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鬼姫の曼珠沙華 ─濡烏の章─  作者: 紫木 千
第一章『初恋編』
6/30

【第一章】本当の幸せ

 人間の国では、霧の部族が妖退治を担っていた。元々は、雲の部族、雪の部族、雷の部族の計四つが存在していたが、妖によって霧の部族以外を全滅させられたことをきっかけに、妖退治が始まった。

 それから数百年の時を経て、十代目の頭領の前に、蛍助という男が呼び出された。

 見れば、頭領のそばには見た事のない女が座っている。切れ長の目をした厳しい顔つきの女だ。頭領は、蛍助にある命令を下した。


「こちら、恐山から参った巫女、八重さんだ」


 八重、と呼ばれた巫女は蛍助に視線を移すと、ゆっくりと頭を下げる。至って普通の女だが、動作や格好は気高く美しいものであった。


「八重さんは強い霊力を持っていらっしゃる。蛍助、今度の依頼には、八重さんに同行してもらう」


 この、八重という名の巫女が、全ての始まりだった。



……………………………………………………



「文月様」


 金音がいつものように、頭領からの文を鈴紅の元に届けに来た。文の内容は歌か殺しの依頼のどちらかだろう。


「頭領からね」

「はい」


 受け取った文を広げて確認すれば、案の定、頭領の客をもてなすために歌を歌って差し上げろとの依頼であった。


「なんか、頭領って文月様のこと、いいように使ってますよね。文月様に散々酷いことをしておいて、必要になったらお願いしますって、勝手すぎます」

「金音、口を慎みなさい」


 いつどこで、誰が聞いているか分からない。そして、いつ命を奪われるか分からない。金音のことを狙っているかもしれないのに、余計なことを言って、命の危険にさらす訳にはいかない。

 金音も重々承知のはずだが、頭領にこき使われて、挙句の果てに結婚させられそうになっている鈴紅が不憫で仕方ないのだ。


「歌えばいいんでしょう」


 鈴紅は文をしまい込んで、金音に身支度を頼んだ。





 頭領の屋敷には、妖の多くの長が、濡烏の歌声をいまかいまかと待ち構えてる。どの妖も、鬼神の頭領が手を組まねばならない者たちばかり。

 文月が入室すると、濡烏だ歌姫だ、と妖たちはいつもの客と同じように感嘆の声を上げる。

 頭領は、鈴紅をそばに呼ぶ。その行動が不快で、鈴紅の眉間に皺が寄ったが大人しく頭領に近づいた。


「皆に挨拶を」


 何でお前に言われなければならないと、鈴紅はぎゅっと拳を握りしめる。怒りを悟られぬように、柔らかな笑みを浮かべて頭を下げた。


「滅を司る鬼神、三代目文月にございます」


 男達を満足させるために、美しく、緩やかな動作で。動く度にサラリと揺れる烏の濡れ羽色に、多くの者が恋に落ちる。しかし、濡烏に触れることは許されない。何故なら、傲慢な男の正室なのだから。


 鈴紅の歌声にすっかり魅了され、酒に酔いつぶれた妖たち。頭領はその奥にいる女を見つめて、鈴紅の耳元で「あいつだ」と囁いた。

 鋭い爪と青白い肌と鱗を持つ女は、男達に肌を密着させて怪しげに微笑んでいる。


「女、ですか……」

「殺せるだろう」


 女は、多くの男から金を奪い取り、贅沢な暮らしをしているそう。そのせいか、ある男から恨みを買ったらしい。


「殺せ」


………………



「嫌だっ!!」


 鈴紅の刀を見て、女は森の奥へ、一目散に逃げる。だが、あっという間に追いつかれ、鈴紅に襟元を掴まれた。


「頼むよ! 助けてっ!!」


 女は涙をぼろぼろと流しながら、自分の襟を掴んでいる鈴紅の手に、爪を立てる。その長い爪にかきむしられ、鈴紅の白い肌に血が滴る。同時に、女が身につけている金色の腕輪が赤く染っていく。


