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鬼姫の曼珠沙華 ─濡烏の章─  作者: 紫木 千
第一章『初恋編』
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【第一章】人喰い鬼

 鈴紅は今日十回目の溜め息をついた。


「文月様、何度目ですか」


 鈴紅の髪をとく女中、金音こがねは眉をひそめた。


「何かあったのですか?」


 言えない。昨日人間の町で出会った蛍助という青年がずっと頭から離れない。蛍助のことを考える度に胸が苦しくなる。掴まれた所がまだ熱を持っているかのようにじんじんする。初めて抱く感情に混乱した。


「もう一度会う時は、私が死ぬ時……」


 きっと、二度目はただではすまない。妖退治の一族の者なのだ、もう一度出会えば殺されるかもしれない。それでも、また会えないだろうかと願ってしまう。この気持ちは一体何なのだろう。


「文月様、もしや恋ですか?」

「なんですって?」


 慌てふためく鈴紅の様子から、金音は恋だと察したらしい。自分が恋をしていると考えて改めて蛍助の姿を思い浮かべてみると、顔が熱くなった。


「何を言うの、金音。私が恋だなんて……」


 でも、手を引かれていた時の自分は変ではなかっただろうか。そんな心配をしてしまうほどに、鈴紅は蛍助に夢中になっていた。


「変なこと言ってる場合ではないか……。依頼人と待ち合わせているから、早く準備を」


 金音は頷くとすぐに動きやすい着物と頭巾を用意した。依頼人とはいえども相手は人間だ、油断はできない。

 準備を整えると、鈴紅は曼珠沙華を短刀に変化させて懐にしまった。



……………………………………



 人間の女、露は哀れな女だ。夫を鬼に食い殺されてしまったのだ。しかも、鬼が夫の肉を食らっているところを見てしまった。あの時は口元を押さえて必死に息を殺していた。恐ろしくて、方が震え上がった。同時に、優しくて頼りがいのある夫を殺された恨みを抱えることとなった。

 夜になると、あの日の晩のことを思い出して吐き気を催すようになった。歯をガチガチと鳴らしながら布団の中で怯えていると、いつの間にか朝になっていた。


「私の、夫を、返して……」


 露は狂ったようにそう呟く。そんな露を支えるために、宿屋は娘たちが協力して営むようになった。


 そんな時、こんな噂を耳にした。

 濡烏と呼ばれる妖の女に頼めば、誰でも殺してくれると。金銀財宝を持って月火の社に向かい、そこで殺してほしい相手を言えば、その女に会えるらしい。

 愛する夫を殺された恨みのまま、金を沢山袋に詰めて月火に向かった。それを持って、「私の夫を食い荒らした鬼を、殺しておくれ」と叫んだ。すると黒い化け物たちが現れて、その金を取り上げてこう言った。


『明日の朝、濡烏がここに来る』


 化け物は金ごと消えていった。露はその場に呆然と立っていたが、明日、ここに濡烏が来ると聞いて口角が上がった。


「待ってて、あなた……」




 当日の朝、更に金を持って露は月火に出向いた。妖が来ると聞いて怯えていたが、夫の無念を晴らすためにじっと我慢した。

 すると、霧の中から女の声が響いた。


「依頼人、ですか」


 ハッとして振り返ると、頭巾を被った怪しげな女がそこに立っていた。


「濡烏……?」


 頭巾から覗く黒髪は、確かに烏の濡れ羽色だ。露は慌てて金の入った小袋を差し出し、頭を下げた。その手は震えている。

 濡烏はその小袋を受け取る際に、両手で露の手を包んだ。


「……!」

「怯えないで。あなたを傷つけるつもりはありません。どうか、あなたが殺したい相手についてお聞かせください」


 そう言われて露は少しだけ安心出来た。濡烏は落ち着きを取り戻した露を連れて場所を移動した。



…………………………………………



 依頼人の名は露。宿屋の主人の妻であり、娘が三人いる。夜中に旦那を殺され、その殺した鬼の顔を見たという。


「本当に驚きました。その鬼は、最初は普通の男の人だったのです。うちの主人はすっかり安心しきっていて、その人とお酒を飲みながら庭に出て……そしたら、主人の悲鳴が聞こえてきて……」


