3:むしゃくしゃしてやった
「じゃあ本当に家で作ったことないんだ」
ういろうを蒸している間、父と京都の水無月の話をしていた。
「こんな蒸し暑い時期に、蒸し暑い盆地の京都で水無月作りなんて暑くてたまらん。老舗だかなんだか、いっつも決まった和菓子屋のを買ってきてたなぁ。水無月はおやつの中ではハズレだったから興味も無かった」
父は蒸し器の熱気から逃げるように、冷蔵庫の作りおき麦茶をそのままがぶ飲みする。
コップに移さず飲むとまた夫婦喧嘩だぞと言いそうになったが、なにも見なかった事にする。
七草の粥のように時期的な物として食べるが、兄弟全員そんなに好きじゃなかったと父はこぼす。
さっき食べたのが人生初の水無月だったが、今のところ同じ感想だと変に納得した。
もちろん不味いわけではない。
もちもちとした食感に小豆の甘さ、見た目の涼しさなどシンプルながら良く出来たものだと思う。
ただ単に、和菓子ははっきりと好き嫌いが別れてしまうのだろう。
そんな父の話に相づちを打っていると、キッチンタイマーが鳴った。
蒸し器を開け、ういろうの上に甘納豆と少しとっておいた生地を乗せもう一度蒸せば、水無月の完成だ。
「暑いと思ったら蒸し物なんて、家の中が湿気っちまいますよ」
キッチンタイマーの音が気になり見に来たのか、おばあちゃんが台所の入り口からしかめっ面を覗かせた。
はぁ嫌だ嫌だと言いながら、ぴしゃりと台所のドアを締め切っていく。
蒸し暑いから開け放っていたと言うのにと、父は不満そうに台所の窓を全開にする。
「ちょっと。網戸の隙間から虫が入ってくるじゃない。この時期キッチンの窓は開けないでって言ってるでしょ」
すると、今度は母が台所を覗き込み、開け放たれた窓を嫌そうに顎でしゃくる。
「そっくりだな」
「女嫌いになりそう」
母を無視し、再びキッチンタイマーをセットする。
母は無言で窓をぴしゃりと閉めて行ってしまい、一気に部屋の中が蒸し暑くなった。
台所にエアコンはない。
タイマーを持って茶の間に避難しようにも、おばあちゃんの愚痴愚痴を聞かなければならない。
冷凍庫からアイスを二本取りだし、一本を父に渡す。
「避難したいけど」
「母さんに見つかったらなに言われるか、だろ」
アイスを頬張り一言こぼすと、わかってるよと父が言葉を続けた。
水無月を作ってると知られれば、きっと「おはあちゃんの味方なのね」と嫌味を言われるか、邪魔だったからと片付けられこれまた嫌味を言われるかのどちらかだろう。
そしておばあちゃんもまた、二人が台所から居なくなったと知るや、何をやってたか確認すべく、こっそり鍋の蓋を開けて回る事だろう。
想像に固くない行動に、二人は作業が終わるまで意地でも台所を動かないと決めた。
数分後、再びキッチンタイマーが鳴り、待ってましたと蓋を開ける。
この熱気もこれで最後と言い聞かせ、手早く二種類の水無月をテーブルの上に取りだし、ようやくひと心地つく。
火を止め台所のドアを開けただけで、涙が出るほど涼しい風が入ってきた。
二人はにやにやと笑い合いながら、きっちり洗い物と掃除を済ませ、使った器具も元あった場所にきっちりきっちりしまい込んだ。
「冷えたら型から外して切り分けて完成……。冷蔵庫に入れなくても良いには良いらしい」
「けどなぁ、こんな分かりやすいところで冷ましておけないしな。やっぱり冷蔵庫の一番奥に入れておこう」
父は冷蔵庫の中身を一部ごそっと取りだし、一番奥に隠すようにあら熱のとれた水無月を型ごと入れる。
出した中身も、見事に元あった場所に戻したところを見ると、父は定期的になにかこうして隠しているのだろう。
普段なにも言わず何を考えているかわからない父だが、意外にも母をあまり刺激せず上手く立ち回っているのだろう。
「なんでいきなり作ろうなんて思ったんだ?」
何本目かのアイスをかじりながらぼんやりと父の背中を見つめていると、ふいに父が振り返りそんな事を言ってきた。
「さあ? むしゃくしゃしてやったって感じかな。買って来ても作っても無視しても文句言われるのは分かってるけど、だからって取り寄せたらなんか負けな気がするし、どの店のか分からないし。じゃあ逆に、バイト代で材料買って手作りを食わせて文句言われたら、これからは堂々と言い返せるなって思って。手間は手間だけど今後のストレスが減るなって」
上手く言葉になってないが、素直な気持ちをそのままぶつけてみた。
するとしばらく唖然としていた父だったが、徐々に口元が緩みだし、ふるふると震えながら笑いをこらえている。
「良いな、それ。お父さんも今度やってみる」
震える声でどうにかそれだけ言うと、顔を覆い肩を揺らし笑う。
三十分も経てば、水無月はすっかり冷えた。
型から外し切り分けると、氷とまではいかないが、はじめて作ったにしては涼しげな見た目の良い出来だった。
人数分取り分け、菓子楊枝を添えて茶の間に持っていく。
