表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

婚約者の前で猫をかぶると拗れる

作者: 七瀬菜々


海に囲まれた緑豊かな美しい島国、ローゼンシュタイン公国。

この国には、常に皆の注目を集める二人の若者がいた。


彼女の名はカリーナ・ローゼンシュタイン。

金髪碧眼の大層美しい容姿をした大公の末姫。

彼の名は、ジュード・ジルフォード。

銀髪紫眼の美丈夫で由緒正しき伯爵家の嫡男。


美しい彼らは、周囲に望まれるがままに婚約し、以来、いついかなる時も共に歩んできた。


彼らの人生はひどく窮屈なものだった。

常に周囲からの期待や羨望、嫉妬の目に晒されて生きてきた。

二人は、何ひとつ間違えないよう、何ひとつ取りこぼさぬように、定められたレールの上をそれはそれは慎重に歩いてきた。

そして相手が決められた枠からはみ出さないように、常にお互いを監視してきた。

故に、互いのことは嫌という程良くわかる。




城で定期的に開催されるカリーナとジュードのお茶会。

それは二人が仲睦まじく過ごしていることを示すだけの形式的なもの。

キラキラと輝く海が見えるテラスで、青々とした美しい景色を眺めながらカリーナは小さくため息をついた。

空は雲ひとつない晴天なのに、彼女の心は晴れない。


「ジュードは好きな人がいるのかしら?」


婚約者が少し席を外した隙に、カリーナは彼の従者に問いかけた。

唐突な質問に、伯爵家の従者ローレンスは戸惑いながらも「好きな人はいると思います」と答えた。

すると、彼女は小さく「やっぱり」と呟く。



カリーナには婚約者が想いを寄せる相手に心当たりがあった。

それは彗星の如く社交界に現れた娘、レイラ。

つい最近、とある男爵の落胤として貴族になったこの娘は、社交界でも稀有な存在だった。

自由奔放、天真爛漫。自分の心の赴くままに振る舞うその姿は、貴族の令嬢としてとても褒められたものではなかった。

しかし、決められたレールの上を歩くしかなかった彼の目には、そんなレイラがとても眩しく見えたのかもしれない。


ジュードは最近の夜会で、よく彼女と話している。

カリーナには、彼女といる時の彼がとても生き生きとしているように見えた。

冗談を言い合って、たまに彼女の頭を小突いたりしている場面を見かけたこともある。

きっと、レイラには素の姿を見せているのだろう。

昔のジュードはそんな感じだった。

それがいつの頃からか、カリーナの前では貼り付けたような笑顔しか見せなくなった。

人の目のある所でしか会わないせいもあるのだろうが、いつもよそよそしい婚約者。



カリーナは大公である父が決めたこの婚約で、ジュードを縛りつけてしまった事に負い目を感じている。

だから、彼の目に自分以外の相手が映ったときは全力で応援しようと、昔から決めていた。だが…。


(もし、ジュードがレイラ嬢のことを好いているのなら、私は応援したい)


