べてくださいね」

 

 もう改めてきちんと挨拶なんて考えるのはやめた。

 椎名はコンソメ煮を口に放り込むと、隣で居眠りを始めた小木が倒れないように定期的に肩を押す。

 

「小木さんはケーキの匂いで起きる。よし覚えた。原稿の締め切り日に踏みつけて起こさなくても良さそう」

「踏み、つけてたんですね……」

 

 ぽつりとこぼした小松原に、思わず椎名は笑ってしまった。

 

 そうこうしていると、オーブンから焼き上がりを知らせる音が響いてきた。

 よしよしと三人並んでオーブンを開けると、見事にふっくらと焼けたバターケーキが顔を出した。

 

「無理待てない。丸かじりしたい。そのポテンシャルは持ってるつもり」

「なに言ってるの小木さん。まだちょっと待って」

 

 小松原が身を呈し小木を押さえている間に、バターケーキを型から出し、準備しておいたグラスアローで表面をコーティングしていく。

 そして小松原が砕いてくれたピスタチオを、グラスアローの上に散らせばなんちゃってウイークエンドシトロンの完成だ。

 

「大きな型で焼いちゃいましたけど、日持ちしますし、小分けにするのでいっぱい食べーー」

「うわーめっちゃいい匂い! 帰ってくるタイミング完璧じゃね私!?」

 

 ケーキを持って共有スペースへ行こうとしたとき、玄関から元気な大声がこだましてきた。

 

「あ、お帰り田中ちゃん。昼休憩?」

「そうやっと昼ー。もう飛び込みでパーマのお客さんとか、ほんとしんどい!」

 

 田中はコンビニ袋を振り回しながら、不満そうに小松原に愚痴るも、小木と同じように鼻を鳴らしケーキに釘付けになっている。

 

「今日からお世話になります椎名です。丁度焼き上がったので、引っ越し蕎麦だと思って皆さんでどうぞ」

「マジで!? うわーパーマのお客さん今日だけはありがとー! あ、田中です。すぐそこで美容師やってまーす」

 

 田中は軽く挨拶を済ませると、共有スペースを開けっ広げ、テーブルの準備をする。

 ケーキを運び込む椎名の隣で、小松原が小木に切り分け用のナイフと取り皿の準備をさせる。

 今時見ない円卓のちゃぶ台をささっと拭くと、見事な連携であれよあれよと言う間にケーキは切り分けられていく。

 みんなに行き届いた所で、誰からともなく頂きますと声が上がる。

 

「ん~……! 焼きたて美味しー! バター良い匂い!」

「ふわっふわで表面しゃりゃりで、最高!」

「椎名さん、これ、週末の朝御飯に作ってくれたら一日、いや、一週間嬉しい」

 

 田中が元気に声を上げ、小松原と小木もそれに続く。

 そこまで喜んでくれるなら、もっとしっかり作れば良かったと椎名は少し後悔した。

 

「こんなズボラなケーキで良ければ作りますよ。また皆で食べましょう」

 

 椎名の言葉に、わっと歓声が上がった。

 

「まぁまぁ、何々いい匂い! あらあら自炊したの?」

 

 玄関から驚いたような大きな声が響いてきた。

 

「あ、大家さんだ。自慢してこよ~」

「上手くアピール出来れば材料補給してくれるかも!」

 

 田中と小松原がケーキを片手にバタバタと部屋を後にする。

 玄関からかしましい声が響いてくる。

 椎名は引っ越しの不安などすっかり消えてしまった。

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