2:やりますか
母がどこに行くのと声をかけて来た気がするが、考え事をしていて返事をしたかどうか分からない。
見知った白玉粉小麦粉砂糖はその辺のスーパーでも、下手したらコンビニでも買えるだろう。
問題は吉野本葛と大納言の甘納豆。
探し歩いて無ければ普通の葛粉と、大小色んな豆が入った甘納豆を買ってきて選別するしかない。
甘納豆を選別して使うとなると、量が不安だ。一袋にどれだけ小豆が入っていることか。
そして、ただの葛粉と吉野本葛の違いなんか男子高校生に分かるはずもない。
あれこれ考えあぐねた末、どうせ偽物と文句しか言われないのだから、それっぽいものをと、変に客観的になり、軽快に自転車をこぐ。
一件目のスーパーで無事白玉粉と小麦粉と砂糖を買い、三件目で吉野本葛を見つけることができた。
なま物は買っていないので気にする事はないが、梅雨時の蒸し暑いなかひたすら自転車でスーパー巡りはさすがにこたえる。
大納言だけの甘納豆を諦め、選別するかと来た道を戻ろうとすると、一件の和菓子屋が目に飛び込んできた。
「いらっしゃいませ」
にっこりと涼しげな笑みで、店員が出迎えてくれる。
格式高そうな店構えだったが、人が出入りした時にちらっと見えた涼しげな商品につられ、いつのまにか店に飛び込んでしまっていた。
買い物袋を手に汗だくで、あからさまに場違いな場所だったが、なにも買わず出るわけにもいかない。
店員にぺこりと頭を下げ、名前も分からぬ和菓子を端から順に眺めていく。
「あ、あった」
ふとある商品を目にした時、無意識に言葉が出てしまった。
慌てて口を押さえるも、店員がにっこりと微笑みながら近寄ってきてしまった。
「どちらになさいますか?」
「あ、あの……水無月をひとつ……二つ下さい」
さっと買い物袋を背中に隠すと、店員は一度ちらりと視線を動かしたものの、再びにっこりと微笑み水無月をささっと詰め始めた。
「うちの水無月、豆の上品で控えめな甘さと、ういろうの透明感がすごく人気なんですよ。時期外れでも食べたいって、甘納豆とういろう、別々で買いに来る人もいるくらいなんです」
そう言うと、店員は反対側のショーケースに目をやる。
そこには確かに、甘納豆とういろうが別々で売られていた。
「あ、甘納豆も下さい!」
予想外に大きな声が出たが、もう構ってなんかいられない。
店員もお見通しとばかりに気にも止めず、ささっと会計を済ませてくれた。
今さら気恥ずかしくなり急いで店を出る。
なま物だからとそのまま急いで自転車をこぎ帰宅すると、相変わらずおばあちゃんは一人でぶつぶつとテレビに向かって話しかけていた。
ただいまと言っても振り向きもしないのはいつもの事。
そのまま気にせず部屋に戻り、パソコンを立ち上げ水無月のレシピをプリントアウトする。
その間に、買って来た水無月を一つ開けてみた。
「常温で二日、冷凍は駄目。食べる直前に三十分くらい冷やすと美味しい、か」
注意書にさらりと目を通し、一緒に入れてもらった菓子楊枝で水無月を一口大に切ってみる。
むっちりしたういろうの弾力は予想通り。
一口頬張ってみても、確かにどちらも上品な甘さなのだろうが、味も想像通りの物だった。
そのまま二口三口と食べ進め、気付けば一つぺろりと完食。
甘いういろうだから満足感もあり腹持ちも良さそうで、二つ目を食べようとは思えなかった。
あれだけおばあちゃんが熱望する水無月はこんなものかと、変に期待していた分肩すかし感が否めない。
やはり京都の物とは違うのだろうか。
しかし、材料も買ってしまい、買って来た水無月もまだひとつある。
レシピと実物を交互にみやり、イメージトレーニングを繰り返す。
必要なものをすべて持ち、台所に向かうと、まだ避難中の父が居座っていた。
とりあえず父は無視し、蒸し器とボウルと適当に型になるような四角い入れ物を探し、よしっと気合いを入れる。
レシピの分量通りきっちり材料をはかり、ボウルに入れていく。
粉ものはふるってダマを取ってからと書かれており、それが逐一面倒くさかった。
甘納豆以外の材料を入れ、ようくようく混ぜ合わせる。
父が無言で手元とレシピを除き込み、なにも言わずもう一つ型とどこからか粉末の抹茶を出してきた。
「せっかくだし、半分抹茶にしよう」
元々一人ひとつくらいの分量しか作っていないのにと思いつつ、言われた通り生地を半分別のボウルに移し父に丸投げする。
父は慣れた手つき、というより目分量で適当に抹茶を入れると、負けじとムラなく混ぜ合わせ始めた。
「二人してなにやってるの。誰が後片付けするのよ。もうすぐごはんの準備するんだけど」
「片付けない前提かよ。すぐ終わるから。文句しか言わないなら邪魔」
台所を除き込んだ母が、開口一番小言を言ってきた。
いまだに不満が残っていたせいか、つい思いきり追い返すような事を言ってしまった。
なにも言わずどこかへ行ってしまった母を横目で確認すると、向かいで父が生地を混ぜながら小さく笑ったのがわかった。
「母さん、将来ばあちゃんみたいになりそうだな」
少し間をおいてから、父がそんな事をぽつりとこぼした。
思わず生地を混ぜる手が止まってしまったが、すぐにまた作業に戻る。
「もうなってるよ」
素っ気なく返事をすると、父はまた小さく笑った。