そう強く思うのに、凝り固まった思考のカリーナは、決められた枠から飛び出すことが出来ずにいた。



そんな折、従者が言う。



『そういえば最近、成人を迎えれば、本人達の意思で婚約を破棄できるようになりましたよね』



まさに青天の霹靂。




***




「それでは、第一回『ジュードとレイラをくっつけようの会』を開催します」


ソファに浅く腰掛け、口元で手を組み、神妙な面持ちで話し始めたのは大公の末姫、カリーナ・ローゼンシュタイン。

その向かいには、ソファの背もたれに仰け反り、心底めんどくさそうにため息をつく伯爵家の従者ローレンス。


柔らかい午後の日差しが二人の間にあるテーブルを照らし、その上に置かれたティーカップは柔らかい影を作る。

ローレンスは暖かく平和な午後なのに、なぜただの平民の自分が一国の姫の執務室にいるのだろうと思った。

そして、天井の壁に描かれた猫の数を数えながら、深くため息をつく。


「…猫の壁紙とかセンスないっすね」

「可愛いじゃない、猫」

「可愛いからって何でもかんでも猫柄にするのはどうかと…。この部屋、猫多すぎ」


カリーナの執務室は見渡す限りに、猫猫猫。

猫の置物に、猫の刺繍が施されたクッションに、猫の絵画。

ローレンスが目の前に出されたティーカップを手に取ると、ソーサーの真ん中にも猫がいた。

猫が苦手なローレンスには苦痛の空間だ。


「あー、帰りたい…」

「ちょっと!やる気を出しなさいよ、ローレンス」

「俺がやる気出したらこの国は滅びますよー」

「訳のわからない事を言ってないで、真面目に聞いてよ!」



カリーナの小言そっちのけで、ローレンスはこの状況をどうやって打破しようかと考えていた。


事の始まりは先日のお茶会。

ローレンスから『婚約に関する法律が改定された』という話を聞いたカリーナは、その事実に背中を押されてしまった。

その法は自分には適用されないと思い込んでいたが、誰もそんな事は一言も言っていない。

ふと、そのことに気がついてしまったカリーナは、『自分の意思で婚約を破棄するなど不可能』という固定観念から解放された。

そして、彼女は婚約者ジュードの幸せを叶えるべく、取り敢えず今後の方針を決めるために、彼の従者を自身の執務室に呼び出したという訳だ。



(…どうすっかなぁ)


あの時、カリーナの重たい空気をどうにかしようとして選んだ話題が間違いだった、とローレンスは後悔していた。

しかし、己の失言が引き起こした事態だと理解しつつも、彼は一刻も早くこの部屋から出たかった。



「はい、姫様」


高々と右手を上げ、少し大きめの声でローレンスは言う。

カリーナは精一杯の凛々しい顔をして、ローレンスを指差す。


「はい、ローレンス君!」

「姫様の気が済むまで外で待ってても良いですか?」

「出て行ったら、襲われるーって叫んでやるわ」

「横暴が過ぎる」

「死にたくなかったら、もう少し付き合いなさい。出て行くのはダメ!」


カリーナは頬を膨らませて、腕で大きくバツを作る。非常に子どもっぽい仕草だ。


普段は完璧で美しい姫君に擬態しているカリーナだが、人の目がないと途端に幼くなる。

抑圧された日々を過ごしている反動だろうが、普段より知性品性が3割から5割ほど減少する。

もちろん、その姿を見せる相手は気心の知れた人物に限られるが、ローレンスは、彼女がいつかどこかで下手を打つのではないかと毎度ヒヤヒヤしている。


「また被ってた猫が行方不明になってますよ、姫様」

「いいのよ、貴方しかいないのだから」

「気づいてます?俺しかいないのは大問題なんですよ」


ローレンスは紅茶を飲みつつ、ため息混じりに言う。

いくら気心の知れた仲とはいえ、婚約者のいる姫君が他の男と密室に二人きり、という状況は外聞が悪い。


「あらぬ噂を流されかねませんよ」

「今更、貴方との間にそんな噂を流す人なんていないわよ。あ、枝毛発見」


カリーナは、その混じり気のない蜂蜜色の髪を弄りながら、興味なさそうに言う。

確かに、カリーナが婚約者の従者に懐いているのは、昔から城内ではよく知られている事。

そしてローレンスは城の人間からの信頼も厚く、また、彼の伯爵に対する忠義が確かなものであることは周知の事実。

故に、彼らの周りで二人の関係を疑う人間はいない。正確には一人だけいるが、それはどうとでも出来る。

だが、それでもローレンスはこの状況を好ましく思わない。


「外に衛兵は居るし、別に私室に連れ込んでるわけでもないし、何よりジュードにも貴方を借りると伝えてあるから、何の問題もないわ!」


カリーナは親指を立ててニカッと笑った。


(…問題ないわけないだろうが)