「誰が、誰があたしを殺せと…っ……、あたしには……金が必要だったの……! 仕方ないだろ!! 病気の母さんが……」

「───」

「ねえ、お願────」


 鈴紅は、女の胸に刀を突き立てて、そのまま自分の方に引き寄せた。女は短く唸ると、鈴紅に力なく寄りかかる。

 鈴紅は大地に死んだ女を横たわらせ、女の腕から血のついた腕輪をそっと抜き取ると、その場から立ち去った。



 その日の夜、寝静まった竜宮の小さな小屋で、病気の母親が娘の帰りを待っていた。小屋の外で物音が聞こえて、弱りきった母親は自らの体を引きずりながら必死に外へ出た。

 しかし、そこに娘の姿はなく、代わりに金の腕輪と大金が置いてあったのだ。


「今日は、帰らないんだね……」


 母親は娘が身につけていたはずの金の腕輪をそっと撫でて、呟いた。



………………



 鈴紅は草むらに寝そべり、満天の星を眺めていた。殺しをした帰りに、屋敷にあった金と女の腕輪を持って、女の母親の元を訪れた。それが償いになるとは思わないが、それでも、娘の願いを叶えたかった。

 それにしても、いつになったら、叔父と叔母を返してもらえるのだろう。いつになったら、自由になれるのだろう。


 ──自由になんて、なれない。


 頭領の妻になれば、もう逃げられない。逃げることが出来ない。誰でもいいから、助けてほしい。



「なんだ、あんたも星を見に来たのか」



 突如、頭上から声がかかり、鈴紅は目を見開いた。ぼろぼろに着崩れた着物を身に纏う蛍助が、鈴紅を見下ろしている。慌てて上体を起こし、蛍助を凝視した。


「え、こんな所で何しているの……」

「それはあんたもだよ、文月」


 蛍助は鈴紅の隣に腰かけて、大きな口を開けて欠伸をする。


「ずっと仕事していると疲れが溜まってな」


 だからそんなに服もぼろぼろで所々に傷が見られるのか。どうやら身も心も疲れてしまったのは鈴紅だけではなかったようだ。


「蛍助も、お仕事を?」

「その様子だとあんたもか。その怪我も…」


 蛍助は鈴紅の左腕に巻かれた布を指す。女が死ぬ寸前に抵抗して、爪でかきむしった所だ。


「あんた、普通の仕事なんてしてないんだろ」

「そうね…。あなたのお仕事と少し似ているの。でも、違う」


 暗い表情で囁くと、蛍助は眉間に皺を寄せて頭を掻き始める。鈴紅の仕事がどんなものなのか考えているようだ。


「俺は妖を退治する者だ。なら、お前も何かを…命を奪う仕事なのか?」


 鈴紅は困ったように笑って、傷ついた自分の左腕を撫でた。そうねと、囁きながら。

 蛍助との違いは、殺す相手。人間の国で悪事を働く妖を退治する事と、時に依頼者の欲望のために罪のなき命を奪う事、この大きな違いだ。鈴紅は、蛍助と違ってただの殺しをしているのだ。


「痛むか」

「大丈夫」


 鈴紅は気にしないでと、首を振った。蛍助は鬼とは思えぬほどやせ細った、鈴紅の腕を見つめて、眉をひそめる。

 視線に気づいて、鈴紅は不安げな顔で蛍助を見上げる。


「文月、ちゃんと食べてるのか」

「多少食べなくても生きていける。私は鬼だもの」


 いつものように、鈴紅にそっぽを向かれた。余計なお世話だったかもしれないが、鈴紅の不健康な体つきを見てどうしても気になってしまった。


「鬼でも、ここまで細いのは……」


 蛍助は鈴紅の腕に触れる。鈴紅は驚いて振り払おうとしたが、蛍助の真剣な顔つきを見ていると、無意識に力を抜いてしまった。

 痩せているのは仕方ない。仕事をしても、ほんの少ししか褒美が貰えないのだから。そう考えると、結婚して頭領の正室になった方が生きていける気がする。


「そうだ、これ食うか?」


 蛍助は笹の葉に包まれた握り飯を鈴紅に差し出した。


「何これ」

「飯だ」


 鈴紅は握り飯をじっと見つめて動かない。


「毒なんか入っちゃいないよ」

「これはあなたのもの。貴重な食べ物を簡単に人にやらないの」

「俺よりあんたの方が必要だ」


 ぐいっと押しつけられて、鈴紅は渋々それを受け取った。笹の葉をゆっくりと開けば、白い米の塊が三つ並べられている。その一つを手に取って食べてみると、鈴紅の顔がパッと輝いた。