相変わらずテレビの前に陣取っているおばあちゃんに声をかけ、白と抹茶、二色の水無月をちゃぶ台に乗せる。
隣の部屋にいた母も強引に呼び込み、余計な事は言わずただ「いただきまーす」とだけ言い、菓子楊枝を手に取る。
「今食べるの? ごはん前に? まだこれからごはんの準備と買い出しと、洗濯物も畳まなきゃいけないのに」
「水無月の日も知らんのかね」
案の定、母とおばあちゃんは食べる前から文句たらたらため息ばかり。
それでも気にせず父と食べ進めていると、渋々といった具合に二人も菓子楊枝を手に取った。
無言で一口二口と食べ進め、結局食べ終えるまで誰も口を開かなかった。
母は抹茶の方のみを食べ、おばあちゃんは白い方のみを食べ菓子楊枝を置いた。
「柔こ過ぎて喉に詰まりそうだ。和菓子は甘けりゃ良いってもんじゃないのに、べったりと下品な甘さだねぇ。日も違いますし、水無月じゃなかったと思えば良しですかね」
「おやつには重たいわね。今日は軽く素麺だけで良い?」
おばあちゃんの嫌味を無視し、母はさっとおぼんに皿を乗せて片付け始める。
「あんまりにも煩いからバイト代で材料買って、孫がせっせと一から作ったってのにその言いぐさ。自分じゃなんもやらない癖に、聞いても作り方なんて知らない癖に文句ばっかり。母さんのごはん、これからはいただきますもご馳走さまも言わないから。なに食べても文句しか言わないし、気分じゃなかったら食べないから」
そう言って買って来たもう水無月の残りをちゃぶ台に叩きつけるように置くと、母もおばあちゃんも驚いたのか口々に言い訳を始める。
「私は美味しいと思ったわ」「手作りだなんて知らなかったんだよ」など、手のひらを返すようなとりあえず機嫌を取るような言葉の羅列。
そんな言葉を無視し、買って来た水無月をぐいっとおばあちゃんの目の前に突きだし「交差点のとこの和菓子屋の」とだけ言い、菓子楊枝を添える。
おばあちゃんは気まずそうにしばし水無月を見下ろしていたが、少しだけ切り分け口に含む。
何度か咀嚼し飲み込むと、再び菓子楊枝をおいてしまった。
「駄目なんだよぉ。水無月は、じいさんが好きだった店の物じゃなきゃ駄目なんだよ」
そう言うと、おばあちゃんはうつ向いてしまった。
そういえば、いつも決まった店の物を買ってきていたと父が言っていたのを思い出した。
「知り合いも行きつけの店も住み慣れた家もじいさんも何もかも居ない。なんだか寂しくって悲しくって」
おばあちゃんはぽつりぽつりと話すと、悪かったねと頭を下げた。
ただ京都が恋しいだけ、いい加減慣れてくれよと軽く考えていたが、本人は相当苦しんでいたようだ。
「だったらはっきりそう言ってくれよ。家族だろ。息子だろ。周りに当たり散らして、引っ越して嫁イビリかただの意地悪ばあさんにでもなったのかと思うだろ」
ごめんよと繰り返すおばあちゃんに、言ってくれよ父はため息をつく。
普段は忘れていても、節目節目の行事は嫌でも京都を思い出すのだろう。
思い返してみれば、確かに桜餅や水無月、祇園祭などの時期は、酷く周りに当たり散らしていた。
「なら、長期休みの度に京都旅行すれば良いじゃん。元々一緒に住む前は帰省してたんだし。母さんの実家は近所だし、わざわざ長期休みに顔出さなくてもいいし。駄目なの? ばあちゃんが行きたいところリスト作って、順番に回ろうよ」
俺の言葉に、全員がはっと顔をあげた。
「確かに。なんで気付かなかったんだろう」
「おじいちゃんのお墓もこっちに移して、京都に行く理由なんて無かったから……」
「え、全員バカなのこの家族?」
つい思った事が口から出てしまい、父も母もおばあちゃんも気まずそうに恥ずかしそうに笑う。
京都旅行と、小さく繰り返したおばあちゃんの目に、みるみる活気が漲ってきた。
そのまま勢い良く水無月にかぶりつくと、見ているこちらが喉に詰まらせるんじゃないかとハラハラするほど、大きな口で豪快に咀嚼し飲み込んだ。
「交差点のとこの和菓子屋だったね。ふん、その辺のよりましだけんど、まだまだホンマもんの水無月には遠く及びまへん。ちょいと、今はお取り寄せって簡単に出来るんやろ? やり方教えておくれ。ホンマもんの水無月、ばあちゃんが食わせたる」
勢い良く立ち上がったおばあちゃんは、父の腕を掴むと、信じられない力でパソコンのある隣の部屋へと行ってしまった。
「あなたの突拍子もない行動力、隔世遺伝ね」
二人が去っていった方を眺めながら、母がぽつりとこぼした。
確かに突拍子もなく思い付きで材料を買いに行き作ったが、あそこまでだとは思いたくない。
そっとおぼんを手に立ち上がった母が、そう言えばと少しだけ振り返った。
「その和菓子屋さん、確かあんたと同じ高校の子がバイトしてたはずだけど、会った?」
「え!? マジで!? っかなんで母さんそんな事知ってんの!?」
にっこりと微笑み行ってしまった母の背に向かい叫びながら、確かに対応してくれた店員は若かったけどまさかなと、一人茶の間で唸り声をあげた。