ローレンスは「はあー」とわかりやすく声に出して、ため息をついた。

カリーナはその姿にムスッとした顔をする。


「いいですか、姫様。ジュード様が何と言おうとも、貴女は今、密室で男と二人きりなのです。もっと警戒心を持ってください」


ローレンスは伯爵家の従者として、一応、警戒心のない主人の婚約者には、キチンと忠告しておかねばならない。

カリーナは目を閉じて顎に人差し指を当て、少し顔を傾けながら数秒思考する。

そして、何か納得したように目を開けた。


「それはつまり、ローレンスが私に何かするかもしれないということね!」

「そうです。そういう事です。お見事ー」


ローレンスは、自分の言葉の意味を理解したカリーナをわざとらしく褒める。

そして、「では」と退室しようとするが、上着の裾を掴まれ阻止された。


「今し方忠告したばかりですが?襲いますよ。本気で」


ローレンスはジトッとした目で、裾を掴むカリーナを見た。

たが、カリーナは裾から手を離し、その忠告をあっさり退ける。


「ローレンスが私に何かするとか、あり得ないわ」

「わからんでしょう?俺も男ですから」

「8つも離れているのに?」

「年齢差は関係ありません」

「でも昔から知ってる仲なのよ?貴方にとっての私は、妹みたいなものでしょ?」

「昔から知ってても、急に女に見えたりすることもあるんです」

「嘘ね。だって貴方の私に対する態度は、女性に対するそれではないもの」

「急に、今この瞬間、気が変わるかもしれないじゃないですか」

「そんな事ある?」

「そんな事もあるんです。男は皆オオカミなんです」

「がおー?」


キョトンと首をかしげ、手で狼のポーズをするカリーナ。


(…クッソ可愛いな、おい)