「どうだ、霧の部族の女衆が握ったんだ、形も綺麗で味もちょうどいいだろう」


 鈴紅はもぐもぐと握り飯を頬張り、嬉しそうに目を細める。その様子に満足した蛍助は、優しい目を向けて頬を緩めた。


「俺、もっと働いて、父と母に親孝行するんだ。父は霧の部族の者だが、もう歳だからな。母の故郷でのんびり暮らしてんだ」


 蛍助は親思いだ。鈴紅も親はいないが、親代わりの義覚と義賢のために身を削っている。蛍助も、同じなのだろう。


 沢山話しているうちに、どんどん手が進んでいった。


「全部食べてしまった…」


 仕事をした後だからか、腹が空いていたようだ。鈴紅は笹の葉を両手で持って、ちらりと蛍助に視線を送る。


「なんだよ、すまんがそれだけだ」

「違う」


 鈴紅は慌てて首を振ると、ポツリと呟いた。


「ありがとう」


 嬉しそうに笑う鈴紅に、照れくさくなった蛍助は、頭を掻きながら視線をそらした。


(照れると頭を搔くのね。変な癖)


 鈴紅があまりにも見つめてくるので、蛍助は更に顔を赤くする。


「あんまり見るな、文月」


 今度は怒ったような口調。蛍助の反応が面白くて、鈴紅はまた笑ってしまった。

 蛍助は笑ったり怒ったり、表情豊かな男だ。そして、優しい人。

 鈴紅から目をそらしたまま、蛍助はこう言った。


「まあ、もっと食わせてやれるけどな。なんなら、俺の家に……! あ、だめか」


 鈴紅が鬼であることをすっかり忘れていた。霧の部族の家に鬼を上げれば、誰かに気づかれるかもしれない。鈴紅の身の安全を考えると、無理な話だ。

 だけど、鈴紅は期待に満ち溢れた目で蛍助を見上げる。


「私を、外に連れ出してくれるの?」


 そう問いかけられて、蛍助は訝しげに眉をひそめる。


「何言ってんだよ、よく外に出てるじゃないか」

「出ていない。外には出られない。いつも私は牢獄の中にいる。今も」


 言葉の意味はよく分からない。鈴紅との出会いは外で、町だ。それに今も、鈴紅は外にいて、こうして話している。何故、そんなこと言ったのだろう。

 鈴紅の目は暗く悲しい色をしている。もしかしたら、体ではなく、心が囚われているのかもしれない。いても経ってもいられず、蛍助は鈴紅の手を握った。


「また、俺と一緒に街に出かけないか」

「──!」

「美味いものをたらふく食わせてやる」


 蛍助の笑顔と握られている手の温かさを感じて、鈴紅の心がじわじわと熱くなっていく。


 ──どうして、こんなに優しくしてくれるの。


 その答えを予想して、今抱く感情の正体が明らかになった。


 ──私は、蛍助を…。


 自覚した途端、浮かれは不安へと変わってしまった。

 蛍助に対して、こんな感情を抱いてはならない。自分を苦しめるだけだから。結ばれるはずがないから。



………………



 鈴紅と別れてからというもの、蛍助は機嫌良さそうに家の戸を豪快に開けた。


「やっと、お帰りになられたのですね」


 背後から声がかかり、蛍助は慌てて振り返った。


「八重様…」


 今日、霧の部族を訪ねてきた巫女が、一人で蛍助の家のそばに座っているのだ。何をしにきたと、訝しげに睨めば、八重も気分の悪そうな顔で蛍助を睨み返す。


「突然来てしまい、申し訳ありません。霧の部族の頭領から預かって参りました」


 八重は何十枚にもわたる紙の束を蛍助に渡した。妖退治よりも面倒な仕事が回ってきたようだ。蛍助は仕方なくそれを受け取ると、八重に背を向ける。


「待ってください」


 さっさと家に入ろうとする蛍助を引き止めて、八重はじっと蛍助を見つめる。


「何ですか、まだ何かあるんですか?」

「あなたから、妖の気配が……」


 蛍助は目を大きく見開き、八重の手を即座に振り払った。八重は高い霊力を持った巫女。故に、すぐに文月の気配を感知してしまったのだ。

 文月の存在を知られるわけにはいかない。蛍助は八重を先よりも睨みつけた。


「ふん、さすがは巫女様。何でもかんでも妖だと思っちゃうんだな」


 蛍助の言葉にはさすがに腹が立ったようで、八重は鋭い声を張り上げる。


「先の戦闘で、私が先陣切ったことがご不満? それとも、ただ単にあなたが余所者を嫌う性格なの?」

