2:裏山に爺婆
夕食の煮込みハンバーグは大好評で、弟だけでなく息子もおじいちゃんも旨い旨いと良く食べた。
肉は嫌と言っていたお姉ちゃんには、小さな肉団子とサラダや煮物、漬け物などを出しどうにか満足して貰い、その日は無事に終わった。
「よもぎとニガヨモギを間違えるなんざ、おらぁ今も信じられねぇ」
寝る前、おじいちゃんがぽつりと布団の中でそんな言葉をもらした。
「あの辺は元々ニガヨモギなんてなかった場所だからねぇ。ここ十年くらいかね、出始めたのは」
目も腰も悪くなってからだからしょうがないと、おばあちゃんは未だに腑に落ちないと一人言ちるおじいちゃんの背を叩き、電気を消した。
翌日、朝御飯を掻き込むと弟は一目散に外へ飛び出していってしまった。
長期連休に合わせた訳ではないが、昔からこの時期に集落内の神社でちょっとした出店のような物が出る。
息子夫婦のように、この時期帰省する家族くらいしか来ない小さな小さな祭り。
人が少なくゆっくり見て回れるその祭りが目当てで、息子夫婦は孫を連れて来ているようなもの。
弟に続き、お姉ちゃんも嫁をせっつき出掛けていった。
朝からもやってはいるが、せっかくの祭りなのだから夜行けば良いのにと、毎年の事ながら息子は縁側にごろりと寝そべったままみんなを見送っていた。
祭りの日は孫たちは朝から遊び歩いて戻って来ない為、昼食は有り合わせの簡単な物で良い。
野菜炒めか漬け物くらいで良いかとおじいちゃんと息子に聞き、野菜を採りに勝手口から出てみると、裏山の急斜面に何人か近所のじいさんばあさんが張り付き、何やらせっせと集めていた。
揃いも揃って腰の曲がった老人達が、朝から何をやってるのかと見上げていると、それに気づいたおじいちゃんも勝手口から顔を覗かせる。
「おおーい、みんなして何してるんだ? ツチノコでも居たのかえ?」
おじいちゃんがのんびりとした口調で問いかけると、裏山に張り付いていた爺婆達が腰をさすりながらゆっくりと振り返った。
「ツチノコだぁ? バカ言うでねぇよ。よもぎさ集めてるんだえ」
よもぎだぁ? とすっとんきょうな声を上げるおじいちゃんに、他の爺婆がてんでに口を開く。
「昨日、おめぇさんから貰った笹団子がよ、うめがったから今日明日の祭りで出そうって思ってな。そしたら見てみ、みーんな考える事は同じだわ」
ぐるりと周りの爺婆を指差し、ガハハハと笑う。
「もうわしゃ目が霞んで、どれがよもぎかようけわからんくなって来た」
「でもじいさんや、これが終わったら次は笹とつげを採りに行くだよ」
「ああそりゃ困った。草団子じゃ駄目け? 竹の子の皮で包めば見映えも良いべ」
「さっきまで久しぶりに孫の菓子手作りする言うて息巻いてたんは誰じゃったよ」
雑談しながらガハハと笑い、どれどれやるかと再び急斜面に這いつくばりよもぎ摘みを始める。
昨日苦くて不味いと笹団子を吐き出されてしまった二人は、ただただ開いた口が塞がらない。
「んな苦いもんこさえたって、嫌だって食ってくれんよ」
「それはおめ達がニガヨモギ入れすぎたんだぁ」
昨日お裾分けをする時の世間話で、孫が食べてくれなかったのはみんな知っているはずだ。
舌の鈍った爺婆には旨かったのかねと、おばあちゃんは小さく笑いながらおじいちゃんを見上げた。
「おばあちゃーん」
ふと、玄関の方から弟の声がした。
祭りに行ったはずなのにと、何かあったのかと慌てて玄関に行ってみれば、何故か息子が玄関先で笑い転げていた。
「昨日の苦い団子、屋台でも売ってた」
