1:今年も水無月はなしですか
「やんなっちゃうね。今年も水無月は無しですか」
また始まったと、母はすっとどこかへ行ってしまった。
どうにがこうにか説得し、同居をはじめて三年目。
この時期になると、毎日のように決まっておばあちゃんは水無月水無月と繰り返しては、京が恋しいと愚痴をこぼし始めるのだ。
茶の間でテレビの前に陣取り、せんべいをかじりながら愚痴愚痴とテレビに向かって一人でしゃべる。
言葉遣いでわかる通り、おばあちゃんは元々京都の生まれではなく嫁いだ身らしい。
しかし、周りからはよそ者扱いを受けていたが、本人は京に嫁いだ事自体を誇りに思っていた。
同居の為京を離れた今でも、「京都では」と逐一比べては見下す始末。
一度、父が京都の人間はそんなに性根が腐ってるのかと激怒していたが、京都生まれ京都育ちの父がそれを言うのかと、笑ってしまった。
「最近はデパートでもスーパーでも、売ってるところは売ってるよ。買って来たら?」
「そんな偽物いりません。本物の水無月の話をしてるんです」
半ば呆れながら声をかけると、思っていた通りの答えが返ってきた。
「なにも知らないんだから」と小声でつけたし、おばあちゃんはテレビのチャンネルをポチポチと忙しなく切り替え続ける。
京都の言い回しでぶぶ漬けの件は有名で、長く住めば否応なしにも土地の言葉や習慣に染まってしまうもの。
しかし、ここまで直球で失礼な物言いは、京都に長く住んでも治らなかったんだなと呆れる。
「本物の水無月が食べたいなら氷でもかじらせておけばいい。あ、冷凍庫の氷じゃ駄目ね。本物は氷室の氷だものね」と、母までも小声で性格の悪い事を言い出す始末。
大体こんな日は、両親がやっぱり同居なんてするんじゃなかったと施設に入れれば良かったんだと、夫婦喧嘩をする。
もう三年目なので目に見える分かりきった未来。
「本物が食べたいなら、本物を知ってるばぁちゃんが自分で作ればいいじゃん。ういろうに小豆が乗ってるだけでしょ?」
「そんな認識だから、この辺は偽物しかないんです」
我ながら嫌味っぽい言い方をしてしまったかと思ったが、返ってきた言葉にそんな心配は無用だったと変に気が楽になった。
「まぁ、結局ばぁちゃんも半端もんの京都人だから、そもそも本物なんて作れるわけ無いか。餅は餅屋だもんね。もうういろう喉に詰まらせる心配しなくなって良かったねー」
直球の嫌味をぶつけ、そのまま台所へと逃げ込む。
不満そうにテレビの切り替わる音とせんべいを荒く噛み砕く音が茶の間から聞こえるが、知ったこっちゃない。
「ねぇ父さん。本物の水無月ってなに、どんなの? どこに売ってたの?」
台所に避難していた父をつかまえ問いただす。
通販で買ってしまえば良い話だが、取り寄せた所でありがとうの言葉どころか、また嫌味が返ってくるだけだろう。
あまり興味はないが、この辺りの物とどう違うのかだけ聞いておきたかった。
「ばあちゃんはただ京都が恋しいだけだから」と言いつつ、父は少し考え込んだ。
「有名な和菓子屋で買えるけど、普通にスーパーでも買えたな。どんなのって言われても、うどん粉練ってあんこ乗っけただけだろ?」
「うどん粉? 下のあれ、ういろうじゃないの? え、小麦粉固めたやつなの?」
「何で出来てるかなんて知らん。もちもちしてたからうどん粉だろ」
たったこれだけのやり取りしかしていないが「あ、駄目だこの人話にならない」と即理解できた。
もういいやと台所を出て自分の部屋へ戻る途中、廊下ですれ違った母が「放っておきなさい」と囁いた。
はいはい言われなくともと思いながら階段を登り、自分の部屋のパソコンの前に座る。
するとなぜか、徐々にイライラが増してきた。
いつもの事だし、ここなら愚痴も聞こえない。
だと言うのに収まるどころか更にイライラはつのり、気付けば激しく貧乏ゆすりをしていた。
部屋の前から母が「何の音? うるさいからやめなさい」と声をかけて来た事により、イライラがピークに達した。
「じゃあばあちゃんにも『うるせぇババア黙れ』って言えよ!」
気付けばそんな事を叫び、机の上にあったペン立てをドアに投げつけていた。
本やクッションならそこまで音はしなかっただろうが、そこそこの量のペンが入ったペン立ては、一つ一つが盛大な音を立てたまばらに散らかっていく。
驚いたのかなんなのかわからないが、母はそのままなにも言わず行ってしまったみたいだ。
同居に納得したのに、恋しいからと逐一当たり散らすおばあちゃん。
同居をすすめておきながら無関心な父。
同居しても良いと言っておきながら、陰口ばかりでなにもしない母。
大声を出し物に当たった事で冷静になり、イライラしていた原因がはっきりと理解できた。
そして同時に、そんな自分にも嫌気がさした。
天を仰ぎ頭を抱えたまま、しばらく自己嫌悪感に苛まれていたが、ふと、目の前のパソコンに『水無月 作り方』と入力してみる。
ずらりとヒットしたレシピの合間に、由来や有名店の紹介などもあった。
まずは由来だとクリックし、何個かのまとめサイトや記事を見て回る。
しかし、どのサイトにも『氷を模した三角形の和菓子で、京都発祥。残り半年元気に過ごす為六月三十日に食べるもの。夏越の祓えと言われ元は氷室の氷を……』位しか書かれていない。
そしてレシピは、てっきり白いういろうのような物ばかり想像していたら、意外にも抹茶を混ぜた物などもある。
「『レンジで時短』『葛粉の代わりに片栗粉』。なんだ、案外簡単じゃんか」
レシピ集を二、三ページ見てみてマウスから手を離す。
簡単だが、おばあちゃんに言わせたら偽物なのだろう。
老舗の和菓子屋のホームページを覗くと、自宅での作り方が紹介されていた。
材料を確認し、スクロールしていく。
素人レシピよりいくぶんか面倒くささはあったが、材料も手間も思っていた程ではなかった。
「吉野本葛? と白玉粉と小麦粉砂糖……あと大納言の甘納豆? そんなの売ってんのかよ」
材料をスマホで撮り、一人でぶつぶつとしゃべる。
しばらく材料とレシピを眺め、財布の中身と相談する。
「……たぶん、いける。値段知らないけど」
意を決し財布をポケットにねじ込むと、自転車の鍵を手に部屋をあとにした。