ローレンスは無邪気なカリーナに、少し頬を赤らめた。

そして、何とも言えない感情が湧き出てきて居たたまれなくなったローレンスは、とりあえずカリーナにデコピンした。


ここ最近、急激に美しくなって、大人の色香を醸し出すようになったくせに、ローレンスの前でだけは幼い少女のままのカリーナ。

そんな彼女に、ローレンスはどう接したら良いのか分からなくなっていた。

当然、彼のその複雑な心境など知る由も無いカリーナはいつもの調子で、ローレンスに甘えるように素の姿を見せる。

今だって、両手でおでこを抑え、上目遣いでキッとローレンスを睨む。

その表情は叱られてふてくされる子どものようだ。


「痛い…」

「ジュード様のご婚約者だという自覚が足りないから、お仕置きです」

「ローレンスはいつも意地悪だわ」

「じゃあ俺に頼ってこないでください」

「他に頼れる人なんていないもの」

「友達いないですからねー。姫様」

「い、いるわよ!友達くらいいるわよ!リリーとか」

「それはメイドです。お給金貰って側にいる友達とか、逆に嫌でしょ」


ローレンスは「ハッ!」と嘲笑うように吐き捨てる。

頼れる友達もおらず、素を見せられる従者も少ないカリーナは、いつも何かあればローレンスを頼る。

カリーナがジュードと婚約した頃からの付き合いなので、彼女にとってローレンスは、年の離れた兄のような存在だ。


不敬だと吠えるカリーナを「ハイハイ」とあしらいながら、ローレンスはそのまま入り口に向かい、扉を半分開けた。

そして、外の衛兵にぺこりとお辞儀して席へ戻る。

カリーナは、それをむくれた顔で見ていた。


「気を張らなきゃいけないじゃない」


再び目の前に座ったローレンスに、小声で文句を言う。しかし、


「俺の前で気を抜かないでください」


と、また怒られた。


ローレンスは小さくため息をつき、一刻も早くこのよくわからない会を終わらせようと、仕方なくカリーナの話を聞くことにした。


「それで?どうしてレイラ嬢とジュード様をくっつけようと?」

「ジュードが彼女を好いているからよ!」

「は?」


面倒くさそうに聞くローレンスに対し、生き生きと話すカリーナ。

ローレンスはまたしても、深くため息をついた。


「何故、ジュード様が彼女を好きだとお思いに?」

「だって夜会で何度も、仲睦まじく微笑み合っている姿を見ているもの」

「それはまた…何と言うか…」


ローレンスは迂闊な主人に対し、心の中で舌打ちした。


「それにね。彼女といる時のジュードは、私といる時とはまるで違う。すごく自然な感じがするのよ」

「つまりは、素を見せていると?」

「そうよ。きっとレイラさんの自由奔放で天真爛漫な所が、本当の彼を引き出しているのよ」

「本当の彼ねえ…」

「だから、ジュードはレイラさんがそばにいる方が幸せなんじゃないかと思って…」

「それを言うなら、ジュード様は俺にも見せてくれますけどねー。本当の姿」


「姫様とは違って」と言外に言ってくるローレンスに、カリーナは不貞腐れた顔をする。

そんな彼女の姿を見て、ローレンスは少し呆れたような表情を浮かべた。


(そう思うなら、自分も素を見せりゃあいいのに…)


ジュードもカリーナも、昔からお互いのことをよく理解している。

だが、それは仕草や表情から読み取れる感情の機微であり、本心を理解しているわけではない。

何故なら、互いに素の部分を見せる事はあまりないからだ。

婚約した当初はそんな事もなかったのだが、年齢を重ねる毎に、周囲の人間の期待通りの人物になろうと努力し続けてきた結果、二人ともがお互いの前でも猫を被り、完璧な次期伯爵と完璧な姫君を演じてしまうようになった。

特にカリーナが素の姿を見せるのは、家族を除けば、彼女に長く仕える侍女数名と婚約者の従者ローレンスだけだ。

それが、ローレンスにはとてももどかしい。


ローレンスは諭すように、カリーナに語りかける。


「姫様は婚約者の浮気を許容するんですか?」

「むしろ応援しているわ」

「応援すると言う事は、『婚約者が他の女に取られることを許容する』と言う事ですよ?」

「むしろそれを望むわ」

「そうすると、姫様は『婚約者に捨てられた哀れな姫君』となるわけですが…」

「多少の醜聞は仕方がないわ」

「さすがは島国ローゼンシュタイン公国の姫君です。海のように深く広い心をお持ちのようで」


ローレンスはパチパチと手を叩き、「さすがー」と思ってもいない事が丸わかりの口調でカリーナを褒める。

そんな彼に、カリーナはソファに置いてあったクッションを投げつける。


「相変わらず不敬な態度ね!」

「姫様、素が出てます。扉を開けてますので、一応猫は被っておいてください」

「にゃー!」

「やめなさいって」


イーッと口を横に開き威嚇するカリーナに、ローレンスはまた、ため息をついた。

そして、目の前でそっぽ向くカリーナを、なんとも言えない複雑な表情で見つめる。


自分の婚約者が自分より明らかに劣る、品性のかけらもない令嬢にうつつを抜かしていたら、普通は怒り狂ってもおかしくない。しかし、カリーナ怒るどころか婚約者の恋を応援したいと言う。

自分だって政略結婚に縛られているのに。

そう思うと、ローレンスはこの姫が愛おしく思える。


だが、ジュードとの婚約解消に積極的になられるのは伯爵家として困る。

出来ればその考えは改めて欲しいと、ローレンスはカリーナを説得する事にした。


「あのですね、姫様。そもそも姫様とジュード様のご婚約は大公様のご命令ですので、解消するのは難しいかと…」

「けれど成人を迎えれば自らの意思で破棄できると言ったのは貴方よ?幸い、私たち来年には成人を迎えるし、ちょうど良いタイミングだわ」

「あの…確かに申し上げましたが、姫様にもそれが適用されるかまではなんとも…」


ローレンスは言い淀む。

しかし、カリーナは人差指を立て左右に振りながら、チッチッ舌を鳴らす。


「お父様に確認を取ったところ『ジュードが許諾すれば破棄しても構わない』とおっしゃっていたわ!これがその証拠よ」


そういうと、複数枚の紙を取り出した。

それは婚約を解消するために必要な書類。

カリーナ側が記入する欄には、大公のサインが書かれていた。


それを見たローレンスの眉がピクリと動く。


「…大公様がこれを?」

「ええ。お父様も長くこの婚約でジュードを縛ってしまった事を後悔していらしたわ」

(…違う。そんな理由じゃない)