 露は自分の肩を抱いて震え始めた。


「急いで駆けつけると、そこには大きな体の鬼がいて、主人の首筋を食らっていたのです。私は悲鳴をぐっと堪えて、急いで身を隠しました。恐ろしかった……」


 鈴紅はまたしても怯え始めた露の背中をさすって、優しく声をかけた。


「その鬼、人間に化けていたのですね」


 そう問いかけると、露は涙を流しながら何度もこくこくと頷いた。やはり、この町で人喰い鬼の姿は目立つ。予想通り、人間に化けていたようだ。


「人間の時の姿は、どんな感じでしたか?」

「少し歳をとっていました。髪は白いのが目立っていて、外見は五十ぐらいですかね……」


 露は難しい顔で鬼の特徴を語り始めた。それなら見分けがつきやすい。歳をとった老人などに化ければ、相手も油断するから襲いやすいのだ。人喰い鬼は力だけでなく、頭も良いらしい。


「あの……」


 考え込んでいると、露が不安げな表情を向けていた。


「今ので、殺せますか?」


 今の情報は足りているか。夫の無念は晴らせるのか。露の中で、どんどん不安が募っていく。とにかく、彼女を安心させなければ。


「お露さん、その鬼は私の同胞です。すぐに見つけ出すことが出来ます」


 そう言うと、露は目を見開いた。


「それじゃあ、あなたは同胞を殺すことになるのですね」

「私は構いません。仕事ですので」


 鈴紅は淡々とした口調で答えた。露が罪悪感に苛まれないために、わざと気にしていない素振りをしてみせたのだ。そのおかげで、露も気にしないでいられた。


「妖だと聞いて身構えておりましたが、あなたは優しい方ですね」


 露はやつれた顔で、久しぶりに微笑んだ。だが、鈴紅は暗い表情で俯いたままだ。


「そうでもないです。私は、優しくなんてない……」


 瞳を伏せた鈴紅の様子に、露は眉をひそめた。何か気に障るようなことを言ってしまっただろうかと心配になった。

 鈴紅はそんな空気を振り払うように立ち上がった。


「ご依頼、承りました」

「殺してくれるのですか?」

「ええ」

「ありがとうございます……!」


 鈴紅が頷くと、露は目をきつく閉じて頭を深々と下げた。

 鈴紅は金の入った小袋を受け取って、その場から姿を消した。さて、まずは人喰い鬼の居場所を探らねば。


………………………………………………


 山の上から町を見下ろし、鈴紅は自分の専属の物の怪たちを呼び出した。この物の怪たちは、野生に住む物の怪たちとは違い、知能を持ち、鈴紅だけに従う獣なのだ。


「聞きなさい、お前たち」


 物の怪たちは従順にも姿勢を低くして鈴紅を見上げた。


「人間たちの中で鬼の匂いを漂わせる者がいたら、後をつけなさい。その時は、私を呼びなさい」


 そう命令を下すと、物の怪たちはそれぞれ影の中に散っていった。



 それから数時間後、放った物の怪たちのうちの一体が鈴紅を呼んだ。その場所に行ってみると、ある男が物の怪に囲まれていた。


「あっちに行け! おら、しっしっ!」


 男は押しやったり蹴ったりと物の怪たちを追い払おうと必死になっている。鈴紅の存在に気がつくと、男は一層警戒した。


「おい、こいつらお前の手下か……。どこの妖だ……」

「その様子だと、あなたは人間ではないようですね」


 妙に透き通った声を聞いた男は、鈴紅を美人に化けた狐ではないかと疑った。だが、悪霊の成れの果てである物の怪たちを従える者となると、死神の類かもしれない。

 鈴紅は座り込んだ男に近寄って、鋭い目で見下ろした。


「あなた、鬼ですよね」

「だからなんだってんだ!」

「宿屋の主人が、とある鬼に食い殺されました。あなたが殺したんですか?」


 そう問いかけると、男は目を大きく見開いて慌ててかぶりを振った。


「俺は、殺しちゃいねーよ!」

「では、何か知りませんか?」

「あんたみたいな素性の知れない女に、なんで教えなきゃなんねえんだ!」


 強情な男だ。ならば、と鈴紅は曼珠沙華に手をかけた。