「強いて言うなら、あの時、あんたは余計な事をした」

「あなたがあんな無茶をするから、危なかったのよ? 私の攻撃が遅かったらあなたは死んでた」

「そりゃどうも」


 八重と蛍助は、数時間前まで行われていた戦闘で、お互い息が合わず、ずっとこの調子だ。蛍助は、この堅苦しい性格の巫女が、苦手だ。


「もう用はないんだろ、帰れ」


 蛍助は八重を冷たく突き放すと、家に入って戸をピシャリと閉めた。蛍助の家の戸を見つめて、八重は顔を真っ赤にしながら文句を垂れる。


「ちょっと…相手が女だからってあんまりよ……」


 ぶつぶつと呟いた後、「ふん」と鼻を鳴らして蛍助の家に背を向けた。

 蛍助とは一生仲良くするつもりはない。八重はそう心に決めて、その場を去った。


…………


 次に蛍助と鈴紅が会ったのは月火の社であった。蛍助は鈴紅を連れて町を歩き回った。隣で楽しそうにしている鈴紅を見て、蛍助も頬を緩ませた。

 一通り回って、最終的に月火の社で落ち着いた。


「なあ、文月。これを」


 蛍助は懐から、一枚の文を取り出し、鈴紅にそっと差し出す。鈴紅は「私に?」と嬉しそうに目を見開く。


「帰ったら、読んでくれ。あ、忙しかったら、返事は書かなくても…」

「ちゃんとお返事する」


 鈴紅は文を襟の内側に大事にしまった。恋い慕う相手から文を貰えて、嬉しかったのだ。


「お返事はいつ渡せばいいかな」


 すると、蛍助は指笛を鳴らした。空に軽快に鳴り響き、しばらくすると一羽の鷹が舞い降りてきた。


「俺がいなかった時は、こいつに渡してくれ 」


 蛍助の腕に留まる立派な鷹を見つめて、優しく微笑む鈴紅。その綺麗な横顔に、蛍助は見惚れてしまう。だが、蛍助も叶わない恋だと分かっていた。それでも、鈴紅を望んでしまうのだ。


…………


 鈴紅は自室で、蛍助の文を開いた。意外にも、鈴紅への想いが見え隠れするような控えめな言葉が綴られている。

 言葉の一つ一つを目に焼き付け、最後の一文まで終えると、自然と溜め息が出た。


 ──蛍助も、私のことが…。


 鈴紅はすぐに筆と紙を用意する。この想いを早く伝えなければ。


「……」


 筆の先が紙につく寸前、ピタリと手を止めた。鈴紅はいずれ、頭領の妻になる。それなのに、蛍助を望んで良いのだろうか。

 そんな迷いを振り切るように、鈴紅は文字を書き出した。




 鷹を通して、文月からの文が蛍助の元へ届けられた。文面から察して、文月は人間と鬼という立場の違いに苦しんでいるようだ。それでも、文月が好きという気持ちは変わらない。たとえ、想いを寄せる相手が人間ではなくても、後悔はない。


「文月…」


 忘れられない、愛おしい。出会った時から、文月の美しさに惹かれた。そして、文月の強さと優しさに、心を乱されてしまった。


………………



 いくら文を交換しても、鈴紅の心の迷いが取り払われることはなかった。

 月火に訪れた鈴紅が、何通目かの文を鷹に取り付けている時のこと。


「文月」


 背後から蛍助の声が聞こえて、驚いて振り返った。蛍助は真剣な表情で、すぐ後ろに立っていた。今から何を言われるのかと身構える鈴紅に、蛍助はやっとこの言葉を告げた。


「文月、俺の嫁になってくれ」


 突然すぎる告白に、戸惑う鈴紅。それでも、蛍助は何度も想いを告げた。


「出会った時からずっと、あんたに惹かれていた。鬼でも、この気持ちは変わらない」

「私の、どこに惹かれたの……」


 鈴紅は、自分に向けられている好意が理解できなかった。蛍助は人間なのに、どうしてわざわざ鬼である自分を選ぶのか。


「文月は、美しい。」

「……」

「俺は文月が望むなら、どんなに遠くだって連れ出せる」


 蛍助の目は本気だった。その決意は嬉しかったが、自分のために全てを捨てる覚悟を決めるなんて無謀にも程がある。所詮、一緒になどなれない。


「違う。そんなの…」


 脳裏に浮かぶは、死ぬまで苦しんだ姉の紅華の姿と、未だ牢屋に閉じ込められている叔父夫婦。鈴紅は、鬼神の頭領の手のひらの上にいる。逃げ出そうとすれば捕らえられ、余計な事をすればその手のひらの上で握りつぶされる。幼い頃から植え付けられた恐怖と、自己嫌悪がどんどん増していく。