ローレンスは焦った。

大公がこれを娘に渡すという事は、大公にとって伯爵家との婚姻が、あまり有益なものではなくなったという事。

そして、長く婚約していたこともあり、強引な手は使いたくない大公は、決定権を伯爵家に委ねたのだろう。


(どうしたものか…)


ローレンスは恐る恐るカリーナに尋ねる。


「姫様は、ジュード様がこれにサインしてしまっても良いのですか?」

「彼が望むのなら」

「そうですか…」


憂いを帯びた目をしながら、ジュードが望むなら受け入れると言うカリーナ。

その表情は、本当はそんな事を望んでいないのが丸分かりなものだった。

ローレンスは、やはりこの婚約を解消させることはできないと、本格的にカリーナを説得する事にした。


「しかし姫様。仮に姫様が婚約解消をしようとも、伯爵家がレイラ嬢を迎え入れるとは限りませんよ?」

「何故?爵位が低いから?伯爵はそんな事気にする人だったかしら」


カリーナは首を傾げた。

この国では、婚姻を結ぶ際に爵位に拘る貴族は少ない。

国のトップである、大公自身が実利主義だからか、どちらかというと、爵位よりも利益を優先する傾向にある。姻戚関係となる事により利益があると判断すれば、爵位が下だろと上だろうと結婚する。