とりあえずのお土産として甘栗の袋を差し出しながら、弟はスマホで撮った画像を二人に見せる。
そこには、確かに笹団子の屋台が写っていた。
「フットワークが軽い爺婆達だな」
息子は息も絶え絶えにそう言うや、床に膝をついたままヒィヒィと笑っている。
昨晩のうちに団子を作り寝かせておき、今朝あんこを包み笹を巻き蒸したのだろうか。
だとすると、息子の言った通り相当決断力があり行動的な人だ。
スマホには店の看板と笹団子しか写っておらず、誰の店かはわからない。
「ここ最近は、面倒で誰も笹団子なんか作らないからねぇ。久しぶりに食べて旨かったんかね?」
困惑しながらおじいちゃんを見上げると、おじいちゃんもどうだろうと唸るのみ。
再び元気に走っていった弟を見送り、もう一度勝手口に戻る。
本当にただ笹団子の屋台があったと画像を見せに来ただけだと思うと、何故かほんのり嬉しくなった。
「おおーい、もう笹団子、あるらしいぞぉ」
裏山に向かってそう声を上げれば、あちらこちらから先を越されたや本当かなど、てんでに声が上がる。
「手分けして集めて、みんなで作ったら良いでねぇか。揃いも揃って腰痛める必要もねぇだろうに」
集落中の老人みんなで笹団子の屋台をやれば良い、集めるのも作るのも時間がかかる。
そんなおじいちゃんの言葉だったが、裏山の爺婆から返って来た言葉は勇ましいものだった。
「孫に、集落一の笹団子名人はじいちゃんばあちゃんなんだって自慢したかねぇのけ」
急いでよもぎを集めだした爺婆達は、会話する時間も惜しいのかそれ以降口を開かなかった。
孫に自慢したいから。
口の中で小さく復唱したおばあちゃんは、たまらず吹き出してしまった。
「じいさんや、昨日の残りの笹団子、ちょっと苦いけんど屋台に持ってってみましょか」
まだ残ってたわよねと台所を覗き混むと、おじいちゃんが小さく駄目だとこぼした。
何が駄目なのかと顔を上げてみると、裏山を見つめるおじいちゃんの目は爛々と輝いていた。
「昨日のは苦すぎる。あれじゃ笹団子名人なんか名乗れたもんじゃね」
何を言い出すのかと呆気にとられていると、おじいちゃんは畳み掛けるように言葉を続ける。
「毎年欠かさず作って来たおら達が名人じゃなくて誰が名人か! こうしちゃおれん。材料、まだ残ってるな」
台所に駆け込み、昨日の残りを確認するおじいちゃんの背中に、おばあちゃんは誰も彼も単純だなと体の力が抜けた。
「今からこさえるんけ? 蒸す前に生地を一晩寝かせなくて良いんか? 名人なんじゃろ?」
「今日の分はこさえてすぐ蒸す。半分は寝かせて明日じゃ。どれくらいニガヨモギを入れるかも考えなくちゃなんねぇからな。生地もあんこも考え直した方がええかも知れん」
名人と言えば少しは落ち着くかと思ったが、居ても立ってもいられないらしいおじいちゃんはもう止められない。
そして、昨日はあれほど落ち込んでいたニガヨモギだと言うのに、すっかりみんなに乗せられていつの間にか入れる事になっていた。
一昨日生地を作り昨日蒸し、今日も作り明日も作る。
「はぁ、老後は団子屋か」
おばあちゃんが外で薪と蒸し器の準備を始めると、おじいちゃんはニヤニヤといたずらっ子のような笑みで見つめてきた。
「どうしたさ」
「いやぁ、ばあさんも案外単純。やる気になったんだなと」
どこかニヤニヤ嬉しそうなおじいちゃんに、おばあちゃんは鼻をふんっと鳴らしそっぽを向く。
「じいさんは蒸すのが下手くそじゃ。ただ薪をごうごう燃やしゃ良いと思っとる。名人どころか見習い以下じゃ」
そんな二人のやり取りに、裏山から笑いが漏れた。