「人間の目に、妖が美しく映るわけないじゃないっ!! 私は、あなたが思っているほどの女なんかじゃ……」


 震える手を握りしめる鈴紅。蛍助の表情が悲しく歪んだが、鈴紅は幼い頃から自分を押し潰してきた運命に、感情を爆発させてしまう。

 蛍助は、鈴紅の歩んできた壮絶な人生を知らない。家族を奪われて、無理矢理殺しをさせられて、無理矢理結婚させられそうになっている今、鈴紅は蛍助に縋るしかなかった。でも、長年鈴紅を縛り付けてきた鎖は重く、自分では解くことが出来ない。故に、蛍助に辿り着くことが出来ない。


「人間のあなたが、私と一緒になることを選べば、不幸になるに決まってる──っ」

「そんなことない、あんたと生きていけるなら……何もいらないんだ!」

「それじゃだめなの!!!」


 鈴紅は黒髪を振り乱しながら首を振った。


「蛍助は、私のために生きてはだめなの。私のために何もかも捨ててはだめなの!」

「捨てる…?」

「蛍助は、まだ幸せになれる。私を選べば、蛍助が今まで積み上げてきたものが崩れてしまう。あなたは、道を違えてはならない」


 鈴紅も、蛍助に想いを寄せている。心の底から愛している。だから、幸せになってほしい。本当に大切なものを見つけてほしい。


「お願い、私よりも自分を選んで、蛍助」

「俺、は……」

「私を選べば、あなたのご両親はきっと悲しむ。そうでしょう?」


 蛍助の目が大きく見開かれた。鈴紅と駆け落ち、なんて大胆なことを考えていたが、親が悲しまないわけがない。


「それでも、俺は……──!」


 気づいた時には、目の前にいたはずの文月は消えていた。蛍助は分からなかった。愛さえあれば何でも出来る、だからどんなに苦しくても文月がそばにいれば、乗り越えていけると。だけど、文月は否定した。

 蛍助はその場で頭を抱えて、座り込んでしまった。


………………


 あれから、文月からの文は来なくなった。文月を傷つけてしまったと後悔しても、しきれない。直接話したくても、文月の住んでる場所も知らない。

 そうこう悩んでいるうちに、霧の部族の元に依頼が来た。


「神隠し?」


 蛍助の問いに、霧の部族頭領は難しい表情で首を縦に振る。


「今までは妖を退治するという話だったが、これは珍しい依頼だ」


 まずは出没地を特定しなければならない。武器や防具に関しても情報が足りなさ過ぎて無闇に選べない。

 こうなれば、高い霊力を持つ八重に頼るしかない。だが蛍助も八重も、互いにいがみ合う仲で上手くいくわけがない。


「あなたはどう思う、巫女殿。何か考えがありますよね」


 蛍助から嫌味のような言葉を投げかけられ、八重は眉間に皺を寄せ、横目で蛍助を睨んだ。女にしてはおっかない顔だが、蛍助は怯むことなく鼻で笑った。

 八重からすれば、精神年齢の低い男の戯言。好き放題言われて腹がたって仕方ない。


「考えがないわけではありませんが……いつまでも考えの甘い殿方がいらっしゃるようなので、果たして上手くいくかしら」

「なんだと…」

「あら、どうなさいました? 蛍助殿」


 雰囲気があっという間に悪くなった。蛍助と八重ほど、相性の悪い二人がいるだろうか。頭領は困り顔で頭を抱えた。蛍助は元から女には慣れていないが、ここまで酷いのは初めてだ。八重を同行させたのがまずかったのだろうか。


「二人ともよせ。八重さん、神隠しの元凶を突き止められるか」

「お任せを」


 とにかく、巫女の八重に任せるしかない。蛍助は納得しないかもしれないが、こうでもしないと先に進まない。

 蛍助と八重を見ていると、先が思いやられる。

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