もちろん、伯爵家とてその傾向が強い家だ。しかし、今の伯爵家には男爵家との繋がりを欲しがる理由がない。


「爵位は気にしませんが、彼女の家と繋がりを持っても伯爵家には何のメリットもありません」

「あの男爵家は最近、他国との貿易で潤っていると聞いたけれど」

「別に伯爵家は困窮しているわけではないですよ?」


ローレンスはクスッと笑い、そう言った。

伯爵家にとっては、大公の娘と婚約し大公家との繋がりを持つ方が、成金男爵家と繋がりを持つよりずっと有益だ。

そう言われると、カリーナは「それもそうか」と納得してしまう。


「さらに言えば、彼女は貴族令嬢としての品性に欠けています。旦那様はそんな娘をジュード様の相手としては認めません!」


ローレンスは人差し指を立て、自信満々に言い切った。

夜会でのレイラの振る舞いは、貴族女性として少し…というより、かなり問題がある。

これでカリーナも諦めるだろうとローレンスは思い、彼女を見た。

しかし、それはカリーナもわかっていたらしい。


「では一先ず、私が彼女の立ち居振る舞いを矯正しましょう」

「…でもそこ矯正しちゃうと彼女らしさがなくなりますよね?」


カリーナは妙案とでも言うように嬉々として、『レイラ矯正案』を提示すも、アッサリとローレンスに潰されてしまった。

口を尖らせ不貞腐れる彼女を優しく見つめながら、ローレンスは言う。


「姫様は、ジュード様が『自由な振る舞いのレイラ』に惹かれたと思っていらっしゃるのでしょう?」

「そうよ」

「貴族女性らしいレイラ嬢は、ジュード様の望むご令嬢でしょうか?」

「…困ったわ。確かにそうね、そこを矯正してしまっては彼女の良さを失うわ」


ローレンスは、ある程度の矯正は必要だろうが、と思いつつもそれを言うとめんどくさそうなので飲み込んだ。


「難しいわね…」

「そうなんです。難しいんです」


ローレンスは一瞬、フッと暗い顔をした。

しかし、すぐにいつもの顔に戻す。

そして、まっすぐにカリーナを見つめ、優しい声色で彼女に尋ねた。


「ねえ姫様。ジュード様の一番近くに、レイラ嬢みたいな『自由奔放で天真爛漫な女の子』がいると思いませんか?」

「え?だれ?」


ローレンスは、キョトンとするカリーナを無言で指差した。


「…私?」


カリーナは驚きの表情を浮かべる。

素のカリーナはレイラ同様に天真爛漫な女の子だ。


「素の貴女は、ジュード様が好きな女性像そのものかと思いますが」

「ローレンスは、彼に素を見せろと言うの?」

「昔のように、ジュード様の前でだけは普段の貴女を見せても良いのではないですか?」

「そんな事をしても、レイラさんの代わりにはなれないわ」

「代わりとかじゃなくて、あなた自身を好きになって貰うんですよ」

「そんなこと言ったって…」


カリーナは眉を下げ、困ったように笑った。

その顔につられて、ローレンスもまた、困ったように笑う。


「好きなんでしょう?ジュード様の事」

「…私は、好きな人には幸せになって欲しいのよ」

「そう、ですね」


ローレンスはカリーナのその気持ちがよくわかる。


「幸せになって欲しいのなら、ご自分の手で幸せにして差し上げるという方法もあるのではないですか?」

「けれど、ジュードは私が相手で幸せになれるのかしら?彼を縛り付けているのは他でもない私なのに」

「…それは姫様次第です」


そう言って、ローレンスは自嘲じみた笑みを浮かべた。



***


何とか主人の婚約者から解放されたローレンスは、伯爵家の邸宅へ帰ると休む間も無くジュードの部屋に呼び出された。


ローレンスはジュードの仕事部屋の前に着き、扉をノックする。中から「どうぞ」と返事が返ってきた。

嫌な予感しかしないローレンスは、ドアノブに手をかけ、静かに深呼吸する。

恐る恐る部屋に入ると、銀髪紫眼の色男がローレンスに笑顔を向けていた。


「お帰り、ローレンス」

「た、ただいま戻りました」


窓から差し込む夕日に照らされ、影ができた笑顔は何故か怖い。


「早速で悪いが、脱げ」

「何故に!?」


唐突にそう言われて、ローレンスは思わず声が裏返る。

ジュードは小馬鹿にしたように、続けた。


「ああ、大丈夫。下だけで良いから」

「上だけより大丈夫じゃない…」

「つべこべ言わずに、さっさ脱げ」


そう言うと、ツカツカとローレンスに近づきそっとベルトに手をかけた。

ローレンスはゾワゾワっと寒気がして音速で後ずさった。


「おおおお、俺にはそういう趣味はありませんよ!」

「私とてそんな趣味はない。しかし、我が婚約者に不貞を働いてないか調べんといかんだろう」

「働いてませんよ!」


服を剥ぎ取ったところで、どうやって調べるのかと聞きたいところだが、聞いたらひん剥かれる事が確定してしまうので、ローレンスは口を噤む。

ジリジリと近づいてくるジュードに、本気で焦るローレンス。

ジュードはその姿に笑いを堪え切れなくなり、吹き出した。


「本気にするなよ、半分冗談だから」


それはつまり、半分は本気だったという事。

お腹を抱えて笑っているジュードに対して、ローレンスの心境は穏やかではなかった。


(この人本当おっかない…)


ジュードはふぅ、と深呼吸して机にもたれかかると、再び胡散臭い笑顔を貼り付け、ローレンスに問う。


「で、どうなった?」

「こうなりました」


ローレンスは茶封筒から複数枚の婚約破棄の書類を取り出し、それをジュードの前に突きつけた。

ジュードはそれを受け取ると、余裕のある表情で「ほう」とだけ呟く。ローレンスは、そんな余裕な態度が鼻につく。


「大公様は『あんまり娘を不安にさせるのなら婚約破棄するぞ』とでも仰りたいのでは?」


ジュードを責めるような口調で、ローレンスはハッキリと言った。

本当はそれ以上の危機なわけだが、それはジュードとて理解している事だろう。


「そんなに不安にさせているかなぁ?毎回、会うたびに愛を囁いているのに」

「そういう所が逆に胡散臭いんですよ。義務感でそう言っているとしか思われてないんです!社交界では銀髪の貴公子なんて呼ばれてますが、本来の貴方はそんな感じではないでしょう」