「あなたにはもう用はない」


 男は鈴紅の紅色の刀を見て、震える声で「まさか……」と言って顔を引きつらせた。


「黒髪に紅色の刀……まさか、あなたは文月様!?」


 滅を司る鬼神、文月。突然現れた女が妖の頂点に立つ存在だと知った時、男は真っ青な顔を慌てて地面に伏せた。


「無礼をお許しください! どうか、お命だけは……!」


 鈴紅の足元で命乞いをし始めた男。鈴紅が鬼神の文月だとわかった途端、恐怖が男を襲った。文月といえば、鬼神の頭領の庇護下にあり、後に頭領の正室として迎えられるという噂だ。そんな存在に無礼を働いたとなれば首が飛びかねない。

 おまけに胸ぐらを掴まれて、気絶しそうになった。


「人喰い鬼の居場所を、答えろ」


 鈴紅が至近距離でもう一度問いかけると、男はすんなりと教えてくれた。


「わ、私はただ、人を食う手伝いをしてくれれば、餌を分けてやると言われて……」

「餌、とは」

「私は、人間の肉が好物なのでございます。なので、一番狙いやすい人間の情報を提供し、その報酬として人間の肉を分けてもらっていたのです……」


 まさかの、この男も人喰い鬼だったとは。今この場で殺した方が後々面倒ではなくなるが、依頼されてもいないので勝手な行動は出来ない。

 その後、獲物のこれからの動きをこと細やかに聞き出し、男を解放した。このことを話せば命はないと十分に脅しておいたのであとは大丈夫だろう。

 慌てて逃げていく男の背中を見つめながら、鈴紅は物の怪たちに声をかけた。


「今夜、殺すよ」


 その言葉を受けて、物の怪たちは唸り声を上げた。夫を殺された妻に代わって、今夜、その人喰い鬼を成敗する。



………………………………………………



 夜道を通っていた若い女は、あまりの静けさに顔を引きつらせていた。前も後ろも誰もいないはず。それなのに、この空気はなんだろう。女は一歩一歩着実に進んでいく。

 すぐ近くで獣の唸るような声が耳に届いてピタリと足を止めた。


「犬…? それにしても……」


 振り返った時、道向こう側に年配の男が見えて硬直した。


 ──さっきまで誰もいなかったのに……。


 男は下を向いたまま、ゆっくりとこちらに進んでくる。女は下駄を鳴らしながら道を急いだ。

 だが、男は凄まじい速さで女に追いつき、鋭い爪を振りかぶり、白い腕に傷をつけた。女は悲鳴をあげながら道に倒れ込み、そのまま気絶してしまった。

 動かなくなった女を組み敷いて、鬼は口を大きく開けて牙を剥き出しにした。


 その時、別の足音が聞こえてきて鬼はサッと顔を上げた。


 長い黒髪を揺らしながら、一人の女がこちらに向かって歩いてくる。

 見られたのなら、仕方あるまい。鬼は獲物を変えて、黒髪の女に襲いかかった。


「──っ!!?」


 だが飛びつく直前、全身に衝撃が走り、鬼は唸り声を上げた。

 鬼は自分の全身を見て、血走った目を見開いた。肩から足にかけて一本の線が入っていて、そこから血が溢れて止まらない。

 前方を見れば、黒髪の女が紅に輝く刀を持って立っていた。その刀から滴り落ちる血を見て、鬼は激昴した。


「よくもわしを斬ったなっ……!!」


 黒髪の女は表情一つ変えず、人喰い鬼を睨みつけている。四つん這いになって姿勢を低くし、再び飛びつかんとしている鬼に、女は冷たく言い放った。


「やめておけ」


 鬼は構わず女に飛びついた。大きな爪を振りかぶった瞬間、紅色の刀が、鬼の硬い体を稲妻の如く走り抜けた。

 鬼はその場に停止し、大量の血を吹き出しながら倒れた。


 返り血を浴びながら、鈴紅は鬼を見下ろした。鬼の大きな体がどんどん小さくなって、人と同じ大きさに変化していく。その姿を見て、鈴紅は驚愕した。


「卯吉……さん?」


 人喰い鬼の正体は、妻の梅と共に茶屋を営んでいた卯吉だった。

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