ジュードの幸せを思い、自分の心に嘘をついてまで婚約を解消しようとしていたカリーナの姿を思い出すと、ローレンスは苛立ちを隠せない。


「レイラ嬢の事もそうです。ヤキモチ焼かせたいのはわかりますが、あんまりそういう事してるとマジで嫌われますよ」

「別にヤキモチ焼かせたかったわけじゃない」


そう言うと、ジュードは一通の文をローレンスに向かって放り投げた。


「何ですか?コレ」

「お前宛の文だ。預かった」


ローレンスは怪訝な顔をしながら封を切る。

中には所謂恋文と呼ばれるような文面の文が1通と、オペラのチケットが2枚。

差出人の名前を確認すると、そこには癖の強い丸文字でレイラと記されていた。

目を丸くするローレンスを嘲笑うかのように、ジュードはパチパチと手を叩く。


「一目惚れだそうだ。良かったな、童貞卒業おめでとう」

「くっそ!俺を売りやがったな」

「失礼な!彼女が君と話がしたいと言うので、紹介してあげようと思ったのだよ」

「一目惚れされるほどの容姿ではないと自負しております!わかりやすい嘘はやめてください」

「何を言うか。私の美貌に隠れてスルーされがちだが、お前もなかなかに整った容姿をしているぞ?」


小馬鹿にしたように言うジュードだが、実際にその通りで、ローレンスの見目は別に悪くない。

いつも美しいカリーナとジュードの側にいるからか、気づかれにくいが、癖のある黒髪は優しい雰囲気を醸し出し、透き通った翡翠の瞳は爽やかな印象を与える。体は程よく筋肉質で長身だ。

おまけに、女遊びもせず仕事一筋の誠実で堅物な男という印象の強いローレンスは、未婚女性にとってはかなりの優良物件。案外モテるのだ。


ローレンスはキッとジュードを睨みつける。


「俺ばかりが姫様に頼られるのが気にくわないんでしょう!?」


カリーナは、何かあるといつもローレンスを頼る。

ローレンスの言う通り、ジュードはそれが気に食わない。


「当たり前じゃないか。私には見せない一面をお前には見せるのだぞ?男として耐えられるか?」

「それを見せてもらえない原因が自分にあるとは思わないんですか?」

「我が婚約者に色目を使う輩は排除せねばならない。お茶くらいしてきたまえ」


ジトッとした目で抗議するローレンスの発言は、華麗に無視された。

質問に答えないのは心当たりがあるからだろう。

ローレンスは不服そうにボソッと呟く。


「姫様に近づく男をいちいち警戒する前に、姫様の前でその作り笑いやめたら良いのに」

「出来たら苦労はしないさ」


ジュードは困ったように肩をすくめる。

普段は尊大な態度で従者に振る舞うジュードだが、婚約者の前だと途端によそよそしくなる。

初恋を拗らせた彼は、カリーナによく見られたいと日々完璧な紳士を演じてきた。

そして長い間、それを演じてきたせいで、いつの間にか彼女の前では、本当の自分を見せることが出来なくなってしまっていた。

それが彼女に誤解されている原因だ。

ちなみに、ローレンスにとってのジュードは、未だ幼い頃かと変わらぬ『人をおちょくることが大好きなイタズラ好きのクソガキ』という認識。

ローレンスはこの二人が早く、お互いの本心を見せ合えるようになれば良いと思う。



ローレンスはふぅ、小さく息を吐くと、鋭い目つきでジュードを見据えた。


「あんまり悲しそうな顔させてると、俺が放っておけないかも知れませんよ?」


ジュードは従者のその強い眼差しに気圧され、視線を机に移した。そして、そこに置かれた婚約破棄の書類を見てふと気づく。


「…もしかして、この書類お前も一枚噛んでるのか?」


恐る恐るローレンスを見ると、彼はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「もし、それに俺が噛んでいるとしたら、俺は城にそのくらいのパイプを持つということです」


ローレンスはシレッと言い放つ。

『大公に繋ぐことのできる人脈を宮廷内に持つ』

それはつまり、彼は平民にも関わらず、それほどに城で信頼を得ているということ。

そして、大公に姫の婚約を破棄させるよう進言し、それを大公が受け入れるほどに、大公が信頼しているということ。

普通ならあり得ない話だが、ジュードにはどうしてもあり得ないとは思えなかった。


ローレンスという男は、普段はそんな雰囲気を微塵も感じさせないが、実のところ、嫌なほどに頭が切れる。

宮中でも高い位を持つ伯爵が、ローレンスを己の補佐役として重用し始めたのは、彼が僅か14の時だ。伯爵が最も信頼を寄せる家令の一人。

加えて、大公は実力主義。


彼がその気になれば、国を滅ぼすことは出来なくても、カリーナの婚約を解消するくらいは容易くやってのける。ジュードはその事を失念していた。


「俺は旦那様に忠誠を誓っています。今は貴方の側仕えをしていますが、俺の主人はあくまでも旦那様。貴方に対し、絶対に牙を剥かないというわけではありませんよ?」


ローレンスは、分厚い雲が夕日を隠したタイミングで静かに、しかし重い声色で力強く忠告した。


「…肝に命じておこう」


ジュードは、顔を青くして小さく呟いた。



***



「…噛んでるわけないだろ」


執務室を出たローレンスは、伯爵邸の赤絨毯が敷かれた廊下を歩きながら、ジュードの最後の顔を思い出し、ほくそ笑んだ。

そして、小さく呟く。


「あの二人、早く落ち着いてくれないと、そろそろまずい」


本気で、姫君を攫う悪党になりかねない。


いつの間にか、カリーナに対するローレンスの気持ちは、それ程までに大きくなっていた。

だから「ジュードは自分が相手で幸せになれるか」と問われた時、「なれる」という一言が言えなかった。

カリーナの憂いを断ちたいのなら、ジュードの本心を伝えれば良いだけの事。

それが出来ないのは、ローレンスがまだ割り切れていない証拠だ。

いずれは結婚して、仲睦まじく過ごすであろう二人のそばに居続けなければならないローレンスは、まだそれを受け入れるだけの覚悟が出来ていなかった。


「俺もまだまだガキだわ…」


ローレンスは頭を掻き、自嘲するように笑った。

読んでいただきありがとうございます!

ローレンスは完全なる当て馬タイプの男です。

そして私は、少女漫画で当て馬に感情移入するタイプの女です。


……………ここからは補足です↓……………


カリーナは、自分がどれ程ローレンスに大事にされているかを知りません。正直「気づけよ!」って思います。でも気づいていないから甘えられるのでしょう。


ローレンスはジュードの事も、とても大切に思っています。彼は二人の事は小さい頃からずっと見てきたので、二人がとても可愛いのです。

幸せになって欲しいと思うから、自分の気持ちには蓋をします。けれど、蓋をしても溢れてしまうほどの気持ちに戸惑っている節もあります。


ジュードはローレンスのカリーナに対する気持ちを知りませんでした。

でも、最後で「もしかして」と思って暫く悩みます。

揶揄って遊びつつも、彼はローレンスの事を兄のように慕っていますので…。悩めば良い!大いに悩め!


なんか、そんな感じで書きました。

読んでいただき、ありがとうございました!!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] あれ? 次▶▶のボタンが押せません( ;∀;) めっちゃその後が気になる!! 他の子と仲良さげに見せる奴なんか捨ててしまえー! ローレンスに1票♡
[一言] ローレンスは完全なる当て馬タイプの男です。そして私は、少女漫画で当て馬に感情移入するタイプの女です。 私もそうです。私の推しキャラが報われる率はかなり低い(;´Д`)で、ローレンス推しです…
[一言] あとがきの唐突な性癖披露にワロタw
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